第1話 乙女ゲームの世界に生まれたと気づいた日
五歳の私、ソフィア・ルミナリアは、父に連れてきてもらった王宮の庭を、侍女のリナと二人で歩いていた。習ったばかりでお気に入りの『バラの女王たち』という童歌を、ご機嫌で歌う。
その庭がちょうど薔薇のシーズンで、様々な色や形の薔薇が咲き誇っていたからだ。
『黄色のバラは〜嫉妬して〜、ピンクのバラに〜衝突する〜』
五歳なので意味はよくわかってないが、韻を踏む響きが好きで、何度も繰り返し歌っていた。
『赤いバラが〜微笑んで〜、白いバラで〜ほぼお終い』
「それ、どこの言葉?」
「ふえ?」
何度めかの歌い終わりに横から突然声がかかり、私は立ち止まった。
そちらを向くと、綺麗な服を着た金髪に青い瞳の、どこかキラキラした感じの男の子が、赤毛の男の子を連れて立っていた。
「聞いたことのない言葉だけど、他国の言葉だよね? ヒットってどういう意味?」
「ええと……お隣のリヴェリアっていう国の歌で……ヒットはぶつかるって意味です、多分」
「お嬢様、この方は——」
「言わなくていいよ。今は休憩時間なんだ」
リナが緊張した顔で何かを伝えてこようとしたが、金髪の男の子は笑顔でそう言って手を振った。
「小さいのに、もう他国の言葉を話せるなんて、君はすごいね」
にこりと、すごく綺麗な笑顔で褒められる。嬉しくて、えへへって笑いそうになって——その瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。
この光景、どこかで見たことがある。
知っている。王太子ルートの終盤で語られる、子供の頃の出会いのエピソードだ。
乙女ゲーム、花咲く恋の輪舞曲。その攻略対象である王太子セリオンが、他国の言葉に興味を持つきっかけになった——あの場面。
つまり、私……ヒロインに転生してる?
その後のことは、突然戻った前世の記憶に頭がいっぱいになってしまって、正直よく覚えていない。気がついたら、父も一緒で帰りの馬車の中だった。父もリナも、眠気に目をこする私のことを気遣わしげに見ている。特に何か怒ったりはしていないようなので、無事に何事もなく王子様との対面は終わったのだろう。よかった……のかな?
さっきのことを思い出す。うん、間違いない。さっきの金髪の男の子は、王太子(予定)のセリオンだ。そうしたらきっと、あの王太子(予定)の後ろにいた赤毛の子って、子供の頃のアルベルトだよね? あんなに小さい頃から、王子様の側に仕えていたんだ……。
騎士団長の息子のアルベルトは、推し声優が声を当てていて、何度もルートを周回したキャラだった。柔らかくて、耳に心地よいビロードみたいな声が、落ち着いた敬語で喋るのが本当に好きだった。子供の頃の声はどんなだったんだろう? 聞いてみたかったな。
あくびを噛み殺し、そんなことを考えながら家に帰る。帰ったら、落ち着いて思い出したことを整理しよう。それまでは迂闊なことを言わないように、眠ったふりだ。
いや、眠いのは確かにそう。子供の身体って、どうしてこんなにすぐ眠くなってしまうんだろう。
ウトウトとしてきた身体が、座席にズルズルと寄りかかってしまう。隣の席のリナが、倒れないように自分の身体の方に引き寄せてくれた。安心して寄りかかる。もう、意識が保てない……。
目が覚めた時には、夜だった。ベッドの中に、ネグリジェに着替えさせられて横になっていた。
思っていたよりも長く寝てしまった。起き上がると、枕元に布をかけられた軽食が置かれていることに気がつく。もう、みんな休んでしまったのか。
男爵家の使用人はそれほど多くなくて、私についているのは、母親がお嫁に来た時から一緒についてきているリナ一人だ。それも、ずっとではない。時には、まだ小さな弟の面倒も見てくれている。
いつも、私たちの夕食の時間が終わって、歯を磨いて私が寝巻きに着替えたら、リナの仕事の時間は終わり。でも、今日は私が夕食の時間になっても寝たままだったので、代わりに軽食を枕元に置いて出ていったのだろう。
布を捲ると、皿の上に私の好物の、三口ほどで食べられる小さなポークパイが二つと、旬のさくらんぼがいくつか乗っていて、隣には冷めても美味しいコンソメスープがカップに入って置かれていた。
これで一晩、一人でゆっくり考える時間ができた。さくらんぼを口の中に放り込み、そう思った。
ゆっくりと蘇った記憶を探る。私の前世は、こことは全く違う文明の日本という国に住む、陰キャなオタクだった。
大学を卒業して、新社会人になってしばらくしたところまでしか記憶にない。良いのか悪いのか、何が原因で死んだのかといった生々しい記憶は、今のところないようだった。
そんなことよりも、今はこの世界が前世でやりこんでいた乙女ゲーム、花咲く恋の輪舞曲の世界で、どうやら私がそのヒロインに生まれ変わっているということが問題だ。
推し声優が攻略キャラの一人の声を当てていたので買って、まんまとハマったゲーム。一番の推しはもちろん、推し声優が声を当てていた騎士団長の息子のアルベルトだが、一応は他の攻略キャラも一通り攻略した。どのキャラも性格や属性が違っていて、声も人気声優ばかりで、それなりに楽しめた。
けれど、こうしてその世界に生まれ変わってみると、ヒロインの人生を自分でやるなんて、とてもできそうにない。
だって、このゲームのヒロインってコミュ力お化けの天真爛漫な人たらしだ。とても私のような陰キャのオタクに、真似などできるはずがない。
そもそも、ゲームだから純粋に楽しめていたけど、現実であんなキラキラしているハンサムキャラと恋できる気がしない。
それに、今はこの世界の常識も、子供ながらにある。うちは男爵家。平民に比べたら充分贅沢だけど、貴族としては下位になる。
それなのに、攻略対象は一番下でも伯爵家令息。上は王太子だ。考えるだけでもお腹が痛くなる。
こんな高位貴族たちとお付き合いをするのだけでもしんどいけど、万が一にも結ばれて結婚……となったら、高位貴族向けの高度なマナーも勉強も教養も、バッチリやらなくてはならなくなる。
ゲームと違ってここは現実だ。攻略して終わりではなく、人生はそのまま続いていくのだから、自分にできそうにないことは無理してやらないほうがいい。そうに決まってる。
そうだ。乙女ゲームの始まる学園入学前に、攻略対象以外と婚約してしまおう。マナーも教養も男爵家で習う程度でも通用する、裕福な商人の家か、同じ男爵家、せいぜい子爵家の人間と先に婚約してしまえばいい。そうしたら、学園で攻略対象と絡むこともなく、私に相応しい平和な人生を送れるはず。
軽食を食べながら、そう決めた。私は、ゲーム通りに生きない。そういうルートを選んだ。




