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80粒目

それは。

一度気になると。

“無意識に意識をしている”ようなものであり。

早朝。

(今日は草むしりかの)

今朝も薄暗いうちから、宿の主人が、静かに作業をしている音。

「……」

そのまま、またしばしの眠りに就けば良いだけの話であるのに。

好奇心故か、はたまた別の理由か。

妙に目が冴え。

じっと耳を澄ませていると。

(……なんの)

その微かな物音が、ほんの僅かな震動と共に止まり。

「……?」

そっと男の腕とベッドから抜け出すと、隣のベッドから狸擬きがむくりと頭を上げる。

「お主は寝ているとよいのの」

こそりと伝え、テラスへ続く窓から外に出れば。

先日よりも建物に近い場所で、やはり草むしりをしている様子であったけれど。

「……の」

宿の主人は尻餅を付いて、何かと。

(あれは)

蛇の。

蛇と対峙していた。

ただ。

(なんの、随分と立派よの)

ハッキリした色合いの柄だけ見れば、海蛇と思われるけれど。

(あんなに巨大な海蛇が存在するのの)

長さはないけれど、太い。

宿の主人は、どうやら腰が抜けているのか、微動だにせず。

一方、蛇は口を大きく開き始めている。

(よくないの)

我はテラスの柵の隙間から抜けると、そのまま裸足で駆け寄りながら。

右手を構えかけるも。

1人と1匹の距離はほどほど。

蛇は口を開きつつ、頭部をむくりともたげてはいるけれど、まだ小豆を使う程には切羽詰まってはいない。

ならば小豆を飛ばすよりも。

だいぶ建物側に落ちていた、宿の主人のものであろう小斧を手に取り。

宿の主人が、我に気付きこちらを振り向く前に。

我は地面を蹴り。

大きく口を広げたまま、やっとこちらを振り向いた、鈍ちんな蛇の頭に向かい。

「よいしょの」

両手で持った小斧を。

「ふんの」

固まる蛇の頭を目掛けて、目一杯振り下ろせば。

(のの、切れ味が良いの)

気持ちいい程に真っ二つに別れる蛇の頭と、土に深く突き刺さる小斧。

(双頭の蛇の)

下らないことを思い付きながら、斧を引っこ抜けば。

「フーン?」

主様、いかがなされましたかと狸擬きがもさもさとやってきた。

「なんの」

寝てていいと伝えたのに。

「フゥン」

お力を込められる気配を感じられましたのでと狸擬き。

特に込めたつもりはないけれど。

右手に力を入れかけた時であろうか。

狸擬きは蛇に近付くと、真っぷたつになった頭部から溢れる血の臭いを嗅いでいる。

「お……」

(お?)

言葉は解らずとも、感嘆詞程度ならば我でも聞き取れる。

腰を抜かしたままの、宿の主人の顔を改めて見上げれば。

(ほうほうほう)

顔の彫りが、飛び抜けて濃く。

ゴツゴツした岩のような顔をしていた。

青い瞳は小さいわりに眼光が大変に鋭くあり、鼻も大きく張り出し、唇は薄くもやはり大きい。

口を開くなり、怒号が飛んで来そうなへの字。

更に頑丈そうな四角い顎、濃い髭は整えられてはいるものの。

太い首に骨太かつ厚みのあるどしりとした身体と相まって、手掴みで巨大な骨付きの肉や魚を咥えていそうな豪快さがある。

(マダムの趣味は、少々、独特であるの)

大きな岩の塊である様な男が好みであるならば、街の気取った若者や紳士など、マダムのお眼鏡には適うはずもない。

「……な、何から」

(のの)

薄い唇から放たれる声も、地底から漏れ出すように低く。

確かに耳から聞き取っているはずなのに、そこいらの人間ならば、きっと、ずしりと頭から押さえつけられるような威圧感を覚えるはず。

「何から、言うべきか」

何からとな。

主人は、濃い顔の圧を更に強めると、

「……お礼。そうだ、まずはお礼だろう」

一人言の様に呟き、ギシギシと起き上がると、その場で両膝を付かれた。

「?」

「死の覚悟をしていました。助けてくれて、本当に感謝します」

死の覚悟。

だいぶタチの悪い毒蛇であった様子。

よく見れば、土まみれの主人の手は震えている。

「毒蛇かの」

狸擬きに問えば。

「フーン」

強力な毒持ちかと思われますと鼻先を上げる狸擬き。

「あっ!いた……っ!!」

『すぐ近くにいたな』

(のの)

