… Wednesday …
… Wednesday …
『僕たちには何でも言って下さいって頼んでるのに、どうして一人で出掛けるんですか!』
授業のない水曜日は調査するには貴重な日だというのに、お昼ご飯を食べて出掛けてみると大雨だった。傘が打ち返す激しい雨音で、携帯越しの声はひどく聞き取りにくい。三島氏から教えてもらった友紀の転落現場に向かっている途中だと告げると、轟はそう言って騒ぎ出した。
「見てくるだけ、すぐ帰るって。いいから千歳に簿記教えてもらっとけば」
有無を言わせず切ると、間髪入れずに携帯はまた震え出した。今度は千歳だ。どうやら轟と一緒にいるらしい。
『ひろさんのいーけーずー』
無言で切ボタンをお見舞いした。
(ここか……)
電源を切った携帯をカーゴパンツのポケットに突っ込んで、廃ビルを見上げる。三島家とその最寄り駅の間、繁華街の外れにある元はオフィスビルだったであろうそれは、取り壊しの途中で放置されたような建物だった。バブルの負の遺産といったところか。
銀色の金網フェンスが巡らされていたが人目が途切れた瞬間を狙って傘とミュールを投げ入れ、続いてよいしょと乗り越える。
「こんなとこ見られたらまた、千歳に女の子らしくないって怒られるんだろうなー」
一人で来て正解だったと思いつつ、ドアや窓の外された壁ばかりのビルへと雨から避難した。がらんとした空間で、湿ったコンクリートの匂いが鼻をつく。聞いている通り、友紀の事故現場である裏側へと暗い階段を進んだ。
三階の窓際は吹き込んだ雨風に床が汚れ、ビルよりも遥かに年月を経ていそうな大木の枝が窓枠から入り込もうとしていた。下を覗き込むと、コンクリートに冷暖房の室外機が並び、そのうち一台の上面がひしゃげている。恐らく友紀が落下した衝撃で壊れた跡だろう。
途中で買ってきた花束を供えて手を合わせてから、改めて辺りを見回した。
(わたしだったら、こんなとこで自殺しないけどな……)
室外機とはいえクッションになるものがあり、しかも三階じゃあまり確実性があるとは思えない。
(いくら父親がゲイであることを知ってしまって情緒不安定だったからって、あの呑気な子がせっかく受験して合格して入学したばかりの高校生活をホイと捨てるとも思えないし)
「でも、靴がねー……」
学校指定の黒い革靴は、窓際に揃えてあったそうだ。ご丁寧に靴下まで左右それぞれに突っ込んであったらしい。その辺りが自殺か事故か断定できずにいる理由なのだろう。
そんなことを考えながら隣接した本屋の裏口との二メートルほどの隙間を見下ろしていると、建物の端から何かが転がり出てきた。
「あ、猫」
去年の秋猫だろうか、やや小柄な虎猫が雨足から逃げるようにやって来てフェンスをもたもたよじ登ると、こっちのビルへと走り込んだ。急いで一階まで降りる。扉のない裏口に佇んだ虎猫は降り止まない雨を見上げて、背中で嘆いているようだった。足音にびくりと振り返り、踏み出すモーションの途中で止まって肩の辺りをぴくぴく緊張させている。野良猫らしい警戒っぷりだ。
野良猫を見ると手なづけたくなるのは、わたしだけだろうか。鞄をあさるとカロリーメイトしかなかったが、要は猫の興味が引ければ何でもいいのだ。砕いて、自分と猫の中間に転がす。猫は一瞬身を引いたが、瞳は確実にカロリーメイトを見つめていた。掴みはばっちりだ。
あんたになんか興味ないんだけど、という素振りでタイルの割れた床に胡坐をかいた。視界の隅で猫はそろりそろりとカロリーメイトの破片に鼻を近付けようとしている。ふんふんと嗅いだあと、はふっと食らい付いた。人の手の匂いが付いたものを嫌がらないのは、誰かがたまに餌をやったりしているからかもしれない。
