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60粒目

この貸家。

元は大家を含めた家族が住んでおり。

数年前に夫を看取ってからは、大家は隣の雑貨屋兼住居に1人で住んでいると。

「私はセンスがあるみたいでねっ、これでもなかなかに売れてるのさね!」

娘は隣街に住んでおり、旦那と孫を連れてちょくちょく帰ってきてくれるから寂しくないとも。

貸家の3階はアトリエと呼ばれる、伽藍とした天窓のある大きな一部屋だったけれど。

「夏だけは暑くて使ってなかったわね。風だけ通しておいて欲しいのよ」

と。

それくらいならお安いご用だけれど。

「フーン」

その貸家のテーブルで、狸擬きは桃の種を小袋に詰めると、なぜか我の鞄に、さも大事そうに勝手に仕舞い込んでいる。

その狸擬きが、

「フンフン」

桃は美味しいですが、あれだけではお腹はいっぱいになりませんと空腹を訴えてきたため。

「外へ行ってみようか」

『おぉっ』

同様に空腹だったらしい狼男も、草むしりをやめウキウキと室内に戻ってきたものの。

「……フーン」

外に出ただけで隣の大家に捕まり、そんな話を聞かされた上に要望を伝えられた。

日射しは強くとも日陰に入れば、やり過ごせる暑さ。

狸擬きの鼻頼りに街を歩けば。

「フーン」

例え空腹でも手を抜かずに美味なものを食べたいのですと妥協を許さない食い意地だけは飛び抜けている従獣が足を止めたのは。

大通りの片隅。

看板こそないものの軽食でも出していそうな、今は扉が大きく開かれた3階建ての1階。

店内は暗く感じたけれど、目が慣れればカウンター、壁沿いにテーブルが並び。

「わー、いらっしゃーい。今お客さん途切れて寂しいからカウンター来てよ」

真っ赤なノースリーブのシャツにエプロン。

強めの癖毛をポニーテールにした、目が真ん丸な若い娘が。

人懐こっい笑顔で、カウンターの内側から手を振ってきた。

昼はとうに過ぎ、夕食には早い中途半端な時間。

カウンターの背の高い椅子に男に座らせて貰えば、隣の椅子にひょいと飛び上がり、ぼてりと座る狸擬きの姿に。

「わーぉ、……色々な生き物がいるのね」

若い娘は目をパチパチさせている。

「フーン」

狸擬きが前足で腹を擦れば、

「はーいはい。うちはねー、フォカッチャをメインに出してるよ!」

フォカッチャ。

「朝は珈琲とフォカッチャだけだけど、今はフォカッチャのサンドイッチとスープの時間」

サンドイッチもスープも一種類のみだと。

「うちは味で勝負だから」

男が、ではそれを人数分と注文すれば、

「すぐだよっ」

手際がいいと言うか動きに迷いがない。

「まぁね。でも仕込みは全部オーナー、私が淹れるのは珈琲くらいかなぁ」

切り込みを入れたフォカッチャに挟むのは。

『あれは、なんだ?』

カウンターの内側。

パッと見、大きな骨付き肉が、木の板に立て掛けられている。

狼男の視線と人差し指の示すものに。

「あ、これはね、生ハム、これが今日の中身の1つね」

若い娘がナイフで薄く削いでいる。

『なまはむ』

「そ、どっかの国でも名物唄ってるらしいけど、この辺りでも定番なのよ」

うちのは特にとびきりと、生ハムその他を豪快にフォカッチャに乗せて挟めば。

「お待たせっ。生ハムとモッツァレラにルッコラのサンドイッチ!」

見た目からして美味。

「先に食べてて、今スープも出すから」

味で勝負と言い切るだけはあり。

「んん、……美味いな」

男が手を止める程。

「ぬんぬん♪」

酒飲みでもない我でも、生ハムの奥深さを知る。

フォカッチャも、こんなに美味しいのかと驚く程。

『凄く美味いものを食べている感じがする』

「フーン」

ビールが飲みたいですと狸擬き。

「ねー?うちの店のご飯は美味しいでしょ?」

ミネストローネが出てきた。

野菜の旨味はここまで引き出せるのかと感動できる美味しさ。

