第9話:世界への帰還
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「ん……うっ……ああ…………」
まず感じたのは、瞼越しに感じる光だった。
その身体中を包み込むような、穏やかで優しい温かさ。
そうだった、こんな感じだったと、一万年ぶりの光を俺は噛み締めしていた。
しかし、怖くて目が開けられない。
突然暗闇から放り出されたからか、その刺激に耐えられる気がしなかった。
「お……おお……」
躊躇する俺の肌を、吹き抜ける風が強く叩いた。
それに乗って、今度は匂いがやってくる。
土、草、木……分かる。覚えている。
一万年ぶりにそれらを感じたが、意外と忘れないものなのだと知った。
「アストさん? 何やってるんですか?」
詩的になっていた俺の思考を、無神経な悪魔がいとも容易く踏みじる。
「……悪魔には分からない感覚だよ。俺は今、情緒を楽しんでる」
「はぁ……そうなんですか」
……こいつに言っても無駄か。
アガレスなら、きっと気の利いた一言でもくれたろうに。
「まぁ、確かに……目を開けたくない気持ちも分かりますよ。なんせここは、あなたが一度……ほぼ死んでいた場所ですから」
「……まぁな」
そう。
俺は事前に聞いていた。
あの暗闇の世界から解放された時、俺はいったいどこに出るのかを。
だから、俺が今立っているこの場所は、一万年前……いや、現実世界なら一年前か。
あの日、俺が地獄の中で、一度死んだと思っていた場所だった。
「……さて、感傷に浸るのはもういいか」
確かに感動はしていたが、結局のところ……終わってしまえばこんなものだ。
解放されたばかりの今でさえこの程度なら、おそらく一週間後には何も感じなくなっているだろう。
そもそも、今の俺にそんなものは必要ない。
そうして、俺をゆっくりと目を開けた。
「おお……」
久々の陽の光は、世界を明るく照らしていた。
そして、あの世界にはなかった"色"という概念。
見ているだけで、脳が強く刺激されているのがよく分かる。
この世界は、本当に美しい。ただそう思っ───
「ぐッ……情報量多過ぎッ……!」
俺は慌てて目を閉じる。
久々に見た世界が色鮮やか過ぎて、目がおかしくなりそうだった。
なんというか、ぐにゃぐにゃして見えるというか、目の奥に刺さるというか、とにかくまともに見ていられない。
薄目を開けて確認すると、どうやら目が潰れたということはないようだ。
痛みを感じない身体になってから、いつの間にか身体が壊れていた、なんてことがよく起こるから注意しないとならない。
しかし、ある程度予想はしていたが、やはり慣れるまでに多少の時間が必要そうだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「んー……ちょっとずつ慣らせば大丈夫だと思う。つか、お前はなんで平気なんだよ」
「えと……悪魔だから?」
ずるいんだよなこいつ。
だいたいそれで解決しようとするし。
「あ、でも……なんか身体が重いような……気のせいのような……」
「んん? まぁ、よく分かんないけどお前……街に行くまでにその服なんとかしとけよ?」
「えぇ? だ、だめですかぁ?」
薄目で彼女を見ると、やはりいつもの黒いドレスを着ている。
「お前……もういつでも出たり入ったり出来るからいいじゃんとか思ってるんだろうが、"いろんな街を散策してみたいですぅ!"とか言ってただろ。だったら、隣で歩く俺の身にもなれ」
もう何千年前か覚えていないが、代償の先払いが出来ないか試したことがあった。
要するに、こいつの場合、先に俺の右腕を大量に与えれば、毎回やってる面倒な召喚の手間を省けないかと考えたのである。
結果、ルシファーだけは召喚の手順を省くことが出来るようになったのだが、他の悪魔は先払いに意味がないということが分かった。
おそらく、それは俺とこいつが契約によって直接繋がっているからこそ可能なもので、他の連中はこいつ越しだから無理なのだろうと、最終的に俺たちはそう結論づけた。
また、この世界への顕現自体は確かに自由自在になっているが、能力を使用する際には別途代償が必要となる。どうやらそこは変わらないらしい。
「えー……お気に入りなのに……」
彼女はそう言って、くるくると回りながら眉を落とす。
俺は思わずため息をついた。
「あのなぁ……そういう話じゃないの。ただでさえ目立つんだよお前は。そもそも、街の中でそんなもん着てるのは、だいたいが頭の悪い貴族か、気が触れちまった娼婦だけだ。恥ずかしいからやめてくれ」
「……はぁい」
「ったく……ん、よし……だいぶマシになってきた」
くだらない話をしている間に、多少薄目にすれば普通に見えるようになってきた。
俺は辺りをゆっくりと見回す。
