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T-DAY:台湾戦争  作者: 中央国家安全委員会主席
第1章 融解

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203Y年1月 台北

中華民国/台湾 台北市士林(シーリン)区 国家安全局

台湾の箱根とも称される温泉街や、台湾唯一の活火山地帯を有する陽明山。その麓、深い緑に囲まれた広大な敷地に位置する中華民国国家安全局の庁舎は、冷たい冬の雨に打たれていた。 重厚な門扉をくぐり、幾重もの厳格な検問を抜けた先にある指揮統制センターの空気は、物理的な空調設定を無視して、凍りつくような緊張感に支配されている。

国家安全局、蔡隆元(ツァイ・ロンユェン)局長は、巨大な壁面モニターに映し出された台湾全土の地図を、苦虫を噛み潰したような表情で見つめていた。地図上には、この一カ月間に報告された「異常事態」を示す赤いアイコンが、まるで皮膚に広がった不吉な湿疹のように群生している。


「……局長、最新の集計です。警政署および海巡署からの報告によれば、一月に入ってから確認された不審な漂着物および潜入の痕跡は、全土で八十四件に達しました」


分析官の声は、感情を押し殺しているがゆえに、かえって事態の深刻さを際立たせていた。


「内訳は新北、桃園(シンベイ、タオユエン)台中、台南(タイツォン タイナン)そして高雄。海峡に面した西海岸のほぼ全域にわたります。発見されたのは、無記名の黒い特殊ゴムボートや、民生品を改造したと思われる大容量の水中スクーター、そして岩陰に遺棄された閉鎖回路式の潜水具。さらには砂浜に刻まれた、明らかに軍用のタクティカルブーツと思われる足跡です。これらは全て、中共軍の特殊作戦部隊(S O F)による水路潜入の痕跡と推定されます」


蔡局長は、手元のタブレットで各地から送られてきた写真を確認した。そこには闇に紛れて上陸を果たした「招かれざる客」たちの残骸が無機質に並んでいる。それは、防衛線の隙間を縫って、致死的な毒が血管内へ注入されたことを意味していた。


「……それだけではないだろう。重要施設周辺の動静はどうなっている」


蔡の問いに応じ、別のモニターが切り替わった。


「さらに深刻なのは、防衛拠点周辺での活動です。新竹、松山、花蓮(ホアリエン)の各空軍基地や左営、澎湖・馬公(ペンフー マーコン)の海軍基地、さらには龍潭(ロンタン)の陸軍司令部付近で、正体不明の小型ドローンによる偵察飛行が計四十八件。外周付近での不審者目撃通報は二十七件。台北松山空港や桃園国際空港では、信号のスプーフィング(なりすまし:偽の信号を送る攻撃)によるGPS妨害も観測され、運航停止や遅延が相次いでいます。また山間部では、高度に暗号化された無許可の無線通信が断続的に発信されています。電波源は頻繁に位置を変えており、モバイル式の送信機を使用している模様です」


局内を覆う沈黙は、もはや絶望に近い重さを持っていた。蔡は、一月中に潜入した工作員や、あるいは人民解放軍の特殊部隊員の規模が、少なくとも数百名単位にのぼると確信した。彼らは今、一般市民を装い、あるいは深い山林に潜み、台北の喉元にナイフを突きつけた状態で、北京からの「最後の一撃」の合図を待っているのだ。


台北市

宣戦布告なき侵食は、最早一般市民に隠し通せる閾値を超えつつあった。 昼休みの定食屋。テレビから流れるニュース番組のトーンは、数日前から明らかに変化していた。


「――米国の民間商用衛星企業が公開した最新の画像によれば、福建省の平潭(ピンタン)島および厦門周辺の軍事施設において、大規模な車両群と舟艇の集結が確認されました。またSNS上では、浙江省から南下する高速鉄道に多数の装甲車両が積載されている様子を捉えた動画が、検閲を掻い潜って拡散され続けています」


画面には、鮮明な衛星写真が映し出された。普段は穏やかな港湾施設が、モスグリーンの車両と無数のコンテナによって埋め尽くされている。それは、軍事に疎い一般市民の目にも、一目で「異常」とわかる規模の集積だった。


「これ、本物なのかね……。ネットでは『ただの演習だ』って言う人もいるけど、流石に多すぎないか?」


カウンターで牛肉麺を啜っていたサラリーマンが、不安げに隣の同僚に耳打ちした。


「さあな。でも、昨日の停電だってサイバー攻撃だったって噂だし、株価も昨日からストップ安だろ。何かが起きようとしているのは、馬鹿でもわかる。……予備役の招集通知が来たっていう奴も、社内に出始めたよ」


市井の人々が抱く「融解」の感覚は、もはや漠然とした不安ではなく、具体的な生存への危機感へと変質していた。


台北市中正区 総統府

しかし、台北の中枢では、いまだに政治という名の機能不全が続いていた。 国家安全会議の場では、郭文耀総統を囲む閣僚たちの間で、激しい怒号が飛び交っていた。


「総統! 現場の証拠は揃っています。工作員の潜入、兵站の集結。これはもはや演習の域を完全に超えている。直ちに軍の全現役部隊、予備役まで含めた動員令を発令し、全土に戒厳令を布告すべきです!」


厳大維国防部長が、机を叩いて訴えた。


「馬鹿なことを言うな! 今このタイミングで動員などかければ、それこそ大陸側に開戦の口実を与えることになる」


謝承宗経済部長が、顔を赤くして反論する。


「まずは北京との外交ルートを回復させ、この軍事的な緊張を緩和させるのが先決だ。不確かな情報で国民をパニックに陥れ、春節の商機を台無しにするつもりか。我々の背後には、平和を望む数百万のビジネスマンがいることを忘れるな! 戒厳令などあり得ん、経済が完全に死ぬぞ」


閣内は、国防を優先する「主戦派」と、経済と対話を優先する「和平派」に真っ二つに割れ、決定的な合意に至る気配はなかった。親中派の閣僚たちは頑なに動員を拒み続けている。

郭総統は、自らの政権が内側から崩壊していく音を聞く思いだった。結局、この日の会議でも総動員体制の構築は見送られた。


「……厳部長、陸局長。正式な動員令は出せない」


郭は力なく首を振った。


「だが、国民を守る責任は我々にある。既存の予算と権限の範囲内で、臨時軍事演習の名目で、非公式に、しかし最大限準備を進めてくれ。弾薬や医療品の分配、そしてミサイル発射機や航空機の分散と地下隠蔽。……これらを『日常の活動』として遂行するんだ」


迫り来る巨大な津波に対し、砂の城を必死に補強しようとするような、痛々しいまでの妥協案だった。

台北の夜。街の灯りは依然として明るいが、その光はどこか虚ろで、冷たい。 台湾海峡の向こう側では、巨大な戦争機械が、すでに最終的なカウントダウンのフェーズへと移行していた。

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