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灰被りのピアニスト

 やあ、御機嫌よう。ぼくは灰被りのルーだよ。よろしくね。今日もぼくはお義母さまの言いつけで暖炉掃除に床磨きと大忙しさ。

「灰被り、床が汚れてるわよ、さっさと片付けて」

「灰被り、こっちにもゴミが溜まってるわよ」

 義母さんと義姉さんと義妹はテーブルについてごはんを食べながら、ぼくの焦がしたアスパラガスだとかニンジンだとかを床にぽいぽい投げ捨てる。

 いつまで経ってもぼくの料理の腕が上がらないからみんなお冠だ。でもしょうがないよね。人には向き不向きってもんがあるんだから。

 跪いて床に落ちた野菜を拾い集めていたらエプロンの裾を義姉さんに踏まれてぼくはすっ転ぶ。すっ転んだついでに汚水の入ったバケツをひっくり返して、床は惨憺たるありさまだ。

「あらあら、またこんなに床を汚して、仕方のない子ねえ。朝までには綺麗にしておきなさいよ」

 義母さんはホホホと鷹揚に笑ってそう告げて、義理姉さんと義理妹は口を隠してくすくす笑う。

 汚水塗れになったぼくはむくりと起き上がって雑巾を手に取り、濡れた床をごしごし磨く。これが今のぼくの仕事なんだ。生まれる家をこどもは選べない。だから仕方のないことなんだ。

 義母さんはぼくのほんとの母さんじゃない。ほんとの母さんは病気で死んじゃった。その後に父さんが再婚したのがいまの義母さん。それで、姉と妹は義母さんの連れ子だ。

 再婚した後に父さんもすぐ死んじゃって、家屋敷を相続した義母さんがいまのこの家を取り仕切っているというわけ。

 それでぼくは、屋根裏部屋を宛がわれて、日々家事に邁進しているのだ。いつまで経っても全然上達しないけど。

 床磨きを終え、食器も片付けて、やっとぼくは屋根裏部屋に帰る。くたくたに疲れて、ぐたりとベッドに横になるともう指一本動かせない。屋根裏部屋は埃っぽくて隅には蜘蛛の巣が張ってるし時にはネズミがうろちょろするけど、毎日がこんな調子だから、とても掃除の手が回らない。もーどーにでもなれって感じだ。

 赤切れした手がじくじく痛い。ピアノが弾きたいなア、と思って、ピアノは父さんが死んだときに義母さんが売っぱらっちゃったんだった、と思い出す。

 ピアノしか取り柄のないぼくはそれを取り上げられたらただの木偶の坊で、使用人扱いされるくらいがせいぜいだ。この屋敷に置いてもらえなかったら後は物乞い一直線だろう。だから義母さんには感謝しなくっちゃ。ぼくのつくるまっずいごはんをいつも文句言いつつ食べてくれてるわけだし。…使用人を雇うより無料で使えるぼくを扱き使った方が安上がりだからかもしれないけど。

 瞼を下ろすと泥のような眠りがぼくを包む。ネズミに爪をかりかり齧られているのを感じながらぼくは眠る。明日はもうちょっとましな日になっていたらいいな…。


「聞いて、オリンピア、ナタリー、今夜お城で舞踏会があるんですって。村中の娘たちが集められて、王子様の結婚相手を探すんですってよ」

「まあ、王子様の!? お城に行けるの!?」

「素敵! 早速ドレスを選ばなくっちゃ!」

 きゃあきゃあと義姉さんたちが騒いでる。箒を持って埃を集めながらぼくはぼんやりそれを聞く。舞踏会、舞踏会かア。きっとお城には立派なグランドピアノがあるんだろうなア。プロの演奏隊がいて、優雅な音楽が流れて…いいなあ、ぼくも聴いてみたいなあ。

