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9.帰還

 ルーヴェの小さな門の前に佇む姿が一つ。シャレットだ。

 彼女は数時間前から、門の前に立っていた。唇を噛み締め、門を睨みつけるようにして。


 もう日は沈み、薄暗くなっていた。

 昼過ぎに、ヴァンとルネがマラキアの丘へと向かった。本来なら、夕方には戻ってくるはずだ。


 そう、戻ってくるはずだったのだ。

 しかし、未だ戻らない。それがどういう意味を持つのか――シャレットは考えたくはなかった。考えたくはないけれど、嫌でも思い浮かんでしまう。

 マラキアの丘へと出かけて行った人間は、誰一人として戻ってはこない。それはつまり――

 ブンブンッ! と、首を振って嫌な考えを吹き飛ばそうとする。けれど脳裏に染みついたそれは、なかなか削ぎ落ちてはくれない。


「まーだそんなとこにいやがるのか」


 粗野な声が聞こえ、振り返るとそこには、ミランがいた。いつもの汚らしい格好で、あきれ顔を浮かべていた。


「マラキアの丘に言ったやつらが、戻ってくるわけねえだろ? ばっかじゃねえの?」

「そんなことありません。ルネが戻ってくるって言ったんです。ユノンさんが、絶対に心配ないって言ったんです!」


 自分自身に言い聞かせるように、声を張った。

 それに対し、ミランは嘲笑する。


「へっ、戻ってくる? 絶対に心配ない? ホント、どこまでおめでたいんだよ。あの悪魔って奴らは、そんな生易しくはねえ。奴らはもう既に――」

「嫌! 止めて!」


 ミランの声を遮り、耳を塞ぐ。目を閉じ、膝を抱える様にして座り込んでしまう。

 シャレットだって信じたくはない。けれど、彼らは戻って来ないのだ。

 その姿を見てミランは、嬉しそうに笑う。


「耳閉じようが、事実は事実だろ? 奴らが死んだっていうことは」

「誰が死んだって?」


 驚き、二人が振り返ると、門が開いていく。

 そして現れたのは、ルネを背負ったヴァンだった。


「ルネ!?」


 すぐさまシャレットが立ち上がり、ルネに駆け寄る。


「待て」


 ヴァンがシャレットを制止する。ルネに伸びた手が、咄嗟に止まる。


「致命傷はない。ただ、疲労が極限にまで達している。休ませるために、こいつを送りたい。どこに行けばいい?」

「バーボルさんの――私の家まで。ルネはそこに下宿しているから」

「そうか。頼む、案内してくれ……おい、そこのお前」


 予想外の事態にミランは口をあんぐりと開け呆けていたが、ヴァンに呼ばれ、「お、おう」と挙動不審な態度をとりながら、返事をした。


「今日からしばらく、ルネの見張りの番を肩代わりしろ」

「お、おう――って、は?」


 その言葉の意味がわからなかったようで、ミランは首を傾げる。

 ヴァンは「急いでるのにな」と呟き、嘆息した後にミランを睨みつける。


「この状態じゃ、ルネは動けないからな。普段働いていないんだから、その分だけやれ」


 言い切ると、ヴァンは文句を喚き出したミランを無視し、歩き始めた。

 シャレットは慌ててその後を追う。

 ヴァンはとてもルネを背負っているとは思えない速度で歩いていく。鎧と大剣を身につけるルネという荷物を抱えているのに、シャレットは小走りにならなければならなかった。


 しばらくすると、自分の家が見えてくる。家畜小屋などがないだけ他の家よりもやや小さいが、その分だけ人の住める場所は広くとってある。シャレットを引き取った、医者のバーボルの家であり、またルネの下宿先でもあった。

 家に入ると、バーボルが顔を出し「お帰り、シャレット」と迎え出てくれた。しかし柔和だった表情はすぐに驚きへと変わる。息を切らしたシャレットの背後にいたヴァンと、その背中にいる気絶したルネを見たためだろう。