それなら触らせてくれるかも、とそうっと手を伸ばしたのは性急だったらしい。途端に身を翻した虎猫は、雨の中を裏口から飛び出して行ってしまった。
「あっ、待って待って!」
追いかけたら捕まえられそうだったのに、猫は素早くがじがじと木の幹を駆け上がった。ここで登りにくいフェンスを選んだらその間に捕まると気付いたのだとしたら、結構賢いヤツだ。
あっという間に手の届かない枝の分かれ道までよじ登ると、虎猫は悠々と見下ろしてきた。
「それで諦めるひろさんだと思ってんの?」
ひょっとして、猫と同じレベルで追いかけっこさせられているのかもしれない。が、ミュールを脱ぎ捨てるとまずフェンスに登り、そこから樫らしき木の幹に取り付いた。
(こんなとこ、轟や千歳に見られたら……)
つくづく一人で良かったと思いながら一番下の太い横枝に体を引っ張り上げる。猫は慌てて、もう一段高い枝へと逃亡した。それを追っていくと、いつの間にか随分地面が遠ざかっていることに気付く。廃ビルの二階の窓から床が見えるほどだ。高層ビルよりもむしろ、こういうリアリティのある高さの方が怖いものだ。急に足がすくんできて見上げると、虎猫も頭上の枝で身を縮めていた。
「……あんたもあまり高いとこは、ダメみたいね」
もう来るなよ、もう来るなよと必死に目で訴えているらしい猫のいる横枝は、その子が乗れる枝としては最上階にあたるらしかった。途中から折れてなくなっているその枝まで追い詰められたらもう後がないのだろう、背中の毛をほんわり逆立ててわたしの動きを監視している。
「わかったわかった、降りるわよ。猫には九つ命があるっていうけど、その一つをこんなとこで消費させたら悪いもんね」
通じてるとは思わないけれどとにかくなだめながら、地面を目指しだした。濡れた幹の固い樹皮に、素足でさえ滑りそうになる。ミュールを脱いできて正解だった。
「さあ降りたから、あんたも降りておいで」
虎猫はわたしがいなくなるまで動かないつもりなのか、じっと見下ろしている。その背の向こうに、三階の窓枠が見えた。
「降りておいでってば」
安心させようと猫から死角になるビル内部まで戻っても、小柄な猫の後姿は降りる気配を見せない。それどころか、首を伸ばしてはおろおろと下を覗いているような気がする。降りられなくなったらしい。
「もー、しょうがないなあ」
あそこまで追い詰めた自分にも責任がある。助けてやるしかない。が、猫に手の届く範囲にわたしが乗っても大丈夫そうな太い横枝は見当たらない。見回すと、猫がいる場所は木の幹よりビルに近いことに気付いた。
ひしゃげた室外機の真上にある、三階の窓が一番近いことに。
階段を駆け上がっていると、あちこちから水滴が飛んだ。思わぬ雨の日の木登りで、髪や服がすっかり濡れてしまっていたらしい。そんなことはともかく三階の窓枠へと駆け寄ると案の定、縮こまった虎猫の丸い背中が同じ高さに見えていた。
手をかけたステンレスの窓枠は雨に濡れて、たやすく滑った。
(もし友紀が、こうして降りられなくなってしまったこの猫を助けようとして、ここから身を乗り出したんだとしたら……)
携帯で三島氏に電話する。友紀が死んだ日の天気を聞くと、寒の戻りのような冷たい雨が降っていたという答えが返ってきた。
(靴だけじゃなくて靴下まで脱いだのは、この窓枠が雨で滑りやすかったからなんだ)
なのに、素足でも結局滑ってしまった。そして転落死した。
(つまり自殺じゃなくて事故なんだ……!)
