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守護霊見習い  作者: シトラチネ
見習い二号 ―友紀―
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10/39

… Tuesday …

… Tuesday …


 火曜二限の比較文化論の教授は非常に甘くて、後方の学生がうつ伏して寝ていたって注意もしない。テストも毎年お決まりのレポート提出だから、単位を取りやすい科目として有名だった。よって履修している学生数も多く、大教室があてがわれている。普段は聞き取れるように前方左側の席に座るわたしも、この講義では轟や千歳と一緒になるべく後ろの席で寝たりしている。

「金欠なのに宵越しの銭は持たないなんて、ひろさん豪快すぎ」

 呆れてるんだか褒めてるんだか、判断のつかない潜めた口調で千歳が耳打ちしてきた。

「僕、まだ胃に肉が残ってる気がします……」

 昭子夫人から押し付けられるようにして渡された謝礼のうち二万円は、焼肉とビールになって三人の胃袋に収まった。あぶく銭はパーっと使っちゃおうよと提案するわたしは二人にきつく言い含められて、食費として一万円をプールした。

「簿記も会計もわかってんのに、自分の家計はめちゃくちゃなんだもんな」

「煙草を吸う医者だっているじゃない」

 とは言ったものの、謝礼をさっさと手放したかったというのが最大の理由だった。

 昭子夫人が友紀へと頼んだのは、家にいろという執拗なほどの伝言だった。とっくに納骨の時期が過ぎているのに遺骨を手元に置いているのにも驚いた。食事も友紀の生前と変わらず三人分を作っていると昭子夫人は笑った。

「……間違ってることをしてお金をもらったら、それって詐欺だよね」

 怪訝な顔をする二人に、教授に聞きとがめられない程度の小声で話し出した。

 死者は残された者の心の中で生きていく。その人に話しかけ、食べ物を供え、自分の心に留めることは何ら悪くない。むしろ、そうしなければならない。

 けれど、その人が生きているかのように扱うのは反対だった。その人が死んだことはもう誰にもどうしようもない事実であって、残された者はそれを受け入れ、物質的にその人無しの生活をどうにかやり繰りしなければならないのだ。

 それは死者にとっても同じことだと思う。それが出来ないと成仏することもかなわずにさまよったり、陣のように見習いに身を落としたりすることになる。

 だから、家にいるように懇願したり遺骨を納めなかったりして友紀を引き止めるような昭子夫人の行為には、賛成できなかった。

「でもあの人、すごい必死で、そんなこと言ったら倒れちゃいそうで……」

 精神安定剤を服用しているというのを友紀から聞いているだけに、ますます言えなかった。しかも三島氏が、余計なことはするなと言わんばかりにずっと睨んでいたのだ。

「昭子さんがそういうことしてるから友紀も後ろ髪引かれてて、霊として中途半端なんじゃないかな……」

 でも結局、自殺か転落死かなんて話は匂わすことさえ出来ずに終わってしまった。友紀が見習いさせられている理由が昭子夫人だとは、まだ断定できない。

「すいません……ひろさんがそんな思いをしたお金で僕、骨付きカルビを……」

 しゅんとする轟に慌てて手を振った。

「違うの! いいの! 手元にあるのが嫌だったから、使ってすっきりしちゃった」

「……胃はすっきりしてませんけどね」

 轟にしては上出来な切り返しだ。えくぼつきの困ったような笑顔に、ほんわか和んだ。

「でも、ひろさん。それって僕は人助けだと思います。医者だって本当のこと……病名や余命を知らせないで治療することもありますけど、それが詐欺じゃないのと似てませんか」

「確かにお医者さんがそうするのは詐欺じゃないと思うけど……」

 それじゃわたしがあのラメおばさんを叱ったのは、ものすごく余計だったということになる。三島氏は霊を信じてはいないけれど、昭子さんを落ち着かせるためにニセ霊媒師を連れてきたのだろうから。昭子さんが本物だと信じるニセ霊媒師の言葉で安心するなら、口を挟まない方が良かったのかもしれない。

