第一章 再 会
投稿まで時間がかかってしまい、大変申し訳ありません。
石の剣の王 第4巻 海があふれた日 第一章 再会 をお届けします。
最後までお読み頂けますと嬉しいです。
石の剣の王4 海があふれた日
水崎 芳
青い空を見たのは久しぶりだった。
青がどんな色だったかも忘れていた。
序 章
月のない夜のように、辺りは暗かった。
目を凝らすと、遠くに天を貫くようにそびえ立つ水晶の塔が見えた。
真に透明で、一点の曇りもない、巨大な地の水晶の塔………〈地の民〉唯一の王たる聖王家の姓の由来でもある〈境界の地の水晶〉の塔だ。陰鬱な沈黙をまとい、藍色の闇に沈んでいる。
彼女は息を飲んだ。
〈境界の地の水晶〉の塔が端から溶け崩れていたのだ。見る見るうちに細く、小さくなっていく。川面を覆う氷が割れ、解け流れていくように。滝壺に届く前に霧散するか細い滝の流れのように。
思わず足を踏み出した彼女の足元でパシャンと水の音が響いた。
見下ろすと浅く水が溜まっていた。辺り一面、どこまでも。
彼女は愕然とした。もう一度水晶の塔を見上げ、そして再び足元に視線を戻す。
まさか………この水は全て溶けて水と化した〈境界の地の水晶〉の塔なのか?
くるぶしの高さまで溜まった水が靴の中に入り込み、気持ち悪い。水を吸った服の裾は重く、引っ張られるような感じがする。
突然、力強い鳥の羽ばたきの音がした。突風のように激しい風が彼女の髪を乱す。思わず見上げた彼女の頭上を、白銀に輝く大きな鷲が飛んでいき………
そして、廃墟と化した水晶王宮の上を飛び越え、闇に溶けるように忽然と消えた。
何もかもが崩れていく。
消え失せてしまう。
乱れた髪を抑えつつ周囲を見回した彼女は、離れた場所に誰かが立っている事に気付いた。片手に何か細長いものを握っている。
一瞬驚いたが、同時に彼女はホッと安堵の吐息を漏らした。よく見知った人物だったからだ。
だが、その人物の方へと足を踏み出した彼女は、数歩も行かぬうちその場に凍りついていた。
その人物の周りに幾人もの人々が倒れていたからだ。何十人………いや、もっと大勢の人々が。豪奢に着飾った貴族。粗末な衣服に身を包んだ平民。あらゆる階層の人々が、貴賤関係なく。
その中には彼女が知る者たちもいた。クレメンツにスヴェア、ラーキン、ジーヴァ、トロイ………見知らぬ者もいた。ジーヴァとよく似た革鎧と武器を身につけた男女。夕陽を浴びた小麦畑のような華やかな女の金髪がゆらゆらと水面に広がっている。まだうら若い女性もいた。命の灯火が消えた琥珀色の瞳をみひらいたまま。
恐ろしい光景だった。
死と闇に覆われた光景。
そして、その瞬間、彼女は自分が血溜まりの中に立っている事に気付いた。
辺り一面、血の海だった。
彼女は震える手で口元を覆った。
「…………なんてこと………」
彼女の呟きが耳に届いたかのように、倒れ、動かぬ人々の只中に立つ人物が顔を上げた。
目が合う。
その人物は笑ったようだった。
親しい友人に対するように。
会えて嬉しいとでも言わんばかりに。
べったりと返り血を浴びた顔で。
唇についた血を味わうように舌先でぺろりと舐め取り、その人物は彼女の方へと歩き出した。ゆっくりと一歩、また一歩。その手に握られていたのは、血に染まった長剣だった。刃先から絶え間なくポトリポトリと赤い雫が滴り落ちている。
…………皆、死ンデシマウ。
その両眼に宿る邪悪さと狂気に、彼女は総毛立った。
…………彼ガ皆ヲ死ナセテシマウ。
彼女は悲鳴を上げた。
*
凄まじい悲鳴が室内に響き渡った。
悲鳴は途切れる事なく、血の気の失せた唇から迸り続けた。
誰かが動揺した声で叫んだ。
「レディ・マリエル!? お気を確かに!!」
「誰か医師を呼んできて!! 早く!!」
肩や腕をベッドに抑えつけられても尚、マリエルは悲鳴を上げ続けた。身をよじらせ、恐怖に目をみひらいて。まるで目の前に恐ろしい怪物が迫ってきているかのように。
誰かがマリエルをしっかりと抱き締めた。
「マリエル……! マリエル、大丈夫だ! 私がついている。落ち着いて」
緊迫していたが、冷静で優しい声だった。
マリエルの目から急速に恐怖の色が消える。
そして、彼女はやっと正気に戻った。
自分を強く抱き締めている人物が誰かわかったマリエルは、茫然と呟いた。
「…………クレメンツ公………?」
クレメンツは腕をほどくと、彼女のやつれた頬とほつれた蜂蜜色の髪を優しく撫でた。
「落ち着いたかい?」