男に、我の不在に気付かれた。

慌ててやってくる男と狼男。

我の前で膝を付いた大男に、

「……?」

不思議そうな顔をしながら足を弛め。

宿の主人が、レディに危機を救ってもらったのですと男たちに頭を下げている。

我の男は、とても何か言いたそうに我を見下ろすも。

血と土にまみれた小斧を片手に持つ我に、若干怯み。

(ののん)

「……」

男は、物凄い迫力と威圧感のある大男よりも。

我が、血のまぶされた小斧を片手にしていることの方が、今は懸念すべき事象らしい。

なんの。

我が斧を振り回すようでも見えるか。

酒が入っているわけでもあるまいし。

狼男は屈んで蛇をじっと凝視しつつ、小鼻を微かに蠢かしている。

狸擬き同様、毒の臭いでも感じ取れるのであろうか。

宿の主人は、

「普段はこんなところまでは来ない、海に生きる蛇なんですが……」

どうやら海蛇で間違いない様子。

宿の主人は、ギクシャクと立ち上がると。

「ご挨拶が遅れました」

この宿の、名ばかりのオーナーを名乗っていますと一礼してから。

エプロンで手の土を払い、大きく屈んで両手を伸ばして来たのは。

(のの?)

命の恩人であるためか。

我であり。

「狂戦士の様な勇ましいそのお姿、この両目に、強く焼き付けさせて頂きました」

狂戦士とな。

我は淑女であるのだけれども。

それよりもである。

戦争と言うものがどうやら小競り合いすらない世界で、戦士の名前が存在することが疑問である。

後で男に訊ねてみようと、今は小斧を足許に置き右手を差し出せば。

指先で包まれるように握手をされる。

大きな手の平は、我の腕くらいなら余裕で包めてしまう。

我の隣にもさりと立つ狸擬きが、フーンと右前足を出し。

「あぁ、これは失礼、はじめてお目にかかります」

狸擬きの前足を握る主人。

男たちとも挨拶をすれば、徐々に夜が明けてきた。

夜に出来る限りの仕事をしている宿の主人は、きちりと礼をしたいし伝えたいけれど、これから厨房の方の仕事へ向かわなければならないと、大きな身を縮める。

夜どころか朝まで仕事である。

そして、本人的には大変に恐縮している顔なのだろうけれど、とてつもなく不機嫌かつ憤怒の表情に見えるのがおかしい。

そんな宿の主人には、

「ですので、朝食後に、改めてお礼を述べさせて頂きたいのですが……」

と申し出をされた。

我の代わりに男が、宿の方が忙しいのは知っているのでと礼を辞退しても。

それは、宿の主人の方が礼儀に反すると譲らず。

ならば好きにするのと承諾し、蛇の方は主人が片付けるというため任せ、我等はそのまま部屋に戻り。

『彼は人の雄として、とても見惚れる顔と身体をしていた』

多くの仲間を付き従える様な、逞しい(かしら)の様な印象を抱いたと狼男。

「冒険者の様な人だったな」

と男。

「そうの」

あの無自覚でありながらも、相手を押し潰すような威圧感もなかなか。

「フーン」

蛇1匹にたじろぐ様なへっぴり腰に冒険者は務まらないですと辛辣なのは狸擬き。

「あれは普段は海にいるはずであるし、更に強力な毒を持つ海蛇であろうの」

そこにいるはずのないものが現れれば、驚くし腰も抜かす。

(ぬぬ)

“そこにいるはずのないもの”

まんま、まさしく我のことではないか。

内心で自嘲してみれば、

「フンフン」

目が覚めてしまいましたと狸擬き。

「そうの」

食事まではまだ時間がある。

朝の散歩でも行くかのとそれぞれ朝の支度をしていると。

控え目な、けれど少し急ぐように、部屋の扉が叩かれる音。

「?」

男が扉を開けば、マダムがらしくなく息を切らせて立っていた。


「夫を、助けて頂いたそうで……っ」

本人から聞いたらしい。

男が、とりあえず中へと促しソファを勧めれば。

「休暇として滞在して頂いているはずなのに、ご迷惑を掛けてばかりな気がします」

マダムは頬に手をあて大きなため息。

男が、それ以上に世話になっているから気にしないで欲しいと宥め。

狼男が水差しから水を注ぎ、マダムに手渡せば。

「まぁま。丁寧なお気遣いを、ありがとうございます」

「フーン」

わたくしめにも寄越せと狸擬き。

狼男が狸擬きに水の入ったグラスを手渡せば。

マダムは。

夫がやってきた時には、すでに起床しており。

厨房ではなく、食堂の方に不備がないか確かめるために部屋を出ると。

敷地の草むしりを終えればそのまま厨房へ向かうはずの夫が。

片手に持っていた、本来なら海で暮らし、あまり浅瀬には来ないはずの蛇を、更に異様に大きく尚頭の割れた蛇の姿に悲鳴を上げ。

この蛇に襲われそうになっていた時、宿に滞在している例の小さなレディに助けられたと顛末を聞き。

衝撃と安堵で、くらくらしたけれど。

繁盛期に、目眩を起こしている暇などなく。

それでも何より。

今は最愛の夫の命を救ってくれたお礼と、聞きたいこともあったため、朝からお部屋に訪ねさせてもらったと。

聞きたいこと。

(のの)

