16.たのまれごと
「なるほど、ここが噂の魔女の店?」
軽薄、という言葉がぴったりな声に、多紀は顔を上げた。
箒を動かす手を止めて、声がした方向を見ると、きらきらした男が満面の笑みを浮かべて立っていた。
それ自体が輝いているような金色の髪も、赤みがかった金の瞳も、白を基調とした染みも皺もない服も、どこもかしこも派手な雰囲気だ。
そんな男が、まだ雪の残る森の一本道を背にして立っている姿は、どこかちぐはぐで違和感があった。
「うーん、地味だなあ」
男は、多紀とその後ろに建っている建物の方を見ながら、そんなことを言う。
「じ、地味?」
それは多紀のことなのか、それとも建物のことなのか。どちらにしても、初対面の相手に対して言う言葉ではない。
「もっとこう、おどろおどろしいとか、不気味とか、薄暗いとか、そういうのを想像していたのに。少なくとも、昔話に出てきた魔女の店はそんな感じだった」
「お化け屋敷じゃないんですから」
口にしていることは不謹慎だが、やんちゃな男の子が探検にでも来たような顔をしているのだから、悪気だけはないようにも思える。もちろん、悪気がないからといって失礼なことを言っていいわけではない。
「でも、王都にある魔法使いの店は、お化け屋敷みたいだよ」
それは、単に世間の評判に乗っかった演出効果というやつだろう。
人々が魔女や魔法使いに描く印象は、たいてい『胡散臭い』という印象だ。
得体の知れない薬を扱ったり、不思議な力を使ったり、怪しげな占いを生業としているものが多いし、中には偽物も混じっていて人を騙したりもするから、そう見られても仕方ないし、わざと神秘的にそう装うことは悪くないと思っている。それらしいことが集客につながる場合だってあるのだ。
だいたい、魔女の店が、そこらにある花屋や食べ物屋、おしゃれな洋服屋のような外見や内装だったら、その方が胡散臭い。
実際、多紀がまだ街で働いていたとき、そこにあった魔法使いの店は、絶対何かが出そうな雰囲気を醸し出す不気味な場所だった。
しかし、ここは森の中の小さな一軒家である。
訪ねてくるのも、人づてに聞いてきた者か、村人くらいだ。わざわざ新規の客を狙って、『それらしく』見せることなどない。
「ここでそんな店構えにしたら、子供たちの格好の探検場所になってしまいます」
自分もそうだったが、子供たちにとって、魔女の店はめずらしくおもしろい場所なのだ。いかにも魔女らしい店の外観にすれば、毎日でも入り浸るに決まっている。
「そういえば、ここに来る途中、子供たちが森の中を走り回っているのをみたな」
男は、少しだけ振り返って、自分が辿ってきた道を見つめた。
もちろんそこには誰もいないが、わずかに見えた口元がほころんでいるのを見て、軽薄できらきらした外見に比べて、案外子供好きなのかもしれないと思う。それとも、ただの冒険好きか。
「で、君は誰? 魔女ってわけじゃないよね。魔力がまったく感じられないから」
森の中から多紀に視線を戻した男は、箒を持って立ち尽くす彼女に向かって、そう問いかけてきた。
「そういうあなたこそ、誰なんですか? お客様ではなくただの冷やかしなら、お引き取り願いたいんですけれど」
少々失礼かなとも思ったが、最初に地味といわれたことがひっかかって、つい冷たい言い方をしてしまう。
たまにいるのだ。
魔女が住むこの森に、ただの興味本位で来る人間が。
そういう人間は失礼な態度をとることが多いし、品物を見るだけ見てさんざんけちをつけることもある。それに、男は、彼女に魔力がまったくないことを見抜いた。他人の魔力をきちんと見ることが出来るのは、魔女か魔物か、あるいは魔法使いしかいない。
魔女は今のところ女性しかいないと聞くし、男は魔法使いか魔物なのだろうか?
