第55段階:大地、目覚める
結界管理室。
絶え間なく明滅を繰り返す魔導盤の前に立つカシアンの目が、新たな異常を捉えて細められた。
北、南、そして上空に続く、四つ目の巨大な反応。それは、魔導宮の足元――深い地中から急速に接近していた。
「地下侵入。敵三十名」
「『地帝』率いる土属性特殊部隊です」
相手は各国が莫大な資金と時間をかけて編成した、地中戦、結界破壊、岩石操作を専門とする世界最高峰の土魔導師部隊だった。
目的は地下から魔導宮の基盤結界を破壊し、内部への侵入口を作ること。
カシアンは即座に通信を繋ぐ。
「ローデン」
『はい』
裏庭で、花壇の手入れをしていた庭師ローデンから、短く平坦な声が返る。
「敵はあなたへの対策を徹底しています。お気を付けください」
『承知』
通信が切れる。
ローデンは、愛用のジョウロを静かに地面へ置いた。
そして、これから戦場となる裏庭の美しい花壇を見つめ、ぽつりと呟いた。
「……花を踏むな」
直後。
裏庭の大地が、爆発したように隆起した。
凄まじい轟音とともに土砂が舞い上がり、地中から三十名の土魔導師たちが姿を現す。
先頭に立つのは、「地帝」の異名を持つ屈強な男だった。
「庭師。今日で終わりだ」
地帝の号令とともに、三十名の精鋭が一斉に術式を展開した。
局地的な巨大地震魔法が裏庭を揺らし、鋼鉄をも貫く岩石槍が雨のように降り注ぐ。
視界を奪う砂嵐、足元から魔力を吸い上げる結界破壊杭、そして全てを飲み込もうとする地割れ。
ローデンは無言のまま迎撃の術式を展開する。
しかし、迫り来る岩石を崩そうとした彼の土壁は、あっけなく砕け散った。
地中へ潜って間合いを詰めようとした瞬間、不可視の障壁に弾き返される。
敵の研究は完璧だった。
地帝たちが展開したのは、ローデンの土操作を妨害するために開発された特殊魔導具――『接地遮断結界』。
それは、一定範囲の地面と魔導師との「魔力接続」を強制的に遮断する、極めて高度な対土属性専用の封殺陣だった。
足元の土から魔力を切り離され、ローデンの動きが僅かに鈍る。
その隙を突き、死角から放たれた巨大な岩槍が、ローデンの肩を鋭く掠めた。
白い作業着に、じわりと赤い血が滲む。
敵部隊に歓喜のどよめきが走った。
地帝が、勝利を確信したように残酷な笑みを浮かべる。
「土から切り離された貴様は、何も出来ん」
ローデンは、自身の肩に滲んだ血を、一度だけ静かに見た。
それだけだった。
表情一つ変えることなく、彼は静かに、掌を土へ置いた。
諦めたのか。
敵がそう錯覚した、次の瞬間。
ローデンは、そっと掌を土へ置いた。
「…………」
戦場の喧騒を飲み込むような、長い沈黙。
やがて。
常に寡黙な庭師の口から、初めて「感情」の乗った、地の底から響くような声が漏れた。
「皆、 大きな勘違いをしている」
その声の重圧に、地帝たちの動きがピタリと止まる。
「俺は」
少し、間。
「操っているではない」
さらに、間。
「土は命だ。土は友だ」
ゴゴゴゴゴゴォォォォォォ……ッ!!!
地面が鳴った。
裏庭だけではない。遠く連なる山脈が揺れ、深い森がざわめき、地下深くを流れる地脈が唸りを上げ、山脈が低く震え始めた。
「まさか……」
地帝の顔から、血の気が完全に引いた。
「土ではなく……大地、そのものが……!」
ローデンは答えない。
彼が支配しているのは、表面の土や岩ではない。
星そのものを構成する「地殻」。巨大な岩盤。連なる山脈。星の血脈たる地脈。そして、地下深く流れる膨大な魔力と、生命の樹の根。
それら全てが、今この瞬間、たった一人の庭師の絶対的な支配下へ入ったのだ。
「全隊!!」
地帝が、恐怖を振り払うように絶叫した。
「大地固定術式!!」
三十人の魔導師たちが、己の命を削るようにして同時詠唱を開始する。
世界連合がこの日のためだけに開発した究極の対抗策――『地殻固定結界』が発動した。
何重にも張り巡らされた巨大な魔法陣が、暴れ狂う地盤の振動を強引に封じ込め、ローデンの支配と真っ向から衝突する。
拮抗。
星の力と、人類の叡智が完全にぶつかり合い、互角の綱引きとなった。
しかし、その凄まじい力の余波に耐えきれず、裏庭全体が悲鳴を上げて崩壊し始める。
木々が折れ、美しく整えられていた花壇が、無惨に砕け散っていった。
ローデンは、それを見た。
膝をついたまま、静かに目を細める。
「……花が」
一言だけ。
「泣いている」
その瞬間。
魔導宮の地下数百メートルで眠っていた、生命の樹の巨大な根が、ゆっくりと目覚めの胎動を始めた。
ズガァァァァァァァンッ!!!
地中から天へ向かって現れたのは、世界を支える巨大な樹の根。
その神話のごとき姿が完全に地上へ現れる直前。
耐えきれなくなった大地そのものが、真っ二つに割れた。
敵の絶叫も。
ローデンの姿も。
すべてが、舞い上がる土砂と轟音の底へと飲み込まれていく。
勝敗の行方は、誰も知ることはできない。
ただ、世界がまた一つ、魔導宮の真の恐ろしさを知ることだけは確実だった。