「………何故………公がここに……?」
クレメンツは遠く離れたガラハイド国にいるはずなのに。
状況が全くわからず、マリエルは困惑して周囲を見回した。
彼女の部屋だった。王都のガラハイド国領主邸の。枕元の小テーブルには水を張った桶と布、それにラベンダーを活けた花器が置かれている。
ベッドから数歩下がった場所では、数人の侍女が緊張した面持ちでマリエルの様子を伺っていた。つい先ほどまで昏睡していたのに突然叫び出したマリエルに、驚いたというより怯えた様子だった。クレメンツが立ち上がった拍子に倒れたのだろう、一脚の椅子が床に転がっている。
侍女の一人が進み出て椅子を元通りに起こし、クレメンツは侍女に礼を言ってから再び腰を下ろした。
「君が倒れたと聞いて、急ぎガラハイド国から駆けつけたのだよ。本当はもっと早く来たかったのだが、どうしても手が離せない仕事があって遅くなってしまった。すまない」
マリエルは目をみひらいた。
「わたくしの為にわざわざ……? 領都の再建でお忙しいでしょうに………ご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありません」
深々と頭を下げたマリエルに、クレメンツは軽く頭を横に振った。
「迷惑などであるものか。国の方は姉上と大叔父上が万事うまくやってくれている。それに、あの二人が私に言ったのだよ。『何をぐずぐずしている、さっさとマリエルのもとへ行け』と」
クレメンツは心底ホッとしたように淡く微笑んだ。
「ずいぶんと長い間眠っていたね。こんなにやつれてしまって………目を覚ましてくれて、本当に良かった。安心したよ。何か欲しいものはあるかい? 水でも、お茶でも、スープでも」
「では………お水を」
「わかった。………ウセラ、頼む」
「畏まりました」
クレメンツに命じられた侍女は恭しく一礼すると、そそくさと部屋を出て行った。
侍女が扉を開けた時、部屋の外から邸内とは思えぬ騒がしい物音が聞こえた。まるで土木工事でもしているかのような音だった。
そう言えば、先ほどから断続的にズシンズシンと低くくぐもったような振動も感じる。
怪訝そうに眉をひそめたマリエルに、扉の方を振り返りつつクレメンツが説明した。
「うるさくてすまない。玄関ホールの修理をしているのだ。円形回廊が崩落してしまってね。シャンデリアも。なかなか凄まじい有様だったよ」
クレメンツがガラハイド国領主邸に到着したのは、ダール率いる近衛騎士たちがラーキンを捕らえにきた翌々日の事だった。崩落した円形回廊とシャンデリアの残骸で玄関ホールはひどい惨状だったが、不思議な事にそれ以外の柱や壁や天井はひび割れひとつなく、全くの無傷だった。
まるで、見えない巨人の拳が円形回廊とシャンデリアだけを叩き落としたかのように。
腕をなくしたダール以外重傷者はなく、明かりが消えた真っ暗闇の中で何者かに襲撃された近衛騎士たちがあちこち傷と痣だらけになっただけだった。ガラハイド国側も数人の騎士が軽傷を負ったが、これは崩落した円形回廊とシャンデリアの破片によるものだ。
一方的に叩きのめされ、面子を潰された近衛騎士団は躍起になって襲撃者の捜索をしているが、未だに何の手掛かりも掴めていない。
その時の混乱に乗じて姿を消した、ロザリンド=アンダーレイの孫の行方も。
ガラハイド国側は、「ラーキンが反逆者アンダーレイの血筋の者だったとは露知らず」、且つあくまで「何者かに領主邸を襲撃された被害者」の立場を貫いていた。領主邸の外で警備していた数名のガラハイド国の騎士が襲撃者の奇襲に遭い失神しているのが発見されたので、あながち嘘ではない。
マリエルが昏睡していた間に起こった一連の出来事についてひと通り説明した後、クレメンツは暗い面持ちで最後に付け加えた。
「実は………その時の騒動以来、カナンも行方不明になっている」
「カナンが?」
「ああ。それと………円形回廊が崩落する前後に白い光を見たという証言があった。混乱のせいでシャンデリアの照明か何かを見間違えたのだろうという事になったが」
「白い光………」
アリアンテの光だ。
マリエルは瞬時にそう悟った。クレメンツの顔を見やると、彼も同じ考えなのだとすぐにわかった。
では………ガラハイド国攻防戦で〈天の民〉の槍騎兵と空中砦を跡形もなく消し去った時と同じ事を、カナンはまたやろうとしたのだろうか?
聖王の近衛騎士団に対して?
そして………
カナンはまたその事を全く覚えていないのだろうか?
