30.ほどほど
「いいものが手に入ったよ!」
そう言って飛び込んできたのは、奈津だった。
いつもとは違う簡素な旅装で、腰に下げた剣がなければ、ごく普通の村娘に見える。ついでに、両腕に抱えた4本の瓶がなければ、もっとそれらしく見えただろう。
「こんばんは、奈津。いったいどうしたっていうの」
奈津がいきなりやってくるのはいつものことだが、どこか普段と雰囲気が違っているのが不思議だった。それに時間帯もいつもと違う。
すでに夕暮れ近い。
店の方も閉める準備をしていたところだ。
「今日は、買い物じゃないよ。この間、商隊の護衛を引き受けたんだけどね。そのお礼に、珍しい酒をもらったから、差し入れ」
以前、怪我をしてから、単独行動はさけ、何人かで組む仕事をしているらしいと聞いていた。元気になれば、また一人でふらふらしたいとは言っていたようだが。
「東方の大陸で作られる酒じゃないか」
いつのまにかやってきていた雫が、奈津の腕の中から抜き出した酒瓶を見て、表情を崩した。
「一緒に行った冒険者仲間は、あんまりお酒を飲まないっていうから、私が独り占めしちゃった」
何度か魔獣に襲われたり、盗賊にあったりしたが、積荷のほとんどを失うことなく目的地に着いたことに気をよくした雇い主が、報酬とは別にくれたとのことだった。
最初は奈津も遠慮したものの、めずらしいが、値段はそれほどではないということで、結局もらってしまったのだという。
東方では魔物の被害が増え、物の流通が滞っているということだから、近いうちに値段は上がるかもしれない嗜好品だ。せっかくだからと村まで持ってきてみんなで飲もうというのが彼女の思惑だったらしい。
「酒盛りしようよ、酒盛り!」
普段よりも陽気な声で言う奈津に、多紀が顔をしかめる。
「ちょっと、奈津。もう飲んでいるんじゃないの?」
近づいてみれば、どこか酒臭い匂いがするし、奈津はお酒が入ると陽気になることは、誰もが知っている。
「あー、さっき村の酒場で、ちょっとだけね。あっちにも、数本渡してきたから」
よく聞いてみれば、もらった酒は10本ばかりだという。そのうちの5本を酒場に、一本はそこにいたみんなと味見、残りを魔女の店に持ってきたということらしい。
結局、なし崩しに酒盛りになってしまった。
奈津が持ってきた酒は、こちらでは珍しい美しい赤色をしていて、独特の匂いがする。
飲み口もすっきりしていて、つい何度も杯を傾けてしまった。
「安物だっていっていたけれど、なかなか良い酒じゃないか」
「そうでしょう、雫さん。東方の酒って癖がある味が多いんだけど、これは飲みやすいから女性にもお勧めなんだって」
奈津はすでに真っ赤な顔になっている。元々、それほど酒には強くないのだが、飲みやすいせいか、いつもより早い勢いで飲んでいるのかもしれない。
「でも、最近、本当に東方での魔獣の被害は酷いからね。あっちの国では、やっぱり魔王が復活してるんじゃないかって、近々国を挙げて調査するみたいよ。周りの国にも協力を求めているみたいだし、冒険者にも依頼がきている」
そこまで深刻なことになっているのは、知らなかった。ただ、確かに異国の品が手に入りにくくなっていて、それが国境近くでの魔獣の襲撃と合わさり、不安が人々の間に広まっているのは感じている。
「やっぱり、本当のことなのかな」
多紀が、手元の酒の器を見つめながら、そう言った。数年前までは、珍しくはあったが、大きな街へ行けば普通に売っていたもの。だが、最近は見ることも少ない。
「どうだろうね。そういう噂は流れているが、まだ誰も魔王とやらを見ていない」
今の段階では、噂だけが一人歩きしている状態だ。被害といっても魔獣は街中に出てきているわけではない。
「でも、怪しいのは確かだよ。変な生き物も目撃されているしさ」
奈津は、以前依頼で捕獲するように頼まれた生き物のことを言っているのだろう。結局、あの獣はまだ誰にも捕らえられていないが、目撃情報は変わらずにある。年寄りや、信心深い者の中には、魔王復活の前兆だと騒ぎだしているものもいた。
「怪我が完全に直ったら、ちょっと東方まで足を伸ばしてみようとは思っているんだ」
「危ないよ」
本当に魔王が復活したというのなら、冒険者では太刀打ちなど出来ない。それに、魔王は魔物たちが恐れるほど桁外れの力を持っていると聞いた。
奈津の実力は知っているけれど、それでも彼女はあくまで“人間”なのだ。
「無茶はしないよ。でも、正確な情報は欲しいじゃない? もし本当のことだったら、やっぱり故郷は守りたいもの」
万が一、魔王復活などということになれば、国も動くだろう。
そうなれば、今のように自由に国同士行き来もしにくくなるかもしれない。軍人だけでなく、民間からも広く魔王討伐に人をさくようになれば、こんなふうにのんびりとは過ごせなくなるかもしれない。
多紀の脳裏に、今は遠くにいる男の顔が浮かぶ。
国同士、協力しあうのならば、軍人である男も、かり出される可能性は高い。
