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箱庭の進化 〜世界にダンジョンが現れた日〜  作者: 観測者
3章

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63/80

閑話、国内外の動き

官庁の、窓の開かない部屋。


鷲尾修司は、机の上の紙束を指で揃えた。

この時代、いまだに紙で情報を管理している。

政府というものは呆れるほどに、新しい物への適応が遅い。


眠気はもうない。

眠る段階を過ぎた人間の頭は、妙に乾いている。


壁際のモニターには地図が映っている。

国内。国外。赤い印。黄色い印。灰色の空白。


ドアが開く。


若い職員が、封筒とタブレットを抱えて入ってきた。


「更新入りました」


鷲尾は頷いた。


「順に」


職員は封筒を机に置く。

白い紙の端には、簡易な見出しが打たれていた。


米国。

中国。

東南アジアの一部地域。

中南米。

可食性個体。

未承認流通。


紙だけで、胃が重くなる。


鷲尾は一枚目を取った。


「米国からです」


職員が言う。


「低層個体に対しては、地域差はありますが、比較的早く対処が進んでいます。銃器保有率と即応性が大きいようです」


鷲尾は紙面を追った。

住宅街。駐車場。州兵。保安官。散発的な発砲。

上層の個体なら、銃火器で押し切れている。


「ただ」


職員が一度言葉を切る。


「銃で処理した人員は、近接で倒した例に比べて、成長が鈍いという見方が一部で広がっています」


鷲尾は視線を上げた。


「広がっている、では曖昧だな。どこまで確度がある」


「帰還者の自己申告と、現地フォーラム、動画投稿者の検証です。公的確認ではありませんが、複数、似た傾向が出ています」


鷲尾は短く息を吐く。


低層は銃で片づく。

だが銃に頼るだけでは、潜る側が伸びない。


紙をめくる。


バール。山刀。斧。警棒。即席の槍。

火器を後ろに回し、前に出て近接で倒す動画の切り抜き。

編集済みの記録映像。潜行前の説明。帰還後の報告。コメント欄の翻訳。


電波が届かない以上、生中継はない。

だが帰ってきた後の映像で十分だった。

危険は、それだけで商品になる。


「探索はどこまで」


「不明です。ただ、進んでいるのはその手の連中です。銃で入口を確保して、近接に切り替える。あるいは最初から近接主体で潜っています」


「対応はどうなっている」


「州ごとにばらついています。潜行許可の扱いも、買い取りも、違法化の範囲も統一されていません」


統制が取れていない。

だが、それだけではない。


鷲尾は紙を見ながら思う。


取る気が感じられない。

少なくとも、最初から一枚岩で締め上げるつもりはない。


もう一枚。

淡赤の瓶についての報告。

呼び名は違う。回復薬。赤薬。リカバリー。

だが中身はだいたい同じだった。


確認時期も、日本と極端にはズレていない。


鷲尾はそこで紙を置いた。


日本だけが先行しているわけではない。

どこも同じくらいの速度で、同じ壁にぶつかっている。


「次」


職員が別の束を開く。


「中国です」


そこで部屋の空気が少し変わる。

口には出さない、疑念と危険視。


「初期混乱は相応にあったとみられます。ただ、その後の封鎖、移動制限、区域管理は非常に速い。無許可潜行については重く取り締まられているようです」


「これまた曖昧だな」


「はい。出てきている情報がほとんどありません」


情報を出させていない。


紙面には、短い要約だけ。


民間映像はすぐに消される。

転載元は追えない。

投稿者の所在が途切れる。

外に流れるのは封鎖線の映像ばかり。


「ポーション類似の情報は」


「可能性はあります。ただ、確認不能です。発見されていても外には出ていない、という見方が強いです」


「深層調査は」


「進んでいるとみられますが、実態不明です」


鷲尾は紙の余白を指で押さえた。


民間を締め上げ、情報を閉じる。

国家主導に集約する。


筋は通っている。

少なくとも、あの国としては。


だが日本は、そこまで振り切れない。


「次」


「東南アジアと中南米の一部、それからアフリカの一部地域です」


職員の声が少し硬くなる。

読み上げる内容が軽くないとき、だいたいこうなる。


「封鎖能力や治安維持能力が足りず、初期被害が拡大した地域があります。一方で……」


一方で。


その先が、この報告の本題だった。


「住民のダンジョン忌避が、かなり薄いです」


鷲尾は顔を上げた。


職員は続ける。


「生活基盤が弱い地域ほど、危険であること自体が参入障壁になっていません。潜れば食えるかもしれない、持ち帰れば売れるかもしれない、その判断が先に来ています」


写真が添付されていた。

整っていない市場。雑多な布の屋根。肉。骨。乾燥中の皮。

真贋も衛生も分からない。


「可食性については未確認が多いですが、魔物由来肉への期待が急速に広がっています。食料難地域では特に」


「死者は」


「多いです」


即答だった。


鷲尾はそれ以上聞かなかった。

紙に書かれている死者数は、実際より少ないはずだ。

確認できていない者も多くいる。


危険だから行かない、ではない。

危険でも行くしかない。


その理屈は、日本の役所に座っていると忘れやすい。

だが世界は、それで動いている。


ドアが開いた。


入ってきたのは、腹の出た男だった。

歩幅は小さく、音はない。

だだ、部屋の空気だけが一段、下がる。


狸原泰三。

