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「…………弟よ。これは由々しき事態です」
「その通り」
愛刀を手入れしていたノッポの男が近くの作業台で白い粉を量りに乗せていた男の言葉に深く頷く。
シャシャと規則正しく刃を砥ぐ音と粉を量りに乗せ、石臼ですり潰す微かな音がしばらく響いた。
「兄。このまま傍観者、いいのか?」
弟は砥ぎ終えた刃の柄を掴むとそれを光にかざす。
曇り一つない刃は窓から差し込む光を反射させキラリと輝いた。
「否。これを見逃してしまえば我々の今までの全てを否定することになりましょう」
すり潰し終えた最後の粉を袋に詰め終えた兄は毅然として立ち上がる。
弟もそれに倣う。
「逢わないわけにはいかないのです」
「同意」
男達の瞳がひたりと同じ方向を向く。
「「異界からやってきた食の女神に逢う」」
強い意思の篭もった眼差しは正しくたった一人に向けられていた。
「くしゅんっ!」
今日も今日とて食の配達人………私こと高梁奈津は背中に悪寒が走ったかと思えばいきなりクシャミをしてしまいました。
「風邪か?」
私の配達先であるリカルド君が現われるなり行き成りクシャミをした私を心配そうに労わる。
「平気平気」
ヒラヒラ手を振って元気なことをアピールする。
「なら、いいが」
「あはは。あ、それより今日の配達はねぇ………」
「今日の配達もすごく美味しそうなのですよ~~~!」
二人と一匹で和やかに話していれば少し離れた場所でイジイジといじけていていた魔術師さんが恨めしそうな目をした。
「ふん。何だい何だい。僕には一欠けらさえ食べさせない食べ物の話しなんかで盛り上がったりして」
「………魔術師さん。それは一週間で済む筈だったのに色々やらかした挙げ句、罰延期させる事態を引
き起こした貴方の自業自得じゃないですか」
腰に手を当て呆れたように言えば「鬼っ!」と私を罵しった後、再び魔術師さんはいじいじと湿っぽい空気をかもし出した。
「………相当参ってらっしゃいます~~~~」
「だな。だが、俺としては“あの”魔術師に欲しいものを一週間以上も我慢させることのできるナツがスゴイと思う」
「ですね。召喚主様は我慢が本当にお嫌いですから………」
「なんでかあいつが本気で叱り飛ばすと魔術師は逆らえないみたいだしなぁ」
「肝っ玉母さんの迫力がありました」
「ああ、魔術師を叱り飛ばすあいつの後ろにお玉を持って仁王立ちするおふくろさんの姿が見えたな」
しみじみとそんなことを語り合う一人と一匹。
一体何を言っているのやら。
そんな光景を横目に私は本日の配達品であるスコーンとジャムの入った小瓶を数個テーブルに並べた。
山盛りのスコーンをお皿に乗せる。
これだけあってもリカルド君もざくろちゃんもあの小さな体のどこに入るのかっていうぐらい食べる大食漢なのであっさりなくなる。
(この世界に生きるのには大食漢じゃなきゃだめなのかしら?)
なんてことも思い浮かんでしまうぐらいよく食べる。
魔術師さんも細いのに良く食べるんだよね………もっとも今はお仕置き中なのでその食べっぷりを見ることはないけど。
「は~い!準備できたからテーブルに座る!魔術師さん!貴方もですよ!」
「おう」
「はい!」
「ううううっ………苦行がはじまる………」
三者三様のお答えが返って来る。
リカルド君とざくろちゃんはキビキビと魔術師さんはのそのそと動きの差が激しかったけど全員無事に席につく。
「本日のメニューはスコーンです!」
ふんわりしっとりスコーンに手作りのジャムはイチゴ(っぽい)ジャムにオレンジ(っぽい)ジャムなどを用意している。
「このお菓子はそのままでもいいけどこっちのジャムをつけても美味しいの!あと紅茶にすご~~~く合う食べ物なんだ。私の世界にある国ではお茶の時間にはスコーンっていうぐらい定番のお菓子なんだよ!」
私が説明を聞きながらまずリカルド君がスコーンをそのまま食べてみる。
いつもこの瞬間、ちょっと緊張するわね。
異世界のそれも初めてその食べ物を口にする人の反応はいつでも少し構えてしまう。
だけどリカルド君の目がキラキラと輝きだすと心底ほっとする。
「うまい!これ、本当にこの世界にある材料だけで作ったのか!」
「うん。そうだよ」
「すごい!すごい!今まで食には関心がなかったけど調理方法が違うだけでここまで味が違うだなんて興味深い!思いもよらない植物がすごく美味かったりするしびっくりすることばかりだ!」
美味い美味いと連呼しつつスコーンにジャムを塗って食べてまた美味いと言うリカルド君は年相応だ。
でも、十歳でも彼は王子様。私が作った料理やこちらの世界にはない材料の製造法などを聞いてそれらを商品化させ流通させようとしているみたい。
さすが王子様抜け目ないなぁ~~~って思っていたんだけど、この前そのことについて本人言ってみたらちょっと照れてから彼はこう言ったんだ。
「えっと………実はお前が来ない時に食べたくなって………それでいつでも誰でもつくれるならそんなことになっても大丈夫かなぁ~~~って思ったのが切っ掛けで………あと、こんなに美味いものを俺達だけで味わってはい、終りっていうのは勿体ないと思ったから………」
もごもごと顔を赤くしてそんなことを言うリカルド君はハッキリ言って可愛かった。
まぁ、もっともにこにこと微笑ましいものを見る目で見ていたのがばれてその後はもういつものリカルド君に戻っちゃったけどね。
「あ、そういえばトト君は今日、いないんだね?仕事?」
ここ最近、この食事会(?)に参加している料理人見習いの少年がいないことを聞いた。
とても十歳とは思えないほどの熱い情熱を料理に傾けている少年はあの事件の後、リカルド君が異世界の料理知識を本格的にこちらの世界に取り入れると決め、その流れで料理人見習いである彼が異世界の料理を学ぶという建前で時間の都合が許せばここで一緒に料理を食べるようになっていた。
事前に通達があり、その時だけはトト君もここに来れるという訳。
「ん?ああ。トトなら仕事でこれないみたいだ」
「そっか。残念だね」
「ああ。血の涙を流さんばかりに悔しがっている姿が目に浮ぶ」
「あはは。あ、そうだ、コレ、今日のスコーンのレシピと材料の加工方法」
こちらの文字で書かれたそれらをリカルド君に渡す。
本当に知識の交換ってラクだ。
こうして会話できるし、文字も書ける。
「確かに預かった。そうだ、これらの情報の対価………」
「いらないから!本当にいらないから!」
「お前は欲がないな………」
欲がないとかじゃないから!私の世界では当たり前の情報なんだよ?それでお金を取るとか出来ないから!
こんな会話を最近は何度も交わしている。
律儀なリカルド君はどうも対価なしというのが納得できないようなのだ。
リカルド君から言わせれば「お前がこの世界にもたらしているものはものすごいものなんだ!いい加減自覚しろ!」ということなのだが今一私は理解できないでいる。
だって元からないものをもたらしたとかならわかるけど元からあったものを加工したりしただけだよ?
時間は掛かるかもしれないけどどこかで誰かが見つけていたであろう技術であり知識だと思う。
早いか遅いかの違いだ。
でもそう言うとリカルド君は怒るのだ。
何なのよ。もう。




