10.説明
「…………んっ」
シャレットが朝の日差しを浴びて、まどろみから抜け出す。
「……あっ、そのまま寝ちゃってた」
気付けばシャレットは、ルネのベッドに倒れこむようにして寝ていた。そのせいか、節々が痛い。少しほぐして、伸びをする。
昨夜はルネを見守るため、ずっと起きているつもりだった。彼の目が覚めたとき、すぐ傍にいてあげたかったから。
幸か不幸か、ルネはまだ寝ていた。昨日と変わらず、静かな寝息を立てて。
その様子を見ていると、何だか妙に幼く見える。いや、ルネは元々年下なのだが、いつも丁寧で物腰が柔らかく、どことなく年長者に感じることもあったのだ。
けれど、彼が年下であることには変わりはない。
「ルネ……」
二つしか年齢は変わらないはずなのに、その二つが大きく隔たっている。
――年上って、どう思われているんだろう?
精一杯年上らしく、お姉さんぶっているけど、ルネはどう思っているのだろうか? 何も言わないってことは、別に嫌じゃないだろうと思うのだけど。
静かに、ルネの頬に触れる。
「ねえ、ルネ。あなた、私のことをどう思ってるの?」
答えが返って来ないことはわかっているけれど、起きている彼には、怖くて聞けない。
自分がこれほど臆病だとは、知らなかった。今までは物怖じせずに何でも言える人間だと思っていたのに。
恋は、人を臆病にする。恋をして、初めて知った。
触れた頬は僅かに暖かくて、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「早く起きてね、ルネ。元気な姿がみたいの。好きな人の、元気な姿を」
とても静かに眠るルネを見ていると、シャレットは気付いてしまった。
ここなら、今なら、誰にも何も見られない。何をしても、誰にも気づかれない。
それがわかった途端、胸の鼓動が早まっていく。
きょろきょろとあたりを見渡す。窓が一つだけ、扉が一つだけ。誰もいないし、誰からも覗かれていない。
姿勢を正し、すーはーすーはーと深呼吸をする。
「……よし」
ゆっくりと身を乗り出し、ルネの顔を見つめる。
そしてゆっくりと、本当にゆっくりと、自分の顔をルネに近付けて行く。徐々にルネの顔が近くなり、胸の鼓動も速く強くなっていく。
ごくんっ、と喉を鳴らして、軽く眼を瞑る。そして唇を、ルネのそれに近付けて――
「……ううん」
突然、ルネが声をあげた。
「ひゃっ!?」
驚いて、飛び上がってしまう。同時、椅子が倒れて、大きな音がした。
それを聞いてか、ルネの眉間に皺が寄る。そして、ゆっくりと目を開いていく。
「……ここは」
「ルルルルルルネ!? め、目が覚めたの!?」
「ああ、シャレットさん。ここは……僕の部屋?」
キスしようとして失敗して、気が動転しているシャレットに対して、顔だけをこちらに向け、弱々しく微笑む。
しかし次の瞬間、
「痛っ……」
ルネが顔をしかめた。
「ど、どうしたのルネ?」
先ほどの失敗など頭から吹き飛び、飛び込むようにしてルネに駆けよる。
「いえ、何だか体中が痛くて……マラキアの丘に行っていたのは覚えているんですが、何があったんだろう?」
「あっ、ヴァンさん呼んでくるね。呼べって言われていたし。何があったかも、聞かなきゃ」
お願いします――というルネの言葉を聞いて、シャレットは部屋の外へと出て行った。
ばたん、と閉め、しかしシャレットはすぐに呼びに行こうとしなかった。振り返って額を扉に当て、ゆっくりと眼を閉じた。
「……もう、タイミング悪いよ」
ルネが目を覚ました。とても嬉しいのに、ちょっとだけ残念。
そんな複雑な気持ちを洩らして、シャレットはヴァンたちを呼びに行った。
