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37.ゆうれい

 ゆらゆらと揺れる影に、その場にいた多紀は驚いて、手に持っていた鍋を落としてしまった。

「うわ、多紀ねーちゃん、どうしたの!」

 家中に響き渡る大きな音に、隣の部屋にいた少年が飛びこんでくる。

 勇ましく長い棒を構えているが、どこかへっぴり腰だ。

「ごめんごめん。ちょっと驚いちゃって。びっくりしたよね」

 困ったように笑いながら、多紀は床に転がった芋とそれを入れていた鍋を拾い上げた。

 重たい鍋はへこみひとつないが、床はびしょびしょだ。幸いだったのは、まだ鍋の中には芋と水しか入っていなかったことか。

「す、すまない。驚かせるつもりはなかったのだ。……急に現れて悪かった」

 そう言ったのは、部屋の片隅で青白い顔でおろおろする男。

 貴族が着るような上等な布で作られた服を着ているが、その目は赤く爪は鋭い。開いた唇から覗くもは尖っており、どこかまがまがしい。

 だが。

「……多紀ねーちゃん。この人、なんか泣きそうなんだけど」

 相手が魔物だと気がついた正樹は、いつのまにか多紀の側にやってきてその服を握りしめている。彼自身魔物に会うのは初めてなのだ。

 魔女の店には魔物もやってくるとは聞いているが、彼らは多紀と雫がいる時以外は訪れない。極力人に会わないようにしているのだと、前に雫に教えられた。

 そんな魔物に会ったのも驚きだが、本来恐いはずの存在は、今多紀を前にしてうろたえまくっているうえに、頬に涙の後があった。

「えーと。昼間に来るのは珍しいですね。聞くのもなんだかばからしいですが、また何かあったんでしょうか」

 本来、彼が魔女の店にやってくるのは、満月の夜だけだ。それも買い物ではなく、酒盛りをするために。

 大抵、最近付き合っている『恋人』の愚痴を聞かされたり、『恋人』とどう接すればいいかの悩みを打ち明けられたりするのだが、今回もそれがらみなのだろう。

「あ、う、まさにそのとおりなのだが……」

 彼はちらりと多紀に隠れるようにしてこちらを見ている少年を見た。

「この子は、村の子供です。……聞かれたらまずい話なら、彼の用事が済むまで待ってもらえますか?」

「この子の用事とは?」

「薬を取りにきたんです。最近雫さんが忙しくて、なかなか本来の仕事が出来なかったから、今日はまとめて薬作りをしていて。急ぎの分だけ、取りに来て貰ったんですよ」

「構わない。そっちの方が私の用事よりも重要だろう。待つ間に、この部屋掃除もしておこう。私のせいで汚してしまったからな」

「魔物のにーちゃん。掃除出来るの?」

 顔を覗かせて、正樹が興味津々という風に話し掛ける。

 寝物語に親が聞かせる魔物は掃除なんてしなかった。いつもふんぞり返ってえらそうにしていて、そういうのは手下がするのだ。

「できるぞ。自分が住むところの掃除くらい、誰でも普通するだろう?」

 不思議そうにそう首を傾げられ、正樹は目をまんまるにした。

「それに、あまりにも屋敷でぐーたらしていると、怒られるのだ。……恋人に」

 それを聞いて、正樹がうんうん、と何故か納得したように頷いた。

「うちのとーちゃんと同じかあ。俺のかーちゃんも、とーちゃんがごろごろしてたら怒る。すげーおっかなくって、嫌なんだ」

「わかるぞ。なんであんなに怒るのか理解に苦しむ」

 いつのまにか、正樹は多紀の背中から出て、長身の魔物を見上げていた。

 そんな正樹を、彼もまた面白そうに見下ろす。

「人間なのに、我を怖がらないとは、なかなか度胸があるな」

「かーちゃんに比べたら、全然恐くないよ」

 そう言って、二人はにんまりと笑った。その笑顔があまりにもそっくりだったので、側で見ていた多紀が吹き出す。

「それなら、二人で掃除してもらおうかな。といっても、床を拭いて、濡れてしまった敷物を干すだけですけれど。その間に、私はこの芋を煮てしまうから」

 仲良く返ってきた返事に再び笑みを浮かべ、掃除道具一式がある場所を教えると、多紀はその場を後にした。



「で、なんだってこんな昼間に店にやってきたわけだい? しかも、いつのまに正樹と仲良くなったんだか」

 眠そうに目を細めながら、甘く煮た芋を口に含み、雫が目の前に並んで座る魔物と少年を眺めた。

「いや、それが、いろいろあって……」

 急に男がしょんぼりと肩を落とす。その背中を頑張れというふうに叩くと、正樹が代わりに答えた。

「屋敷が大変なんだって」

「屋敷? 今、住んでいるところですか?」

 魔物の屋敷がどこにあるのかは知らないが、多紀が男の話を聞いた限り、それなりに大きいのだろうと思っている。

「違う。最近、魔王が現れたという話だからな。魔物たちのほとんどは、魔王に見つからないように、隠れているのだ。だから、私も今の屋敷から引っ越ししたのだが」

 そこで、さらに彼は落ち込んだ顔をした。

