17.ちいさなねがい
魔女の店から、滅多にお目にかかることの出来ない転移魔法とやらを使ってやってきたのは、小さな家の前だった。
「ここは?」
多紀が尋ねると僕の家だと、きらきらした青年が答える。
「てっきり軍関係の施設にでもいると思っていたんだけどね」
年期の入った家は街はずれにあり、周りには他の家も少ない。死にかけているというのならば、きちんとした治療の出来る場所へいるべきだろうに、それをしないのには理由があるのだろうか。
多紀と雫の問いかけるような眼差しに、男は肩をすくめた。
「本人の希望。もう助からないなら、自宅がいいっていうから」
「自宅? さきほど、ここはあなたの家だと言わなかったですか?」
「言った。僕の家でもあり、彼の家でもあるからね」
二人は同じ家に住んでいるということなのだろうか。兄弟というふうには見えない。二人はまったく似ていないからだ。ではどういう関係なのか。尋ねようかと悩んでいると、それに気がついた青年が多紀の方を見る。
「僕の父親なんだ、あの人」
その言葉に、思わず多紀は荷物を取り落としそうになってしまった。
「ああ、なるほど。これはひどいね」
薄暗い部屋の寝台で眠る男の様子を見た雫は、ただ一言そう言った。
「傷が致命傷というよりも、瘴気が問題なんだと思う。じわじわと体を弱らせて、確実に死に近づいているのに、なかなか死ねない。苦しみだけが長引く。……見てられないよ」
吐き捨てるように青年は言った
「怪我の方は、私でもありきたりの治療しかできないけれど、瘴気を取り除くことなら可能だよ」
「取り除けるのか?」
「私は魔女だよ。魔女が瘴気を怖がってどうするのさ」
皮肉げに浮かぶ笑顔を見て、男は嫌そうに眉をひそめた。
「だから、魔女は得体が知れないっていうんだよ」
魔女と魔法使いの魔力は、まるで違うものだ。魔女は生まれながらに魔女でしかなく、その力の強さも最初から決まっている。何故魔女として生まれるのか、魔女の力の源は何なのか、研究もされているが、結局『わからない』ことが多いという。魔法使いと似た魔法を使うこともあるが、魔法使いが努力と経験と修行で、様々な力を使うことが出来るようになるのに対して、魔女は最初から持っている力と魔法以外は、一生使うことが出来ない。新しい魔法を覚えるということが、そもそもありえないのだ。
そして、魔女と魔法使いが決定的に違うのは、瘴気に対する耐性があるかどうかということだった。魔女は瘴気に影響されない。どれほど魔物が瘴気を放っていても平気だし、瘴気が漂う場所でも平然と動ける。そのせいで、魔女は魔物と近い存在だからだとか、そもそも魔女そのものが人とは異なった生き物ものだと言い出す者もいるくらいだ。
雫を見ている限り、どこからどうみても、面倒事の嫌いな引きこもり気味の中年女性にしか見えないのだが、『魔女』という肩書きを聞いただけで、意味も無く嫌う人間がいるのも事実だった。
特にその傾向は魔法使いに多いと聞く。
魔法使いにとって、魔女はよくわからない魔力によって、よくわからない魔法を使う者という認識らしいのだ。努力も修行もなく、息をするのと同じように無意識に使う魔法は、薄気味悪いとさえ言う魔法使いもいる。
魔女からしてみれば、努力次第で、いくらでも魔力を高め新しい魔法を覚えることの出来る魔法使いの方が不思議だということらしく、結局両者の思いは交わることが少ない。
最初から、口さえ聞かず、互いに受け入れないことも多いのだから、まだ目の前にいる魔法使いはましかもしれなかった。
好意を持っているわけではないが、魔女の知識と力はちゃんと認めているようだ。
「もちろん、瘴気を取り除いたからといって、助かるかどうかはわからない」
「それは覚悟の上だよ」
男は神妙に頷いて見せた。
「ここまでついてきたんだ。やれるだけはやってみるよ。さて、ちょっと台所を借りるよ」
「汚れているけど、かまわないか?」
「薬が調合出来れば、どんな場所だってかまわない。位置を教えてもらえるかい? 多紀は、その男についててやりな」
