牛養
西の彼方に、広大な大地を支配する大国が存在するらしい。そんな噂程度の話を真に受けたのだった。親は親なら子も子である。西方の大国の話を聞かされ続けた牛養はこの話を本気で受け止めた。この純粋さは、彼がまだ七歳になったばかりであったが故に違いない。この頃から「いずれ、西方の大国へ向かい、立身出世する」というのが牛養の口癖になったという。
牛養の家系は代々奴婢、いわゆる奴隷であり、牛養は5歳の頃に主人に買われて農作業に従事させられていた。この身分故に野心を抱く彼に向けられた目は心臓を突き刺す槍のように鋭く冷たいものであった。
ある日、牛養はいつも通り、早朝から仕事に就いた。彼の働きぶりは異常であり、その点は他の奴婢からも尊敬され、敬愛されていたのだ。仕事が終わり、仲間と談笑していた最中、主人が牛養の野心についても話を盗み聞きした。その後、鬼の形相になった主人は彼を縛り付け、締め上げた。それは牛養にとって何の変わり映えもない、ただの日常そのものであった。
この日常に彼は絶望していた反面、西方の大国という存在があったからか定かではないが、彼の目には希望とも呼ぶべき力が籠っていた。やはり、人間の精神は死との関係において規定される。死が身近に迫っていない状況では死にたくなり、死が身近に感じられる状況では何としても死ぬまいという気を持つのは、平安時代から変わらぬ人間の性であったに違いない。そもそも国境を越えるなど許されるはずもないこの時代に、その先の世界を見ようとする牛養には覚悟があったのだ。