物思いに沈むように黙り込んでしまった多紀と、事情がわかっている雫が口を閉ざしたせいで、室内に沈黙が訪れた。
暗くなった雰囲気に、奈津が目をぱちくりさせる。
多紀と男のことを知らない彼女には、ここまで場が沈むとは思わなかったからだ。
「ああ、もう! こんな話は止めようよ。せっかくのお酒がまずくなっちゃう」
側にあったまだ空いてない酒瓶を握りしめると、奈津が大きな声を出した。
はじかれたように顔を上げた多紀は、そうだねと笑い、雫はその酒をよこしなと瓶を奈津から奪いとった。そのまま、自分の杯に酒をつぎ、ついでに残り二人の分も乱暴に酒を注ぎ込む。
「ありがとー、雫さん。ねえ、ちょっと、多紀。せっかくの酒の席なんだから、楽しい話とか、いい話はないの? あんたも年頃――はちょっと過ぎたか。そろそろ、結婚したりしないの?」
杯の中の酒をちびちびとすすりながら、奈津が尋ねる。
わずかに動揺したように視線をさまよわせた多紀を見て、雫がにやりと笑った。
「そういや奈津は知らないんだったか。多紀には今恋人がいるよ」
「ええ!? 聞いてない、聞いてないよ、多紀!」
ぐいと顔を近づけて、肩をつかむと、奈津は多紀の体をがくがくと揺さぶった。
「うわ、ちょっとやめて! 酔いが回るってば」
「幼なじみの中で、独身なのは私と多紀だけなんだから、抜け駆けは駄目だって言ったのに-」
「そんな約束したっけ?」
した覚えはない。確かに独り身でも頑張ろうねと話した気がするが、恋人を作らないとも結婚しないとも言ってはいない。
「してないけど、したようなものだもの。で、相手は誰? 私の知ってる人?」
「この店の常連客だよ。職業は軍人。無愛想だけど、悪い奴じゃなさそうだ」
雫がにやにやと笑いながら答える。
「雫さん、勝手に話さないでください」
「軍人? 多紀らしいといえばそうだけど」
軍人が、というよりも、奈津から見た多紀が好意を寄せる相手は、似たような傾向の人間が多い。前に話を聞いた、街で働いていた時つきあっていた相手も、初恋にお兄さんも、剣を扱う人だったはずだ。
「私は、もっとこう、おとなしくて静かで穏やかな人がいいな。学者とかね」
「奈津の好みも変わらないなあ。そういえば、この前聞いた男の人はどうだったの?」
少し前に、好きな相手がいると話していた。告白しようかどうしようかと、雫や多紀に相談していたのだ。
「それがねー、告白して、それなりにうまくいきそうだったんだけど、私は結構あちこち移動するじゃない? 冒険者仲間や護衛する商隊と野宿とかも、普通だし。連絡できない状態になるのもよくあるし。それに焼き餅やかれちゃって、大げんかのあげく別れた」
「奈津が気にしなさすぎだと思うけど」
自分だったら、焼き餅は焼かないが、心配するだろう。
いや、実際に、奈津に関しては、いつもはらはらしている。
「なんとなく、その元恋人の気持ちわかるな」
「ええ、どうして?」
「前にも言ったでしょう。一人で無茶するから、冒険者が亡くなったって話を聞くたびに、奈津じゃないかって心配するって」
「うー、それは-。……ごめんなさい」
自覚はあるらしい。しょぼんと肩を落として、わかってるんだけど、とため息をついた。
「つい、夢中になっちゃうんだよね。なんていうか、仕事しているときは、楽しくて楽しくて。これぞ冒険って依頼にあたっちゃうと、もう無我夢中っていうか、なんというか」
だからいつまでたっても独り身なのかも、とだんだんと奈津の声が小さくなっていく。
「まあ、大丈夫だよ。多紀だって、ちゃんと相手が見つかったんだ。気長に頑張れば、いつかなんとかなるさ」
「それ、雫さんに言われても、説得力ありません」
雫は、ここへ来たときからずっと独り身だ。過去のことは話さないので、結婚していたのか、恋人がいたのかはわからないが、今の彼女は、特定の相手を作る気はないように見える。
奈津が言った、普通に聞けばかなり失礼な言葉にも、おかしそうに笑うだけで、気にしているようには見えない。
「私はいいんだよ。一人の方が気楽だからね。それに恋の話なんて、他人のことを聞く方が面白いじゃないか」
挙げ句の果てに、そんなことを言って、意味ありげに多紀の方を見た。
「確かに。自分の話は照れくさいけど、人の話は聞きたいよね」
「奈津、なんでこっちを見て、そんなこと言うのよ」
「羨ましいなあ。よし、もう今日は潰れるまで飲み明かそう! 多紀の恋人とやらの話、とことんまで聞かせてもらうからね」
そういいながら、実際に一番に潰れたのは奈津である。
床で酒瓶を抱えながら、幸せそうに眠る奈津を見て、多紀と雫は、いつか彼女を大事にしてくれる相手が見つかればいいねと話ながら、結局朝まで酒盛りを続けたのだった。
酒はほどほどに。
次の日、酒臭い三人に、あきれたように言ったのは、いつまでも魔女の店から帰ってこない奈津の様子を見に来た柚那だったという。