自分がやった事とはとても思えない、と、いつだったかカナンは言っていた。自分が何をやったのか知った時の彼はひどくショックを受けているようだった。
それを全く覚えていない自分にも。
それはそうだ。カナンはまだ十五才の少年で、本来怪我人や病人を治療する事が生業の薬師で、生死をかけた血みどろの戦とは全く無縁だったのだから。
彼は人の命を奪う側ではなく、癒し治す側の人間なのだから。
クレメンツは浅く溜め息をついた。
「王宮………近衛騎士団は反逆者アンダーレイの血を引く者を見つける事に躍起になっていて、カナンについてはまるで眼中にないようだ。たまたま運悪く居合わせた、ただの使用人に過ぎないと。カナンが今どこでどうしているのかわからないのは心配だが、件のロザリンド=アンダーレイの孫とは違い、近衛騎士団に追われる身ではない事は幸いだ。彼はイグリット殿と同様、我がガラハイド国の恩人なのだから」
「エイデンは何と? それとも、彼はもうカナンを探しに行ったのですか?」
「それが………」
返ってきたクレメンツの答えは意外なものだった。
「イグリット殿は一向にカナンを探しに行こうとしない。ただ『心配ない』と言うばかりで。サザーが憤っていたよ。何故すぐに探しに行かないのかと。周囲が止めに入るほど、かなりきつくイグリット殿を責めたらしい。だが、サザーが怒る気持ちはわかる。正直言って、イグリット殿が何を考えているのか私にはさっぱりわからない。ガラハイド国にいた時のイグリット殿は、常にカナンの身の安全を最優先にしていた。過保護なほどに。彼にとってカナンがどれほど大切な存在か、傍で見ていてもはっきりとわかった。それなのに………何故何もせず、探しに行こうともしないのか………」
マリエルはそっとクレメンツの手に触れた。
「先ほど公も仰ったように、エイデンはカナンの事をとても大事に思っています。きっと彼には何か考えがあるのですわ。必要になれば動くでしょうし、公やわたくしやサザーにも何か言ってくるでしょう」
おそらくエイデンには全てわかっているのだ。カナンの行方も………襲撃者の正体も。でなければ、何を置いてもすぐにカナンを探しに行ったはずだ。ディアドラ系譜図書館でカナンがナタリア公妃に攫われた時のように。
あの時………グリーナウェイらボルトカ国の騎士たちを一瞬で制圧した時のエイデンは、本当に恐ろしかった。あの時の光景を思い出すと、マリエルは今でも身が震える。
死が人の形を取るならば、きっとあのような姿をしているに違いない。
「…………そうだな」
クレメンツは頷いた。
「君がそう言うのであれば、私もイグリット殿を信じる事にしよう」
扉がノックされ、水差しと水を入れたコップを乗せた盆を持って侍女のウセラが戻ってきた。
ウセラに続いて、同じく盆を持った侍従が姿を現わす。
侍従は盆を捧げもったまま、恭しく頭を下げて言った。
「料理長より、もしお口に出来るのであればと、このスープもお持ちするよう言づけられましてございます」
マリエルは微笑んだ。
「ありがとうございます」
小テーブルに水とスープをそれぞれ置き、ウセラは再び部屋の隅に控え、侍従は一礼して出て行った。特に申しつけられない限り、男の使用人が貴婦人の部屋に長居する事は不徳とされているからだ。例え護衛の騎士であろうと同様である。
しかし、今度は侍従と入れ替わるようにして、スヴェアが入口に姿を現わした。
マリエルが目を覚ましたと聞いたのだろう、ひどく慌てた様子で、一体どこから走ってきたのか息があがっている。
ベッドの上に起き上がっているマリエルを見たスヴェアは安堵の表情を浮かべた後、ハッと我に返って背筋を伸ばし居住まいを正した。
「失礼致しました、レディ・マリエル。入ってもよろしいでしょうか?」
「ええ。もちろん」
「ありがとうございます」
一礼し、部屋に入ってきたスヴェアは、いきなり跪くと深々と頭を垂れた。
「お目覚めになられ、心より安堵致しました。お側についていながら何も出来ず………誠に申し訳ございません……! 畏れ多くも護衛の任の栄誉を賜りました身でありながら、騎士にあるまじき失態でございます。もはや剣を持つ資格なしと仰られるのであれば、謹んでこの剣と騎士の身分を返上致します。もしも顔も見たくないと仰せなら、二度とガラハイド国の土は踏みません。どのような罰も受ける所存でございます!」
床に額を打ちつけんばかりの勢いで陳謝するスヴェアに、マリエルは慈愛に満ちた微笑みを向けた。
「顔を上げなさい、スヴェア=サザー。あなたに非はありません。謝罪も罰も無用です。…………そうでございましょう、クレメンツ公?」
クレメンツは頷いた。
「もちろんだ。そなたにも、その場にいたマーシャラーやカッカス、御者のダフナットにも一切落ち度はない。そなたたちの忠誠と献身は臣下の鑑。素晴らしい臣を持ち、私は嬉しく思う」
「何と慈悲深いお言葉……!」
スヴェアは感動に声を震わせた。
「これまで以上に身命を賭し、心よりお仕え申し上げます。我が命は全て公とレディ・マリエルの御為に……!」
なかなか立ち上がろうとしないスヴェアを促してようやく立たせたクレメンツに向かって、マリエルが言った。