「灰被り、ドレスの試着を手伝いなさい。さっさとして!」

 義姉さんにどやしつけられてぼくは慌てて箒を手放し、バタンと落ちたそれがせっかく集めたごみを跳ね散らかす。

「何やってるの。ほんとに頓馬な子ねえ。もういいわ、あなたは掃除に専念しなさい」

「あの、ぼくも、舞踏会に、行ったりとか…」

「何言ってるの、あなたはお留守番よ。第一あなたは男の子でしょう。舞踏会への参加資格もないわけよ!」

「身の程を知りなさいよ灰被り。大体あんた、その継ぎの当たったボロ服でお城に行こうって言うの?」

「汚水塗れの灰被り、みんな鼻をつまんで逃げ出しちゃうわ!」

 きゃはきゃはと義姉さんと義妹に嗤われて、ぼくはぼんやり下を向く。継ぎの当たった汚れた服に、破れたボロ靴。ボロ靴からは足指が見えてる。こんな格好じゃあたしかに、物乞いにしか見えない。お城まで行ったとしても、門前で追い返されちゃうな。

「さあさあ、オリンピア、ナタリー、今夜の準備をしましょう。とびっきり美しく着飾って、王子様の目を釘付けにするのよ!」

「はい、グロリアお母様!」

 みんなは華やかに笑いさざめき合いながら行ってしまう。

 残されたぼくは箒を拾い上げて、とりあえず散らばったごみをまた集める。

 ぼんやりしすぎて額を窓枠にぶつけたり、またバケツを倒したり色々あって、結局夜が来て義母さんたちがでかけるまでぼくの仕事は終わらなかった。



 ぼくはお庭のベンチに掛けている。

 義母さんたちはもうお城に出かけたから、ぼくがサボっていても見咎められる恐れはない。亡き母さんの花壇のあったお庭は掘り返され、今は畑になっている。収穫ごろの育ち切ったカボチャがでんと鎮座してるけど、いまは畑仕事の気分じゃない。

 空には星がちかちか瞬いて、綺麗なお月様が出ている。

「お城、行きたかったなア…」

 ぼくは赤切れの手を撫でながらぼんやり呟く。叶わない夢だって、わかってるけど。ぼくはこうして、物乞い同然の姿で、一生家族のために働くしかもう道は残されていないんだって、知ってるけど。

「ピアノが弾きたい、いちどでいいから…」

 ぼくはベンチに膝を立ててそこに顔を埋める。今更のことなのに、なんだか涙が滲んできて、止まらない。誰も見ていないんだから、泣き喚いてやろうかな。神様が何事だって、驚くくらいの声で…

「顔を上げなさい、ルー。お前の望みを叶えてあげよう」

 しんとした夜の闇の中で、慈愛に満ちた甘い声がする。大人の男の人の声だ。いったい誰が、いつの間に、お庭に侵入したのだろう。

 思わず顔を上げると、目の前に、男の人が立っていた。

 すらりとした長身に黒い長いマントを羽織り、首元の詰まった黒の軍服風の衣装を着てる。長い脚には黒いブーツを履いていて、手袋した手にはなにかきらきら光る指揮棒のようなものを持っている。

「あなたは、誰…?」

「お前の願いを叶えるために来た。魔法使いだよ、ルー」

「まほう…」

「お前は今夜、舞踏会のピアニストになるんだ。お前にはその資格がある」

「え? え?」

 きょろきょろあたりを見回す。男の人のほかには人影はない。ぼくを騙して、どこかに連れ去ろうとか、企んでるわけでも、ないみたい。

 それにこの人の声は、とても甘くて優しくて、耳に心地いい。思わず信用しちゃいそうな声だ。詐欺師ってこんな感じなのかな…いったい何が目的なんだろう…。

「…疑っているな」

「だって、あやしすぎでしょ。あきらかに…」

「ならば証拠を見せよう」

 男の人がくいと指揮棒を上げて、中空に振り下ろすと、きらきらと微風とともに金色のきらめきが舞い降りて、ぼくの全身を包み込む。

「わ、なに? なに?」

 ビュウと風が吹いて思わずぼくは目を閉じる。なにか温かなものにくるまれているような安心感がぼくを包み込む。目を開けると、ぼくは、ぴかぴかの、新品の、燕尾服に身を包んでいた。足元には星の光を閉じ込めたみたいに輝く銀色の靴がある。

