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大正おぼろ譚  作者: 縞白
9/9

終幕





 橋の向こうに古馴染みの顔を見かけた。

 やあ、と手をあげると、気まずそうな様子でふいと横を向く。



 ―――――― もし、ぼくがお前を連れてゆきたいと言ったら、人であることを()ててくれるか。



 彼がそう言って、けれど答えを待つことなく姿を消してしまったあの夜から、もう一年ほど過ぎただろうか。


 私にとって一年とは、たまたま見かけた彼に、いつもと同じ口調で声をかけられるようになるくらい、長い時間であった。

 しかし、幾年経とうと姿の変わらぬ彼にとっては、違ったらしい。


 私と視線を合わせぬよう横を向いたまま、かといって立ち去りもしない彼を、その場でしばらく待ってみる。


 彼が(きびす)を返してしまうようであれば、追いはしない。

 気乗りしないのを強要するのは自分の性格に合わないし、たまにふらりと現れる彼を待つことくらい、慣れたものである。

 なにしろ彼とは、古馴染みなのだから。


 そんなことを思いながら彼を眺めていると、なぜか、ふ、と小さく息をついて、その顔がこちらを向いた。

 不機嫌で気難しげな表情であるが、それなりに長い付き合いがあるせいか、私にはすねた子どものようにも見える。


 彼は睨むようにこちらを見すえ、珍しく荒っぽい歩調で橋を渡ってきた。

 そして、おや、思ったより早かったなぁ、と見守っていた私の鼻先まで来ると、唐突に叱りつけた。


 お前というやつは、どうしてそう情緒が足らんのだ。


 言われた私はといえば、当然ながら訳が分からない。

 はてな、と首を傾げると、どうもそれが火に油をそそぐことになったようである。

 彼はますます(まなじり)をつり上げて、察しが悪いだの、危機感が薄いだの、お人好しが過ぎるだの、怒っているのだか心配しているのだか、よく分からない言葉を並べ立ててきた。


 とくに思い当たることはないのだが、それなりに長い付き合いである彼が言うのであれば、まあ、そういうところもあるのであろう。

 べつだん否定はしないが、そこそこ人の行き交う往来でのことである。

 私は彼をまぁまぁとなだめ、こんな場所ではなんだから、家へ行こうじゃないかと声をかけてさっさと先に歩き出す。

 すると彼もそれにつられたように一緒に歩きはじめたので、私はついでに話を変えた。


 君が来たら教えてもらおうと思って、しまい込んである物があるんだ。

 商売であちこち飛び回っている叔父からの土産物なんだが、大陸の方の癖の強い酒でね。

 瓶には異国語しか書いていないから、どうも飲み方がよく分からない。


 いい飲み方を知っているなら教えて欲しいし、知らぬというのであれば、それはそれで構わないので片付けるのを手伝ってくれ、と言えば、酒好きな彼は満更(まんざら)でもないようで、そこまで頼りにされるのであれば、しかたあるまいな、と先よりやや表情をゆるめた。


