重なり合った思い
「オスカー様っ……」
「サマン、セレーナの相手をしてくれて助かった、礼を言う」
オスカー様はどことなく戸惑いを含んだ表情だ。
「こちらこそ、久しぶりにご夫人とお話しできて楽しかったよ。それではセレーナ様、またの機会に」
「ええ、ありがとうございますサマン様」
サマン様はそう言うと、ヒラヒラと手を振って大広間へと立ち去っていった。
残された私たち二人の間には、なんとも気まずい沈黙が走る。
その静けさに耐え切れず、私は口を開いた。
「あの、オスカー様……?」
「……少し場所を移動してもいいか?」
「は、はい……」
オスカー様はそれだけ告げると、私の手を取って中庭の方へと足を進めていく。
以前の舞踏会の時とは違いその足取りはゆっくりで、私の歩く速度に合わせてくれているのがわかる。
だが彼は虚げな顔で前を見つめたまま、一言も言葉を発しない。
一体どうしてしまったのだろうか。
幸いなことに中庭には誰もいなかった。
未婚であれば貴族の男女が二人きりで夜間の中庭にいるなど言語道断であるが、私たちは一応夫婦の関係にある。
たとえ誰かに見られたところで問題は無いだろう。
オスカー様は中庭の中央にある噴水の近くまで来たところで足を止め、私の方を向く。
そして重々しく口を開いた。
「サマンと……何を話していたんだ?」
「大したことではありませんわ。あなたのことなどを話しておりました」
「君は随分と嬉しそうに見えた。会話は聞き取れなかったが、その……あいつの言葉に頬を赤らめて……」
そこで私はようやく気付いたのだ。
オスカー様は先ほどの私とサマン様の会話から、私が未だにサマン様のことを慕っていると思い込んでいるのだと。
「それは勘違いです」
「誤魔化さなくていいんだセレーナ。元はと言えば、君が好きなのはあいつだった。……いや、今もあいつのことが好きなのか?」
そう話すオスカー様の青い瞳は左右に揺れている。
「違いますっ! あれはあなたにひどいことを言われたので頭に来て、つい口を出てしまっただけなのです!」
「あいつは君の望む通りの男だ。私のように初夜で女性を傷つける行いなどしないだろうし、心が歪んでもいない。そして剣術に長けていて男らしい。……確かに、あいつの方が君にはふさわしいな」
「オスカー様、何を言っているのですか!」
「やはり、あいつがいいのか?」
「違います!」
「……君は私にあのような顔で笑ってくれたことはない」
オスカー様との会話が噛み合わない。
「私は君を愛している……」
「えっ……」
突然告げられた愛しているの言葉に私は咄嗟にオスカー様を見上げるが、相変わらず彼は私に背を向けたまま。
「だからこそ、君には幸せになってほしいのだ。こんな捻くれた厄介者の私では、君にふさわしくない……。君が望むのなら、私は……サマンを君の再婚相手として推薦してもいい……」
「オスカー様!?」
「君を縛り付ける気はない……大丈夫だ、私は何も変わらない。再び一人に戻るだけだ。再婚はしない。これまでどおり執務をこなして生きていく……」
「オスカー……さ、ま……」
彼は一体何を言っているというのか。
再婚? 私がサマン様と?
「っすまない……私は何を……サマンと君が話しているのを見て頭に血が上ってしまった。私のこういうところがダメなんだろう。少し頭を冷やしてくる。君は頃合いを見て大広間へ戻っていてくれ」
「オスカー様っ……」
オスカー様は苦しげな顔でそう告げると、私に背を向けて中庭の奥の方へと足を進め始めた。
なぜか私は、今彼をこのまま一人にしてはならないと思った。
このまま行かせてしまっては、私たちの間に二度と縮まることのない距離が開いてしまう気がしたのだ。
そしてようやくはっきりと気が付いた。
私もオスカー様のことが好きだということに。
私がサマン様に抱いていたそれは、単なる憧れであったのだ。
……これはどこかで聞いたことがあるセリフだが。
「オスカー様……」
気付けば私はオスカー様の元へと駆け寄り、その背中を後ろから抱き締めながら、彼の名を呼んだ。
すると彼の全身に力が入るのを感じる。
「せ、セレーナ……? 君は何を……」
「そのまま聞いてくださいませ。私は……あなたが私に与えてくださるほどの強い思いを、私自身がまだ持ち合わせていないと感じていました。あなたに中途半端なお気持ちで応えるような無責任なことはしたくないと思うと、なかなかお返事ができなくて……」
「……」
オスカー様はそのまま私に抱きしめられている形で黙って話を聞いている。
そのお顔は正面を向いているため、私からは彼がどんな表情をしているのかわからない。
「今もまだ、気持ちの切り替えは完全にはできておりません。正直たまにあの初夜の発言を思い出してしまう日もあるのです。ですが……」
ここまで話して、だんだんと声が震えている自分に気づいた。
なぜだか視界が滲み始める。
「ですが……」
なかなかその後の言葉が口をついて出てこない。
——正直な気持ちを伝えて、彼に拒絶されてしまったら……もう傷つきたくない……
「ゆっくりでいい」
「……え?」
「ずっと待っているから、慌てなくて大丈夫だ」