「クレメンツ公、王宮に知らせを送って頂きたいのですが。聖王陛下に拝謁を賜りたい、と」
クレメンツは気づかわしげに眉をひそめた。
「聖王陛下に? しかし、君は目を覚ましたばかりだ。まだ顔色も良くないし、今も体がふらついているではないか。今しばらくは静養した方が………」
しかし、心配するクレメンツにマリエルは固い表情と口調できっぱりと告げた。
「いいえ。一刻も早く陛下にお会いせねばなりません。予言を視たのです。王都と王宮の………〈地の民〉の未来に関わる重要な予言を」
第一章 再 会
天空・大地・大海を司る三人の女神が不満と嫉妬から相争い、互いの水晶を壊してしまった時、激怒した神々の王は三人の女神を祀った三つの大神殿を粉々に打ち砕き、民の巡礼の地を失くした。
さらに、神々の王は三つの民の記憶から三人の女神の名をも消し去り、人々は女神の名を唱え祈る事も叶わなくなった。
天の女神の大神殿の欠片は常冬の地に墜落して永遠に雪と氷に覆われ、海の女神の大神殿の欠片は大海中に散らばり幾万の島となった。
そして、地の女神の大神殿の欠片は大地に還る事も許されず、中空に凍りついたまま、女神が犯した罪を永遠にさらしている。
そこは、訪れる巡礼者も祈りの声も途絶えた忌み地・〈石の鎖の庭〉。
神々の王の怒りが降り積もった禁足の地。
異形の鳥獣が跋扈し、恐ろしい獣の王の咆哮が轟くところ。
〈氷雪王〉サローエンが〈獣使い〉の一族に与えるまで、この地を急ぎ通り抜ける旅人はいても、家を建て土地を耕し住み着く者はいなかった。
*
それは想像を絶する景色だった。
ところどころに白く枯れた木が突き出た針葉樹の森と、吹き抜ける風に波打ちなびく草原がまだらに広がっている。猛獣の牙のように高く鋭くそびえる白い岩の山脈。かつては山の一部であったであろう白い巨岩があちらこちらに点在し、まるででたらめに機織られたタペストリーのようだ。はるか遠くに、深い渓谷を流れる曲がりくねった川が陽の光を反射して輝いている。
そして、その雄大で変化に富んだ大地の上空には、大小様々な無数の岩塊が浮かんでいた。
見渡す限り、ずっと彼方まで、延々と。
青空にぽつんと浮かぶ点にしか見えないほど高い位置に浮かんでいるものもあれば、高い木のてっぺんまで登れば底に手が届きそうなほど低い位置に浮いているものもある。岩塊には草木が生い茂り、いくつかは水を湛え、幾筋もの細い滝となって地上に向かって流れ落ちていた。水飛沫が小さな虹を描き、美しい。翡翠色の羽根をした鳥の群れが岩塊と岩塊の間を飛んでいる。昇ったばかりの太陽の光を浴びて群れ飛ぶ様は、まるで生きた宝玉のよう。
神秘的で、幻想的で、そしてどこか得体の知れぬ恐ろしさをも感じる、不思議な光景。
エンプリア離宮の隠し部屋で見た、祖父ワクトーの肖像画に描かれていたのと同じ………いや、それよりもはるかに壮大で、息を飲むほどの迫力だ。
圧倒される。
「…………まるで全くの別世界に迷い込んでしまったかのようですね」
声をなくし、目の前に広がる摩訶不思議な景色をただ茫然と眺めているカナンに向かって、ラーキンが感激したように言った。
無意識に手綱を持つ手に力が入ってしまったのだろう、ラーキンの馬が銜を鳴らし、数歩下がる。カナンの馬も乗り手の心情を敏感に感じ取っているのか、落ち着かなげに首を上下している。
反対に、二人の前に立つ二頭の羽根食いは実に堂々と落ち着いていた。
「着いたぞ。ここが〈石の鎖の庭〉だ」
羽根食いに跨ったナイヴァルが、カナンとラーキンを振り返って言った。
「ここまで来ればもう安心だ。二人とも疲れたろう? ガラハイド国領主邸を脱出して以来、ずっと強行軍だったからな」
カナンとラーキンは顔を見合わせた後、何とも複雑な笑みを浮かべて答えた。
「いえ………大丈夫です」
「僕も」
二人の返答を聞いたシャリマーが豪快に笑った。
「虚勢を張るな。羽根食いの背はきつかったろう? 〈地の民〉には、馬の背に重くて固い鞍とかいう代物を巻きつけて乗るおかしな習慣があるからな。途中で馬と鞍を手に入れる事が出来て良かったな」
「ええ、まあ………」
カナンは曖昧に笑った。
カナンに言わせれば、銜も鞍もない裸馬同然の生き物に乗る方がおかしな習慣だ。ましてやそれで羽根食いをまるで自分の手足のごとく自在に操り、疾風のように恐ろしい速度で全力疾走するなんて。跨ったまま建物の中へ堂々と入って来るのもそうだ。
ナイヴァルとシャリマーがガラハイド国領主邸を訪ねてきた日、彼らが去った後、
「ああ、床にも廊下にも蹄の跡が………」
と、筆頭侍従がしきりに嘆いていたのをカナンは知っている。
ラーキンが言った。
「改めてお礼を。お二人にはいくら感謝してもしきれません。助けて下さって本当にありがとうございました。おかげで私の頭と胴はこうしてまだ繋がっています」
深々と頭を下げたラーキンに、ナイヴァルは微笑んだ。
「我ら〈獣使い〉の一族は決して同胞を見捨てない。それだけだ。間に合って良かった。シャリマーが君の危機を予言したのが本当に直前だったのでね。エメルソン国領主邸には『一族に関して火急の用件が出来た』と言い残したが、領主邸の者たちはさぞ困惑している事だろう」
シャリマーが拗ねたように口を尖らせた。
