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兄上ばかり見て!

 アルヴィッド様が冷笑してくる。


「また国王陛下だ」

「……は?」

「兄上ばかり見て!」


 私は胃の痛みが引っ込み、目が点になった。

 ロヴィーサお母様が「あ♡」といい、椅子をどけるようにマデリエネ様を強引にヘンリカ様のほうへぐいっと寄せた。義祖母はマデリエネ様にお菓子を渡す。

 マデリエネ様がお菓子に夢中になっている間、ロヴィーサお母様が囁いてきた。


「もう〜、イレイェンったらちょっとした過去があるから♡ いい場所貸してあげるから二人で話してきて♡ 演奏会はわたくしがちゃーんと楽しんでくるから♡」


 そういって、ロヴィーサお母様はざわつく周囲から婚約者たちを引き離した。



 ヘンリカ様の邸は森のなかの川沿いにある。面白い構造になっていて、森のなかの川にテラスがつきだしているのだ。

 森と川に囲まれたかのようなテラスのある部屋で、胃が荒れているはずの私は果物を片手に、ワイングラスに真っ赤なワインを注ぐ。向かいに座るアルヴィッド様が顔を背けて果汁を飲んでいる。


「イレイェンは兄上しか見ない」

「ここ何日かはあなたのことばかり考えてましたよ」

「ここ何日か!? ずーーっと僕のこと考えてよ! 兄上と義姉上にご挨拶したときに思った。顔を背けあっていた。特別な感情がなければ顔を背けあわない。カルネウス侯爵が言っていたし」

「……何を」


 果汁を一気に飲んで、グラスをテーブルに勢いよく置き、アルヴィッド様は叫んだ。


「兄上と毎晩情熱的に愛し合っていたって! 公妾になる話も出ていたって。僕のことなんかどうでもいいんでしょ? 兄上とおおっぴらに愛し合うために僕を誘惑したぁぁぁ〜!」

「私、あなたを誘惑しましたっけ」


 はあ、と私はまたワイングラスにワインを注ぐ。

 仕方がないのでアルヴィッド(もう呼び捨てでいいや)のグラスに果汁を注いでやった。オレンジジュースだったので、オレンジを果物ナイフで切り、飲み口にオレンジを飾ってやる。

 そうしている間にも、どろどろとアルヴィッドは泥を吐いていく。私はオレンジの飾りを作ってやったグラスをアルヴィッドに差し出すと、「そろそろ反論してもよろしいですか?」と彼の顔をうかがった。


「どうぞ。どうせこの耳は兄上への愛しか聞かないだろう!」


 相手の心の傷を知ったのに、こちらの心の傷を教えないのは不公平だ。話さねばなるまい。


「……確かに七、八年前、私は国王陛下のねやに呼ばれたことがあります」

「やっぱり!」

「でも、抵抗して逃げました」

「……何故」


 アルヴィッドがようやくこちらにみどりの瞳を向けた。


「何故って、だって嫌だったんですもの。王妃になれない。妾にさせられるというのが」

「ほら、王妃になりたいくらい兄上を——」

「王妃にならないと母に……」


 ああ、この話は本当に嫌なんだな、と閉じかけた口を無理やりこじ開けるためにワインを流し込む。


「母に、とんでもない目に遭わされたから」

「……」

「当時の私は母の言うなりでした。母がすべてでした。だから、どんな無体な要求でも従ってきました。王妃になるなんて、私にとって――」


 私はまっすぐアルヴィッドを見る。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな気分と同じだったのです。国王そのものを見てはいませんでした」

「僕のことも大公としか見てないでしょう」

「こんなところで泥を吐く、甘えん坊でどうしようもないいとけないお方だと思っておりますよ。そんなことを気にしてらしたなんて。困ります」


 私は笑いながら肩を竦める。

 すると、アルヴィッドがのっそりと立ち、私の横に座った。


「ごめんなさい」

「マデリエネ嬢にお謝りになって下さいね。振り回したんですから」

「いや、振り回したわけではなくて、兄上が、カルネウス侯爵の素行について信じられないことを聞いたというから、一晩だけマデリエネ嬢をどこかに連れて行き、探りを入れろと命じられただけで。僕は、婚約者との間が悪くなるって断ったのに! 彼女は女官や兄上の官僚を見下して、けして何も言わないから、僕がやるはめになった。……あのう、マデリエネ嬢が言ってたけど、魔女なの? イレイェンは。で、こうやって僕を惑わせているわけ?」

「魔女だったらもう少し……」


 まともな人生を送っていますねえ、といいかけたが、新しい人生を持ってきてくれているアルヴィッドに失礼になると気づいた。


「酒量を押さえられると思いますね」


 すでに私は水差したっぷりあったはずの酒をほとんどワイングラスに注ぎ、飲み干していた。


「あぁっ!」


 アルヴィッドが水差しとワイングラスを取り上げる。彼が差しだした水をごくごく飲んで、ぷはぁ、と息を吐く。


「眠い〜。寝る〜」


 私はそういいながらソファの上で丸まった。

 「冷えます」と言いながらアルヴィッドは私を抱き上げた。何をしてるんだ、……この男。

 そして周囲を見回す。隣の寝室へと連れて行き、私をベッドにおろした。

 その隣に彼は自然と添い寝する。そして、「温めます……」とすがるように私を抱きしめた。

 だから何をしてるんだってばあ。……ぐう。

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