シャレットが、ヴァンとユノンを小屋へと呼びに行き、四人が部屋に集った。ルネは上半身だけ起き上がり、シャレットはベッドに腰掛けていた。またユノンは椅子に座り、ヴァンは壁にもたれて腕を組んでいた。
「――そこで現れたのが、金属悪魔の鎧戦士だった。とりあえず、ここまではわかったな?」
ヴァンは、マラキアの丘に行き、一匹の悪魔と遭遇すること無く頂上まで辿り着き、群生する薬草を見つけたところで金属悪魔が現れた――と、そこまでの話をした。
「金属悪魔……そんなのがいたなんて……」
震える声はシャレットのもの。その顔は真っ青になっていた。それもそうだろう。一般人にとって、金属悪魔とは死と恐怖の象徴。本来ならば、彼女に話すべきことではない。
しかし、これは前置きなのだ。
「しかし、それを倒したのは俺じゃない」
「えっ?」
声をあげたのは、ユノンだった。
「ちょっと待ってよ。鎧戦士を、あいつが?」
胡乱げにルネをねめつけた。ルネはたじろぎ、「僕は覚えていないので……」と、もごもごと喋るだけだった。
「ヴァンなら楽勝だろうけど、普通の人間には無理よ? 私だって、先手打てないと苦労するだろうし」
「ああ、ただの兵士には勝てるわけがない。ただ――ルネは騎士の才能がある」
ユノンが目を見張った。ルネが横たわったまま、口を開く。
「あの、ヴァンさん。騎士というのは、あの近接型鉱術師のことですか?」
「さすがに知っていたか」
ルネは頷いたが、彼のすぐ近くにいるシャレットは、小首を傾げたままだ。そのためヴァンは、シャレットに対して解説を始める。
「鉱術師というのは、不通の人間では持ち得ない容量を使いこなせる人間のことを指す。無論、そこには明確な才能があり、容量の寡多も先天的なものだ」
継いで、ユノンが口を開く。
「鉱術師になれる人間は、大抵、幼い頃に何らかの事件を犯すのよ。制御できない大きさの容量を――正確には、その容量を作るための素体なんだけど。その容量の素体を持っているから、暴走しちゃうわけ。私だったら火事ね」
「俺はそれを鎮火させて、やはり鉱術師の才能を認められた」
「えっ、ちょっと待ってください。僕はそんな事故、起こしたことありませんよ?」
ルネが当惑するが、しかしヴァンには心当たりがある。
「ルネ、お前の場合はその怪力だ。片手で大剣を振り回せる人間など、鉱術師以外にはあり得ない。ただ、基本四属性にも、上位四属性にも当てはまらないから、鉱術の才能があると思われなかっただけだろう。騎士の才能なんて、滅多にお目にかかれないものだからな」
「騎士……」
「ああ、そうだ。魔剣で悪魔を斬り裂く最強の剣士。魔鉱剣は魔剣の模造品だから、それを使ったことで騎士の力が目覚めたのだろう。その筋肉痛は……才能に身体能力がついていかなかったというところか」
鉱術師でも、初めて鉱術を使った時などは、頭痛に苛まれることが多い。
自分が騎士だということを信じられず、呆けているルネ。
「あの、ちょっと良いですか?」
ずっと口を閉ざしていたシャレットが、おずおずと手を挙げた。
「何だ?」
ヴァンが見やると、シャレットは手をおろし、やや上目遣いにヴァンの様子を伺いながら、口を開いた。
「あの、それってルネには一体何が起こるんですか? 体に悪いこととかが起きたりはしないんですか?」
予想もしていない質問に、虚をつかれた。
あまりに当たり前で、とても優しい問いだった。
「……俺たち鉱術師よりも、遙かに身体能力が強化されるため、その反動で身体に影響が現れている。しかしそれ以外は、害となることはない。むしろ騎士として覚醒した結果、容量を使いこなせる体になった」
