第1話:幼馴染との願い
「君は、人を殺したいほど憎んだことはあるかい?」
いつものように並んで地面に座り、釣り針を垂らしていると、幼馴染のフィオナが急にそんなことを尋ねてくる。
「……いや、ないな。急にどうした?」
そう答えながら彼女を見るが、フィオナはこちらを見ようともせず、ただ黙って揺れる水面を見つめていた。
その時、急に強い風が吹き、彼女の黒く長い髪が激しく舞うその光景に、俺は少しドキッとしてしまう。
「ん……いや、別にどうということはないよ。ただ、聞いてみたかっただけさ」
彼女は髪を押さえながらそう言って、釣竿を地面に置くと、手首に巻いていた魚をくくる為の紐を使い、髪を後ろでぎゅっと縛る。
その仕草に、また違う意味でドキッとしてしまった。
「な、なんだよそれ……」
「ふふ……幼い頃から一緒にいるが、君が怒ったところを見たことがない。だから、少々気になってね……前から聞こうと思ってたんだ」
だとしたら質問が突飛過ぎるだろ。
もっと段階を踏んだ質問をするべきだ。
などと、俺が考えていると───
「なぁ、そう怪訝な顔をしないでくれ……私が少しおかしいのは知っているだろう?」
「……まぁ、長い付き合いだからな。ただ、それにしたって意味不明過ぎるぞ」
フィオナは悪戯っぽく笑うと、また前を向いて釣竿を握る。
彼女はなんというか、少し変わった感性の持ち主だった。
いい言い方をすれば個性的な、あるいは独特な……まぁとにかく、普通の人とは少し違った考え方を持っていて、たまについていけなくなることもあったが、そんな彼女に振り回されることは不思議と嫌じゃなかった。
俺は、そんなフィオナの横顔をちらりと見る。
水面に反射する日の光が、時折キラキラと輝きながら彼女を照らしていた。
それがまた凄く綺麗で───
「なぁ、アスト」
「えっ? な、何?」
いきなりこっちを向くので、目が合ってしまった。
ちょっと気恥ずかしい。
「君は、この村を出て行く気はないのかい?」
「なんだよ急に……ん? ああ、サヤのことか」
この山間にある小さな村には何もない。
主要な産業もなければ、街から遠過ぎるので観光にも適さず、そもそも街道からも外れているので、他所の人間が来ること自体がほとんどなかった。
だから、この何もない村では生きる為に畑を耕し、狩りをし、酒を作り、そして食って飲んで寝る。
ただ、それだけの毎日だった。
「うん……サヤもそうだが、みんな……行ってしまったからな」
サヤは数日前、"世界を見たい"とそう言って、この村から出ていった。
彼女だけではなく、俺とフィオナ以外の同世代のやつらは、みんなこの村を離れてどこかへ行ってしまった。
ここにいても未来はないと、そう言って。
「だから君も───」
「俺は行かないよ。好きだからな……この場所が」
でも、俺はここが、そんな生活が好きだった。
別に高尚なことを言う訳じゃないが、自然とともに生き、ただ自由に暮らす。
それが、俺にとっての幸せだった。
そして───
「そうか……私もだ」
「……知ってるよ」
隣に、こいつがいてくれたらそれでいい。
だから俺は、こんな日がずっと続けばいいと……心からそう思った。
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「で、お前らはいつ結婚するんだ?」
「ぶッ……!」
俺たちが釣った魚を母さんが調理し、フィオナを含めた四人で夕食をとっていると、父さんが唐突にそんなことを言い出す。
俺は飲んでいたスープを思わず吹き出してしまった。
「い、いきなり何を……!」
「いやだってお前……この村にずっといるんだろ? となると、もうフィオナちゃんしかいないじゃないか。サラちゃんもいなくなっちゃったし」
「いや、サラは関係ねぇだろ……」
「あっ!? そ、それともお前まさか……カランとこの娘さんを狙ってんのか!?」
「ふ、ふざけんな! あの子はまだ五歳だぞ!!」
「だよなぁ? じゃ、やっぱり二人が結婚するしかないじゃないか。フィオナちゃんもそう思うだろ?」
こ、このクソ親父……人の気も知らないで。
「あの……おじさま?」
お、いいぞフィオナ言ってやれ。
このデリカシーの欠片もない筋肉親父に、少しは人の気持ちを理解しろとな。
「私は……とうの昔に、あなたの義理の娘になる覚悟は出来ていますよ」
「……は!?」
こ、こいつ何を言って───
「おお! これで我が家も……いや、我が村も安泰だ! 若い奴がどんどんいなくなって、村人も百人を切るところだったしなぁ……ありがとうフィオナちゃん」
「ふふっ……どういたしまして」
「いや、どういたしまして……じゃないんだよ! い、いいのかよお前はそれで……」
「ん? 私は構わないが?」
隣に座るフィオナは、机に肩肘をつき、悪戯っぽい笑みを浮かべながら俺を見つめていた。
「か、からかってるのか? そんな簡単に……」
「まさか……君は嫌なのか?」
「い、嫌とは……言ってないだろ」
「ならいいじゃないか。あ、おばさまは?」
「フィオナちゃん……式はいつにする?」
母さんまでそんなことを言い出す。
これじゃ、ずっと悩んでいた俺が馬鹿みたいじゃないか。
俺だっていずれはその、そうなったらいいなとか考えてたけど───
「ふふっ……出来るだけ早めにしたいですね。ずっと待っていたので」
「えっ……ま、待ってたって……」
「……待っていたよ。子供の頃から……ずっとな」
フィオナは急に真剣な顔をして、俺を見つめながらそう言った。
こ、子供の頃から?
