第1話 男装の姫君と、あぜ道の異邦人
飛鳥創です。いつもお読みいただきありがとうございます!
――女の身で刀を握るなど、分不相応な真似はやめよ。
――西園寺家の娘ならば、大人しく座敷の奥に控え、良き家柄へ嫁ぐことこそが務めである。
幼い頃から、耳にタコができるほど聞かされてきた言葉だった。
東条幕府・老中筆頭を務める父、西園寺正信の広大な屋敷。
母を早くに亡くした妾――西園寺沙羅を取り囲んでいたのは、うわべだけの追従と、女を見下す武士たちの冷ややかな視線ばかりだった。
彼らにとって、女とは家と家を繋ぐための道具に過ぎぬ。
だが、妾は断じて、誰かの庇護にすがって愛想笑いを浮かべるだけの『飾り人形』などになりたくはなかった。
海の向こうの大国『ルーディス合衆国』が、巨大な黒船を率いて周辺諸国を武力で脅かし、不平等な取り決めを押し付けているという報せが届いた時、城の重臣たちは「南蛮の脅しなど杞憂じゃ」と笑い、何の備えもしていなかった。
父ひとりが孤軍奮闘し、国を憂いて頭を抱えていた。
(……誰も動かぬのならば、妾が己の目で見て確かめるまで。この瑞穂国の民の暮らしを、技術の現実を、妾自身の足で歩いて見届けてやる)
十七歳の春、妾は美しい振袖を脱ぎ捨て、動きやすい藍染めの股旅装束に身を包んだ。
濡れ羽色の黒髪を束ね、腰には西園寺家に代々伝わる神陰流の業物を帯びた。
そうして――お忍びの旅の途上で辿り着いたのが、相模の山あいに位置する寒村――【緑川村】だった。
* * *
その村の光景は、あまりにも無残だった。
二ヶ月間も雨が一滴も降らず、大地はひび割れ、田んぼの稲は茶色く立ち枯れていた。
村人たちは痩せ衰え、空を見上げては雨乞いの祈祷に縋り、ただ死を待つように膝を抱えていた。
悪代官の重税と、天災による干ばつ。
刀の稽古ばかりを重ねてきた妾の腕では、飢えに苦しむ百姓たちに一滴の水を恵んでやることすらできぬ。
己の無力さに唇を噛み締め、悔し涙を呑み込みながらあぜ道を歩いていた、その時だった。
「……ん? な、なんじゃ、あやつは……!?」
ひび割れた赤土のあぜ道の上。
ふと視線の先を見ると、一人の若い男が立ち上がり、衣服についた土を払っているところだった。
年の頃は二十二歳ほど。
だが、その身なりは異様という他なかった。見たこともない滑らかな青い布地の筒袖に、無数のポケットがついた奇妙なズボン。
そして何より、その右手がぎゅっと握りしめていたのは――手のひらに収まるほどの、漆黒に光る謎の薄い『板』だった。
(他藩の隠密か……!? それとも、この村の困窮に付け入ろうとする悪代官の手の者か……!?)
妾は警戒を露わにし、腰の太刀の柄に手をかけた。
抜き打ちの一閃でいつでも首筋を落とせる間合いを保ちながら、鋭く切先を向け、冷ややかに声を張り上げた。
「――動くな! その怪しげな身なりの者、何者じゃ!」
その声に驚き、青年が振り返った。
「……えっ!? あ、侍……!?」
青年はのろのろと両手を上げ、眩しそうに目をしばたたかせた。
その黒い瞳には、間者や野武士のような濁った殺気など微塵もなかった。
あまりにも無防備で、澄み切った、どこか人の良さそうな眼差し。
「見慣れぬ異邦人と思えば、実に奇妙な衣服を着ておるな。そなた、代官の手の者か? この緑川村の困窮ぶりに付け入るわけではあるまいな!」
「あ、いや……怪しい者じゃありません! 気がついたらここに倒れてて……。俺は司馬……宗介と言います」
「司馬宗介……? 戯言を申すな! 我が名は沙羅じゃ! この相模の地を荒らす不審者ならば、容赦はせぬぞ!」
妾が一喝すると、宗介と名乗った青年は、怯えるどころか――ふと視線を落とし、足元のひび割れた田んぼと、遠くで項垂れる村人たちをじっと見つめた。
「水が……ないのか。田んぼが完全に干からびてる……」
「……そうじゃ。この緑川村は二ヶ月も雨が降っておらぬ。このままでは作物は全滅し、冬には村中が飢え死にじゃ。……そなたのような不審者にかまっている暇などないのじゃ!」
突き放すように言った妾に対し、宗介は慌てる様子もなく、手にした黒い板――彼が『スマートフォン』と呼ぶ奇妙な道具の画面を、指先で軽やかに叩いた。
ピピッ――。
その瞬間、板の表面から、昼の青空すら切り裂くような青白い光が浮かび上がったのだ。
「ひゃっ……!? ひ、光った……!? な、なんじゃその妖術の札は……!?」
妾が飛び退いて太刀を構え直す中、板の中から、鈴を転がすような愛らしい少女の声が響いた。
『マスター、周辺地形のスキャン完了。北の尾根沿いの地下水脈から、毎分四百リットルの安定水量を検出。多段式竹樋とサイフォンの原理を用いれば、動力を要さずに全水田へ揚水可能です』
「よし……! 水はあるんだな。……沙羅さん、この村の大人たちを集めてください。この田んぼ、絶対に救ってみせます!」
宗介は振り返り、妾の目をまっすぐに見つめて言い放った。
その瞳の奥に宿っていたのは、確固たる知性と、苦しむ民を前にして一歩も退かぬ強い覚悟だった。
(……この男、何を言っておるのじゃ? 雨乞いもせず、神仏に祈ることもなく……自らの手で、この乾いた大地に水を呼ぶと申すのか……!?)
これが、妾と――司馬宗介との、すべての始まりだった。
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