恐らく友紀がそうしたように、窓枠によじ登って片手でしっかり掴まりながら、もう片方の手を猫へと伸ばした。虎猫の鎮座している枝が折れてなくなっている場所に、あと少し届きそうで届かない。
「ちょっと待ってて、下手に動かないでよ!」
またしても通じないだろうと思いつつ猫に言い含めて、わたしまで落ちないうちにビルの内側に戻る。通りに面したフェンスまで引き返すと、またそれをよじ登って繁華街の中心を目指した。
幸いこの通りにペットショップは一軒しかなかった。若い女性店員は聖ウェズリーの写真入り学年名簿を覗き込むと、ああ、と表情を明るくした。
「知ってますよ、春ごろからよくキャットフードを買いにいらっしゃいます。おしゃれな髪型した子だから、いらっしゃるとすぐ気付くんです。あら、でも最近はお見かけしないような……」
通りからは見えないビルの裏側にある樫の木の上で虎猫が立ち往生しているのを、たまたま通りかかった友紀が発見できたとは思えない。あそこでこっそり猫を飼っていたんだろうという推測は当たったようだ。
虎猫捕獲用に虫網を買って、ペットショップを後にした。女子大生が雨の中、虫取り網を持って繁華街を歩くというのはかなり恥ずかしかったが仕方が無い。
「あーもう、うるさいなあ」
雨はどんどん激しくなって、傘の縁から見上げると重たく垂れ込めた雲に雷光が走るのまで見えた。気圧の変化はぜんそくや頭痛を呼ぶけれど、耳鳴りも同じだ。周囲の音が耳鳴りに邪魔されてどんどん遠ざかっていき、水の中にいるような閉塞感が強くなっていく。はっきり言って不快だ。
「あっ! こっそり自分で降りたの?」
虎猫は降りられないような振りして、わたしの気配がすっかり消えるのを待っていたのだろうか。珍妙な視線に耐えながら急いで戻ったというのに、樫の枝にはもう猫の姿はなかった。
「こらっ、どこに行った虎猫! 虫取り網代を返しなさいよっ!」
叫んだ瞬間、樫の木とフェンスの向こうにあった本屋の裏口がガチャッと開いた。本屋のロゴが入ったエプロンをしてゴミ袋を抱えた男性は、猫に対するわたしの無理な要求を聞いてしまったに違いない。一瞬立ち止まったそのおじさんと目が合ったが、見てはいけないものを見てしまったかのように慌てて逸らされてしまった。
「あ、あのう……ここで一ヵ月半くらい前に、男の子が転落する事故がありましたよねー……」
取り繕った笑顔を浮かべてさり気なく近付くと、おじさんはわたしと話しても大丈夫なものかどうか迷っているように視線を泳がせた。
「ほら、ここって随分前から使われてないビルですから、どなたかこの付近の方が見つけて通報して下さったと思うんですけど」
「はあ、その……わたしが通報しました」
おじさんは意を決したように話し出した。虫取り網を持って雨に濡れ、おかしなことを口走る女性でも、フェンス越しなら危険性は低いと判断してくれたのだろうか。それでも聞き取りづらくてフェンスぎりぎりまで近付くと、裏口の扉の影に避難されてしまった。
……気にするまい。
「夕方、どーんという音がしたのでここから様子を見に出たんです。そうしたらそこに人が倒れてるのが見えたんで、急いで通報したんです」
おじさんは扉の影からぼそぼそと話してくれた。
「つかぬことを伺いますけど、その時、猫があの辺で降りられなくなってませんでしたか?」
「は?」
明らかに変人を見る眼をされた。
「いえあのですね、その子は降りられなくなってた猫を助けようとして、誤って落ちちゃったんじゃないかと思うんですよ」
説明するとようやく納得してくれたらしく、何度も頷いてくれた。友紀が落ちた理由じゃなくて、わたしの頭が意外とおかしくないらしいということに納得しているような気がするが。
続いておじさんは首をひねって、当時を思い出すように目を天に向ける。
「あの時は、人が倒れてるってことでそこまで気付かなかったんですが……一緒にいたバイトが見てるかもしれないんで、呼んできましょうか」
親切でというより逃げ出したくて言ってるようにも見えたが、とにかくお願いしますと言ってみた。ややあって、裏口から若い男性店員が顔を覗かせた。同じ質問を繰り返すと、彼は目を丸くした。
「あー、いました。僕もすぐには気付かなかったんすけど、救急車が行っちゃったあとにどこから落ちたんかなーと思って見上げたら、上の方の枝に。警察が来た時に見たらいなくなってたんで、どうにか自力で降りたんじゃないすか」
今更ながら心配そうな顔をして、店員は顎をさすった。
「枝が折れて落っこちてたから、あの猫も落ちちゃったのかもしれないですけどねー」
虎猫に足が悪いような様子はなかった。振り仰いで、虎猫が立ち往生していた先端の折れた枝を確認する。下枝が張り出しているから、落ちたとしてもそこに引っかかって衝撃が和らぎ、怪我せずに着地できたのだろう。
