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18.つきよのばんに

 月夜の晩にやってきたのは、驚くほどに美しい青年だった。



 月が綺麗だねえ。

 そんな雫の言葉がきっかけだったように思う。

 肌寒くはあるが、少し着込めば気にならない気温だ。最近はいろいろあったし、せっかくだから、今日は外で月でも見ながら酒でも飲むかという話になった。

 簡単なツマミを用意して、買い込んでいた酒を取り出して、二人で外に敷布を引いて、さあ飲もうとした時だったのだ――美しい月を背にして、一人の青年が現れたのは。

 彼のことを、多紀はよく知っていた。

 こんな月の晩にだけ人のいるところに出てくる魔物。

人嫌いで有名な魔物だが、彼は、時々魔女の店にやってくる。

とはいっても、彼は客ではない。単なる雫の飲み友達だ。何故か二人は気が合うらしく、こうやってふらりと現れては、一緒に酒を飲む。

 今日もそうなのかと思ったのだが、雫と多紀の顔を見たとたん、その青年は、美しい顔を歪めて泣き出したのだ。



 目の前で、美形がしくしくと泣いている。

 鬱陶しい。

 どうしてだろう。何故かものすごく鬱陶しいのだ。それは、いつのまにか下がってきた辺りの温度のせいなのか、めそめそと続く泣き声のせいなのか。それともこの世の者とも思えない美貌の主が、目を真っ赤にして子供のように泣く姿そのものにイライラするのか。

 どれも間違っていない気がしている。

 だいたい、目の前の青年と初めて会ったときは、多紀が人間というだけで、随分理不尽にいろいろ言われた覚えがある。最近では、慣れてきたのか互いの性格がわかってきたせいか、それなりに良好な関係だが、彼が人間の前でこんなふうに泣くなど、普通ならば考えられないことなのである。

「私のことだけ一番に愛していると、確かに言ってくれたのだ」

 つかえながらも、美青年は多紀にそう訴えた。

 顔をあげてこちらを見ている目は赤く、開いた唇から覗く歯はとがっていて、涙をぬぐう指先の爪は硬く鋭く、それだけを見れば、彼は間違いなく魔物だ。人型をとることが出来るだけでも、力が強いことを意味していて、普通ならば畏怖するべき存在なのだが。

「夜も朝も昼も、ずっと一緒にいてくれたし、私のことを受け入れてくれたと思っていたのに」

 泣きすぎて腫れた目と、繰り返す泣き言で、恐いなどという感情はまったく沸いてこない。

「どうして、どうして私を捨てて、別の男と行ってしまったんだ!」

 美青年の美しい声が、情けない叫びとなって辺りに響く。

 ぎょっとしたように見つめる多紀の後ろで、ため息が聞こえた。

「ああ、うるさいね。静かにできないのかい」

 雫は、せっかく酒盛りするところだったのに邪魔されたせいか、かなり不機嫌だ。

 すがりつくような眼差しの青年に対して素っ気ない。

「黙ってないと、追い返すよ」

 冷たい言葉に、美青年は沈黙した。けれども、涙は流したままだ。

 少し気の毒になって、多紀は持っていた杯をさしだした。美青年がそれを受け取ると、中に酒を注ぎ込む。

「こういうときは、飲みましょう」

多紀は青年に笑いかける。しばらく青年は杯を眺めていたが、やがて「そうだな」と呟いて酒を口にした。

それが合図だったかのように、多紀と雫も手に杯を手にし、酒を飲み始める。

 空に浮かぶ月明かりに照らされながら、その奇妙な宴会は始まったのだった。



「で、何があったんですか?」

 ほどよく酒が回ったころ、多紀はまだ泣いている美青年に向かって尋ねてみた。このままだと、ずっと泣きつつづけて鬱陶しいからだ。

「さっきは別の男と逃げたとか言っていましたけれど」

 話の流れから、彼がつきあっていた彼女に振られたのだとわかる。魔物の彼女に会ったことはないが、前回現れた時には、のろけを聞かされて、今とは違う理由で雫に『うるさい』と言われていたはずだ。

「駆け落ちしたんだ」

 ぽつんと、美青年が呟いた。

「駆け落ち?」

「そうだ、あれはまさに駆け落ちだ。『探さないでください』という置き手紙とともに、消えてしまったんだよ、私の屋敷の庭師とともに」

 絶望したように叫ぶと、青年は酒を煽る。

「手紙にはこうも書いてあったんだ。『最初はあなたの優しさと魔力に惹かれたけれども、それだけでは物足りなくなりました。いくら私が少しぽっちゃりしているとはいえ、私を支えられずよろめいたり、本を数冊抱えただけで転んだりするような方よりも、鋤や鍬をたくましく振り回し、重い肥料の袋を軽々と持ち上げるあの方のことを、あなたよりも好きになってしまったのです。ごめんなさい』だそうだ」

 青年は確かに美しい。

 少し線は細いが、着ている服を通しても均整の取れた体をしているのがわかる。黙って立っていれば、見ほれてしまうほどだ。その鋭い爪も牙も、魔物という種族的なことを差し引いても、力強そうに見える。