すると、オスカー様が静かにそう口を開いた。
その口調は優しく穏やかなもので、先ほどの余裕無さげな話し方とは大きく異なっている。
なぜだかオスカー様のその声かけで、私の気持ちが落ち着いていくのがわかった。
私はすうっと息を吸って呼吸を整えると、意を決してその思いを告げた。
「……ですが、あなたの隣に他の誰かが立つのは嫌なのです。おかしいでしょう? オスカー様……私はあなたと離れたくない……」
「セレーナ……」
「私もあなたのことが好きなのです、オスカー様」
やっと言えた。
だがそれと同時に、ついに言ってしまったという気持ちに襲われた。
オスカー様の反応が怖い。
するとオスカー様は、突然私の手を振り解いてぐるりとその体の向きを変えると、力強く私の体を抱きしめてきたのだ。
「オスカー様っ……」
「今考えてみれば、そもそも君に愛されたいという願い自体が間違っていたのだ。あれほど君を傷つけた私にそのようなことを願う資格などない……」
「そのようなことはっ」
「それでもいい。君の気持ちがまだ完全に私に向いていなくても、それでもいい。だが、私が君を愛することを許してはもらえないだろうか。生涯君の隣で過ごす許可をくれないか……」
オスカー様の声が震えている。
時折混じる嗚咽から、彼が泣いていることがわかった。
私の答えは決まっていた。
私はオスカー様の頬に両手を添えると、彼の顔を見上げるようにして微笑んだ。
「もちろんですわ。オスカー様」
「セレーナっ……」
「もう一度、一からやり直しましょう」
オスカー様は私の言葉に一瞬目を丸くした後、すぐにくしゃりとその端正な顔を歪めて再び泣いた。
「ああ、セレーナっ……」
「もう……泣きすぎですわよ?」
私は彼の涙を指で拭う。
するとオスカー様はその手を取って強く握りしめてきた。
青い美しい瞳が射るように私を見つめると、視界が暗くなる。
それと同時に唇に柔らかく温かいものが一瞬触れた。
「セレーナ……愛している」
「お……オスカー様……」
それは私たちにとって初めての口付けであったのだ。
不意打ちの口付けに、顔が真っ赤に熱くなっていくのを自分でも感じる。
見ればそれはオスカー様も同じなようで。
顔から火が出るほどに耳まで赤くなった彼のことが、とてつもなく可愛く思えた。
「必ず君を幸せにする。やり直させてくれ、全て最初から」
「はい。でも無理はなさらないでくださいませ。ゆっくり進んでいきましょう」
私たちは互いを見つめると、どちらともなく笑い合った。
◇
ぎこちなく手を繋ぎ寄り添って乗り込んだ帰りの馬車の中で、私はずっと気になっていたことをオスカー様に尋ねる。
「オスカー様は、いつから私のことを……?」
すると彼は再び顔を赤らめ口元を手で隠すと、ボソボソと小声でこう答えた。
「初夜の日に、私に物怖じせずに言い返してきた姿が印象に残ったのだ……。それなのに部屋を立ち去る前に見せた悲しげな顔はあまりに美しくて……。それからは君の顔が頭に焼き付いて離れなくなった」
「オスカー様……」
「もちろん最初は、君に謝りたいという純粋な気持ちがほとんどだった。だが君と接する機会が増えるうちに、なぜか私の中で君の存在が大きくなっていったのだ……うまく言葉では説明ができないのだが……それが恋というものなのだろう?」
まさかあの初夜の日にオスカー様がそのようなことを考えていたとは、思いもしなかった。
私の頭の中は、いかにして一年後の離縁を滞りなく終えるかでいっぱいだったのだから。
「だがはっきりと君への好意を認識したのは、あの例の侯爵令息の存在が大きい」
「……ジャック様でございますか?」
「ああ。あいつが君に馴れ馴れしく話す姿を目の当たりにして、どうしようもなく腹が立ったんだ。君をこれ以上誰の目にも晒したくなかった」
「あの日、怒っていらっしゃったのはそれが原因なのですか?」
「恥ずかしながらその通りだ……私は器の小さい情けない男なのだよ」
オスカー様はしょんぼりと頭を下げる。
「でも私も、いつまでもあなたとエリーゼ様の仲を疑ってあなたに冷たい態度をとってしまいました」
「君は悪くない! 全ては私の発言から始まったこと……」
「きっと、やり直せるはずですわ。ただ……」
「……ただ?」
「サマン様や王太子ご夫妻に初夜のお話をなさったでしょう? もう私たちの間のことを他の方にお話しするのはやめてくださいませ。私たち二人のことは、二人で話し合って解決していきましょう」
「……わかった。すまない……」
私はオスカー様にもたれかかり、目を閉じる。
恐らくオスカー様との結婚生活は前途多難だろう。
彼はまだまだ色々なことに疎すぎる。
だが彼の内面を知った今では、その脆さを私が支えて変えていきたいと思うようになっていた。
きっと彼なら失敗から成長を学ぶはず。
そのようなことを考えていると、今まで張り詰めていた糸が切れたかのようにどっと疲れが出たようだ。
オスカー様はそんな私の肩にそっと手を回して力を込めた。
『セレーナ、愛しているよ』
私は遠ざかる意識の中でそんなオスカー様の囁きを耳にしながら、眠りについたのであった。
お読みいただきありがとうございます。




