第二話 散財の代償
「はあぁ……」
一週間後。
ロキは相も変わらず薄暗い部屋の中で、もう何度目かも分からない溜息を吐いていた。
最強の白魔術師・ユーリを呪う依頼を受けた時、媒体として持ち込まれたのは一本の髪だった。
だが、本人から直接採った血液を調べて初めて分かることもある。
圧倒的な魔力。質、量ともに一般人とは比にもならない。
『神授武器』を持つに相応しいどころか、選ばれて当然だと思えるほどの才能だった。
(そんな相手だと知っていたら、絶対にあんな依頼受けなかったのにな……)
もう手遅れだとは知りつつ、言い訳をせずにはいられない。
ユーリの呪いを解くだけならば簡単だ。自分の掛けた呪いを解呪するだけで終わる。
だが、ユーリの依頼はあくまで『呪術師を探し出す』ことだ。
そして、その身の程知らずの愚かな呪術師を自らの手で殺すことを目的にしている。
今更こっそりと解呪をするのも、明らかに怪しい。
(……終わった)
何度考えても、未来は絶望的だった。
どうせ死ぬのならと、ユーリから受け取った金は既に使いこんでしまっている。
目の前の研究卓に置かれた、分厚い魔導書。
到底手が出せないと思って諦めていたものが、今まさに、目の前にある。
現実逃避に耽るロキの口角が上がった。
(そう、どうせ死ぬのなら、この本の内容を全て頭に叩き込んでから死にたい……!)
高揚に震えそうになる手で魔導書の最初のページを開く。
ロキは昔から疎まれていた。友人はおらず、それどころか親にすら愛された記憶はない。
当然だ。
髪一本あるだけで、他人を呪うことが出来る力。
誰だってそんなものを扱う人間の傍にいたいはずがない。
しまいには顔を知られるだけ、目が合うだけで呪われると尾鰭がついた噂が流れ、多くの呪術師がそうだったように、ロキもまた生まれ育った街を追われた。
(目だけで呪えたら誰も苦労しないっての)
脳内でぼやきながらも、目は必死にページの上の文字を追う。
ページを捲る度、空虚な心が満たされていく。
孤独なロキを支え続けたのは、こうして紙に綴られた大量の『知識』だった。
知識は良い。
決して裏切らず、忘れるまで常に共にあり、困った時は自分を助けてくれる。
他人には笑われるだろうが、ロキは無条件に知識を与えてくれる本を友人のように思っていた。
そして、手に入る金のほとんどを本の購入に注ぎ込んでいた。
だが、そんな至高の時間はすぐに終わった。
蝶番を軋ませながら、扉が開かれる。
その向こうから、あの日と変わらない白い人影が現れた。
ユーリ・アルセリア。
白魔法を使わせれば右に出る者はいない。
『神授武器』を持つ、最強の座の一角。
自分が呪い、自分を探している男。
ひゅ、とロキの喉が小さく鳴った。
「僕に呪いを掛けた奴は見付かった?」
扉を潜るなり、ユーリはロキに尋ねた。
「いや……」
ロキはローブの下で冷たい汗を溢れさせながら、曖昧な笑みを浮かべた。
一応、いつもと同じようにカウンターの奥へと立つが、差し出せるものは何もない。
ユーリは先日と変わらず、そのカウンターを挟んだ先で立ち止まった。
僅かに眉根を寄せ、不服げな顔で。
「僕の血まで取っておいて、まだ見付けられてないの? 無能だなぁ」
「ですから、魔力を辿って呪術を掛けた者を探し出すというのは、呪術の中でも一際難しく……」
半分は真実。
もう半分は、嘘だ。
非常に難易度の高い技術であるのは間違いないが、皮肉なことにロキはそれを最も得意としていた。
もし呪いを掛けたのがロキ本人でないのならば、今頃は堂々と愚かな術者の情報を差し出せていた頃だろう。
「ふうん……」
ユーリはカウンターに肘をついて、どこか遠くを見るような目をした。
少しだけ間を置いて身を起こす。
暗い室内でも淡い輝きを放つような白い髪が、僅かに揺れた。
「じゃあいいや。依頼金、返して」
「え?」
上擦ったロキの声が漏れた。
ユーリが怪訝そうにロキを見据える。
「何?」
「い、いや……」
「もう使い込んだ?」
ロキの肩がびくりと強張る。
術者など探し出せないまま、すぐに犯人は自分だと気付かれて殺されるものだとばかり思っていたのだ。
まさか依頼を撤回されるなど、夢にも思わなかった。
(こうなると知ってたら使い込まなかったよ! 先に言えよ!)
叫べるはずもない。
歪に口角を吊り上げた唇が、都合の良い嘘を求めて薄く開いた。
「その、魔力を辿るために必要な道具を買い足しまして……それが思いのほか、高額で」
「そこまでして見付からなかったんだろ? お前の実力不足じゃないか」
どう足掻こうとユーリが正しかった。
依頼通りに目的の人物の情報を差し出せないのなら金を返すべきだ。
その金が手元にあるのなら、の話だが。
ユーリは壁に沿って置かれた研究卓の上にある魔導書へと一瞥を投げた。
そしてすぐ透けるような色をした瞳にロキの姿を映しなおす。
「他には何が必要なの?」
「……え?」
「逆探知に使う道具」
ユーリの問いにロキの背筋が伸びる。
「ええと、純度の高い魔力を秘めた黒水晶や、秘境の泉に湧く純水……龍の屍から採れる心臓の核……どれも希少な品ですが」
今度は嘘ではないからこそ、言葉は詰まらずに喉を出た。
魔力や呪いを辿るための緻密な術の媒体としては、それらが必要だ。
ただし、ロキが既にそれを所有していることだけは秘めた。
「そう。じゃあ探しに行くよ」
ユーリは静かに踵を返し、そう言った。
(……え?)
ロキはその場に立ち尽くしたまま、言葉の意味が分からなかったと言わんばかりに呆ける。
そんなロキを視線だけで振り返ったユーリは、眉根を寄せて美しい顔を躊躇なく歪めた。
「術者も見付けられない。金も返せない。——なら、お前が働くしかないだろ。僕の荷物持ちでもしながら、街で必要な媒体を探せよ」
その言葉にロキの表情が凍り付いた。
深くかぶったフードの下から慌てて口を開く。
「お、俺は呪術師です……! 街なんかに入ったら……!」
疎まれる。出て行けと叫ばれる。殴られたっておかしくない。
だから人の寄り付かないこの場所で、定期的に訪れる物好きな商人だけを頼って隠れて暮らしているのだ。
けれど、ユーリはそんな事情には興味もなさそうに眉間の皺を深めた。
「知らないよ。じゃあ僕に金を返す?」
「うっ……」
そう言われると返す言葉が見当たらない。
この命は終わったのだと、自暴自棄になって金を使い込んだのは自分だ。
ユーリは答えを待たずにさっさと扉を開けて出て行った。
ロキはその場に立ち尽くしたまま部屋の中を見回し、最後に研究卓に乗った魔導書を振り返る。
大金を捧げたというのに、まだ最初の数ページしか読めていない。
明らかに後ろ髪を引かれながら、それでもロキはやがて扉に手を掛ける。
しばらくその姿勢のまま凍り付いて散々迷った後、静かに扉を開いた。
「遅い」
少し進んだ先でユーリが腕を組んで立っていた。
荷物も持たないままの、突然の旅立ち。
目指す先はもう何年も訪れていない、人の住む街。
扉に鍵を掛ける手が僅かに震えた。
(帰りたい……)
密かに吐き出した息は、湿った空気に溶けて消えた。
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