だが、残念なことに、彼は非常にひ弱だった。魔力を使わなければきっと多紀よりも弱い。

 以前、店にあった小さな酒樽を持っただけで、ひっくり返って腰を痛めたくらいだ。

「おまえが選ぶ魔物の女は、実力至上主義ばかりじゃないか」

 雫が指摘すると、美青年は俯いた。

 魔物の中には、容姿や血筋よりも、『強さ』を求めるものがいる。それらにとっては、力こそ全て、自分よりも強いものでなければ服従もしないし、ましてや好意さえ抱かないという。自尊心も強く、一癖も二癖もある者ばかりで、そんな性質故に、伴侶を持たないものも多い。

「た、確かに私に腕力はないが、魔力に関しては誰にもひけをとらないと思っている。それに、皆は最初この魔力に惹かれてやってくるんだ。あなたの魔力はすばらしい、ずっと側で浴びていたいって」

「まあね、あんたの魔力は確かにすごいと思うよ。私だって、あんたくらいの力の持ち主には憧れるさ。けどねえ」

 そう言って雫は多紀を見た。

「多紀、あんた自分を抱えることも出来ない男をどう思う? たとえば、自分がちょっとふくよかなのを気にしている場合にさ」

「あ、えーと。そうですね。……微妙?」

 もちろん、腕力の有無で好きになる相手を選ぶわけではない。

 気が合ったり、性格がよかったり、優しさだって重要な要素だ。それぞれの好みはあるから、初対面でだめな場合もあるが、長く話しているうちにいつのまにか好きになるということも結構多い。

「あ。でも、人によって好みもありますから! ひ弱な方がいいとか、めそめそしている方が好きとか、自分の後ろを黙ってついてくる男が好きとか! そんな相手もいますよ、きっと」

「なにげなくひどいことを言われている気がする」

「そんなことないですよ」

「ならば、多紀はどうなのだ。男は強い方がいいのか!」

「え、それは、その」

 答えに詰まってしまう。改めて聞かれると、自分が好きになる相手というのはどうだろう。

 初恋は、近所のお兄さんだった。彼は村の自警団にも所属していて、筋肉隆々だった。

 その後、ちょっとだけつきあった、町から夏の間だけ村へ手伝いに来ていた少年は、将来騎士を目指すといっていたくらいだから、やはり体も同い年の子たちよりしっかりしていた。

 最近でいえば、奉公先でつきあっていた男だが、彼も――そこまでで、それ以上考えるのはやめた。自分では参考にならない。なんとなく、好みが見えてきた気がしたからだ。

「ええと、やっぱり人の好みはそれぞれですから。私に聞いても駄目ですよ」

「答えをうやむやにするとは、やはり多紀はひ弱な男は嫌いなんだな」

「そんなことないです。優しい人だって好きですよ」

 今にも多紀につかみかかりそうな青年に向かって、雫が酒の瓶をさしだす。そのまま、器に酒を注ぎながら、青年に向かって笑いかけた。

「多紀をいじめても何もならないだろう? きっとその魔物はおまえの運命じゃなかったんだよ」

「しかし、同じ理由でもう5回は振られているんだ。今度こそ、大丈夫だと思ったんだ」

 少し止まっていたのに、また青年の目から涙がこぼれる。

「辛くて涙も止まらない。おい、雫。この恋心を消す薬を作ってくれ!」

「無理」

 雫は間髪いれずにそういうと、手元の酒をぐいと呷った。

「ほれ薬は作っているではないか」

「あれは、勘違いに近い作用で恋と似た気分にさせる薬なんだよ」

「なんだ、その詐欺みたいな薬は」

「きっかけをつくるための薬だからいいんだよ。だいたい、ただの薬だ。毎日飲み続けてないと、効果なんて持続しない。まあ、あれは一回限りの薬で、飲み続けていたら、体に悪い影響が出ちまうものだけどね」

 恐ろしいことをさらりという雫に、多紀はほれ薬だけは飲むまいと心に誓った。元々頼るつもりもないのだが。

「薬なんか飲まなくても、きっといい人が現れますよ」

「多紀はいつもそれではないか。いい人なんて、いつ現れるんだあ!」

 美青年は叫んで、とうとう酒瓶に直接口をつけて飲み出した。

「あ」

 そう多紀が声を上げた時は、遅かった。みるみるうちに、瓶の中身が減っていく。

 雫が所有する中で、一番きつい酒だ。普通の人間ならば、薄めて飲むような代物だ。

 魔物が酒を飲んでどうなるかは知らないが、少なくとも今目の前にいる美青年が酒に弱いことだけは理解している。こうやって店を訪れては、雫と酒盛りし、意識を失ってしまうのはいつものことなのだ。

「よしよし、いい飲みっぷりだね。もっと飲むかい? そうして、嫌なことはさっさと忘れちまうんだね」

 雫は止めずに、さらにきつい酒を勧める。それを戸惑うことなく受け取って、青年は次々に酒瓶を空にしていった。

「勘弁してください。後始末をするのは、私なんですよ」

 そう泣き言を言ってみたが、すでに酔いつぶれかけている美青年と、いたずらめいた笑いを浮かべたまま返事をしない雫には、通用しなかった。

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