「あの、すみません。私が聞きたいのは、そういうことじゃなくて」
シャレットが困惑した顔になっていた。
「ああ、すまない。もう少しわかりやすく言うと、鉱術師と似た体質になる。身体能力の上昇以外だと、穢れに強くなる。それから、病気もしにくくなる」
するとルネが「あのー」と手を上げたので、見遣った。
「元々僕は穢れに強いし、病気もほとんどしたことありませんけど」
ルネの主張に首肯する。
「それはそうだろうな。部分的にとはいえ、容量の素体を使用していたはずだからな」
鉱術師の才を持つ人間は、目覚める前から常人と異なる。やたら運動神経が良かったり、やたら頭が良かったり。ルネのようなパターンは珍しい。
「ともあれ、その筋肉痛さえ治れば、後は自分の体を、騎士のものへと変えていくだけだ。今まで以上の精進が必要だろうが、それに見合う力は手に入る」
先ほどから難しい顔をしていたシャレットは、首を傾げながら、自信なさげに唇を動かす。
「えっと……その、つまりルネはもっと強くなれるってことですか?」
「そうだ。騎士としての証明――魔剣と従者を得ることが出来れば、ローザの下級兵士などで、燻らずに済むだろうな」
そこで一度言葉を区切り、ルネを見据える。まだ体が思うように動かず弱々しい姿だったが、ヴァンの強い視線を真正面から受け止めた。
「ルネ、お前がどうするかを聞いておこうか。独りで鍛練するのなら、それはそれで良いだろう。鍛練せず、ただの兵士として過ごすのも……お勧めはしないが、出来ないわけでもない」
「師を探す、というのは?」
ルネの提案を、鼻で笑った。
「騎士を? 絶対数が少ない上、大抵は国家に属しているぞ? フリーの騎士もいるにはいるが、それこそ超一流しかいない。相当な額をふっかけられるぞ? それでも良いなら、俺が紹介しても構わないが……俺の知っている騎士は人格破綻者だから、お勧めはしない」
「類は友を呼ぶって言うわよね」
「お前にだけは言われたくない」
ユノンの横槍に、ヴァンが慣れた様子であしらう。
「じゃあ、どうすれば……」
「俺が指導してやる」
「……………………………………えっ?」
消沈したルネは、その意味を理解するまでに時間がかかった。
「でもヴァンさんは騎士ではないし」
「騎士だって鉱術師だ。基本的な部分に関しては、騎士も鉱術師も大差ない」
「でも、お金が……」
「どうせ男が起きるまで滞在するつもりだったからな。滞在費と……そうだな。足りない分はボランティアというところで」
ブッ、とユノンが噴き出した。そして、ケタケタと笑い始めた。
「ヴァンが、ヴァンがボランティアですって! あはははははは!」
「そんな笑うことじゃないだろ!」
眉を吊り上げるヴァンなど意にも介さず、ユノンは笑い続ける。
「あははっ! 私は別にいいんだけどさー。あーもうほんと、おかしいったらありゃしないわ」
ユノンは、ひとしきり笑い、声をあげて笑うのは止めた。まだ口元はにんまりと笑顔だったが。
ユノンの馬鹿笑いに、呆気にとられた二人へ向け、ヴァンは咳払いをする。
「とにかくだ。金のことは気にするな。あてが外れて懐具合は良いとは言い難いが、問題はない」
「金を取れるときはどんな時でもとるくせにー」
「横槍を入れるな。相手によりけり、だ」
ニヤニヤユノンを半ば無視することに決め、ルネに再度問うた。
「ルネ、どうする?」
ルネはヴァンから目を逸らし、シャレットを窺った。シャレットはそれに気付くと、正面から受け止めて優しく笑った。
それを見て、ルネはヴァンの方へ視線を戻し、少しためらいながらも、
「お願いします」
力強い声で頷いた。