魔物ならば、純粋に興味本位だろうが、魔法使いならば、やっかいだ。彼らはあまり魔女をよく思ってはいない。多紀が警戒するように箒を握る手に力を込めると、その様子に気がついたのか、男は慌てて両手を挙げて苦笑した。
「あー、冷やかしとかじゃない。俺は国軍に所属している魔法使い。ちょっと頼みがあって、ここへ来ただけなんだ」
「国軍の魔法使い!?」
驚きのあまり、箒を取り落としてしまった。
国軍に入ること自体は、難しくはない。男性でも女性でも、一定の条件を満たせば、簡単に入隊できる。だが、『軍の魔法使い』ともなると、話は違う。厳しい試験と実力、推薦状がなければ、軍に所属することはできない。ちょっと魔法をかじったくらいでは到底なることはできないのだ。だから数も少なく、一生その存在を見ることがない人間がほとんどだ。
そんな男が何故ここへ来るのだろう。
優秀なのだから、自ら魔女に助けを求める必要もないはずだ。
「思うに、君が『多紀』嬢だよね?」
男は優雅な足取りで近づいてくると、多紀が落とした箒を拾い差し出した。
反射的に受け取ってしまった後、あまりにも間近に彼の顔があったので、一歩後ろに下がってしまった。
「名前、どうして知っているんですか」
「ここを教えてくれた人間に聞いたことがあるからね」
店の常連客ならば、多紀の名前を知っていても不思議はない。不思議はないのだが。
「それがさあ、最近国境沿いで魔獣の襲撃が多くてね。で、軍の小隊が討伐に出たんだけど、うまくいかなくてさ」
男の顔から、愛想笑いが消えた。眉間に皺をよせ、わずかに曇った瞳から、どこか悲痛さを感じてしまう。
「その部隊の隊長がさ、部下を逃がすのに、自分が囮になって、結果的に死にかけちゃってるんだ。その隊長ってのが、ここの常連さん」
「え?」
それは誰なのだろう。多紀はここに来る常連の名前も職業をほとんど知らない。相手から名乗らなければ、敢えて聞くようなことはしていないからだ。
そんな名前を知らない中で、軍人、という言葉が似合いそうな常連客は何人かいる。だが、真っ先に思いのつくのは、一人だけだ。
「あの人、たぶん自分の名前なんて教えてないと思うけど、ここに傷薬とか痛み止めとかを定期的に買いにくる、無口で無愛想な人、いるでしょ」
まさかと思う。そんなはずはないとも考える。無口な常連客は彼一人ではない。
「最後に来た時、ここで大量に薬を買い込んだはずだよ。しばらくこれないからって」
だが、続いた言葉は、彼女が思い描く相手と、男が言う常連客は同一人物だと示すものだった。それでも違うと言って欲しくて、多紀は男の容姿を口にする。
「それは、黒い髪で藍色の瞳の……」
「この国では珍しい、ちょっと浅黒い肌の男」
間違いなかった。彼が言う常連客は、前に彼女の模様替えを手伝ってくれたあの人に間違いない。
「あ、あの。怪我をしたって。彼は大丈夫なんですか?」
「全然大丈夫じゃない。魔獣につけられた傷は、瘴気を受けているからね。今は彼の体力で持っているけど、もう僕たちの力じゃどうしようもないんだよ」
「そんな」
常連客の中には、おそらく危険な仕事をしているのだろうというものもいる。だから、男が言う常連客だけが特別なのではない。
気がつけば訪れなくなった客は幾人もいるし、人づてに亡くなったということを聞くことも、よくある話なのだ。
それなのに、思っていたよりも動揺しているのは、どうしてなのだろう。
「助かる方法は、ないんでしょうか。王都には優秀なお医者さんもいるでしょう」
そうだ。
辺境の村では、わずかな傷が致命傷にもなりうるが、大きな都では違う。それなりにお金があればある程度の治療は可能だ。彼が軍人だと言うのならば、そこには軍医も薬師もいるはずである。
「軍人っていっても、下っ端だしね。助かりそうもない人間にお金かけるなら、助かって役に立ちそうな人間を優先して治療するから。それに、彼、魔獣討伐にも失敗しちゃってるし」
「そんな」
多紀は唇をかみしめた。理屈はわかる。
「方法はないんですか?」
「だから、僕はここへ来たんだけど……」
「私の薬でもあれば、助かるかもしれないってことかい?」
「雫さん!」
いつのまにか、扉が開き、そこから雫が顔をのぞかせていた。もしかすると外の会話が聞こえて出てきたのかもしれない。
多紀も男も、声を潜めてはいなかったのだ。
「へえ、あんたが噂の魔女」
「どんな噂か知らないが、私がここの店主の魔女だよ」
挑発的な目つきを向ける年若い男に、雫の方は動じない。相手が魔法使いでこの程度の態度ならば、かわいいものだくらいには思っていそうだ。
もっとも、男同様、雫の目も真剣だったが。
「わざわざここまで来たってことは、あんたは彼を助けたいんだろう?」
「一応、ね。恩人なんだよ。恩を返す前に死なれちゃ困るんだ」
「かなり状況は悪いって思っていいんだね」
「そうだ。他の奴らは、もう彼は助からないと言っている。僕は、偶然彼からこの店のことを聞いていたからね。ひょっとするとって、望みにかけたわけ。それに彼が――」
言いかけて彼は口をつぐんだ。
悲しげに目を伏せると、それは今言うことじゃないね、と呟いた。
「わかったよ。すぐに支度する」
「え、まさか来てくれるのか」
男は驚いたようだった。
「薬だけもらおうって思ったんだけど」
「どんな状況なのか見てみないと、薬は出せないだろう? それに、その常連客には前に世話になっているからね。多紀も心配だろうし」
「え、あ、はい」
急に話を降られ返事が遅れたものの、多紀は思ったよりもしっかりと答えることができた。
呆けている場合ではない。男は飄々とした態度を崩さないが、それほど猶予はないはずだ。
雫とともに、店内に戻り準備を手伝おうとした多紀を、男が呼び止めた。
「君はどうする?」
振り向くと、男は多紀を見つめながら静かに問いかけてくる。
「会いに行く? それとも、ここで魔女の帰りを待つ?」
問いの答えに迷ってしまったのは、彼の目が真剣だったからだ。
本来ならば、ただの人間で、薬の知識など皆無な多紀が行く必要はない。留守番として残るのはいつものことだ。
今回もそうするべきなのだろう。頭ではわかっている。行っても足手まといだと、そう男に言えばいいのだ。
それなのに迷うということは、多紀の中でじっとしていられないという感情があるのだろう。
心配だった。
ただの常連客だけれども、あのときは世話になった。楽しかったし、お茶をごちそうするという約束だって守れていない。
「思うようにすればいいよ」
男が、静かな口調でそう告げる。
その言葉が結局、多紀の気持ちを後押しした。
そして、彼女が口にした答えは――。