それじゃ、俺たちはずっと───
「さ、後は君だけだ。幸いにも、私は天涯孤独の身……娘はやらんと言うような、面倒くさい親もいないぞ?」
フィオナは俺が三歳くらいの頃に、どこからかやってきた彼女のお袋さんが抱えていた赤ん坊で、親父さんは最初からいなかったらしい。
そのお袋さんも数年前に病気で亡くなり、それ以来フィオナは一人で暮らしていたが、家が隣だったこともあり、俺たちはずっと家族のように過ごしてきた。
「いや、それは関係ないけど……でも、なんで急にそんな……」
「何かが変わるのは、いつだって突然さ。私は後悔したくない。ただ、それだけだよ」
後悔……?
「フィオナちゃんの言う通りだ。なぁ、アスト……俺と母さんは、お前をそんな情け無い男に育てた覚えは───」
「わ、分かったよ! というか俺だって……その……」
俺は、昔からフィオナのことが好きだった。
ただ、自分に自信がなくて、どうしても言い出せなかったんだ。
今、俺をニヤニヤしながら見てくるこいつは……本当に、綺麗だったから。
「よし……なら、決まりだな。フィオナちゃん……こんな意気地のない男だが、これからもよろしく頼む」
「こちらこそ……よろしくお願いいたします。ただ、おじさま? アストは意気地がないのではなく、誠実なだけなんです。やる時はやる男ですよ……アストは」
「……ありがとう。アスト、明日は朝一で狩りにいくぞ。準備しておけ」
「え、あ、わ、分かった……何を狩りにいくんだ?」
「そりゃお前……結婚式で出す鹿だよ」
「……早くない?」
「十何年も待たせてたんだぞ? 何が早いんだ?」
何も言い返せず、俺は黙って頷く。
そんな俺を見て、フィオナは嬉しそうに笑っていた。
正直、まだ頭がついていっていなかったが───
「明日、村中に言いふらすからな。覚悟しておけ……馬鹿息子」
本当に、嬉しそうに微笑む父さんと母さんを見て、俺はぐっと……背筋を伸ばした。
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夕食を終え、俺はフィオナを家まで送った。
といっても、隣なので徒歩数秒だが。
「ありがとう……アスト」
「あ、ああ……」
向かい合ってそう言った彼女をまともに見れず、俺は思わず目を逸らした。
「……なぁアスト、嫌なら嫌って言っても───」
「いや、違うっ……そうじゃないんだ。ただ、その……ごめん……ちゃんとする」
俺は、勇気を振り絞ってフィオナの顔を見る。
今日は満月。
いつもより明るい夜の中で、彼女は不安げに俺を見つめていた。
「お、俺は……俺はお前が……好きだ。ずっと昔から……そうだった。嘘じゃない」
「アスト……」
彼女の瞳が潤んでいくのを見て、途端に自分が情けなくなった。
馬鹿だ……俺は。
「恥ずかしくて言えなかったのもある……けど、もしお前に嫌われたらって考えたら怖くて───」
その時、フィオナに抱きつかれ、俺は自然と彼女の背中に手を回した。
「ごめん……父さんの言う通り意気地がなかったんだ。本当なら、俺から言わなきゃいけなかったのに……言わせちまった」
彼女は俺の胸に顔を埋めたまま、首を横に振った。
「いいんだ……こうなれたなら……それで」
今、やっと分かった。
普段飄々としてるから気づけなかったが、フィオナも不安だったんだ。
本当に、俺は馬鹿だ。
「フィオナ……俺はどこにもいかないよ。ずっとお前の側にいる」
俺の背中に回った彼女の手が、少しだけ力を増した。
「うん……そうしてくれ」
胸に顔を埋めたまま、か細い声でそう言った彼女の頭をじっと見つめる。
月明かりに照らされた綺麗な黒髪に手を触れると、彼女が不意に顔を上げた。
そして、俺たちはそのまま、唇を重ねた。
「……ふふっ」
離れた途端、彼女はまた悪戯っぽく笑う。
そのあまりのかわいさに、俺は思わず目を逸らした。
「君は本当に恥ずかしがり屋だな」
「う、うるさいな……」
「ふふっ……さ、今日はもう寝よう。明日から忙しくなるぞ」
「ああ……そうだな」
「それじゃ……」
互いの身体が離れる。
それだけで少し、切なくなった。
「おやすみ……アスト」
「ああ……また明日な」
彼女は最後まで俺を見ながら、自宅の中へと入っていった。
それが愛おしくて───
「今日……寝られるかな……」
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「───スト……おい! アストッ!」
「んえっ!?」
いきなり叩き起こされ、訳の分からないままに身体を揺さぶられる。
「起きろアストッ……俺の目を見ろッ!」
「え……あ……と、父さん……?」
そこでようやく、俺の肩を強い力で掴み、ひどく慌てた様子の父さんと目が合った。
「聞けアストッ! 俺も何がなんだか訳が分からないが、今この村は……襲撃されている……!」




