64粒目
翌日。
男がさっそく若オーナーを食事に誘ってみれば。
「!?」
声もなく、ただコクコクと大きく頷いてくれた。
店は、夜は休むと。
臨時休業もオーナーの特権である。
「えー!いいなぁ!」
若オーナーの隣で声を上げるのは、若いちゃきちゃき娘。
男が、もし良ければご一緒にと如才なく声を掛けるけれど。
「そーれがぁ!聞いてよぅ!」
待ってましたと言わんばかりにカウンターから身を乗り出し。
この若い娘の年の近い姉が、
「同じ職場の人妻に恋してるみたいでぇ!」
ののん。
「ここの所、ずぅーっと相談を受けてるって言うかぁ……」
早いとこ諦めなって説得はしてるんですけどねぇと溜め息。
「今日も、きつく止めとかないと暴走しそうで……」
大きな溜め息でカウンターに突っ伏した。
若い娘の姉は、なかなかに業の深い様子。
ただ相手にされなければ諦めるであろうけれど。
「その人妻も、話を聞く限り、満更でもなさそうなんですよ、もぉぉ……」
カウンターを力なく拳で叩き。
そう言えば、珍しい三姉妹と聞いている。
「一番上の姉は海の方で暮らしてるんです」
おやの。
「全然、帰ってこないんですけどねぇ」
更に不貞腐れた様に低い声を出すけれど。
「まだいいかい?フォカッチャの持ち帰りしたいんだけどね?」
客の姿にパッと身体を起こし、
「はいはーい!まだいいよ、いくつ?」
この切り替えの早さよ。
数年前の些細な出来事すら未だに引き摺っていそうな若オーナーに、欠片程度でも譲る事が可能ならば押し付けてやりたいくらい正反対な雇用主と雇われ娘。
ままならぬものである。
連日の桃の甘味巡りで、桃の甘味を食べることに付き合ってくれるのは、もう狼男くらいであり。
狸擬きは、
「フーン」
この焼き菓子を食べたいと前足でメニューを叩き、男は珈琲。
甘味は1日2ヶ所まで。
空いた時間は、買い物と、後は貸家に籠り、我は刺繍をしたり。
狼男は、男に計算などの勉強を教わり。
「……フゥン」
狸擬きはフゴフゴと昼寝。
それでも、若オーナーを食事に誘ったその日だけは、桃の甘味巡りはなしにし、朝市へ食材の買い出しへ向かい。
貸家に戻れば、男の料理の仕込みを手伝っていたけれど。
男が、ふと思い出した顔をし。
「悪い、買い忘れがあった、鍋を見ていて貰えるか?」
「の」
男を見送り。
水場で不器用に芋を剥く狼男と。
今夜はご馳走が待っているせいか昼寝もせずに、今は前足で雑巾を押さえ居間の床掃除に励む狸擬きと共に男を待てば。
「ただいま」
そう待つことなく帰ってきた男の手には。
「おかえりの。……の?」
男が手にしているものは。
「のの?」
「今日は売っていたよ」
男は、桃の甘味巡りを出来ない我のために。
近所の甘味屋で、桃のパイ挟みなるものを買ってきてくれた。
先日、売り切れでガッカリしていたものであり。
「ふふん♪」
ウキウキと紅茶と珈琲を淹れていると、
『彼は、キミを喜ばせるのが得意だ』
狼男が牛の乳を取り出す。
「ふぬ?」
ふぬふぬ。
「そうやもしれぬの」
『見習いたい』
生真面目狼。
「適材適所の」
『て、てきざ?』
「焦らなくて良いと言ったのの」
せっかくであるし、テラスに運び。
「ぬんぬん♪」
サクサクパイとカスタードに桃がたんまり挟まれ、
(ぬふん♪)
美味。
「タルトの次に好きの」
男が、自分の分を我の皿に乗せてくれるついでに、我の口許を拭っていく。
「ぬぬ」
我の口許を拭い終えた男は煙草を咥え、
「そうだ、人を招く時は、花を飾ったりするな」
ちらと室内のテーブルに視線を向けた。
「そうの」
花瓶が必要であるか。
しかし。
『……花』
「フーン」
花は匂いがあるので食卓に飾られるのはあまり好みませんと、1人と1匹から反対を受ける。
どちらも嗅覚が敏感であるしの。
「フンフン」
ご馳走だけで充分なのですと狸擬き。
夕暮れ時に店兼住居を出れば、お喋りな大家も店を閉めるからその辺りに来れば捕まらずに済むと言う男のアドバイス通りに、
「こんばんは」