「仕方がないだろう。予言は時と場所を選ばぬものだ。私にはどうしようもない。だが、ナイヴァルの言う通り間に合って良かった。ファミーガ(エイデンのこと)が世話になっている領主邸でもある事だし、最初は近衛騎士共がガラハイド国領主邸を出た直後に襲撃するつもりだったのだが、突然玄関ホールで混乱が起きたのでな。どさくさに紛れて決行した。近衛騎士は威張り散らすばかりで大した事はないな。口ほどにもない連中だ」
ダール率いる近衛騎士団がラーキンを捕らえにきたあの夜、飛び刃を駆使してシャンデリアを落とし、玄関ホールの明かりを全て壊して消したのはナイヴァルとシャリマーだった。暗闇に紛れて近衛騎士たちを制圧し、重い手枷をいともたやすく破壊して、ラーキンを救い出した。
カナンを羽根食いに引っ張り上げたのはシャリマーだった。
「来い! お前は近衛騎士の邪魔をした。このままここに留まれば連中に何をされるかわからんぞ!」
円形回廊にいたはずの自分が、どうしていつの間に玄関ホールにいたのか。
何が何だかわからぬまま、カナンはシャリマーの手を取っていた。
ナイヴァルとシャリマーはそれぞれラーキンとカナンを自分の後ろに乗せ、ガラハイド国領主邸から飛び出した。二頭の羽根食いは馬では到底不可能な驚異的跳躍力で、断崖絶壁を自在に駆け登るカモシカのごとく領主邸の敷地の周囲にぐるりと巡らせた外壁はおろか、見上げるような高さの王都の囲壁までも軽々と飛び越えてしまった。
こうして、四人は無事に王都から脱出したのである。
鞍もない裸馬同然の羽根食いの背にしがみつき、ものすごい速度で走ったり跳んだりするのは生きた心地がしなかったが。
悲鳴を上げそうになるのをカナンは何度こらえたことか。
二頭の羽根食いはひと晩中駆け続けた。夜露に濡れた草原を風のように疾走し、軽々と川を飛び越え、今にも足元が崩れそうな細い山道を全速力で駆け登って。ようやく人気のない深い森の中で止まった時は、カナンは体中から力が抜けて羽根食いの背から滑り落ちそうになってしまった。
羽根食いから降りた時のラーキンの表情を見る限り、彼もカナンに負けず劣らずかなり寿命が縮まったようだ。
「目的地はパッサという集落だ」
北西の方角を指差し、ナイヴァルが言った。
「正規のルートではないので、到着には数日よけいにかかる。馬でも安全に通れる道を行くが、それでもあちこちに深い裂け目があるので注意してくれ。底は激流だ。落ちたらあっという間に流されて、地中湖に吸い込まれてしまう。私が先頭を行くから、君たちは必ずジヌーの後を辿るように」
ナイヴァルが名を口にすると、彼の羽根食いが頭を上下に振って嘶いた。まるで返事をするかのように。
それに対し、ナイヴァルもたてがみをきれいに編み込んだジヌーの首筋を撫でてやっている。
以前、ジーヴァは羽根食いの事を「私の半身」「魂の双子」と言っていた。「常に共にいるのが正しい」のだと。
彼ら〈獣使い〉の一族と羽根食いの間には、カナンには窺い知れない特別な繋がりがあるのだろう。
「では行こう」
というナイヴァルの言葉を合図に、一行はいよいよ〈石の鎖の庭〉に足を踏み入れた。
あちらこちらに大小様々な大きさの白い岩が点在する草丈の高い草原を、落ち着いた速度で進む。ナイヴァルを先頭に、ラーキン、カナンと続き、最後尾にシャリマーと、一列になって。
ナイヴァルは馬でも安全に通れる「道」と言ったが、カナンの目には草原にしか見えなかった。………いや、草原というより、草が生い茂る藪のようだ。草丈は馬の胸の高さほどもあり、馬の足元は全く見えない。鐙にかけたカナンの足に細い草の葉がこすれる。
大きな岩のひとつの側まで来た時、ナイヴァルが言った。
「左側、裂け目があるから注意したまえ」
「左……?」
カナンは示された方角に目を向けたが、辺り一面風になびく草の波しか見えなかった。
裂け目って………どこに?
カナンが首をひねったちょうどその時、強い風が吹き抜けた。
次の瞬間、ざわりと大きく揺れた高い草の間からぱっくりと口を開けた深い裂け目が姿を現わした。
「!」
カナンは息を飲んだ。
裂け目の幅は二メートル以上あった。壁面は岩と同じく白っぽい色をしており、ほぼ垂直で、足どころか指をかけられるようなでっぱりや窪みも見当たらない。下へ行くにつれ暗闇に沈み、底は全く見えなかった。じっと耳を澄ませると、吹き抜ける風の音に混じって微かに水の流れる音が聞こえた。
カナンはごくりと唾を飲み込んだ。
これは………確かに、落ちたらまず助からない。
しかも、まるで悪意があるかのように背丈の高い草がこの恐ろしい罠の存在を巧妙に隠している。もしカナン一人だけだったら、裂け目に気付けず馬もろとも奈落の底に呑み込まれてしまった事だろう。
「どうした? 大丈夫か?」
後方からシャリマーが尋ねてきて、カナンは自分が馬を止めてしまっていた事に気付いた。
「いえ………大丈夫です。すみません」
弱々しく微笑み、再び馬を進めようとしたカナンの視界の隅でゆらりと何かが動いた。
動いた気がした。
「………え?」
カナンは振り返った。
しかし、そこにあったのは陽光を反射して白く輝く大きな岩だけだった。
気のせい?