 和解とまではいかぬまでも、一時休戦、というあたりまでは来られたようである。

 酒の力というのは、かくも偉大であるものよなぁ、と声には出さずしみじみと感嘆し、道中で肴になりそうなものを買い込んで家へ帰った。


 私は前に彼が来たときと変わらず、管理を頼まれた親戚の家に住んでいる。

 最初に比べればいくらか片付いた居間へ通すと、さっそく異国の酒瓶を探し出してきて、彼の目前にでんと置く。


 ああ、これか、と彼はどこか懐かしげに目を細めた。

 知っているのなら、どうやって飲むのか教えてはくれまいか、と私が繰り返し頼むと、こいつは飲むんじゃない、舐めるんだ、という答えが返ってくる。

 甘い匂いにそそのかされて、ぐいとあおれば痛い思いをすることになる、という。


 なるほど、確かに痛い思いをすることになった、と実感を込めて私が頷くと、もうやったのか、と遠慮なく大笑いされた。

 それでようやく、緊張の糸がほどかれて、いつも通りの空気が戻る。

 何がそれほどおかしかったのか、涙が出るほど呵々大笑(かかたいしょう)した彼は、しばらくすると、飲み方のこつを教えてくれた。


 こいつは、そうさな、湯割りにして舐めるように飲むのが、慣れない者には良かろうよ。


 それで私は薬缶(やかん)に湯を沸かし、ついでに彼が来たらもう一度見せようと思っていた紙束を手に、居間へ戻った。

 すると案の定、私の手に見覚えのある紙束を見つけた彼は表情をかたくしたが、そう()くつもりはない。

 そちらは脇へ放っておき、まずは沸かした湯で異国の酒を割った。

 男の一人住まいに洒落た食器の用意などあるわけもなく、茶碗に注いだ酒を口元へと運ぶ。


 なにしろ一度、痛い思いをした酒である。

 少しばかり警戒していたのだが、湯割りにしたそれは驚くほどまろやかで、湯気とともにたちのぼるこころよい香りにも、ゆるく気分がほぐれていく。


 向かいで同じく茶碗に注いだ酒を飲む彼も、似たような具合であるらしい。

 そのまま二人で酒を楽しみ、肴に買ったものをつまんだ。


 そうしてしばらく経った頃、ほどよく酔いのまわったあたりで、そういえばな、と切り出した。

 脇に放っておいた紙束を机にのせて、言う。


 君の話を聞いて、こいつをもう一度、自分なりに読み直して考えてみたんだが。

 どうもな、私が彼らを引きとめなかったのは、君が言うような事とは違うんじゃないかと、こう思ったんだ。


 酒の入った茶碗を片手に、どういう意味だ、と問うてくる彼に、私は言葉を続ける。


 誰がどこに居るのが“正しい”かより、彼らが何を選んだのか、の方が大事だろう。

 という、ただ、それだけのことなんだがね。

 ほら、私が書いた話は、皆、自分で選んで行ってしまった人たちのことだったろう。

 だから見送るこちらの方も、引きとめるだの何だのという話には、ならなかったんだ。


 彼は、ふうん、と気のない返事をひとつ。

 何と言えばよいのか、言葉をつかみあぐねているかのように、ぼんやりとして。

 手にした茶碗の酒を眺めおろしたまま、顔をうつむかせていた。


 だからだろうか。

 こちらもどこか気が抜けて、何の気なしにふと、言葉が口をついた。



 君、このままうちで暮らさないか。



 何を言われているのだか分からない、という顔が私の方に向けられる。

 彼にしてはずいぶんと間の抜けたその表情に、思わず笑いそうになるのをこらえて、もう一度言うことにする。


 うちで一緒に暮らさないか、と言ったんだ。

 家の中がだいぶ片付いたから、住むものが君一人くらい増えてもかまうまい。

 いくつか空にした部屋もあるし、日当たりの良い所でもいっとう広い所でも、今なら好きなように選べるぞ。


 ここまで言葉を並べてもまだぽかんとしているので、ついでにこれも付け加えておくことにしようか。


 じつはな、最近になって庭の奥のちいさな蔵に、地下室があることが分かったんだ。

 それでこれがまた厄介なことに、広いうえに箱やら袋やらが山積みで、一人で片付けていては何年かかるか知れんときた。

 家賃の代わりにこれの片付けを手伝ってくれたら、助かるんだがなぁ。


 にこにこと言うのに、お前、じつはそれをやらせるのが目当てだろう、とため息まじりでようやく彼が答えた。

 それでもまだ、どんな顔をしたらいいのか分からないような、半笑いにゆがんだ口元と、戸惑いをふくんだ目をしている。


 この顔だなぁ、と私は思った。

 喧嘩別れのようになった前の時も、このように、彼が迷子めいた顔をしたから、思いついた提案であった。


 君がいつから生きているのか、何であるのかも知らない私がこんなことを言うのものなんだが、と前置いて言う。


 もし、向こう側をさすらうのに疲れたなら、こちら側でしばらく養生するのもいいんじゃないか、と。

 どこかへ行き続けることにくたびれた時は、どこへも行かないことを選んでも、いいじゃないか、と。





 長い沈黙の後、彼は、うん、と頷いた。







 何の因果か、幾度(いくたび)も向こう側へ行く人を見送った私の、これが終幕である。

 けれどまた、ここからは別の話が始まるのだろう。


 まずは同居人となった彼が、名が欲しい、というので、それを考えることが一番目になりそうだが。

 祭りの日に会ったから、(さい)はどうかと言ったら、安直すぎると叱られた。


 どうにも一番目からして、長い話になりそうである。





2017年11月11日、完結。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

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