「ぬぬん」

あっという間に半分になったスープの器を覗き込んでいると。

ちゃきちゃきと言った言葉が似合う若い娘が、

「あなた、異国感があって凄く魅力的」

我の前に立ちじっと丸い瞳で見つめてきた。

いつかの薬屋の弟子と違って、下心的なものではなく、我の髪色や瞳の色が気になる様子。

そこにはただの好奇心と羨望が混じっているだけの全くの無垢な視線なため。

構わずフォカッチャサンドにかぶり付き。

皆でおかわりも頼み、美味美味とがっついていれば。

「お届け物だよ。今日はオーナーはどうした?」

扉から、白髪おじじが現れた。

「オーナーは今は買い物」

カウンターから木箱を受け取る若い娘が答え。

「買い物?珍しいな」

「まーね。あ、珈琲飲んでく?」

若い娘が空いた席を指差せど。

「いやぁ、まだ少し仕事が残ってるから、また今度にするよ」

「はぁい、頑張ってね!」

手を振って見送る娘は、おじじが出ていくと。

「もー、オーナーがいないから、みんな珈琲すら飲んでいかないんですよぉ」

と唇を尖らせる。

のの?

オーナーは美人であったりするのか。

「オーナー、珈琲淹れるのも上手いからさぁ」

と空いた皿を洗い始めるけれど。

白髪おじじの慌てて出て行く様子からして。

(この娘が下手の……?)

冒険する勇気は我等にはなく。

「ありがと!また来てね!」

元気なチャキチャキ娘に見送られ。

「フンフン」

主様のご飯の次に美味しかったですと狸擬き。

「あれはなんだろうな、気張ってないのに、整っている」

『あぁ。とても美味しいものを食べた満足感がある』

腹に手を当てる狼男。

我等はぽんぽんが満たされ。

街中の。

陽の当たる場所にいるのは、馬車道を進む馬車や、荷運びの仕事をしていると思われる男が、道を横切っていく程度。

後は、布で作った日陰のあるテラスの茶屋や建物の日陰では煙草を吹かしつつ談笑する者たちで賑わっている。

我等も、陽射しの中で、

「の?もう一つの組合の?」

「あぁ、馬車に乗っている時に、だいぶ手前にあったらしい」

すっかり見逃していた様子。

教員が残しているはずの言伝てを聞きに行くか迷ったけれど。

皆で顔を見合せ。

「……明日にしようか」

「の」

日陰はともかく、陽の当たる場所はそれなりに暑い。

何ともよき具合に走ってきた乗り合い馬車に乗り込むと、他に客もいないからと構わないよと、貸家の近くまで走って貰い。

店は開いているけれど留守なのか、お喋りな大家に捕まらずに済み、少しばかり安堵しつつ。

我等は、貸家の年季の入った、けれど大きめなベッドに皆で倒れ込み。

「ぬー……」

「フーン……」

午後も遅い昼寝を貪った。


翌日。

散策がてら、たまに小道を通れば行き止まりの、見知らぬ人の家の扉の前に辿り着き退散しつつ。

両脇の茶屋とレストランに挟まれ全く目立たない組合の支店に辿り着けば。

「溜まっていた仕事があり先にそちらを片付けなくてはならくなり。

鳥たちの解剖が終わり次第、そちらに郵便鳥を飛ばすため、恐縮ながらもう少し待ってて欲しい、と書いてあるよ」

それはそれは。

「もうすぐ夏季休暇に入るから、そうしたら仕事も捗るからとも」

あやつは教員と研究者の二足わらじであるしの。

教員は、この辺りではなく、隣の国に近い土地に住んでいると。

ならばこの街で教員からの便りをのんびり待とうと、辺りを見回せば。

「フーン」

我にもさりと寄り添ってくる狸擬き。

「なんの?」

「フゥン」

わたくしめは暑いのですと狸擬き。

「のの?」

確かにほどほどに暑くはあるけれど、人も獣をも越えた我等は、暑い寒いにはそこそこに強いはずであるし、実際に鈍い。

それはこの狸擬きも例外ではない。

なのに、唐突に暑いと言い出した。

何事かと思えば。

「フーンフン」

狸擬きの視線と鼻先がチラチラ向かう先は。

(のの)