カナンは何度か軽く頭を横に振った。王宮からの追っ手を気にしながらの旅のせいで、少し疲れているのかもしれない。野宿での夜もあまり眠れていないし。ガラハイド国領主邸での二ヶ月間がどれだけ安全で安心出来る場所であったのかを、改めて思い知らされる。
怪訝そうにこちらを見ているシャリマーにちょっと頷き返してから、カナンは舌を鳴らし両足をギュッと締めて馬に進むよう合図を出した。
その時。
「マルドラン!!」
聞き覚えのある声がカナンを呼んだ。
忘れもしない………ずっと聞きたかった声が。
カナンは振り返った。
自然と笑みがこぼれた。
ああ………彼女だ。
やっとまた会えた。
カナンは懐かしいその名を呟いた。
「………ジーヴァ……!」
颯爽と羽根食いのパドーに跨り、日焼けした金髪をまるで疾走する金色の馬のたてがみのようになびかせて、ジーヴァ=テュボーは先ほどカナンが見下ろしていた裂け目の向こう側から満面の笑顔で叫んだ。
「久し振りだな! 会いたかったぞ!」
そのまま全く速度を落とさず裂け目に向かって一直線に突進する。
カナンは青ざめた。
「ジーヴァ! そこに裂け目が……!!」
カナンが叫んだ瞬間、ジーヴァの羽根食いは見事な弧を描きながら幅二メートル以上ある裂け目と………馬に乗ったカナンの頭上をも軽々と飛び越えた。
見事に着地する。
呆気に取られるカナンに向かってジーヴァは言った。
「もっとこっちへ来い、マルドラン。すぐそこに裂け目がある。危ないぞ」
カナンはがっくりと肩を落とした。
「…………うん。知ってる」
それから、カナンは気を取り直すと馬を数歩ジーヴァの方へ近づけた。
「久しぶり。元気だった?」
「もちろんだ」
強く頷いたジーヴァに、何故かカナンは違和感を覚えた。
その理由はすぐにわかった。
「ジーヴァ………ひょっとして少し背が伸びた?」
「気が付いたか?」
ジーヴァは「ふふん」と自慢げに胸を張った。
「もう七才になったし、今が一番成長期だからな。まだまだ伸びるぞ。シャリマーと同じくらいにはなるだろう。母上もそれくらいだったからな。今はもう間違いなく私の方がお前より背が高くなっているはずだ。降りて確かめるか?」
カナンは曖昧な笑みを浮かべた。
「いや。いいよ」
にこにこしているジーヴァの姿を改めて見る。
単に身長が伸びただけではなかった。明らかに外見年令も上がっていた。ディアドラ系譜図書館で初めて会った時のジーヴァは……信じがたい事に実年令はたったの六才だったが……カナンと同い年くらいに見えた。
しかし、今の彼女は十八、九才くらいに見える。顔も体つきも、少女から大人の女性へと劇的に変化し加速していく狭間の年頃に。
ディアドラ系譜図書館で別れてから、まだ四ヶ月くらいしか経っていないというのに。
カナンは複雑な心境になった。
〈地の民〉と〈獣使い〉の一族とは………自分とジーヴァとはこんなにも身に流れる時間が違うのだという事実を、改めて突きつけられた気がして。
きっとこれからもどんどん引き離されていくのだろう。
「どうした?」
黙り込んでしまったカナンの顔を覗き込み、ジーヴァが尋ねてきた。
「年下の私に背を越されたので落ち込んでいるのか? くよくよするな。お前も頑張れ」
けっこう強い力で背中を叩かれる。
カナンは心の中で溜め息をついた。
頑張ってどうにかなるものなら、苦労はしない。
スヴェアに剣術を教えてもらうのと同時に、カナンは体も鍛え始めていた。
スヴェアには、
「いい心掛けじゃねえか。俺みたいなガタイになれるかもな」
などと、相変わらず冗談か本気かわからない口調で励まされたが。
その甲斐もあって、だいぶ筋肉がついてきた………と思う。多分。
しかし、背の高さだけは如何ともし難い。
エンプリア離宮にあった祖父ワクトーの肖像画を見る限り、彼も小柄だったようだ。カナンは年老いてからのワクトーの姿しか知らなかったし、その頃のワクトーも小柄だったが、それは年令のせいだと思っていた。隣家に住んでいた老女も小さかったが、彼女は「これでも自分は若い頃は背が高かったんだ」とよく自慢していたから。
人は年を取ると背が縮むものだし。
しかし、ワクトーの肖像画を見て、自分は外見も背丈も祖父に似たのだとカナンは悟らざるを得なかった。
本当に、なんで背丈は父親に似なかったのだろう?
