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転生調理令嬢は諦めることを知らない  作者: eggy
第1章 リュシドール子爵領
9/52

 すぐに、たたたた、と鈍い足音が近づく。

 まず一頭が、跳び上がったか。

 見る間に、柵の上に白っぽい獣の頭が、覗く。

 夢中で。

『調味料転移』

 アヒイの粉を、その鼻先にぶちまけた。


 キャイイイーーーン!


 甲高い鳴き声が、闇に響き渡った。

 そのまま獣の頭は柵の外に消えていく。

 しかし、すぐにまた次の足音が続いた。

 白い頭が、覗く。

 辛味の粉を、ぶちまける。

 悲鳴とともに、落ちていく。

 白い頭。

 ぶちまける。

 白い頭。

 ぶちまける。

 それが、五度ほどくり返された。

 その後、跳躍は続かず。


 クウウーーン

 クウウーーン


 心なしか情けない声とともに、複数の足音が遠ざかっていった。

 しばらく耳を澄まし続け。

 やがて、オリアーヌは深々と息をついた。


「撃退、できた?」


 何とか、なったようだ。

 選択は、正解だったか。

 あの一瞬、辛味か毒か、迷ったのだが。

 毒茸は即効性らしいのだが、それでも野鼠に試したところ息絶えるまで数十ミン(秒)かかる。狼魔獣なら、もっとかかりそうだ。

 今の狼の場合、息絶える前に勢いで柵を越えてしまうかもしれない。それだけでも、面倒だ。

 さらに動きを奪うまでもう少しかかるとしたら、建物内に被害を出してしまうかもしれない。

 一方の辛味アヒイは死に到らせないにしても、即座に効果を出す。特に嗅覚の優れた獣にとって、いきなり鼻先を殴られたような衝撃だろう。

 さっきのタイミングなら、まちがいなく柵を越えずに外側に落ちていく。

 撃退としては、こちらが確実だったと思われる。

 そのまま長い間、オリアーヌは闇の気配を探り続けた。

 背の方からわずかに光が射してきた頃、もう安心と見極めて寝床に戻った。


 この夜の出来事の詳細を、オリアーヌは誰にも話さないことにした。

 目が覚めると、まるで夢の中のことだったように現実と思えなかったというのが、一つ。

 さらに、自分が狼を撃退するすべを持っているということを知られたくない、という気があった。そんな魔獣狩りの場に出されて利用されるなど、まっぴらだ。

 正直、自分と弟が無事でありさえすれば、この家の他の者の安全など、どうでもいい。そんな気がしてしまう。

 撃退については、話さない。

 ただ翌日、夜中に森の方で獣の声がしていた、と執事に告げておいた。

 執事が柵の外を調べて、多数の大牙狼おおきばおおかみと呼ばれる魔獣の足跡だ、と大騒ぎになったようだ。

 これで少しは警戒することになるだろう、と思う。


「夜中に魔獣が近寄ってきたんだってね」

「使用人棟の裏手だって? 怖いねえ」


 朝食後に通いでやってきた女二人が、早速侍女から情報を得たらしく料理長に話しかけていた。

 料理長は使用人棟の住人なので、その話を朝に聞いて震え上がっていたものだ。


「それだから、今日からこちらに領兵の一個小隊を駐留させて、夜っぴて見張りも置くことにするそうだ」

「そうなのかい」

「それなら少しは安心かねえ」


 ふだんの領兵の宿舎は領主邸と市街地の間辺りに置かれているのだが、急ぎこの日から三十人程度を移動させているということだ。

 ひる近くになって表側にがやがやとした動きがあり、庭の片側にテント設置などが行われたという。

 その後、厨房にも二名の兵が入ってきた。兵の食事は自分たちで用意するが、厨房の施設を借りることになる、ということだ。係らしいその二人は、料理長に断って作業を始めている。