多紀の手から、持ってきていた荷物を受け取ると、雫は返事も聞かずに男の後ろをついていってしまった。
雫さん、と呼びかけるが、こちらを振り返ることはなかった。
どうしよう。
寝台の上に横たわる男と、雫が出て行った扉を交互に眺める。
ついていてやれと雫はいったが、今の多紀に出来ることはないような気がした。
勢いできてしまったものの、これで本当によかったのかという気持ちも消えない。
もう一度、扉を見て、多紀は結局寝台の方へと足を動かした。
男は、以前見たときよりもやつれていた。顔色が悪いのは怪我のせいだけではなく、瘴気にあてられたことも関係しているのだろう。
寝台の横に置いてあった椅子を引き寄せ座っても、男は目を閉じたままで、ぴくりともしない。
そっと手を伸ばして男の頬に触れてみる。
体温が高いような気がするのは、熱があるからだろうか。瘴気は傷の治りを遅くし、膿みやすくなるともいう。
あまりよくない状況なのだと、素人の多紀にさえわかる。
しらずしらずのうちに、ため息にも似た吐息が漏れた。助かってほしいと純粋に思う。雫の薬の調合を信頼しているのも事実だ。
でも――。
指先に触れる熱に、ほんの少し力がこもる。
しまった、と思った時には、目の前の男が小さくうめき声を上げた。起こしてしまったのだろう。
薄く開いた目がぼんやりと辺りをさまよって、やがて多紀の方を向いて止まった。
「すみません。起こしてしまいましたね」
彼女の言葉に、男は何度か瞬きをした。
「雫さんが、薬を作ってくれているんです。あの人の薬は得体が知れないですけれど、効き目だけは抜群ですから」
冗談めかして多紀が言うと、男はほんの少し唇をあげた。笑ったのかもしれない。それでも息は苦しげで、弱々しい。
「あの。苦しいようでしたら、雫さんか、魔法使いの方を呼んできましょうか」
男はゆるゆると首を振った。
代わりに敷布が動き、骨張った手が現れる。
その手が、多紀の指先に触れた。だがそれは、頬とは違い冷たく強ばっていて、多紀は無意識に自身の手で包み込んだ。――少しでも、その手にぬくもりが戻るように。
「きっと雫さんが助けてくれます」
それは小さな希望でしかないけれども、信じるしかないのだ。
わずかに開いた男の唇は言葉を発することはなかった。けれど、弱々しいながらも確かに握り返されたその手に、多紀は安堵するかのように息を吐いた。
「見てると、なんだか適当って感じの調合の仕方だな」
荷物で散乱して、何日も片付いていない台所の中、平然と薬の調合を始めた雫に向かって青年はあきれたように言った。
自分自身は、部屋の角でぐらぐらする椅子に器用に腰掛けて、動こうとはしない。
「感と経験と記憶力に頼っているからね」
「それで薬が出来るのが不思議だよ。僕たちは、きっちりと材料を揃えて作る。ほんの少しの調合の間違いで、大変なことになるからね」
「それもひとつの方法だろう? 魔女には魔女の作り方があるし、魔法使いや薬師もそうだ。互いのやっていることをまねても、うまくいかないよ」
「ほんとうに、魔女ってわからない」
魔法使いや薬師には、代々伝えられている調合法がある。分量も材料も決まっていて、改良することがあれば、何度も繰り返し効能を確かめなければ、表に出すこともできない。
それなのに、魔女はどうだ。好き勝手に薬草をこね繰り回し、それを売って金を儲けている。
「魔女にも伝わっている調合法はあるよ」
「え?」
それが意外だったのか、魔法使いはぽかんと口を開いたまま、魔女を見た。
「大まかで適当ではあるけどね。薬の調合については、独自にそれぞれこんな感じっていう方法があって、親しい魔女同士ではそれを交換したりもする。それに魔女にも得手不得手があるから、薬草なんてまったくわからない、調合も出来ないってのも普通にいるよ」
「調合法、あっても適当なんだ」
ため息が、男の口から漏れ出る。その顔は、やはり魔女は信用ならないと言っているようで、雫は苦笑した。
「で、どうなんだ。あの人は助かるのか」
部屋中に漂ってきた、生臭い臭いにわずかに眉を寄せて、青年は尋ねてくる。