 だけどあのラメおばさんには腹が立って、思わず怒鳴りつけてしまった。なのに結果的にラメおばさんと同じことをしたら……昭子さんのためにと嘘をついたら、それはやっぱりわたしにとっては優しい嘘じゃなくて詐欺になる。

「わたし、そのおばさんに恥を知れとか言ったのに……」

 謝礼だけが目当てだったのではなくて、正しいことをしているつもりだった。なのにそれが貫けずに混乱させただけだった気がして、溜息をついても陰鬱な気分は出て行きそうになかった。

「医者が詐欺にならないのは、家族に了解取ってるからだろ」

 千歳の言うとおりだ。三島氏に無許可で殴り込んだのが、まずいけなかった。

「三島さんに謝ってくる。名刺もらったから、会社わかるし。じゃあね」

 開いてもいなかったノートを鞄に突っ込んで席を立とうとすると、千歳にがっちり手首を掴まれた。

「単独行動はなしですよ、ひろさん」

 轟はともかく、千歳が珍しくはっきりと心配そうな眼をしていて驚いた。振り切れずに椅子に座りなおすと千歳はぐぐっと顔を近づけて、息だけで吠えた。

「ひろさんがいない間に友紀が俺たちに絡んできたら、どうしろってんですか!」

(……自分の身が心配だったのか)

「ヤられちゃえば」

 二人は慌ててノートをしまいだした。



「十二時五分に高島屋特別食堂で」

 三島輝夫と刷られた名刺の番号に電話すると、まず秘書が出た。所属を名乗らない若い女性が専務に何の用かと明らかにいぶかしんでいるような気配があったが、無事に取り次いでもらえた。

「お詫びしたくて、近くまで来ているんですが」

 お会いできませんかとも言い終わらないうちに、三島氏は早口でそれだけ言って切ってしまった。

「……何それ」

 切れた電話に文句を言いながら中央通りを見回すと、「高」の屋号が見えた。館内の案内表示をおのぼりさん状態で見回しながらたどり着いた特別食堂なるものは、高島屋直営の高級レストランらしい。ここだけで喫茶店になれるのにと思うくらい広くて落ち着いた待合室には赤絨毯に優雅な椅子が並べられて、ヒップハングのジーンズで座るのが申し訳ない豪華さだった。

「ひろさん、幕の内弁当で二千五百円もしますよ!」

 指揮者の譜面台ばりの存在感で鎮座ましましていたメニューを覗いていた轟が、あたふたと報告してきた。

「でも向こうが指定してきたんだよ? おごりでしょ?」

 と言いながら自分も不安になってくる。連れが二人いることも言ってない、というか言う暇もなかったし……ひょっとしたら詫びとしてここの勘定は持てとか言われたりして。

「いざとなったら一万あるから大丈夫!」

 謝礼の残りがまだあったはずだと思い出してそう言うと、リッチなランチに来た客達をのんびり観察していたらしい千歳が険しい顔で振り向いた。

「散財は駄目ですってば。三人でコーヒー頼みましょう」

 そして専務殿だけが優雅に幕の内という侘しい図が頭をよぎった時、三島氏が通路の向こうに現れた。立ち上がって会釈をすると、気付いた三島氏は苦虫をまとめて噛み潰したような表情になった。よっぽど嫌われているらしい。

