7 告られても困る
「実は、好きなんだ……」
前場文香は、十二両編成の東海道線と衝突したような衝撃を受けた。いや、比喩だ。ともかく、そのぐらい驚愕したし、精神的にダメージを負った。
目の前に立つ皆上愛利は照れ臭そうに、頭を掻く。
「いや、あの……」
何と答えたらいいのか、うまくしゃべれない。文香の心中では、皆上愛利を罵倒する言葉が溢れ返っているのに、声帯が仕事をさぼってしまった。
「その、なんかゴメン……僕なんかが。気持ち悪かったら、なるべく現れないようにするから」
本当に申し訳なさそうに、足元のコンクリートを見つめる。文香は未だにフリーズから立ち直れず、固まったままだ。沈黙が余計文香の思考に負荷を掛ける。
「今日は帰るよ。不快にさせてゴメン」
愛利が文香の横をすり抜けて立ち去ろうとした。
「待って!」
いきなり出た自分の声に驚く。だが、もう覚悟を決めた。
「好き、なんでしょ……?だったらなんで諦めるの?!」
以上の会話内で、『BLが』という主語が抜けていたが為に、その場に居合わせた文香の友人に過大な誤解を招いた。
事の起こりは三十分前、逆さ三角錐が四個連結した日本を代表するコンベンションセンターでのことである。
長机とパイプ椅子が目いっぱいホール中に整然と並び、その間の通路にひしめく女子、女子、女子。
斜向いの列の一つのスペースに、ディスプレイされた薄くてお高い本を手に取る男がいた。それを見つけた売り子を頼んだミズキちゃんが、文香に報告した。
「ねえ、フミちゃん。珍しいねぇ男の子がBL買ってるよ!」
圧倒的に女の子が多いのが、この企業主催の即売会だ。だからと言って男子禁制という事はないので、理屈の上では居てもおかしくない。
「そうだね、珍しいか、も……」
文香は有り得ないものを見た。
「こんにちわ、新刊一冊ずつ下さい」
「ああ、イトシくんじゃない。この間は感想ありがとね。モチベ上がって新刊落とさずに済んだよ」
「それは何よりで。あと、これ差し入れです」
男は掌大の包みを渡した。
「気を使わなくてもいいのに……あ、じゃあ新刊持ってって?」
「そういうわけには……会計合わなくなっちゃいますから、丁度八百円ありますし」
「うぅ、じゃあリク受けるから、シチュでもCPでも何でも言ってね」
「そうですね、また感想送りますので、その時に」
場違いな……!見渡す限り、男性キャラクター二人以上がいろんな構図で寄り添ったり、抱きついてたり、いろいろした絵が配置されているというのに。割と肌色率高めで。クラスの男子など、表紙の一枚でキモッの一言で後ずさりしていた。
今日ここに居るということも含め、なんだ、あのこなれっぷりは。きっと良く似た他人だ。イトシ……愛利って聞こえた気がするけど、空耳だ。そういう事にしておいて欲しい。私は何も見ていない。そう自分に言い聞かせる。そして、そのままどっかに行ってくれと念じる。
「フミちゃん、フミちゃん」
「はっ!えっと、なぁに?」
「スケブ頼まれたよ、すぐ描ける?ノゾさんだって」
「うわぁ……またかぁ。うん、頑張る」
ちなみにNozomiTBだが、イラストを取り下げて貰う交渉は見事に失敗に終わった。自称彼のプロデューサーが言葉巧みだった。対人スキル無し子さんには太刀打ち出来なかった。
曰く、今更取り下げてもNozomiのヴィジュアルはファンの中で定着している、既に二次創作なんかも出てきており、文香が描かなくても誰かが赤毛パンクの姿で描くので、ここは矛を収めてほしい。
もちろん、自分のデザインしたものだから愛着はある。しかし、それ弥尋の問題は別だ。弥尋をあのようにしてしまったのは、文香の不用意な発言の所為なのだ。
弥尋の事を考えながら、スケッチブックに例の二次元画像を描いていたら、ますます似ていた。
「わぁ、フミちゃん会心の出来だね。今までで一番イケメンに掛けてるよ、写メ撮っといていい?」
既にシャッター音が鳴っていた。
(ミズキちゃんやめて!私のライフはとっくにゼロよ!)
「う、うん?そうかな……」
本当は破り捨てたいが、人様のスケブにそんなことは出来ない。自分で自分の首を絞めている。
「フミちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」
「だい、じょうぶ……人酔いだと思うから」
彩色作業に移る。
(赤と黒の減りが早い気がする、掠れ気味だし。いっそ別の色に塗り替えたらダメかなぁ)
「ごめん、画材屋に行って来るね。店番お願い」
「え、人酔いなのに……?」
あのまま描き続けていたら、精神の均衡に異常をきたす恐れを感じた。目指す画材屋は会場入り口側の壁沿いなので、どこかしら列を抜けなければ辿りつけない。カートや人に轢かれながら、なんとか画材屋に入る。昼前の画材屋にそんなに人はいなかった。
目当ての色のコピックを手に取る。NEWという蛍光色のPOPが付いた部分に目が行った。ペールカラーで濃過ぎず、薄過ぎず、トマトの果肉部分のような色合いの薄い朱色。中間色に持って来いと言った感じだ。
「よろしければ、お使いください」
店員のお姉さんがにこやかにカゴを差し出してくれた。新色もお買い上げ。買おうか迷っている時に声を掛けられると、戻すに戻せなくなってしまった。
「ありがとうございましたー」
新色は欲しくなっていけない。自分のスペースへの帰り道も、芋洗いのようになって帰って来た。
「お帰りー、あれ?買い物に行ったんじゃないの?」
「え?……あっ!コピック!!……落としちゃった……」
有り得ない失敗に、文香は消沈する。
「あの」
「は……ひぃいい?!!」
思わず、変な声が出た。
「ふ、フミちゃん?」
ミズキが驚く。主に文香の発した奇声に対してだろうが。
「やっぱり文香さんだ。これ、落としたよ」
「おっ……お前が何でここにいる――――――?!!」
声を掛けて来たのは、皆上愛利……文香の天敵だった。動揺のあまり、本性がはみ出していた。
場面は戻る。ミズキの誤解を解くのに五分間愛利は放置されたが、文句も言わずに律儀に待っていた。
「……皆上さん。わたしはBLの趣味ないですけど。別に帰れと言いたい訳ではなくて、えぇと……その、すごい引きましたけど、皆上さんがBL好きでも迷惑とは思ってないです」
口ぶりとは裏腹に、よりによって何故、諸事情からあまり親しくしたくない男の(知らない方が良かった)カミングアウトをされねばならなかったんだろうかと、文香の頭の中はダークトーンでサイケデリックな模様を描く。せっかく天敵の弱みを握ったというのに、文香は優越感に浸る事はできなかった。
「ありがとう、文香さん。黙認してくれるんだね」
「ええ、まぁ……」
「そういう反応が一番ありがたいかな」
文香の仏頂面に晴れやかな笑顔で答える。
ミズキが両手を組みながら、そわそわと期待を込めたアイコンタクトを送ってくる。文香とて、聞かずにはいられない。弥尋の為にも。
「その、答え辛いかもですが、一応聞いても?」
あなたは男が好きな男なのですか、と。
「あぁ……うん、大丈夫。慣れてるから。ネタに使われたり、疑惑は掛けられたりするけど、僕自身は男色ではないよ」
デスヨネー……としか言葉が出なかった。ミズキは少し残念そうにくちびるを噛んでいた。
「ヤッちゃんには言わないでおきますね」
愛利が一瞬驚いたような顔をした。