「迎えにきて下さったのですか?」
ラーキンが馬を反転させ、カナンとジーヴァのところへやって来た。
「わざわざありがとうございます」
「いいんだ。一刻も早く会いたかったしな」
「それはラーキンにか? それともマルドランにか?」
同じく近づいてきたナイヴァルが言う。
明らかにからかうような口調だった。
途端に、ジーヴァは耳まで真っ赤になった。
「ば、馬鹿な事を言うな! 見ろ、マルドランが困っているじゃないか!」
同じく赤面しているカナンを指差してがなる。
おかげでカナンはよけいに恥ずかしくなってしまった。〈地の民〉の言葉で言うから、ラーキンにも何を言っているのかわかってしまっている。多分ナイヴァルはわざとそうしたのだ。
そんな………スヴェアみたいな事をしないで欲しい。
幸いな事にナイヴァルはすぐに話題を変えてくれた。
「よく私たちがこの道を使うとわかったな」
「父上が、兄上たちは多分この道を使うだろうと。でも、なんでこんな外れた道を使うんだ? めちゃくちゃ遠回りじゃないか」
不思議そうに問うジーヴァに、
「なるべく人目につかぬようにしたかったのだ。いつも使っている道では王領カエメンを横切らなければならないからな。何故水晶騎士団が常駐する聖王家の直轄地を避けねばならぬのか、事情は知らせたと思うが………」
ナイヴァルの言葉に、ジーヴァは兄と同じ青銀色の瞳を怒りで燃え上がらせた。
「聞いたとも! 聖王の大馬鹿め、ラーキンを反逆者呼ばわりして処刑しようとするなど許せん! 愛妾に腑抜けにされて、脳みそが色欲で爛れ腐っているんだろう。全く、馬鹿につける薬はないな!」
遠慮の欠片もないジーヴァの痛烈な言葉に、カナンは思わず苦笑した。
王宮の庭の奥深く………夜の湖畔で出会った妖しく美しい妾妃の姿を思い出す。
あんな妖艶な美女が相手では、ウィーアードが腑抜けにされてしまったのも無理はない。
逆らい難く蠱惑的で、そして相手の思考を麻痺させ畏怖すら抱かせる王宮の黒蘭。
レディ・プルーデンス=スファワン。
魂が吸い込まれるような、人が心の奥底に秘めたあらゆる秘密をも暴き出すような緑玉色の瞳。重くまとわりつく漆黒の闇でも覆い隠せない、もはや人の領域すら超越した完璧な美貌。誘惑に満ちた甘美な声。氷の鱗を持つ美しい蛇のごとくしなやかにカナンに触れてきた、白く柔らかい手の感触。
彼女の残り香と共に、いつまでも鮮烈に脳裏にこびりついている。
忘れる事が出来ない。
魂に深く刻まれたかのように。
でも………
二度と彼女には会いたくない。
カナンはそう思った。
彼女には逆らえない気がしたから。
怒りが収まらぬ様子のジーヴァに、ラーキンが苦笑混じりに言った。
「私の為に怒って下さるのは大変ありがたいですが、もうそれくらいで矛を収めて下さいませんか?」
ジーヴァは「ふん」と鼻を鳴らした。
「ラーキンがそう言うなら、わかった。広い心を持ってやる」
ナイヴァルが溜め息をついた。
「マルドランや〈獣使い〉の一族の者しかいない時は構わないが、〈地の民〉の前では今のような物言いはするなよ、ジーヴァ。自分たちの王を非難されては不快に思う者もいるだろう。いらぬ諍いの種になるやもしれん」
「わかってる。兄上は心配性だな」
「お前がよく考えもせず思った事を口にし過ぎるからだ。だから、父上も今回お前が私たちと共に王都へ行くのを認めなかったのだ。聖王の前でその調子で喋られてはたまらんからな」
「うるさいな。そういうのを〈地の民〉の言葉で『小姑』っていうんだぞ」
それはちょっと違う気が………
カナンは内心で首をひねった。
………いや、正しいか?
横からシャリマーが言った。
「だが、結局我らは聖王には会えなかったがな」
「え? そうなのですか?」
驚いて聞き返したラーキンに、シャリマーは仄かに怒りの滲む声音で答えた。
「ああ。何度も謁見を願い出たのだが、多忙だの何だのとのらりくらりと言い訳ばかり。おかげで二十日も無駄にした。粘ったりせず、さっさと見限って〈石の鎖の庭〉に戻れば良かった」
「宰相の……ワーテワンだったか……がしきりと謝ってくれたよ。レクサ王女も。我らが聖王に会えなかったのは宰相のせいでも王女のせいでもないというのに」
シャリマーを補足するように続けたナイヴァルの言葉に、ラーキンは眉間に皺を寄せた。
「『ローアーの黄昏』以降、聖王家に対する大規模な反乱が起きなくなったのは〈盾の誓い〉のおかげです。あなた方〈獣使い〉の一族が聖王陛下の盾となり、陛下の敵を排除してきたから。『エギンテの反乱』も、当時すでに〈獣使い〉の一族がいたならば、聖王陛下は王都を放棄せずに済んだと言われています」
「『ローアーの黄昏』?」
聞き返したカナンに、 ラーキンは彼の方に目線を向けた。
「『ローアーの黄昏』とは、〈氷雪王〉サローエン陛下の御世に彼の叔父ローアー王子によって引き起こされた反乱の事です。ローアーは王領のひとつの管理を任されていたのですが、本来王宮に納めるべき作物や税を着服し、数十年に亘って私腹を肥やしていました。そして、それを暴いた〈氷雪王〉に対し反乱を起こしたのです」