「えーと、この二人は証人というか一応関係者なんですけど……一緒でもいいですか」

「詐欺仲間かね」

 いきなりムードは険悪だ。抗議しようとしたのだろう、一歩前に出ようとした千歳を押し留めた。

「彼らは友紀くんに会ってます」

 苦虫エキスが顔面の神経を侵したのかと思うほどの渋面で、三島氏は胡散臭そうにわたしたちを交互に眺め回す。

「ユキじゃない、トモノリだ。全くどこから聞き出したのか知らんが、その呼び方はやめなさい」

 叱るように言いつつもウェイトレスに四本の指を出して見せたから、轟と千歳の同席も認めてくれたらしい。

「えーと、わたしたちコーヒーで……」

 メニューを開けるだけ虚しくなるばかりだろうと思ってウェイトレスにそう告げると、三島氏はほとんど怒りの形相で睨んできた。

「わたしを馬鹿にしてるのかね。好きなものを頼んだらどうなんだ」

 ……おごってくれるということらしい。それじゃ、と遠慮なくうな重を頼んだ。

「それで昨日のことなんですけれど」

 紫シャツを追い返す時のやり取りを聞いていたこと、それでいきなり乗り込んでラメおばさんを叱りつけてしまったことなどをまず謝った。

「三島さんが霊の存在を信じてらっしゃらないことは、わかってます。ですから昭子さんが落ち着いて下されば、三島さんにとっては誰に霊能者のふりをしてもらったって同じことです。でも、嘘はいつかばれますよ。そうしたら昭子さんの信頼を失うのはあなたです」

「他人の家庭に首を突っ込むのはやめてもらいたい」

 言われるかと思ったら、やっぱり言われた。謝りに来て諭しに入るのはやっぱり無理だっただろうか。ぴりぴりムードのわたしと三島氏の視界から隠れるようにして、轟と千歳は豪華ランチを急いで掻き込んでいる。彼らには先日から、食べた気のしない食事ばかりさせてる気がする……。

「昭子が落ち着くまで切り抜けてもらえれば良かったんだ。君は友紀のことを調べるのにうちのゴミでもあさったのか知らんが、何が目的なのかね。金ならもう昭子が渡しただろう。あれでも足りんというのか」

「いえ、お金はもう……でも、お金だけが目的だったわけじゃないんです。わたし、本当に友紀くんに会ってるんです」

 ゴミをあさったとか金をせびりに来たとか、予想してたこととはいえハッキリ言われると腹が立つ。けれどここで怒ったら見習いも何もパーになる。ぐっと我慢して、三島氏に信じてもらうしかない。

「友紀くんには、悩んでいることがありましたね」

 三島氏が何も言わないのが、聞きたくない事実であると告げていた。

「昭子さんのお薬、ハルシオンをこっそり持ち出して飲んでいたはずです。その副作用で味覚障害になってました。彼の夢は料理研究家になることだったのに、ショックだったでしょうね」

「味覚障害だと?」

 馬鹿な、とでも言おうとしたのだろうか。口を開きかけたが、思い当たる節があったらしい。曖昧に唸ると顎をさすっている。

「……興信所でも雇ったのか、君は」

 表情は硬いままだったが瞳が揺れていて、驚いているのがわかった。

「もうひとつ、彼の好きなタイプについても知っていますけれど」

 三島氏が友紀のゲイ志向に気付いていないとしたら、わたしがそれをバラすべきではない。さりげなく匂わすと、三島氏はそれを知っているようだった。明らかに狼狽した様子で、空気を何度も噛んでいる。

「一体どこからそんな、そんな……でたらめを」

 でたらめに狼狽するようで専務殿が務まるとは思えない。

(そこまで必死に否定する理由が何かあるのかも……)

 その時、わたしの手は勝手に箸を手放した。右腕を見ると、透けた海老茶の袖が重なっている。絹さんだ。

 絹さんは鞄からボールペンを取り出すと、真っ白なテーブルクロスに何かを書きつけ始めた。

『ちょっと! これ汚して怒られるの、わたしなんだけど!』

 文句を言ってみても右腕はわたしの意志ではびくともせず、クロスに文字を書いていく。

(自動書記か……)

 三島氏、轟、千歳は何事かと呆気に取られてわたしの手先を見つめている。まるで左手で書いているような拙い文字は徐々にアルファベットの形を取り始めた。初めて英語を書いているような不器用さに、轟と千歳はそれがわたしでないことにすぐに気付いたようだ。わたしの手を気味悪そうに遠くから見ている。