「……一万年前と変わらないな。あ、いや一年か」
多少苔むしていたり、明らかに人が住んでいないと分かりはするものの、外見自体はそう大きく変わらない。
やはりここは、十八年過ごした俺の故郷そのものだった。
そして、俺はそのまま足元へと視線を移す。
そこに、やはり二人はいた。
「よぉ……父さん、母さん……」
地面に並んで転がる、二つの頭蓋骨。
大きい方が父さんかな。頭頂部に砕けた跡があるから、おそらく最後は頭を叩き割られたんだろう。
母さんの方は綺麗だった。生前自慢していた綺麗な歯並びもそのまま───
「……いや、奥歯が割れてるな」
拾い上げてよく見てみると、殴られたか、歯を食いしばり過ぎてこうなったかは分からないが、全ての奥歯がひび割れ、ぐちゃぐちゃに潰れていた。
どちらにせよ、苦しんだことには違いない。
「よっと……」
父さんも拾い上げ、俺は二人に付いている汚れを綺麗に拭き取っていく。
すると、ルシファーが目の前に立ち、スッと両手を差し出した。
「私もやります」
「……そうか。じゃあ、母さんを頼む」
ルシファーに母さんを渡すと、彼女は躊躇なく着ていたドレスを使ってごしごしと拭き始める。
真剣な顔で、一生懸命拭いてくれているその姿に、俺は彼女に気づかれぬよう頭を下げた。
「よし、多少は綺麗になったかな」
「はいっ!」
ルシファーから母さんを受け取り、俺は収納庫代わりにしている、魔術で生み出した異空間へと二人を納めた後、再び周りを見回す。
「予想通り、一年間放置されていたみたいだな……ま、滅多に人が来る場所でもないし、来るとすればこの村から出ていった連中くらいか。それも暫くは来ないだろうし……んー、さすがにこのままにはしておきたくないな」
世話になった人ばかりだし、何より同じ地獄を味わった同胞だ。
弔いぐらいはしてやりたい。
「手伝います」
「……悪いな。確か、住んでたのは百人くらいだったはずだ。あ、その前に……確かめるか」
「あ、はい……」
この世界に戻ったら、まず最初にこれを確かめると決めていた。
それによって、今後の動きが決まる。
「ふー……」
「な、なんだか私まで緊張してきました……」
俺は頭の中にリストを表示する。
もう悪魔の名前も、能力も、その代償も、全て完璧に暗記してはいたが、召喚するためには正しい手順を踏む必要があるので省けない。
そうして、俺は彼の名前を呼んだ。
「代償を払う。来い……"世界に問いかける者"よ」
直後、俺の両耳がぶちぶちと音を立てながら、見えない何かによって引きちぎられる。
流れ出る血が俺の首筋を洗う中、地面に六芒星が刻まれた召喚陣が浮かび上がると、そこから湧き出てくるように、ゆっくりとヴァッサゴが姿を現した。
「……やぁ、アストくん」
毛量の多い、長く伸びた銀髪に、不健康そうな色白の肌。
上下に分かれた黒いローブのような服を身に纏い、両眼を黒い布で覆い隠した彼は、微かに笑みを浮かべながら俺に向かって頭を下げた。
「ああ、陛下も……ご機嫌よう」
「うん」
一応、どの悪魔も魔界の王であるルシファーに毎回頭を下げ、敬意を払う仕草をするにはする。
ただ、どうやら派閥みたいなものがあるらしく、ヴァッサゴは彼女に対して比較的友好だが、明らかに嫌々挨拶をしたりする奴もいたし、中には無視する奴もいた。
「さて、例の件かな?」
「ああ」
「では、質問を。正確にね」
「…………俺の婚約者であるフィオナが今……ふー……生きているかどうか教えてくれ」
俺は一瞬躊躇した後、それを彼にお願いする。
ヴァッサゴは頷くと、手をだらりと下げ、顔を空へと向けた。
彼は暫くの間、そのまま空を見上げた後───
「……アストくん。答えは……"イエス"だ」
そう、空を見上げたまま呟いた。
それを聞いて、俺は心から安堵する。
「ふー…………あー……よかった……」
「ふふ……また知りたいことが会ったら呼んでくれ。ただし、ルールは決して破らないように。では、また……」
「ああ、またな」
笑みを浮かべながら消えていくヴァッサゴを見送り、俺とルシファーは互いに頷き合う。
「よかったですね……フィオナさんが生きていて」
「ま、とりあえずはな……」
ヴァッサゴの能力は"世界への二択"。
"イエス"か"ノー"で答えられる質問であれば、なんにでも答えてくれるという強力なものだ。
ただし、同じ質問には二度と答えてくれず、似たような質問も勿論不可。
加えて、今回俺はフィオナに関する質問をしているが、それによって今後、答えにフィオナが関連するような質問をすることも許されない。
使用回数は一ヶ月に一度きり。世界への問いかけは、彼曰く俺たちが想像するよりも遥かに大仕事なのだそうだ。
「正直、怖かった……いや、大丈夫だとは思ってたけど、その可能性がないこともないからな」