「それ、警察に言いました?」
「猫? いやーまさか、関係あると思ってなかったし」
猫が降りたのが警察が来る前だったのなら、そして誰も猫のことを話さなかったのなら、警察は猫を助けようとしての事故だったなんて考えもしなかったに違いない。でも自殺にしてはあやふやな点があるから、友紀の死因を特定できずにいたんだ。
御礼を言って、仕事に戻ってもらった。途端に辺りが巨大な稲妻フラッシュに見舞われる。友紀の落下の原因が分かって晴れやかな気分になっているというのに、天気は悪化する一方らしい。
三島氏に報告する時に使えるようにと、樫の木や三階の窓などを携帯で撮っておいた。
(さて、帰ってあったかいお風呂に入ろうっと)
そして樫の木を離れようとした瞬間、目が眩んだ。
薄緑のカーテンで、そこが病院のベッドだとわかった。
(どうしてこんなとこにいるんだろ……)
ぼんやり考えているうちに意識はだんだん浮上してきて、それに呼応するように鋭い痛みも沸き起こってきた。頭が痛いなと思っているとそれは想像をはるかに超えて強くなって、思わず頭を抱えて呻く。
「あいたたた……」
そう言ったはずだった。
「……あれ?」
自分の声は自分の中から、振動だけで響いてきた。左耳に閉塞感があったり耳鳴りがしたりするのは日常茶飯事なのに、今はそれが両耳であるような感じなのだ。しかもこの破壊的な痛みは右耳である気がする。
(難聴は左だけのはずなのに……)
何度声を出してみても、声は外からは聞こえてこない。汗で額が冷たくなっていくのが分かった。
いきなりカーテンが引かれて、心臓が止まるかと思った。医者らしき白衣のおじさんが覗き込みながら、何か言っている。でもわたしの耳は耳鳴り以外何の音も拾おうとしていないらしい。
「聞こえません……」
認めたくなかったけれど、事実のようだった。そう言うとお医者さんは片眉を上げて、わたしの視界からいなくなった。
ナイフの先を耳に突っ込まれているような痛みに耐えながら半身を起こす。病室ではないらしいのは、ベッドに枠がないこと、足元の通路を挟んだ向こう側にデスクや医療器具が並んでいること、部屋の一面が巨大なガラス張りでその向こうに真っ赤な電灯のついた出口があることで感じ取れた。
(……救急外来?)
ということは、救急車で運ばれたんだろうか。倒れたような記憶は全くない。何が起きたのか思い当たらない。
最後の記憶を思い起こそうにも酷い痛みに邪魔されてままならずにいると、さっきのお医者さんが戻ってきた。クリップボードに挟まれた診察票の裏らしき紙に、何やら書き殴ってある。
『落雷、失神』
そういえば、もの凄く眩しい光を見た気がする。ひょっとしてあの樫の木に雷が落ちたんだろうか。本屋のおじさんが音に驚いて倒れているわたしを発見したのだとしたら、彼は二ヶ月連続で救急車を呼ぶ羽目になったことになる。悪運づかせてしまって申し訳ない。
わかったという印に頷くと、先生はまた何かを書きつけた。
『耳鼻科』
……えらく手短な説明をする人らしい。わかるからいいけど。
頷いて立ち上がろうとすると、世界が斜めになった。めまいを起こしたのだと、お医者さんが慌てて腕を掴んでくれたその痛みで理解する。
待っていろ、というように手で制されたのでベッドに腰掛けた時、ポケットの中の固い物体を思い出した。
(わわっ、携帯がびしょぬれ……)
倒れたところが水たまりだったのかもしれない。電源を切っておいて良かった。ここで下手にいじると、とどめを刺すことになる。立てかけて乾かせば、復活する可能性はある。
やがて看護婦さんが用意してくれた車椅子で、耳鼻科に連れて行ってもらえた。簡単な手話なら独学で覚えたけれどとても説明しきれないので、筆談を繰り返す。先生は分厚い本をめくって、『外傷性鼓膜穿孔』というページを見せた。間近での落雷の衝撃に右の鼓膜が破れ、特に低音が聞こえなくなっているらしいことがわかった。左耳はもともと難聴だし、悪天候による耳鳴りも合わせてほとんど聞こえない状態だ。
『経過観察。熱があるので予防的に入院』
雨に濡れたせいで風邪をひいたらしい。服も髪も汚れて擦り傷まであって、早くアパートでお風呂に入りたかったのに、そうもいかなくなった。
聞こえるようになるまで、一体何日かかるんだろう。心細くて俯いていると、耳鼻科の看護婦さんが紙を差し出してきた。
『代わりにどなたかに連絡しましょうか?』
このくらいの怪我で、わざわざ遠い実家の家族を困らせたくない。轟と千歳の顔が浮かんだが心配させるのも悪いから、結局首を振った。
その時打ってもらった痛み止めが効いてきて、病室にたどり着いて借り物の簡素なパジャマに着替えると早々に眠ってしまったらしかった。
『シロ、大丈夫?』
はらはらしたような声がした。
(聞こえてる……?)