「……どっかのURLみたいですね。あ、拡張子がcgiだ」

 轟がミミズののたうったようなアルファベットに眉をしかめながら呟いた。

「これ、有名なレンタルcgiサービスのアドレスですよ。掲示板か日記じゃないですか」

 千歳の言葉が終わるか終わらないかの瞬間、どんという音と共にテーブルが揺らいだ。乱暴に手を付いて立ち上がったせいで、三島氏の椅子は後ろにひっくり返る。青ざめたその顔はテーブルクロスの文字を凝視して震えていた。

「うちに家宅侵入でもしたのか。それともハッカーか? おまえたちは何なんだ!」

 絹さんは、どうやらとんでもない情報を教えてくれたらしかった。三島氏の剣幕に周囲の客が驚いて、ざわめきながら様子を窺っている。視界の隅っこに、ウェイトレスがレストランの管理職らしい男性に助けを求めているのが見えた。

「三島さん、落ち着いて下さい。わたしの言うこと、少しは信じてくれる気になったんじゃないですか」

「おまえたちは詐欺師だ!」

 口角泡を飛ばすとはこういうことか。飛んで来た唾液をかぶらないように慌てて立ち上がると、三島氏はすごい形相でテーブルを回り込んできた。

(やばいかも……)

「警察に突き出してやる!」

 伸びてきた手をかいくぐって鞄を引っ掴み、出口へと駆け出した。

「うわっ、ひろさん、待って下さいっ!」

 背後で轟の叫びと共に、がちゃんと食器の落ちる音がした。ミュールが脱げないように気を遣いながらも、全力でエレベーターを目指す。三島氏が追って来ている様子はなかったけれど、轟と千歳が駆け込んできたところでCLOSEボタンを連打した。

「逃げるなら逃げるって一言、言って下さいよー」

 よほど焦ったのか、轟は壁にもたれ胸を押さえながら文句を言った。

「ごめんごめん。ごはん、食べれた? わたし、うな重がまだちょっと残ってたのにな」

 ふわふわ照り照りのうなぎを思い返す。うなぎだけでも先に食べておけば良かった。残念がっていると、千歳が疲れたような溜息をついた。

「ひろさん……たまには金と食い物から離れて下さい……」



 アコードでとにかくその場から離れながら、携帯をネットに繋いだ。記憶を頼りに絹さんがテーブルクロスに書きつけたアドレスへアクセスすると、千歳の言った通りそこはレンタル掲示板だった。

「交流掲示板みたいですけど、これって……ゲイ専用のbbsですね……」

 後部座席で、千歳も同じことをしていたらしい。書き込みの内容からどう見ても明らかなその掲示板の特徴からして、友紀がここを利用していたに違いない。謹慎中の友紀に代わって、絹さんがそれを伝えに来てくれたのか。こしあんだぞ、という無言のプレッシャーは気のせいじゃないだろう。

「うん。さすがにトモノリとかユキとかって、そのものずばりなハンドルネームはないみたいね」

 画面をスクロールして記事を追っていったが、友紀を思わせるような書き込みは見当たらない。延々とページをたぐっていると、やがて千歳がぼそりと呟いた。

「ひろさん……テルってヤツの書き込み、気付いてます?」

 何の関係があるのかと思いながらも、teruの記事を拾った。

『……自分のせいかと思うと、毎晩眠れない。この結婚は間違っていたのか。これは遺伝なのか。自分の言動がいつの間にか影響を与えて、そうしてしまったのか』

『遺書はなかった。だからといって、あれが事故で、自殺じゃないとは断言できない。死による抗議だったということも考えられる』

『二月ごろ、息子は家のPCから偶然ここに辿りついて、わたしの書き込みに気付いたらしい。履歴は消していたのに、こんな偶然で知られてしまうとは。死ぬ前日の晩も言い争いになった』

 読み進むうちに、三島氏が何故あれほどにわたしたちを否定しようとしたのか、わかった気がしてきた。財布から三島氏の名刺を取り出すと、そこにはくっきりと輝夫と印刷されていた。