元警察庁長官。今は政府の顧問として、誰にも頼まれない意見をよく持ってくる男だ。


顔は緩いが、目は笑っていない。


「まだやっとるのか」


誰にともなく言って、空いている席に腰を下ろす。

許可を待つ気配はない。


「狸原さん」


鷲尾が言う。


狸腹は手をひらひらと振った。


「いい。挨拶は省け」

「どうせ似たような報告だろう。米国は勝手に潜る。中国は隠す。貧しい国は死にながら潜る」


職員の手が止まる。

鷲尾は紙を閉じた。


「雑にまとめるなら、そうです」


狸原は鼻で笑った。


「結構。結論は変わらない。民間に持たせるな。情報も、力も、金もだ」


鷲尾は返さない。


狸原は机を指で叩いた。


「若いのに武器を持たせて、ダンジョンに潜らせる制度など論外だ」

「今は英雄ごっこで済んでいるかもしれん。だが深層まで行ける連中が育ったらどうなる」

「警官が止められん人間が、民間で何十人、何百人と出る」

「犯罪。私兵化。政治への圧力。極端な話、地方で武装集団が自治を名乗ったらどうする」


若い職員が息を止めた。


狸原は構わず続ける。


「それから情報だ。深層情報、ドロップ情報、特殊個体、薬品。どれも国家の札になる」

「民間に流してどうする。国外に流れたらどうする」

「ネットに載せる?馬鹿げてる。国だけで秘匿すべき情報があるだろう」


鷲尾は言った。


「隠せる段階はもう過ぎています」


狸原の目が細くなる。


「口に戸は立てられん、か」

「逃げ口上だな」


「いいえ、それが現実です」


鷲尾は紙を一枚引き寄せた。


「帰還者はいます。海外情報も入ってきていて、動画もある。D networkも機能し始めている。全部を潰そうとすれば、表から消えて裏に潜るだけです。時代は変わってきてるのです」


狸原が口元だけで笑う。


「なら潜らせるのか。国が認めた形にして」


鷲尾は答える。

「もうすでに認めて、潜っています」


そこで一拍置く。


「問題は、死なせるか、管理するかです」


部屋の奥の時計が、カチカチと乾いた音を立てている。


しばらくして、職員が別の資料を渡してくる。

国内分だ。


探索者ランクの暫定改定案。

D network運用案。

買い取りと申告の整理。

アクセス権限の階層化。


鷲尾は一枚目を開いた。


「現行のランク制度は、現場の実態に追いついていません」

「暫定で、七層突破者をEとする。以後は突破階層と実績を見て段階的に見直す」


狸原がすぐに噛みついてくる。


「階級か、勲章でも配るつもりか?」


「選別です」


鷲尾は言った。


「誰がどこまで行けるのか、明確にして動かします」


次の紙。


「D networkは全面公開しない。Fは基礎情報と一層から七層までの危険情報まで。E以上で閲覧範囲を拡張する」

「深層に近い情報ほど、突破実績のある者にしか見せない」


狸原が眉を上げた。


「甘いな、見せること自体が甘い」

「無謀に潜って死ぬ人間まで、国が面倒を見る義理はない」

「勝手に減る分には、むしろ整理が早いだろう」


鷲尾は言う。


「形にして見せなければ、人は噂で潜ります」

「人を多く殺すのは噂の方です」


狸原は黙る。気に食わない顔をしている。


鷲尾は続ける。


「買い取りも同じです。税率を上げすぎれば、闇流通に回ります」

「強制買取一辺倒にすれば、隠匿が増える。申告しない、見せない、持ち帰る。そうなれば把握も保護もできません」


狸原が低く言った。


「国家の手を嫌う者に、なぜ配慮が要る」


鷲尾はそこで初めて狸原をまっすぐ見た。


「国家が全部拾えるなら、配慮は要らないかもしれません」

「拾いきれないのです、そのために制度が要ります」


部屋が静かになる。


張り詰めた空気。


狸原は椅子に深く座り直した。


「お前は、人間を信用しすぎだ」


鷲尾は首を振る。


「違います」

「信用はしていません。だから線を引いています」

「登録、ランク、閲覧制限、買い取り、記録。全部そのためです」

「現場を無いものとして扱うのは、現実に即していない」


狸原は返さなかった。


窓のない部屋。

紙の匂い。コーヒーの冷えた匂い。


世界はもう、封鎖線の向こうだけの話ではなくなっている。


アメリカでは、個人主義がより表面化してきている。

中国では、見えないまま進んでいるものがある。

貧しい場所では、恐怖が薄れてきている。


日本だけが止まっていられるはずがない。


鷲尾は資料の最後のページを見た。


探索者協会。

暫定運用。

ランク改定。

情報階層化。

調査隊増員。

買い取り制度整備。


急ごしらえの言葉が並んでいる。

急ごしらえでしか間に合わない。


狸原が席を立つ。


「死人が増えた時、同じことを言えるなら大したものだ」


それだけ言って、狸原は出ていった。


ドアが閉まる。


鷲尾はしばらく、その音の消えた後を見ていた。


どのみち死人は出る。


その上で減らすしかない。


紙を閉じる。


「Eは七層突破」

「D networkは案二で詰めてください。Fは基礎まで。ランクに応じて段階開示」

「買い取り税率はそのまま一律一割で」

「深層情報は分ける。全部を出す必要はないが、全部を隠す意味もない」


職員が部屋から出ていく。


部屋の空気が、少しだけ前に進んだ。


鷲尾は残ったコーヒーを口にした。

冷えて、苦い。


それでも十分だった。


未知を閉じ込める段階は、もう終わっている。

国は、潜る者を必要としていた。


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