あの出来事は悪い夢だったのか。ぼうっとしたまま頭を巡らすと、覗き込んでいる友紀のくるくる髪が見えた。
『痛い? 平気? どんな感じ?』
どうにも答えに困るようなことを立て続けに言われた。
(そっか、霊の声って耳じゃなくて頭の中で聞いてるんだ……)
ということは、わたしが聾になったら聞こえるのは霊の声ばかりということになるのか。それはちょっと虚しいような。
『あんた、謹慎はどうしたのよ』
寝ている怪我人を叩き起こして大丈夫かと聞く友紀に激しく矛盾を感じながらも、それを叱る元気も湧いてこない。
『絹ばあちゃんが、忙しいから代わりに見て来いって』
(あのババア、わたしがこんな状態でも足を運ぶ気がないのか……)
枕元の腕時計を見るともう夜だった。眠っていて、夕飯を食いっぱぐれたらしい。食べる気分じゃないからいいけど。
『クサヤと納豆とどっちが嫌いか、聞いておいてよ』
『あっ、ぼくどっちも好きだよー』
……いつあんたの好みを教えろと言った。仏壇に嫌がらせしたいから聞いてるのに。
また耳の奥がずきずきしてきたのは、薬が切れたんじゃなくて友紀のせいに違いない。
『ねえ、友紀って、あの虎猫が木に登っちゃったのを助けようとして滑って落ちたんでしょ』
『そうそう、あいつすぐ登るくせに降りるの下手くそでさあ』
謹慎さえしてなければすぐに聞き出せたはずのこと、そのために怪我までしたことを友紀はほんの一瞬で肯定しやがった。三島氏にも納得できる形で証明することになってるから、本屋やペットショップの店員さんの話が証言として聞けたのは良かったけど。遺族だから、頼めば警察の現場検証の写真も確認してもらえるだろう。折れた枝が写っていれば、それも重要な証拠だ。
『うちで飼って、って春休み中お願いしたのに。母さんが猫アレルギーだから、飼っちゃダメって。だからあそこでこっそり飼ってたんだ。ちゃんと食べてるかなあ……ねえシロ、あいつ飼ってやってよー』
わたしの怪我より猫の食糧事情の方が心配なのか、こいつは。
『あのねえ、うちのアパートはペット禁止なの! 絹さん飼ってるだけでも大変なのに、猫にお供えしたら……』
あ、逆だと思った時には腕をつねられていた。絹さんは、こういう時だけは異様に素早く出て来る。
(……ひょっとして、一応心配してても露骨に来られずに友紀を寄越したのかな)
意地っ張り絹さんの海老茶の袖は、つねるだけつねると今度は友紀の腕を掴んだ。
『あっ、謹慎の続きだって。じゃーねーシロ、あいつのことお願いするから』
『ええっ? 待って待って、まだ聞きたいことが……』
……消えてしまった。
(くそー、心残りが何なのかだけでも聞きたかったのに……)
猫の話で終わってしまった。
(確かに痩せっぽちで、あまりしっかり食べてないような感じだったなあ……)
まだ体が小さくて警戒心が強いだけに、食いっぱぐれることも多いのかもしれない。食べ物に困ってるかと思うと、何だか他人事でないような気がしてきた。
(こんな怪我までしたっていうのに)
友紀も虎猫も、ほっとく気になれない。でも飼うと言ってもあの猫を捕まえられるだろうか、と考えているうちにまた眠りに落ちた。