いい夜ですねと、両手に手土産と思われるものを抱えてやってきた。
「のぅ」
我等も、客をもてなすことなど滅多にないため、手土産と言う相手に気を使わせる仕事の存在をすっかり失念していた。
若オーナーのことである。
仕事そっちのけで、我等の手土産を探していたのではと危惧したけれど。
「食材の仕入れと平行したので、無理はしてないです」
はにかむ若オーナー。
「それに、お土産選びは新鮮で少し楽しかったです」
と、本音と思わしき言葉。
「フンフン」
それは何だそれは何だ持っている中身を見せろと遠慮を知らぬ狸擬きが、若オーナーの周りをくるくる回るため。
「珍しくはないかもですが、旅人さんたちにはなるべく保存の効くものがいいのかなと思いまして」
粗塩のトリュフ塩、乾燥きのこ、葡萄酒の食酢、固いチーズ。
若オーナーの手土産の内容は、男が特に喜び。
狸擬きは、つまらなさそうに尻尾を足らしてその場から離れて行く。
水場の隣の、大きなテーブルの鎮座する部屋に案内すれば、
「凄くいい匂いがします。……わぉっ!ご馳走だ」
街中で感嘆句としてよく耳にしていた、
「わぉっ!」
が、一応街っ子でもある若オーナーからも聞けた。
椅子を勧めつつ。
料理の献立の1つに、我のおにぎりならば何が旬であり、いつが食べ頃かの判断も付かぬであろうと出してみたけれど。
若オーナーは椅子に腰を下ろし、テーブルの赤飯おにぎりに目を止めるなり。
「……?」
赤飯おにぎりを真顔で凝視された。
野生の狼男でさえ、躊躇なく手を伸ばして噛み付いたものを。
「……」
(物凄く真剣に見ているの)
湯気の立つ三角形の赤飯おにぎり。
男の作った煮込み料理などと共に並べているし、食べ物だとは思っているであろうけれど。
「フーン」
早く食べたいですと椅子に飛び乗る狸擬き。
「よいの」
こやつが手を出せば、無害だと分かるであろうと頷けば
「フーン♪」
案の定、狸擬きはまずは主様のおにぎりとテーブルに身体を乗り出しておにぎりを器用に掴み。
「フーン♪……フンフン♪」
美味です、美味ですとパクパク咀嚼する。
そんな狸擬きを見て。
「……これは」
これは。
「小麦粉を細かくして、纏めたものですか?」
ぬぬん。
我のいた土地の米だけでなく、余所の国で収穫されていた米も、この世界には、この辺りでも存在しない様子。
「いえ、遠い土地の主食だそうです」
席に付いた狼男もおにぎりに手を伸ばし、美味いと咀嚼する姿を目で追っていた若オーナーは。
「主食……」
サンドイッチも手で掴むため、そこはどうやら躊躇なく手を伸ばし、恐る恐る口に含み。
「?」
しばらく確かめるように咀嚼し。
「……」
どんな顔をするかと思えば。
「うんっ、うんっ」
目を見開き大きく頷き、
「むちむち?ねちねち?……手でフォカッチャを捏ねる感触を、口で体験しているような……」
独特な感想。
「凄く楽しいです」
食べきれば、おにぎりを食べることを楽しいと称した。
若オーナーは、珍しいものを食べることが好きらしい。
我の焼いた卵焼きは、
「あ、甘いっ!?」
目を白黒させているけれど、そこには遠慮やこちらを窺う視線はなく。
どうやら食べることに夢中で、よい意味で我等、他者への気持ちへの機敏に鈍くなっている。
(よい傾向の)
「フンフン」
一通りのご馳走に手を付け、にゅっとおにぎりに前足を伸ばす狸擬きに。
『いや待て、君はもうすでに2つ食べているだろう』
狼男が止めれば。
「フーンッ」
食い意地を具現化した獣は、伸ばした前足をそのままに、狼男を威嚇している。
『いや。俺の分ではなく、残りの1つは君の主様の分だ』
冷静な狼男の指摘に。
「のの」
そういえば、我はまだおにぎりを食べていない。
狼男も案外よく見ている。
「フンフン」
ならば問題ない、主様ならば日々慎ましく尽くす従獣のわたくしめのために快く譲って下さるはずだと狸擬き。
なんの。
「ほれの」
我はおにぎりに手を伸ばし、すぐさまかぶり付いてやれば。
「フーンッ!!」
わたくしめおにぎりが!!