「バーボルさん、こいつは体力を消耗して気絶しているだけだ。適当に寝かせていれば、そのうち起きるだろう」

「あ、ああそうか。それなら……いい。ルネの部屋は、この奥だ」


 バーボルが先導し、ヴァンを案内する。その後ろを、シャレットが続く。

 小さな扉を開き、部屋へと入る。途端、ルネの匂いが胸に染み込んでくる。数日前にも来たばかりだが、シャレットにとってここはただの部屋じゃないということが、思い知らされた気分だった。


 ヴァンはすぐにルネをベッドに降ろし、てきぱきと鎧を脱がせる。肌着姿になったルネを寝かせたまま、鎧を片付けた。

 ルネの寝息が聞こえ始めた。歩いている時は、そんなものを聞く余裕もなかった。

 だからだろう、大きく安堵の溜息をついてしまった。


「さてと。とりあえず俺の仕事は済んだ。こいつが目を覚ましたら、教えてくれないか?」


 と、ヴァンはシャレットに肩を竦めた。


「えっ? はい、もちろんそうですが……起きたら、ヴァンさんを呼んだ方が良いのですか?」

「ああ、頼む。それにこいつも、俺に会いたがるだろうしな」


 不敵な笑みを浮かべるヴァン。


 ――何が、あったんだろう?


 そう思って口を開こうとするが、ヴァンが掌を突き出し制止した。


「待て。どうせルネにも話すことになるんだ。ルネが目覚めたときに全部教える」


 仕方なく、シャレットは口を閉ざす。その様子が面白かったのか、ヴァンが少しだけ笑った。


「それじゃ頼む。バーボルさん、これ赫花だ。根っこごと何本も持ってきたから、投薬してくれ。余ったらやるよ」

「……分かった」


 ヴァンの後ろで黙っていたバーボルが頷く。


「よし……と、ついでに町長の家も教えてくれないか? 今日は遅いから、明日にでも訪ねておきたい」


 一瞬――シャレットの勘違いかと思うくらいにほんの一瞬だけ、バーボルは顔をしかめた。

 しかしそれはすぐに消え、やや迷惑そうにしながらも、頷いた。

 部屋の外へと出て行く。ヴァンも、その後を追う。

 部屋に残ったのは、シャレットと気絶したままのルネだけだった。

 シャレットはルネの傍に座る。静かに眠るルネは、まるで死んでいるかのようで、ただ口から洩れる吐息だけが、彼が生きていることを実感させた。


「お疲れ様、ルネ」


 シャレットは優しく微笑み、彼の頭を撫ぜた。




 翌日、ヴァンは町長宅を訪ねていた。


「――というわけで、あのマラキアの丘は薬草の宝庫だった。悪魔もその一体を除いては、強力なものは全く見当たらない。この町の収入源としては有益なものだろうと思う。どうだ?」


 ヴァンは淡々と、白髪の壮年の町長に語りかけて行く。隣ではユノンがつまらなさそうに座っている。

 革張りのソファーに、塗の施された輸入モノの机。その上には、ボッツ帝国北部の特産品である白磁のカップ。しかしそれに注がれているのは、ヴァンの嫌いな泥水コーヒーだった。