しかし、ローアー率いる反乱軍は〈獣使い〉の一族によってあっという間に鎮圧されてしまった。「赤子の腕をひねるかのごとく、いともたやすく鎮圧された」と、後世の歴史書には記されている。
ローアーは捕らえられ、王都に連行されて、反乱に加担した者やローアーという虎の威を借り自らも私腹を肥やしていた者たちと共に民衆の前で首を刎ねられた。骸は荒野に打ち捨てられ、無残にも死肉を漁る鳥獣の餌となり、墓すら建てられなかった。
ビスズ=アンダーレイと彼の一族のように。
聖王法典には「聖王に反逆した者は一族もろとも死刑」と定められている。
しかし、反逆者が聖王シーグリエン家の血筋の者である場合は、その限りではなかった。偉大なる〈双子王〉の子孫の血を流す事を厭うたからだ。
大抵は流刑や投獄、または私邸での軟禁で済まされ、そして多くの場合後に赦された。
同じ罪であっても、貴賤によって与えられる罰は違うのだ。
ゆえに、数十年に亘りローアーによって過酷な重税と労役に苦しめられてきた王領の民たちも、ローアーが捕らえられたと聞いてもこう思っていた。
「どうせ豪華な私邸で何年か優雅な『軟禁生活』を送った後、恩赦によって自由の身となり、再び我々を苦しめるのだ」……と。
しかし、サローエンは違った。
〈氷雪王〉の呼び名の通り、自身の叔父であろうと、シーグリエンの姓を持つ聖王家の王子であろうと、サローエンは一切容赦しなかった。
「盗人には盗人に相応しい、反逆者には反逆者に相応しい刑を」
そう冷酷に言い放って。
当時まだ存命していた先々代王妃……つまりサローエンの祖母でローアーの母……の助命を請う嘆願にも、サローエンは一切耳を貸そうとはしなかった。
この一件で、先々代王妃は死ぬまで孫を恨み、許さなかったという。
民は主君の非情さに怖れ慄いたが、同時に正義と公平を重んじる賢王と讃えた。
「………それ以降、聖王陛下に対する反乱は悉く〈獣使い〉の一族によって鎮圧され、やがて陛下に対する反乱は起こらなくなりました」
ラーキンはナイヴァルの方を見やった。
「七十年前の先の大戦でも、〈獣使い〉の一族が果たした役目は大きい。七賢者のうち二人が〈獣使い〉の一族である事からもわかるように。そのあなた方を軽んじるような真似は、聖王として厳に慎むべきです。それなのに、拝謁を願い出たお二人に会おうともしないなど………礼を欠くにもほどがある」
いつも穏やかなラーキンがここまで憤りを表わすのを見たのは、カナンは初めてだった。それだけ本気で怒っているという事なのだろう。
表情を険しくするラーキンに、ナイヴァルは一族の長の息子らしい達観した口調で言った。
「過去にも様々な聖王がいた。言っても詮ない事だ。我らは、故郷を追われた先祖に新たな安住の地を与えてくれたサローエンに立てた誓いを守る。それだけだ」
ナイヴァルは羽根食いを進行方向へ向け直した。
「さて、話はこれくらいにして、そろそろ先に進もうか。父上や一族の者たちが我らの到着を待ちわびているはずだ」
他の〈獣使い〉の一族の人々も、全員がナイヴァルと全く同じ考えなのだろうか?
カナンは疑問を抱かずにはいられなかった。シャリマーとジーヴァの不機嫌な顔を横目に見ながら、
その時。
遠くから地響きのような音が聞こえてきた。
カナンは最初遠雷かと思った。どこか遠くで雷雲が暴れているのだと。
しかし、遠く地平に立ち昇る砂埃が見えた時、それが騎馬の一群だと悟った。
数はおおよそ二十騎余り。照りつける陽光を反射して、騎手の鎧が誇り高く燦然と輝いている。
完全武装した騎士の一団だった。
真っすぐこちらへ向かって来る。
シャリマーが低く呻くように呟いた。
「追っ手……? まさか追いつかれたというのか?」
一行に緊張が走る。
ナイヴァルとジーヴァが飛び刃に手を伸ばす。シャリマーは腰に刷いた長剣に。
カナンは手綱を持つ手をギュッと握り締めた。
闇に紛れ、ラーキンを救出したガラハイド国領主邸の時とは状況がまるで違う。燦々と陽光が照りつける明るい真っ昼間で、しかも相手は明らかにカナンたちに気付いている。
どんどん近づいてくる重々しい蹄音に、カナンの心臓は胸を突き破って飛び出すのではないかというほど早鐘を打った。
………が。
ふいに、ナイヴァルが何かに気付いたように呟いた。
「………あれは………」
最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。
予定通り本日投降出来て良かったです(笑)
起承転結の「結」に当たるこの第4巻をもちまして、本作 石の剣の王 は最終巻となります。
いろんな事が結末を迎えます。
最後まで生き残れないキャラもいます。
カナンやエイデンら登場人物たちを最後まで見守って下さいますと幸いです。
次章では再び舞台が王都に戻ります。つまりカナンはお休み回です。主人公なのに(笑)ごめん、カナン。
その代わりと言ってはなんですが、エイデンを存分に愛でてやって下さい(笑)
ではまた。