 それでなくとも青白い肌が、さらに青くなっている。

 深刻な顔故に、雫も多紀も、また恋人と何かあったのかと思ったのだが。

「ゆうれいが出るんだって! すごいだろう、魔女のねーちゃん!」

 とても嬉しそうな顔で、瞳をきらきらと輝かせて正樹が叫んだものだから、多紀は目を丸くし、雫は盛大に噴き出した。

 ただ一人、彼だけが今にも倒れそうな様子で『恐ろしいことだ』と呟いたのだった。



 元々、その小さな隠れ家は、彼の知り合いが使っていたのだという。

 人も魔物も滅多に訪れない場所にあり、こじんまりとしているが、住み心地は良さそうな屋敷だった。

 近くには彼好みの、月がよく見える場所もあり、最初はいいところを譲ってもらったと思っていたのだが。

 ある日、気がついがのだ。

 自分と恋人以外の気配があると。

 消え入ってしまいそうな気配だったし、念のため屋敷内を調べてみても誰もいなかったので、偶然入り込んだ動物か何かかと思った。

 だが、どれだけ戸締まりをし気をつけても気配はなくならない。

 それどころか、周りには誰もいないはずなのに、こちらをじっと見ているような視線を感じることも起こり出したという。

 恋人である魔物は全然気にしないようだったが、彼は落ち着かなかった。

 そして、とうとう目撃したのだという。

「部屋の隅にうずくまる女の姿を」

 ぶるぶると震える魔物を見ながら、誰もが魔物なのに、幽霊が恐いのか、と思っただろう。

 それくらい彼は恐怖に震えているのだ。

「でも、何かをするってわけじゃないだろう? 見ているだけなら、あんたの方が魔力も存在感も強いんだから、無視することも追い出すことだって可能だろうし」

「恨みがましい目でみるのだ。その、私が、恋人と寝室で……」

 最後の方はごにょごにょと言葉を濁してしまったが、なんとなく意味がわかった多紀は一瞬赤くなり、雫は大笑いした。

 ただ一人意味がわからない正樹だけがきょとんとしている。

「あれは、まったく気にしていなくて、見せつけてやればいいじゃないとか言うんだか、私は見られるのは嫌だ」

 きっぱり、拳を握りしめて言う彼だが、内容が内容だけに、いたたまれない。

「新しい家を探すにしてもいい物件はないし、なによりも困るのは、あの幽霊と我の恋人が友達になってしまったことだ」

「あー、それはきつそう」

 多紀が苦笑している。

「なんでも、かつて人間の男に騙されて不幸な死に方をした女性らしい。ゆうれいになってふらふらしていたところ、前の持ち主である魔物が拾い、住まわせていたようだ。そのうち屋敷そのものと同化して、離れられなくなったということだが……。出来れば屋敷に住むのは女性がいいそうだ。前に住んでいたのは女性系の魔物だったから問題はなかったらしい。我のことが嫌いなわけではないが、男の姿を見るのが辛いので、出て行ってほしいと言われてしまった」

 そんなことは前の持ち主は教えてくれなかった。

 ただ面白い屋敷だよと言っていたが、それがこんなことだったとは。

「あれは気に入ったようだが、私としてはちくちくと感じる出て行ってほしいなあ、無理かなあ、といううっとうしいまでの視線が苦痛だ。それに我は幽霊の気配が好きではない」

「いいじゃないか、ゆうれいと一緒だなんて、俺は羨ましいよ」

「でも、嫌なんだ」

「だったら、このあたりに引っ越してくればいいじゃないか。森の中なら魔王だってこないよ」

 それは違うよと言いかけて、多紀も雫も顔を見合わせた。

 そういうことは、正直に言わない方がいい。それでなくとも、皆魔王には怯えているのだから。

 だから代わりに、雫は諭すように正樹に言う。

「森に住むのはちょっと困る。小さな獣が怯えるよ」

 ほんの一瞬の滞在ならば、獣は隠れて出てこないだけだ。だが、これが長期に滞在となると、話は別だ。森の気と魔物の気は合わない部分もあるから、貴重な植物が枯れてしまう可能性だってある。

 そもそも、幽霊を怖がる魔物など、聞くのも初めてだ。

「森の外なら、大丈夫なの?」

 大人たちは答えに困っていたが、小さな少年は違っていた。

 きらきらした瞳で、怖れることもなく皆に聞いてきたものだから、思わず雫は答えてしまった。

「森の外ならね」

 それが後日現実になるとは雫も多紀も思ってもみなかった。

 わかっていたならば、決して口にはしなかっただろう。



 魔物が魔女の森の近くに引っ越してきたのは、それからしばらく後のこと。

 多紀は呆れたが、雫は、魔獣がやってきてもあいつらがやっつけてくれるだろうと暢気に構えている。実際、森や村の外で魔獣に襲われる人は減った。

 いつのまにか、そこは魔女の店の次に子供達に大人気の場所となったが、それは今のところ大人たちには秘密だ。

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