「別口の蛇が隠れていないか、確かめるべきだったかの」

狸擬きも何も言わなかったため、部屋に戻ってしまったけれど。

「フーン」

少なくともあの辺りには、大きな蛇などの気配はありませんでしたと。

「ふぬ」

『俺も、あの辺りは特に何も感じなかったな』

高台に訪れたのは、あの1匹だけである様子。

元々山暮らしの狸擬きと狼男。

男も、住んでいた場所から海は遠く馴染みはなかったと。

我も。

海に近寄ることは少なかったし、我に関してはそもそも、今は立つ土地が違う。

何が言いたいかと言えば。

海の生き物には、我等は誰一人として詳しくない。

男に、我の知っている海蛇はもっと細いとは伝えていたけれど。

「えぇ、えぇ。細い海蛇も確かに存在しております」

ふぬ。

ただあの大きさの海蛇も珍しくはないと。

(ほうほう)

「稀に浅瀬に来ることもあるのですが……」

わざわざ崖を上がり、この敷地で姿を見ることなどは、ただの一度もなかったと。

では。

何か蛇にとって、非常に美味に見えるものでもあったのであろうか。

狸擬きが無言で我に鼻先を向けてくる。

眉を寄せて見せる前に。

『木の上から、雛鳥たちの声が聞こえていた』

狼男が控え目に口を開き。

「の?」

狼男も、まだ自分が幼くあったら、何とかして雛たちを食べたいと思ったと思うと。

とても幼い鳴き声からしても、まだ柔らかそうで邪魔な羽も少なく食べやすいと感じるらしい。

この時期には、特に珍しい雛鳥の鳴き声であるから尚更。

浅瀬にいた蛇は、ただ美味であろう雛鳥たちを食したい一心で崖を這い上がって来た様子。

そこに運悪く宿の主人がいたと。

マダムは、

「運悪くなんて、とんでもない」

お客様がいらしてくれたお陰で助けられたのですからとかぶりを振ると。

我に視線を向け。

「私の夫は強運の持ち主です」

返せない程の恩を受けてしまいましたと、膝の上でぎゅっと手を握り、頭を下げられた。

ちんまき幼子の我が、宿の主人を助けたことに関して、欠片も(いぶか)しむ様子がないのは、酒に酔った勢いで狸擬きに乗って海まで走った前科のせいでもある様子。

長年。

多種多様な客と対峙しているためもありそうだけれど。

おっとりとした見た目とは裏腹に、だいぶ肝も座っている。

そんなマダムは。

「……その」

瞳を伏せ気味に逡巡を見せ。

「?」

「……夫の姿にも、驚かれましたでしょう……?」

(あぁ)

マダムの、

「聞きたいこと」

とは、伴侶である夫の見た目の話であったか。

我等は顔を見合せ。

『俺は、全く気にならなかった』

人の顔にはとんと疎い狼男は、彼は他の人間と比べてとても見分けが付きやすいと、何なら大絶賛であり。

男は、冒険者ならそう珍しくない目付きと体格だし、もし本当に冒険者であれば、あの身体ならばそうとう有利になると褒め。

幼子の我は。

大きな声では言えぬけれど、特に顔に目立つ傷などがあるわけではなかったのと、内々の予測は外れ。

「フーン」

そろそろ空腹でありますと、人の姿などにはさっぱり関心なく、今もサスサスと腹を擦る狸擬き。

三者三様と1匹の反応に。

大きく目を見開いたマダムは、

「まぁま、お客様たちには敵いませんわ」

作り笑顔でない、目尻に浅い皺を寄せて笑えば。

「……でも」

ふと、テラスの外を眺める。

でも。

「なんでしょうね」

独り言の様な、小さな呟きの後。

「……夫が、お客様の前に姿を見せないのは、見た目の威圧感があるからだけとは、もうずっと思えなくて……」

見せるのは、ほんのりと憂いの横顔。

(のの?)

さすさすと腹の毛を擦っていた狸擬きも、その前足の動きを止めると。

「ピチーッ!……ピチチッ!!」

『うおっ?』

「あぁ、手紙か」

早朝から、弾丸桃鳥が窓から部屋に飛び込んできた。


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