椅子から飛び上がる狸擬き。
お主のおにぎりではない。
そんなやりとりに、若オーナーはおかしそうに笑い、
「皆さんたちは、どれくらい遠い国からやってきたのですか?」
食後にデザート代わりの温いお汁粉を出せば、若オーナーはもう躊躇うことなく啜り。
「甘い豆の味付けも、とても新鮮です」
と、しっかり飲みきってから問われた。
男が改めて、彼はまだ割りと近くの土地からですが、自分と彼女は生まれも土地も違うと答えれば。
「違うんですかっ?」
同郷だと信じて疑わなかったらしい。
「では、あの“おにぎり”と言う食べ物は、どちらの土地で食べられているものなのですか……?」
のの。
「それはもう少し遠い地であるの」
「もう少し……」
そのもう少し、は我でも未知数であれど。
男が荷台から持ってきたこの辺りの地図を広げれば、オーナーは、我等がやってした道なりに特に興味を持っているため、ならば明日荷台からもう少し地図を取り出してこようと約束し。
「なら、仕込みを急いで終わらせて、休憩時間に伺いますっ」
ご馳走さまでしたとニコニコ手を振って帰って行くオーナーを見送れば。
「フンフン」
明日の朝はおにぎりを所望しますと狸擬き。
「最近は毎朝おにぎりであろうの」
「フーンッ」
大きめでお願いしたいのですと狸擬き。
では、赤飯おにぎりに貰ったトリュフ塩でもまぶしてみようか。
目を白黒させる狸擬きを想像し、
「くふふ」
こっそり笑う我を、
「フーン?」
狸擬きが不思議そうに首を傾げてきた。
翌日。
「フーン」
なかなかに深みのある味わいですと、トリュフ塩をまぶしたおにぎりに満足そうに食べる狸擬きの反応に、つまらぬのとスンとなるのは我であり。
厩舎兼荷台預かり所へ向かい、放牧場を縦横無尽にドコドコ走っている我等が脳筋馬たちのご機嫌を伺ってから。
地図を探し出すついでに、荷台の片付けをし。
「もーも♪」
「フンフン♪」
「もーも♪」
「フンフン♪」
今日も今日とて桃の甘味を食べに街を歩き。
貸家へ戻り、午後のわりと早い時間。
まんまと隣の大家に捕まっている若オーナーを貸家に連れ込めば。
なにやら大きな箱を抱えている。
なんのと思えば。
「冷蔵箱です」
手土産として、冷蔵箱ごと運んで来る強者。
「少しは喜んで貰えるかと思いまして……」
中身は大きなボール。
ボールの中身は水分量の多そうなアイスクリームに、コロコロと切り分けられた桃がゴロゴロ混ぜ込まれ。
「のの……♪」
器に盛って貰い、口に含めば。
「ぬ?……ぬ♪」
まさに今が一番の食べ頃の桃だけを使った、最高の甘味。
「美味の……♪」
この時間が終わるのが惜しいとすら思える美味しさ。
「フン……♪」
隣でうっとり恍惚狸。
「美味い……」
男も言葉を止めるほど。
『なんだ、これは凄いな』
そう。
凄いのである。
そんな凄いものを作る、今は恐縮ですと縮こまる若オーナーは。
客扱いするよりも、
「の、珈琲を淹れるのの」
水場へ誘い、踏み台に乗りカップを並べれば。
「あぁ、珈琲ですね」
言葉が通じずとも、やはり察しがいいし、何かしらの仕事を与えている方が落ち着く様子。
「我は紅茶の」
容器を見せれば。
「あ、それは、紅茶ですか?」
「の」
「……紅茶」
じっと見ているため。
「なんの、お主も紅茶にするかの」
カップを指差すだけで、
「はい、お願いします」
意志疎通が可能。
「フーン」
美味しさの余韻に浸っていた狸擬きがやっと通訳の仕事のためにもたもたやってきた。
紅茶は、あまり飲む機会がないと若オーナー。
「カフェにもたまにあったりしますけど、凄く渋いものを出されたりしまして……」
ののん。
我も、どこでだったか、一度くらった事がある。
甲冑男からの茶葉を見せ、匂いを嗅がせれば。