「つまりteruは三島さんで、三島さんもゲイで、友紀の死に責任を感じてるってこと……?」

「みたいですね……あ、あのオヤジ、teruの記事を削除し始めたみたいですよ」

 三島氏は証拠隠滅を図っているようだ。teruの記事がどんどん消えていったが、その前に過去ログはあらかた読み終えていた。

「わたしが本当に友紀に会うことが出来て、そのせいでゲイであることや友紀の死に関わっていることが昭子さんにバレてしまったら……」

 携帯を畳みながら言うと、後部座席から乗り出してきていた千歳が頷いた。

「専務がゲイであることを、会社にバラすと脅されたりしたら」

「……そっか、脅迫できるのか……」

 立派な邸宅を思い返しながら呟くと、運転していた轟が怯えた眼を向けてきた。

「しないってば! 前を見てて!」

 一瞬札束の幻を見てしまったとは、到底言えそうにない。



「ひろさん、禁煙したんじゃ……」

 寄ってもらったコンビニのレジに置いた品物を見て、たしなめようとした轟を睨み付けた。

「しかも昼間っからワンカップ大関ですか? アマレットから宗旨替え? 酒の趣味まで男っぽく、というか既にオヤジの域に達してますけど」

 睨んでも千歳には効かなくなってきたので、ミュールのピンヒールで踏んでやった。

「二人とも大学に戻ってていいよ。わたし、行くとこあるから」

「どこですか?」

 わたしの指が示しているのが向かいのパチンコ屋であることが信じられないようで、轟と千歳は視線を何往復もさせながら確認している。

「そもそもねー、あの時に謝礼をもらっちゃったのが間違いなんだと思うの。三万、三島さんに返してもう一度信じてもらえるように話しに行く」

 それとワンカップとどう関係があるんですか、と純粋に不思議そうな顔をする轟に本当のことを言うべきか、一瞬迷う。

「……賭け事やお金に執着する人って、なかなか成仏できないもんなの」

 瞬きをした後、二人は不穏な雲行きを察したのだろう、一歩後ろに下がった。

「大体そういう人って、お酒やたばこもだーい好きだったりすんの」

 さっきまで威勢良かった千歳が逃げたくて仕方ないようにそわそわしだすのを見るのは、なかなか楽しい。

「そういう人に、お酒と引き換えにちょっと知恵を借りたり、体を貸したりして儲けさせてもらうわけ」

「やめて下さいっ!」

 異口同音に叫ばれた。やっぱり黙っておけばよかったか。

「取り憑かれるのって、めちゃめちゃ疲れるんですよ!」

 前見習いの時に、轟は憑依されてカーチェイスをさせられている。

「もっとまともな方法で金を稼ごうとか思わないんですかっ!」

 こういう時、轟にはいつも心配されて、千歳にはいつも怒られている気がする。ひょっとして、母親と父親のつもりでいるんじゃなかろうか。

「体って言っても腕だけ。さっきも絹さんに借りられたけど、全然平気だしー。じゃ、あとでノート見せてね」

 怖いくせに、どうして轟も千歳もついてくるのかいまいち分からないのだが、結局二人はついてきた。

 案の定、店内には霊のくせしてパチンコに興じる駄目オヤジがいて、ワンカップとたばこを投資すると面白がって数千円を一桁増やして返してくれた。

 隣に座っていた轟はすっかりスッたらしい。意気消沈しているのが可哀想で、文鎮を一個おすそわけする。景品交換所で現ナマに換えて駐車場に戻ると、パチンコ屋のたばこ臭さを嫌って残っていた千歳が長い溜息で出迎えた。

