第11段階:不器用な師弟と、はじめての合格
初めての贈り物があったその日から、魔導宮には「午後三時のティータイム」という
かつての世界の終わりには、およそ似つかわしくない穏やかな習慣が根付いた。
午後二時を回ると、フェイは決まってエマの手をすり抜け、厨房へと駆け込んでいく。
ルシウスと一緒に食べるお菓子作りを、一生懸命に手伝うためだ。
そんな温かな日常の裏側で。
生命の樹での出来事から数日後、ルシウスは一つの決断を下していた。
「フェイの力を制御できるようにしなければ、危険だ」
目的は、死にゆく世界を救うことではない。
無意識に創世の奇跡を垂れ流し、その代償として生命力(と猛烈な空腹)を消費してしまう彼女が
少しでも長く、安全に生きられるようにするためだ。
かくして、世界最強にして魔法の深淵を極めた魔導王による、史上初の「個人授業」が幕を開けた。
しかし、彼らはすぐに気付くことになる。
フェイの世界の常識が、食べられる草やキノコ、虫、鳥に関する知識以外は「壊滅的」であること。
そして何より
――ルシウスには「人に物を教える才能」が一切欠如していることに。
魔導宮の巨大な訓練場。
ルシウスは空中に、黒板代わりの巨大で精緻な魔法陣を展開した。
「魔法とは」
重厚な声で講義を始めるルシウス。
「お腹すいた」
即座にフェイが答える。
「……まず、話を聞け」
「聞いてる」
「聞いていない」
ルシウスの額に微かな青筋が浮かぶ。
傍らで見学しているカシアンは、すでに胃薬の準備を始めていた。
「基礎から教える。魔法には五大属性が存在する。火、水、風、土、雷だ」
「全部覚えるの?」
「ああ」
「なんで?」
フェイの純粋すぎる疑問に、ルシウスの言葉がピタリと止まる。
「……必要だからだ」
「飛びたい」
「?」
「空飛びたい! だから風だけ教えて」
ルシウスは沈黙した。
カシアンは傍らで深く頭を押さえた。
魔法とは体系的な学問であり、一つだけを切り取って学ぶなど、世界最強の魔導師の美学に反する。
ルシウスは無言のまま、なんとか基礎を叩き込もうと試みた。
まずは火属性。
ルシウスが見本として指先から小さな火の玉を出し、理論を教える。
――一時間経過。フェイは一度も成功せず、完全に興味を失って虚空を見つめていた。
水属性。
――二時間経過。フェイは立ったまま舟を漕ぎ、うとうとし始めた。
土属性。
――完全に寝た。
雷属性。
――「怖い」。その一言で終了した。
そして、最後に残った風属性。
「……風は、大気の流れを」
「飛びたい!!」
フェイの瞳が、突如として星のように輝き出した。
そこからの彼女は別人だった。興味のあることだけを異常な速度で吸収する彼女の頭脳は、ルシウスですら驚愕するほどの理解力を見せ、質問の嵐が吹き荒れた。
結果。
初日の授業の終わり、フェイは風の魔力を足元に集め
――とてつもない勢いで、訓練場の天井を突き破り、魔導宮の遥か上空
どこか分からない彼方へとロケットのように飛んでいってしまった。
「フェイ様ぁぁぁ!!?」
絶叫するカシアンをよそに、ルシウスは無言で空間転移を発動し
大喜びで空を飛んで(落ちて)いるフェイを空中で回収した。
ルシウスは悟った。
彼女の力は、あまりにも強大すぎる。
使い方はともかく、何よりも「制御」こそが急務なのだと。
今まで制御できないまま創世の力を垂れ流していたから、フェイの周囲でだけ植物の成長が異常に早まったり、鶏の生む卵が増えたりしていたのだ。
そこから、ルシウスの教育方針は「魔力制御」一点に絞られた。
「魔力は、外へ漏らすな。内に留めろ」
口で言うのは簡単だが、無意識の呼吸のように魔力を放っていたフェイにとって、それは至難の業だった。
何度も、何日も、何ヶ月も失敗が続いた。
彼女が気を抜いて歩くたびに、城の廊下に苔が生え、訓練場に花が咲き、草が爆発的に伸びた。
そのたびに、後処理に追われる庭師が嬉しさと過労の入り交じった悲鳴を上げていた。
しかし、半年後。
季節が巡ったある日、フェイはついに完全に魔力を抑え込むことに成功した。
庭園を歩いても、足元から花は咲かない。
魔力の揺らぎは一切なく、彼女はただの「普通の少女」としてそこに立っていた。
だが、フェイは足元の土を見つめ、少しだけ寂しそうにルシウスを見上げた。
「ルシ」
「何だ」
「お花、咲かなくなった!
前はいっぱいだったから、何だか寂しいね」
自分の力で花が咲いていたことなど気にも留めず、ただ花がないことを惜しむフェイ。
ルシウスは、その無垢な横顔を少しだけ見つめ、静かに答えた。
「……願え」
「え?」
「咲いてほしいと。ただ、願え」
フェイはぱちきりと瞬きをしてから、嬉しそうに庭の中央へと駆け出した。
彼女は両手を胸の前で組み、目を閉じて
心を込めて祈った。
「みんな、今日も元気だといいな。
――いっぱい、咲いてね」
その瞬間。
魔導宮の広大な庭園中の土から、ありとあらゆる色彩の花が一斉に芽吹き、爆発的な勢いで満開の開花を迎えた。
枯れかけていた大樹は青々と葉を茂らせ、灰色の空の下に
信じられないほどの極彩色の楽園が瞬く間に創り出された。
その光景を遠くから見ていた庭師は、感動のあまり膝から崩れ落ちて号泣した。
カシアンは、手の中の記録用魔石を取り落とし、完全に言葉を失っていた。
そして、ルシウスだけが、深いため息と共に静かに呟いた。
「……やりすぎだ」
花に埋もれそうになりながら、フェイはくるりと振り返り、首を傾げながら無邪気に笑った。
「でも、制御はできてるよ!
お願いした時だけ。
……お庭も、綺麗だよ」
春の陽だまりのような、満面の笑み。
ルシウスは、咲き誇る花々よりも眩しいその笑顔を見つめ
ほんの僅かに、誰にも気付かれないほど
優しく微笑んで――
「……合格だ」
とだけ、静かに告げた。