「の、の、我も暑いの」

手紙を畳む男に訴えれば。

「ん?」

「とても暑いの」

その場で軽く跳ねて見せ。

「そんなにか?」

不思議そうに我を見下ろす男に。

狸擬きが今も熱い視線を向ける、アイスクリームと思われるものを売っている馬車道の向かいの屋台を指差せば。

「……仕方ないな」

男が苦笑いで、野菜を積んだ馬車が通りすぎるのを待ち道を横切り。

「ぬふん♪」

「フーン♪」

『冷たくて美味い』

アイスクリームより、少しさっぱりとしたねとりとした食感。

「ぬんぬん♪」

男は、アイスクリームではなく、煙草を吹かしながら屋台の男と談笑している。

「の」

そんな男のシャツを引き。

「ん?」

「あーんの」

スプーンを持った手を伸ばせば。

屈んだ男が口を開き。

「……ん。美味い」

目を細め。

「の」

んふーと笑い合えば、仲良しだなぁと屋台の男。

パクパク食べ終えた狸擬きは。

「フンフンッ」

ここのアイスクリームも美味しいですが、この街の規模なら、別のアイスクリーム屋もあるはずですと。

狼男に空の器を渡すと、早速勇んで歩き出す狸擬き。

「のの、待つの。我は桃の甘味が食べたいのの」

そのためにこの街に来たのである。

「フン」

そうでした、では先に桃の甘味を見つけましょうと狸擬き。

「の」

我も続いて歩き出せば。

「待て待て」

『どこへ行くんだ?』

器を返した男と狼男が慌てて駆けてくる。

「なんの、我は桃の甘味のためにこの街に来たのの」

渋々2人を振り返るも。

「今、甘いものを食べたばかりだろう?」

男には眉を寄せられるけれど。

「ぬ」

我は、男から。

旅先で道を大きく進む度に。

辿り着いた土地で使われるコインや紙幣が替わる度に、男にはコインや紙幣を、その都度、渡されている。

万が一、男とはぐれたり、何があっても(しの)げるようにと。

そのため。

今も肩から斜め掛けしている小さな鞄には、コインが入った小袋が仕舞われている。

そう、軍資金に関しては抜かりなく。

「お主が拒否しても、我は1人で桃の甘味を探しに行くのの」

「フーン」

勿論お供しますと我の隣に寄り添う狸擬き。

「……」

もし男が、それでも駄目だと言うならば。

今の我が本気を出して走れば、狸擬きに乗らずとも男は追い付けない。

狼男には負けるであろうけれど、我は小回りが利くし、狸擬きの背に乗れば尚簡単に撒ける。

「……」

きっと同じことを考えて更に渋い顔になる男に。

しかと大人な我は。

「鳥の討伐のご褒美の」

子供じみた駄々こねではなく、駄目押しと言う名の成功報酬をねだれば。

「う……」

ぐっと詰まる男。

『普段、彼女は“わがまま”というものを言わないし、たまにはいいんじゃないか?』

思わぬ掩護射撃。

狼男を旅のお供に連れてきて大正解である。

(ぬふん♪)

我のしたり顔に、男は返事の代わりに溜め息を吐くと。

それでも我が逃げ出すことを危惧してか、我を抱き上げてきた。

「ぬん♪」

我は足も確保し。

「フンフンッ」

では主様のために美味しそうな店を探しますとテンテコテンテコ先を歩き出す狸擬き。

『後で、櫛と呼ばれるものが売っている店にも寄って貰えないか?』

狼男は換毛期があり、気温の高さで抜け毛が一気に増えてきたと。

そう言えば貸家でも狼男の毛が落ちていた。

確かに、毛量からしても大きめな物が必要そうである。

「そうだな、大きさ的に馬用になるかもしれないが……」

『あぁ、それは全く構わない』

そう言えば、この辺りは、狼が愛玩動物などとしても飼われていない。

山が遠いせいであろうか。

「フーン」

わたくしめも新しい櫛が欲しいですと、キョロキョロ辺りを眺めつつ狸擬き。

「お主は櫛をいくつ持つつもりの」

「フーン」

わたくしめの美しい毛並みを保つためには、常に新しい櫛を求めて当然なのですと狸擬き。

(地味な色合いで華もなかろう毛によくぞそこまで)

と思いはするけれど。

桃の甘味のために口には出さぬ。

沈黙は金ならぬ、

「沈黙は桃」

なのである。


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