「助かるかどうか微妙なところだね。最初に言っただろう? 瘴気は取り除くことが出来るけれど、怪我が治るかどうかは別だってね。それに、いくら効き目抜群の薬だって、本人の生きる執念がなければ、だめだ」
「ああ、その点は大丈夫。あの人、案外しぶといからね。それに約束破るの、大嫌いな人だし」
「約束?」
問い返した声に、返事はなかった。
ただ、意味ありげに笑っている。答える気はないようだった。
「そういえば、あんた、どうして多紀を連れてこようとしたんだい? 普通なら、あの子は留守番なんだけどね」
ならばと質問を替えてみれば、青年はうーんと唸った。
「別に、そんなつもりだったわけじゃない。聞いてみただけ」
「そうは見えなかったけどね。わざわざ呼び止めてたろう」
「なんだ、聞いていたのか。……そうだね。魔女の薬に望みはかけたけど、正直信じちゃいなかった。だから、最後ならば、会いたいって思っている相手に会わせるのは筋だって思って」
「なんだ、それは」
鍋をかき回す雫の手が止まる。そのまま、いぶかしげに青年を見たが、俯いてしまった彼の表情はわからない。
「約束したのに、って言うんだ。うわごとでさ。魔女のところ――そこで、お茶に誘われたって。なんのことかわからなかったけど、そのとき女の名前を口にしたから」
少し調べてみれば、それは魔女の店にいる店員の名前だとわかった。
男が女性の名前を口にするのは初めてだったので、もしかすると親しくしている相手ではないかと思ったのだと言う。もしそうならば、この状態を知らせなければと考えたのだが。
「あの男、妻帯者じゃなかったのか」
「さっき、息子って言ってたのを気にしてる? いや、あれは戸籍上のことだよ。僕とあの人、10歳くらいしか離れてないし」
青年が言うには、幼い頃、戦に巻き込まれ住む場所を無くし途方にくれていたところを、たまたま拾われたらしい。孤児だった彼は、結局、身分保証のために男と養子縁組をしたというだけのことらしかった。
「……見た目と違ってお人好しだな」
「同意見だよ。今回のことだって、わざわざ囮になる必要なんてなかった。せめて僕がついていれば、こんなことさせなかったのに」
軍に所属している魔法使いならば、“たかが”魔獣討伐に行くはずがない。そういうのは、下っ端の部隊がやるものだ。それに、魔法使いと普通の軍人では、所属する部隊も違う。
だが、彼なりに悔やんでいるのだろう。
“たかが”魔獣のはずで、いつもと変わらず簡単な討伐の任務だったのに、今回はそうではなかった。否、今回に限らず最近はこういうことも多いのに、いつもと同じ対応をした。そこに問題があるのではないかと、雫でも推測できる。おそらく、男が率いていた部隊には魔法使いはいなかったのだろう。いれば、少なくともここまで瘴気に犯されることはなかった。
「今後の魔獣退治には、魔法使いもかり出されるかもね」
小さく呟いた言葉は、聞かなかったことにする。雫のあずかり知らぬことだし、関わることがないのならば、部外者の彼女が意見を述べることでもない。
青年もそのことがわかっているのか、あげた顔には皮肉げな笑顔だけが浮かんでいた。
「つまり、多紀を呼んだのは、あの男の恋人かなにかと勘違いしたってことか?」
「そうそう。でも、大変だよね。自覚してないけど、完全にあの人の片思いっぽいし」
多紀の様子を見る限り、恋人同士であるとか、思い合っているようには見えなかった。どちらかといえば、ちょっとだけ親しい常連客程度だ。
「そういうのは、努力次第だろう?」
「だよね。自覚すれば意外に手は早そうだけど」
「なんにしても、死んじまったらどうにもならない」
雫の言うとおりだった。
今は、助かるように努力するしかないのだ。
どうか、この願いが叶いますように。
彼が助かりますように。
その願いが届くかどうかは、今の彼女たちにはわからない。
ただ、魔女の薬が効くことを祈るばかりだ。
男が、魔女の薬によってもち直したのは、それから三日後のことだった。




