203Y年3月10日 台北
203Y年3月10日
中華民国/台湾 台北市中正区 総統府
封鎖網が突破され、救援物資が届き始めた喜びも束の間、台北の心臓部には再び、凍りつくような緊張が走っていた。国家安全局局長、蔡隆元は、最新の偵察データを携え、林総統代理の執務室へと足を踏み入れた。
「総統代理、火急の報告があります。北京は屈服どころか、より狂気じみた再攻勢の準備を整えつつあります」
蔡はホログラムモニターを展開した。そこには、金門島・馬祖列島からの精密砲撃で破壊されたはずの福建省沿岸インフラが、昼夜を問わぬ突貫工事で急速に復旧していく様子が映し出されていた。
「偵察衛星によれば、無傷だった北海艦隊の主力艦艇が青島を出港、南下を開始しました。さらに、内陸部のロケット軍基地では、極超音速ミサイル『東風17』の展開が、これまでにない規模で確認されています。周主席の声明通り、彼らは本気で、核を背景にした再侵攻のトリガーを引くつもりです」
林総統代理は、深く椅子に体を預け、こめかみを押さえた。
「……物資が届いても、この島が核の灰になってしまっては意味がありません。蔡局長、何か打開策はありますか。通常の軍事手段を超えた、決定的な一手が」
蔡局長は一瞬、周囲の護衛を下がらせ、林の耳元へ近づくように声を落とした。
「……総統代理。わが局と米国機関の間で共同研究され、いつでも発動できるよう計画が練られてきた極秘のオペレーションがあります……作戦名『スコーピオン・テイル』、敵最高指導者の抹殺です」
蔡の説明が進む。林の眉がピクピクと動いた。それは、一国の指導者が口にするにはあまりにも危険で、しかし、今の状況下では唯一の「生存戦略」に見えた。
「そんな大逸れたことが研究されていた……? 」
「本格的なスタートは二〇二〇年代中盤、賴清德政権下です。周華平の個人独裁が強まり続け、台湾侵攻リスクが現実のものと受け取られ始めた頃でした。保秘は徹底されています。関わっている現場要員も多くはその全容を知らず、自分が携わっているのは全く日常的な情報収集作戦だと考えているはずです。台湾で全てを知っているのは歴代の総統とNSB長官、次長、それに主任担当官のみ。アメリカ側では……ポーカー大統領にはおそらくまだ知らされていない」
「本当に可能だというのですか」
「今の中国軍部には、周主席の核恫喝によって、自らも道連れにされることを恐れる現実派が確実に存在します。彼らに『最後の決断』をさせるための火種を撒くのです。失敗すれば我々も無事では済みませんが……このまま核の冬を待つよりは、賭ける価値があるはずです」
沈黙が流れる。林総統代理は、郭総統が眠る病室の方角を見つめ、やがて鋭い眼差しで蔡を見返した。
「……やりなさい。責任は、全て私が取ります。ただし、人類の運命を左右する重大事ですから、盟友たちとも手を組まねば」
「承知いたしました。直ちに、連合国側へ連絡を」
林総統代理の承認を受け、総統府の地下深くに位置する、外部からの電磁波や盗聴を完全に遮断した機密情報隔離施設で、歴史上最も「黒い」首脳会談が開催された。
モニターに映し出されたのは、日米英豪の首脳、そして各国の対外情報機関トップの五組だけである。日本の高城総理と、「対外情報庁」の北町長官。アメリカのポーカー大統領とハリス国家情報長官。英国首相と英国秘密情報部MI6長官。そして豪州首相と豪州秘密情報部ASIS長官。通訳さえも同席させず、高城と林の英語力に頼り、文書記録も残されないという、通常なら絶対にありえない方式だった。
「……以上の通りです。我々は、周華平の首に、蠍の尾を突き立てる決意をしました」
蔡局長によるブリーフィングが終わり、画面の向こう側の指導者たちは、しばし言葉を失った。
「ハッ! 暗殺未遂の報復に、本物の斬首をやり返そうってわけか」
ポーカー大統領が、不敵な笑みを浮かべて机を叩いた。
「いいぜ、林さん。核のボタンを抱えて心中しようっていう狂人を相手にするなら、これくらいエグい作戦が必要だ。我々のインテリジェンスコミュニティの全資産を、君たちの計画に貸し出そう」
「わが国としても、異存はありません。民主主義を守るための『影の戦い』は、英国の歴史的な得意分野です」
英国首相が、冷徹な口調で同意した。豪州首相も、静かに頷く。最後に、高城総理が真っ直ぐに林を見つめた。
「……これはもはや、通常の戦争の範疇を逸脱しています。しかし、わが国も、周主席の核の脅威を放置することはできません。わが国の情報庁に対し、全面的に台湾との連携を命じます」
「感謝します。……今日この日、我々は一つの歴史的な禁忌を犯します。しかし、それは明日という日を生きる、数億の命を救うための決断です」
林総統代理が続けた。
「つきましてはひとつ、是非とも大統領ご自身にお願いしたいことが……」
表舞台では日米連合艦隊が海を割り、空ではステルス機が睨み合う中、水面下では独裁者の命脈を断ち切るための、目に見えない「毒」の精製が始まった。