 オリアーヌはこっそり執事に呼ばれて、注意を受けた。つまりは、兵士たちにあからさまに姿を見せて正体を明かすことはするな、ということだ。

 原則この姉弟の実状は、屋敷の外には知られないようにしているのだから。

 オリアーヌとしても、兵士たちに事実を知られたとして現状が好転するとは思えない。そうなったとして子爵から兵たちに箝口令が敷かれ、こちらの行動がさらに制限されるというのが落ちだ。

 へたをすると資金稼ぎの狩りや、弟のための炊事までできなくなる恐れがある。

 ランベールは、自室から出さない。

 オリアーヌは厨房の隅で目立たないように仕事をせよ、という。どれだけ続くか分からない領兵との同居に、厨房手伝いを減らす無駄はしないということらしい。

 仕方なく大人しく、オリアーヌは頭に料理人用三角巾を深く被って、隅のテーブルで黙々と野菜の下拵えに専念した。

 さすがに料理長の調理助手の役目は免除で、そちらは一人でやるという。

 脚の不自由な前領主の娘がここに暮らしていることは何となく多くの領民が知っているだろうが、隅に座って目立たないように作業する小娘がそれだとは、誰も想像さえしないだろう。の下働きと認識して、ろくに目も向けないに違いない。

 その手元で野菜が驚異的な速さで処理されていることにも、おそらく気づきようもないと思われる。

 料理長もその辺を気遣う素振りはなく、呑気に兵士と会話している。


「こんな、魔獣が近づいたなんてこと、これまでになかったのかい」

「ああ。裏の森に狼魔獣が見かけられたことはあるが、ほんのたまに一頭単独で、という程度だったらしい。夜行性だしあまり人の住むところに近づかないという話だった。それが今朝見つかった足跡は明らかに大牙狼おおきばおおかみのもので、予想よりでかいし少なくとも十頭近くは群れて柵の近くに迫っていたようだ。その身体の大きさならそのうち柵を越えても不思議はない、と判断されている」

「冗談じゃない。俺はその近くの使用人棟に住んでいるんだぞ」

「今日からは交替で見張りを立てるから、心配ない」

「三十人だそうだな。それで魔獣十頭を退治できるのかい」

「接近を見つけたらすぐに、柵の外と内側に配置することになっているからな。内側から柵の上に乗って槍や弓矢で牽制すれば、直ちに全頭退治はできなくても、少なくとも中に侵入を許すということはない。時間がかかればあちらも諦めて帰るだろうし、それでも粘るならこちらも領軍本体から援軍が駆けつけて、全滅も可能になる」

「ふうん。中に入れることがないなら、まあ安心できるか」


 そういう大がかりな騒ぎになったが、数日を経ても狼魔獣の気配さえ近づかない。代わる代わるの不寝番も、すべて空振りに終わったという。

 一旦あれだけの群れが近づいたのにまったくその再現がないわけはない、と不思議がられたが。

 オリアーヌにしてみれば、よっぽどアヒイの刺激に懲りたんだろうなあ、と思えてくる。

 そうして半月(十五日)ほどで、一個小隊の駐留は解除された。

 それでようやくオリアーヌには、このかんできなかった狩りに出ることが可能になった。

 しばらくは夜間の見張りだけ派遣されていたが、それもやがて立ち消えになった。

 魔獣たちもこの柵を越えられないと接近を諦めたのだろう、という判断だ。

 領主邸の住人たちも、枕を高くして眠ることになった。


 ところが。

 最初の魔獣襲来からひと月以上が過ぎた夜、またオリアーヌは不穏な気配に目を覚まされた。

 やれやれという思いで起きて、窓から確認。また十頭程度の狼魔獣が、柵の外に集っているようだ。

 仕方なく、前回の再現をすることになった。

 柵を越えようと跳躍する獣の鼻先に、アヒイをぶちまける。

 悲鳴を上げて、獣は落下する。

 その、数度の繰り返し。

 やがて魔獣の群れはとぼとぼと引き返していった。



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