第一話 黒の呪術師、白の魔術師
大きな滝の裏に隠された、細い洞窟を進んだ先に『それ』はある。
岩壁をくり抜いたような空間に作られた小部屋。
床には幾重にも彫られた魔法陣が重なり、小さな照明魔道具だけが室内を仄暗く照らし出す。
その場所を知る数少ない者はこう呼ぶ。
呪術師の隠れ家、と。
蝶番を軋ませながら木製の扉が開く音が聞こえ、その呪術師——ロキは研究卓から顔を上げた。
薄暗い室内でもはっきりと姿が見えるほど真っ白なローブを身に纏った青年がそこにいた。
「何ここ。湿度高すぎて、最悪」
青年は一歩踏み入るや否や文句を零している。
ロキは読んでいた本を閉じ、丸椅子から立ち上がると部屋の奥にあるカウンターの内へと立った。
「いらっしゃい。ここがどんな場所かはご存じで?」
「知ってるよ。陰鬱な呪術師の棲み処だろ」
「……その陰鬱な呪術師に、何かご用でも?」
青年が纏う白は、外套のみに留まらなかった。
月の光を宿したかのような銀色の髪。琥珀色の照明に照らされ、より白く見える肌。
硝子玉を透かしたような不思議な色の瞳。
まだどこかあどけなさを残す中性的な顔立ち。
棘が隠れていない言葉はともかく、その姿はどことなく神聖な雰囲気さえも纏っている。
細い指先で耳に髪を掛ける仕草すら完成された一枚の絵のように見えた。
(こんな綺麗な男もいるんだな)
ロキは口には出さずにそう呟いた。
自分の顔を隠すようにかぶったフードの内には、闇によく溶ける黒い髪がある。
呪術の才を持つ証拠である、忌々しい色だ。
形ばかりの笑みを作ってみても、美しさとは程遠い。
年の頃はそう離れていないはずなのに、黙ってさえいれば繊細な儚さを纏う目の前の青年とは、何もかもが正反対に思えた。
とはいえ、ロキが求めるものは美しさではない。
金だ。
文字通り人を呪う『呪術』は良い稼ぎになる。
扱うには先天的な才能が必要だが、使えるならば話が早い。
あまりに忌み嫌われており、人里に住めないという欠点以外はそう悪いこともなかった。
一方で白い青年は、自分の容姿の良さを自覚していないとしか思えない粗暴な仕草でカウンターに肘を置いた。
カウンターを挟んだ先のロキと真っ直ぐに視線がぶつかる。
薄暗い中で僅かな光を反射してきらきらと輝く瞳は、似つかわしくない嘲笑にさえ似た笑みを宿しながら細められた。
「呪術師。お前に依頼を持ってきたよ」
そう言いながら、一冊の魔導書をカウンターに置く。
白い革表紙のそれは、触れずとも分かるほどに強力な魔力を宿していた。
それはまるで、神より選ばれし者に授けられると伝説に謳われる『神授武器』のような。
(……ん?)
ロキの息が喉の奥で僅かに詰まった。
嫌な予感というのは、こういうものを指すのだろう。
白い髪の青年は、構わずに魔導書へ指先を置いて指し示す。
「何者かが、僕に呪いを掛けている。最近、魔力の反応が少し鈍いんだ。
僕自身にも、この魔導書にも異変はない。——となると、呪術の線が濃い」
静かな色を湛えた瞳が、真っ直ぐにロキを映し出す。
フードの下に隠れた顔さえも探ろうとしているかのようだった。
ごくり、とロキの喉が小さく鳴る。
(ああ。もちろんお前は呪われているさ……)
カウンターの下でロキは震えそうになる指を握った。
手のひらが汗で滑り、緊張で爪が皮膚に食い込む。
(だって、呪ったの俺だもん……!)
接客用に作った笑みを崩さないように、必死で口角を持ち上げる。
——少し前、同じカウンターに大金を積んだ男がいた。
その依頼はごく単純だった。
『S級の冒険者の一人。神に選ばれし白の魔導書を持つ、白魔術師。ユーリ・アルセリアを呪え』
当然、ロキは金を受け取って従った。
遠慮なく持てる全ての知識を総動員して、ありったけの呪いを込めた。
相手はS級の称号を持つ、世界最強の座に名を連ねる者だ。
送り付けた呪いがそのままユーリの身を蝕むとは最初から期待していない。
(とはいえ——殺してもおかしくない勢いで呪ったのに『魔力の反応が少し鈍い』だけだと……?)
想像以上の魔力差だった。
服の内に冷や汗が伝う。
白い青年——最強の白魔術師であるユーリは、そんなロキの様子には興味も無さそうに話を続ける。
「僕に呪いを掛けている呪術師を探し出せ。出来るだろう?」
ロキの笑顔が更に引きつった。
もちろん出来る。
今、手を伸ばせば届く場所に犯人がいるのだから。
だが、口が裂けようとそんなことは言えない。
もし知られようものなら、口どころか身体ごと裂けることになりかねない。
ロキは小さな咳払いで動揺を誤魔化した。
「い、いや……呪術者を探知するというのは、非常に高度な技術でしてね」
「とぼけるなよ。こっちは、お前が呪術の逆探知をやってのけたという噂を聞いて来ている」
(——誰だよ、そんな噂を流した奴は! 呪われてしまえ!)
心の中で叫ぶ。
だが口からは乾いた笑い声だけが零れ落ちた。
「その時は、ほら。たまたま上手くいったといいますか」
必死に言い訳を考える。
自分が呪いを掛けた相手が、今、目の前で術者を探している。
あまりに、笑えなかった。
ユーリは値踏みするような視線をロキへ向けた後、ふと思い出したように片手をローブの内に差し込んだ。
そして、革の袋を一つ取り出す。
「そうそう。お前、金を積めば何でも言うことを聞くんだって?」
冷ややかな笑みを浮かべてユーリはその袋から手を離した。
落下して口の開いた袋から、数えきれない数の金貨が溢れて落ちる。
カウンターの上に、床に。
金貨は派手な音を立てながら散らばって、なおも袋の中には両手で掬うほどの金貨が残っていた。
フードの内側でロキの目が大きく見開かれる。
「……で?」
囁くようにユーリは言った。
「この依頼、受けるの? 受けないの?」
あまりの大金を前に、ロキの呼吸が浅くなる。
断ろうと何度か口を開き、その度に口を閉じて、やがて俯きながらロキは消え入るような声を絞り出した。
「……全力で、調査させていただきます」
「最初からそう言えば良いんだよ」
ロキの答えを聞くなりユーリは気分も良さそうに笑った。
そうして魔力を調べるため、髪や微量の血液の採取を終えた後。
去り際に扉へ手を掛けて、ふと思い出したようにユーリは足を止め、振り返った。
「あぁ、そうそう。呪術師を見付けても、間違っても殺すなよ」
一見すればただ美しいだけの、形の良い笑みと共に。
「僕がこの手で殺すから」
白い魔術師は物騒な予告を残して、扉の向こうへと消えた。
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