「あぁ。爽やかな風が吹き抜ける様な、優しく繊細な大地の香りがします」
叙情的な感想。
茶畑は大きいののと両手を広げて見せれば、
「紅茶の木は大きいのですか?」
ぬぬ。
珈琲と紅茶を淹れれば、男が茶畑のスケッチを見せて説明している。
あの幾何学模様の街も、甲冑男といい洒落男といい、紳士が多かった。
あそこも、この若オーナーには案外合いそうな土地かもしれない。
居間の脚の短いテーブルに地図を広げ、大きなもバラバラなそれらを何とか合わせつつ。
それでも旅路の半分にも満たない。
若オーナーだけでなく、狼男も若オーナーと並んで、男の話を聞いている。
土地の、国の特徴、石の価値、食べられているもの。
狸擬きは、1つ大きく伸びをすると、
「フーン」
おりがみを作って欲しいと我に催促してきた。
我の従獣は、過ぎてきた土地の話は興味がない様子。
食べられないからであろうか。
「そうの」
ちょうど地図と共に挟まっていた紙も幾枚か持ってきてしまっていたため。
「何がよいの」
「フーン」
舟がいいですと。
たらいに浮かべて遊びたいらしい。
我は、簡易なお舟と、幌のあるヨット形のお舟を作ってやれば。
「フーン♪」
折り紙の舟に喜び。
「フンフンッ!」
たらいに水を注げと、狼男に催促する狸擬き。
「こらの、狼男はお勉強中であるの、邪魔をするでないの」
狼男の知識を増やす立派な勉強でもある。
若オーナーは真剣に男の話を聞き、こちらが何をしているかも気づいていない。
(過度な集中力もあるの)
今、我等のいるこの辺りの土地は、水は特に地下水道なるものが発展し、水は豊富であり。
「よいしょの」
風呂場でたらいに水を張り、重さは問題ないけれど、水が跳ねるため慎重に運んでいたら。
「……?……!?」
水の入った大きなたらいを頭上に掲げて居間を抜ける我の姿が視界の端に映れば、さすがに若オーナーの集中力も途切れるらしい。
大丈夫なのかとあわあわしているため。
彼女は少し力があると男が伝え、庭にたらいを置けば男たちも出てきた。
若オーナーは前足で大事そうに持つ狸擬きの折り紙のお舟を見て。
「それは、お皿ですか……?」
「一応、お舟の」
狸擬きが、そっと折り紙のお舟とヨットを水面に浮かべれば。
折る時に少しばかり力を込めたお陰で、一瞬で紙が水を吸い沈むこともなく。
「す、凄い!凄い、凄いですっ!」
実際まだ若くはあるけれど、今は特に少年のようにはしゃぐ若オーナー。
息を吹き掛けて速度を競ってみたり、狼男が草舟を川に流して遊んだと話し、雑草で何とか草舟を作って浮かべたり。
若オーナーに折り紙を教えて遊んでいたら、夕暮れまではあっという間。
「あ、そろそろ帰らないと……」
夜は、フォカッチャサンドを麦酒で、もしくはワインで流し込み帰っていく1人客が多いのだと。
若オーナーは、呟きつつも、少し寂しげに居間から庭のたらいを眺めてるため。
「の、の」
「ん?」
この辺りの、鳥以外の気楽な連絡手段を男に問うて貰えば。
乗り合い馬車の御者に依頼したり、
「本格的な夜までは、その辺で遊んでいる子供たちにお使いとして頼んだりしますね」
今も建物の更に向こう側から子供たちの声が聞こえるため。
ならば。
若オーナーの店の若い娘宛に。
「今日は仕事を休むため、悪いけれど店は1人で回して欲しい」
と書いた紙を。
外に出て、大通りの手前の小路で仲良くおしゃべりしている少年2人に渡し。
男がお礼の焼き菓子を渡せば、2人は顔を見合わせてから、勢い良く駆けて行った。
「い、いいんでしょうか?」
少年2人を見送っていた若オーナーは。
しかし。
「僕が店に居ても居なくても、あまり関係ないんですが……」
自ずと答えを口にしていた。