 ヴァンは、あの丘の状態について、この町の責任者へ告げようと思っていた。無論、金になるからだ。情報それすなわち金。ヴァンの認識ではそうだった。

 しかし町長は、話を聞いてみないとわからないと言い張った。おかげでそのほとんどを話す羽目になってしまった。

 目の前にいる町長が口を開く。


「そうだな。薬草は確かに我々にとって有益なものだろう」

「全くだ。だから――」

「しかし私たちは、あの丘に薬草が自生していることを知っていた。だからあなたに支払うものは、何もない」


 ――待て待て、キレるな俺。

 思わず魔鉱剣に手が伸びそうになるが、全力を尽くしてそれを思い留める。

 そして、震えそうになる声を必死で留めながら、続けた。


「……しかし、悪魔は倒した」


 正確には、ヴァンが倒したわけではないが。けれど言わなきゃ分かるまい。


「あなた方が勝手にやったことだ。金を支払うことではない」


 ぶっちぃ、と何かが切れる音がした。


「ふ、ふざけるな! こっちはあんたらの危険を除外したというのに、何で無収入になる!? 金払え!!」

「私が頼んだことか?」

「頼まれなくても助けてもらったのなら、礼くらいするものだろう!?」

「そうだな、ありがとう」

「あんた、俺を挑発しているのか……!?」


 ぎりぎりと歯軋りするヴァンだったが、町長は眉一つ動かさない。田舎者だと思って舐めていたのは、ヴァンの方だったらしい。


「ホント、金が絡むと冷静になれないんだから……」


 呆れるユノンの声も、ヴァンには届かないようだった。


「さあ、そろそろ帰ってもらおうか。これでも私は忙しいんだ」


 しばらく二人はにらみ合っていたが、ヴァンが乱暴に立ち上がり、足音を立てて扉の方へと歩き出した。

 しかしヴァンは、扉に手をかけたところで立ち止り、振り返って口を開く。


「マラキアの丘、昔は何かに使っていたのか?」

「……悪魔が棲みつく前は、その薬草をとっていた。それがどうかしたのか?」

「……いや、別に」


 しばし二人は睨みあうが、ヴァンが視線を外し、外へと出て行った。


「どうするの?」


 後ろをついてきたであろうユノンの問いに対して、ヴァンは苛立ちを隠さないで答える。


「あの野郎が隠していることか? 向こうからちょっかいかけてこなければ、どうでもいい。あとは助けた野郎から金を毟り取ってやるだけだ」


 あの町長、相当に金を溜め込んでいる。この田舎町で。絶対に何かある。

 ……だが、それをどうこうするような真似は手間だ。手に入る報酬と労力が釣り合わない。


「ルネからとるつもりは?」

「いいや、あいつにはほとんど何もしてあげられていないからな。金は取らないさ」

「バーボルさんからは?」

「どう考えたら、あの人から金を取る思考になる?」


 わざと言っているのだろう。ユノンが、ヴァンを試していると言っても良かった。

 しかしそれは、ヴァンに対する侮辱にもなりかねない。ユノンだからこそ許される、いわば兄妹の絆だった。


「お疲れ様」


 だからだろう、いつもよりも労いの言葉が優しかったのは。


「大したことじゃあないさ」


 ぶっきらぼうに答えるヴァンは、振り返らない。




 町長は二人の旅人を見送ると、大きな溜息をついた。


「全く……今は一体しかいないことくらい、知っているに決まっているだろう」


 白髪の町長は、しかしまだ三十代だ。気苦労のせいで真っ白になった髪を掻き毟りながら、彼は悩む。

 ルーヴェの町は、貧しかった。それをまともな状態にまで底上げしたのは、彼だった。

 それゆえ町人は彼を尊敬し、それだけの贅沢を許されていた。彼は、それを見返りとしてありがたく受け取っていた。


 しかし、彼だってそれなりに考えている。いつまでも同じことは出来ないし、ここ数年はあまり上手くいっていない。このあたりで成功例を出さねば、またルーヴェは貧困へ逆戻りだ。そうなれば以前のように飢え苦しむ町人が出てくる。


 それだけは、何としても防がねばならない。


 その上、あの男は何かに勘付いてしまったようだ。もし秘密が露見してしまえば、自分も無事では済まない。あの男は、出来るだけ早く追い出してしまいたいところだが。


「手立てはない、か」


 深く溜息をついた。

 しばらく目を瞑って物思いにふけっていたが、おもむろに立ち上がり、長方形の机の四隅を叩く。その後に中央を軽く触るようして何度か叩く。

 そして、机の手前を軽く引いた。

 すると、中央から机が割れ、中から長い木箱が出てきた。

 何かの役に立つと思って手に入れたが、全く解析できずに無用の長物となったもの。専門知識を持っていないせいもあるが、それにしても高い買い物となってしまった。


「これもどうするか。まさか取引相手が襲われるとは」


 少しでも高く売ろうと画策していたというのに、何と運の悪いことだろうか。

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