国王陛下のお心に逆らいたくない
バックリーン財閥。王妃様の後ろ盾であるフィエルクロー商会と並ぶ有力な経済組織の一つだ。フィエルクロー商会がフィエルクロー公爵を盟主とした商人グループなのに対し、バックリーン財閥はバックリーン家が多彩な事業を展開している。
そして総帥のヘンリカ・バックリーンは非常に有能な人物であった。ロヴィーサお母様の実母に当たる。
だけど、なんか優秀〜って感じに見えないのよね。温和で親切で世話焼きなおばあちゃんって印象。
でも有能なのかもね。
さて、前妻が死んだ後、フェーリーン公爵家は憔悴した父と、ぼろぼろの娘(私)しかいなかった。
ロヴィーサお母様を嫁がせるにあたり、ヘンリカ様はそれを見て心を痛めた。正確にはキレた。
父と使用人を一喝して生活を整えさせ、ベッドで常に涙を流して呪いの言葉を吐く私をすぐ医者に受診させてくれた。
医者によって私をゆっくり静かなところで休ませるよう提案がなされると、縁談を受けさせた方がいいのでは、と渋る父をまたもや一喝して、ヘンリカ様は田舎の領地を用意させた。おかげで回復したのだ。
だから、私は感謝のあまり、義理の祖母・ヘンリカ様に頭が上がらない。
ヘンリカ様は貴族街からは少し離れた、だが高級住宅街に豪勢な居宅を構えている。
義理の祖母の邸につくと、玄関で、上品とはいえないが、人好きのする笑顔の義祖母が手を振っていた。
「ロヴィーサ! イレイェン!!」
義祖母孫三代で再会を喜び合い、抱きあった。
ヘンリカ様は言う。
「二人を待っていたわ。今日はねえ、ヴァイオリンの演奏会なの」
私は、へえ、とうなずく。すると、ヘンリカ様が不審の顔色を浮かべて私を窺ってきた。
「イレイェン、実は婚約内定のお祝いの気持ちも込めて、ミュルバリ大公殿下と一緒に招待したのだけど……一人?」
「えっ?」
そんな話は知らない。おそらくアルヴィッド様のほうへ招待状がいったのだろうが。
顔を背ける。アルヴィッド様と微妙な関係になっていることを、改めて感じた。
「まあ、ミュルバリ大公殿下もお忙しいですか……ら?!」
わっ、と人の声がした。そちらを振り向くと、二人の人間がいた。
一人は、降り積もった山奥の雪より白い肌。輝く鳶色の巻き髪。泉の水底を思わす切れ長の翠の瞳。すらりとした背の貴公子。
いま、話題になっていたアルヴィッド様であった。
「……お忙しいですから」
そういうふうにヘンリカ様に強弁する。どこか苦しい気持ちになりながら。
だが、もう一度振り向いて、アルヴィッド様が連れている人物に、眼を見開いた。
陶器のような滑らかな肌に、薔薇色の頬、星のようにきらきら輝く黄金の髪をした可愛らしい美少女。
カルネウス侯爵令嬢、マデリエネ様。
二人は腕を絡ませあい、何か親しげに話していて、非常に仲睦まじそうであった。
「……は?」
ロヴィーサお母様が底意地の悪い低い声で二人を見た。
ヘンリカ様は目玉をひん剥いている。
私はと言えば、胃がじくりと痛んだ。
——どういうこと。
いや、と彼女はうつむいた。
当然のことだ。七つも年上。趣味もなく、面白みもない人間だ、と自覚している。そして今回、さらにはアルヴィッドを傷つけた。こうなるのは当然の結果だろう。
マデリエネ様のような同い年と話していたほうが、話も合うかもしれない。いや、確実に合う。少しはしゃいだ物言いをすることがあるが、私よりはるかに元気がいい。
傷を抱えたアルヴィッド様にふさわしい。
——何を調子に乗っていたんだろう。
どんどんといたたまれなくなる。場違いのような気もしてくる。
「ロヴィーサお母さま、ごめんなさい、調子が悪くて。席を外しても?」
血の気が引き、胃がじくじくするのを押さえる。邪魔者は去らなければならない。
「イレイェン? ……しっかりして」
ロヴィーサお母様が私の背中を撫でた。
ヘンリカ様が、「すぐに控室を開けて」とそばに控えていた侍女に言う。
その騒ぎに、アルヴィッド様は私のほうを向いた。ひどく冷たい視線で。
その視線にも胸が切り裂かれそうになった。
マデリエネ様が近づいてきた。血の気が引いて立っていられずにいる中、私は肩を掴まれた。
囁かれる。
「あなたが魔術を使って殿下をたぶらかしていたことがわかったわ。殿下は正気に戻って、わたくしのものになるの」
「……魔術」
私は苦しげに息をひどく吐いた。
「私が魔術を使えるとでも?」
どんどんと足先の感覚がなくなっていく。
「マデリエネ嬢、私は魔術なんか、使えませんよ」
使えていたら、婚期を逃すことも、亡き母との過去に苛まれることも、今、アルヴィッド様との関係に悩むこともなかった。
ひどく虚しい気持ちになった。
——ああ、魔女になれたらどんなに良かっただろう。
この国では過去、魔女と呼ばれた女は火あぶりにされたそうだが。
それでもいいから、婚期はまだしも、母との過去に苛まれたくはなかった。アルヴィッド様の正確な気持ちを知りたかった。
アルヴィッド様は「イレイェン」を愛していない。今までの言葉はすべて「フェーリーン公爵令嬢」にたいする口説き文句。そんなふうに思えたら、もう少し、楽になるのに。
マデリエネがころころと鈴を転がすような声で嘲笑ってきた。
「ずるをしている人間はみんなそういうわ」
直後、私は脳のどこかが焼き切れた。二十五歳が十八歳相手に本気で怒るのは大人げない。だが、困ったなと、大きくため息が漏れ出てしまった。
「何よ? なんのため息?」
マデリエネがそのため息をも嘲笑している中、
「殿下」
周囲がざわつく中、私はアルヴィッド様のほうを見た。アルヴィッド様が眉を動かす。
「婚約のことを国王王妃両陛下に伝えた直後にこれでは困ります。私にも国王陛下のお心に逆らいたくないという気持ちがありますので」