「なんか、俺……地道にバイトしてんのが虚しくなりました。ひろさんってば昨日から、時給が三万とか五万とか……」

 確かに、当たりクジを教えてもらったりして楽してる身としては、今更普通のバイトなんてする気にはなれないけど。

「千歳は半分趣味だからいいじゃん。わたしはね、好きでやってんじゃないの! 友紀をさっさと追い返したいだけ!」

「でも、ヘンな味のもの食べて、友紀を助けてあげてって言いましたよね」

 轟ににっこりされると、何も言い返せないのはどうしてだろう。口ごもっているのをごまかそうと、慌てて携帯を引っ張り出す。

「三島さんなら、話ついてますよ」

 意味がわからなかった。にまっと笑った千歳が見せた携帯の画面には、例のゲイ交流掲示板が表示されている。

『hiroからteru様へ。頂いたものはお返しします。もう一度お話しする機会を頂けないでしょうか』

 待っている間に、千歳はわたしの名前を借りてそんな書き込みをしていたらしい。その下には、teruのレスがぶらさがっていた。teruは三島氏だとわたしたちが見抜いたこと、過去記事の削除が間に合わなかったことに気付いて腹をくくったか。

『話すことなどない。もう関わらないでもらいたい』

 さらにhiro、すなわち千歳の書き込みが続く。

『もしteru様から何かを得ようとしているとしているなら、人を雇って調べたりハックしたりしたのなら、のこのこ顔なんか見せずにとっくにそうしてます。信じてもらえないでしょうか。知りたいと思ったことはないんですか。奥さん以上に、teru様は一人で苦しんでいるはずです』

 対する短いレスは、つい十分ほど前だった。

『連絡を待つ』

「わー、千歳やるじゃん!」

 えっへんと胸を張る千歳の頭をぐりぐりと撫でてやった。

「短気なひろさんは前回も今回も話し合いをパーにしてますからね、警察沙汰にでもなったら俺が困……いてっ」

 撫でていた手でそのままはたいた。



「……あまりに馬鹿馬鹿しい話だが、息子なら確かにそんな馬鹿馬鹿しい真似をするかもしれない」

 やはり高島屋特別食堂にはもう顔を出せないだろう。少し離れた喫茶店で一杯で八百円もするコーヒーをご馳走になりながら友紀との会話を詳細に話すと、三島氏の指先は眉間を揉んで苦悶を示していた。見習いの話は面倒なので、友紀が成仏できずに霊視が出来るわたしにすがりついてきたことにしておく。

「しかし、酒を飲んだのを反省して出て来ないだなんて話は信じがたい」

 ……さすが専務氏、さすが父、鋭い。わたしはさりげなくその話題は流してしまうことにした。

「三島さんは霊魂の存在など信じないと言って、わたしを否定しましたね。自分の理解の外にある存在に対する偏見には、あなたたちこそが苦しんできたんじゃないんですか。わたしを否定するのは、やめて頂けないでしょうか」

 ゲイであることを自覚しながらそれを隠し、昭子さんという奥さんを持つ人だ。偏見を恐れている三島氏に対して、効かないわけがないと確信していた。

「こうしませんか。わたしは友紀に、死の原因が事故だったのかそうでなかったのかを聞きます。それを、三島さんも信じるような形で証明します。だから、昭子さんに友紀の遺骨をきちんと納めて成仏を願うよう、説得してもらえませんか」

 顔とテーブルの上の三枚の一万円札を交互に見比べられて、面接でも受けているような気分になる。長い沈黙に耐えられなくなって口を開こうとすると、低い声で遮られた。

「……そんなことを、君はどうしてやろうとするのかね。何の得にもならんことを」

 わたしが聞きたい。

「この男友達二人は、ストレートなんで」

 友紀に年下は好きかと聞かれたことを知って緊張していた轟と千歳は、三島氏に目を向けられてカクカクと頷いた。

「それに三島さんだって……誰かが自分を慕って真剣な相談をしてきたら、たとえそれが仕事や実生活と無関係だとしても、どうにかしてやろうと思うんじゃないですか」

 うんともすんとも言わなくても、否定しないだけ希望があると思おう。

「顔も知らない誰かさえ、ネットを通じてteruを励ましたり慰めたりしてたんですよ」

 teruの苦悩の滲む書き込みに付けられた数々の優しいレスを思い返しながら言うと、三島氏は観念したように目を閉じた。


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