「わあ! え!? なにこれ、手品!?」

「魔法だよ、ルー」

 黒髪の魔法使いはそう言って飴色の瞳で微笑む。

 赤切れだった手は昔みたいにさっぱりと綺麗に整えられ、土の沁み込んだ爪は磨かれたみたいにピカピカだ。

 くんくんと袖口を持って行って嗅いでも、汚水のにおいはしない。ぼさぼさの三つ編みはきちんと櫛を入れたように艶めいて、たらりと肩に垂れている。

「これ、え、ぼくにくれるの? 魔法使いさん…」

「セデュと呼んでくれ」

「…セデュ」

 魔法使いさんは満足げににっこり笑ってこくりと頷く。改めて見ると、とってもきれいな男の人だ。ぼくが今まで見たことがないくらい…。このひとは、どこかの偉い人、だったりするのかな。

「あり、がとう。あ、でも、お城に着くころには、舞踏会、終わっちゃってるかも…」

 ぽそぽそと呟くぼくの声を聞いたセデュはまた指揮棒を振る。金のキラメキがカボチャを包んで、みるみるそれが肥大化し、見事な馬車のカタチになる。彼が指揮棒をもう一振りすると、庭を駆け回っていたネズミがむくむく成長して白馬へと変身する。

「うわあ、すっごい…便利だねえ、魔法って…」

「これで舞踏会に間に合うな。手をお貸し、ルー」

 掌を上に向け、黒手袋の嵌められた手がぼくに差し出される。思わずそこに手を載せると、ぐいと引っ張り上げられたぼくはカボチャの馬車へと乗り込んでいた。

 外から扉を閉めるセデュに向き直り、ぼくは彼に聞いていた。

「きみは、行かないの? 舞踏会…」

「ああ。ここで待っているよ」

「そっか、きみにも聴かせたかったな、ぼくのピアノ…」

「……」

 セデュはなんとも言えない顔で黙り込んでぼくをじっと見つめて、そこから名残惜しいような声でつづけた。

「門限は12時だ。それまでには戻っておいで。決して悪い男に捕まってはいけないよ」

「…なんか違う童話みたいだな…戻れなかったらどうなるの?」

「魔法は解けて、すべて元通りになってしまう」

「わあ、やばいねそれ。了解! じゃあ行ってくるね、セデュ、ありがとう!」

「行ってらっしゃい」

 馬車が動き出し、ぼくは馬車の窓――ガラスは嵌められてない――から顔を出して手をぶんぶん振った。どんどん小さくなるセデュの姿を、目に焼き付けて、それからくるりと向き直った。

 ともかくぼくは、舞踏会に行ける。ワクワクと気持ちが跳ねて、ぼくは有頂天だった。



 会場には村中の娘たちが集められ、着飾って、ワイワイキャアキャアと笑い燥いでいる。

 普段城の舞踏会などには参加できないような庶民、パン屋の娘だとか、農家の娘だとか、あるいは格の低い貴族の三女四女といった面々が、おのおの晴れ着に身を包んで一堂に会す絵は圧巻だ。

 俺はそれを壇上から頬杖ついて眺める。おーおー俺のために皆めかしこんじゃってまあ。可愛らしいったらないね。

「お前の花嫁を決めるための大事な場だ。今日こそは覚悟を決めて、誰か一人を選ぶように」

 隣に掛けた親父が言う。よく言うぜ、自分は毎晩違うお小姓をベッドに連れ込んでお愉しみだってのに。

 俺は親父を見習ったまでのことだ。まあでも、貴族の娘も息子もあらかた食い尽くして飽食の域に達した俺にとっては、ちょっと毛色の変わった相手もいいかもな、なんて思う。一晩遊んで捨てるには純朴な村娘なんかは刺激的でいいかもだ。結婚相手はともかく、遊び相手としては上々――

 ざわりと会場がざわめく。何か異変があったのだろうか、不穏な囁きが波のように壇上まで流れてくる。

 一体なんだ、何があった? 俺は異変の発生源らしき場所に目を投げて――そこで彼を見つけた。

 ひとりのピアニストが、流麗な調べを奏でていた。

 三つ編みにした滑らかなブロンドを肩に流して、金の睫毛を伏せて、その子はピアノに向かい、指先は踊るように楽し気に鍵盤の上を跳ね回る。

 音楽にはあまり興味がないが、その演奏が極上のものであることは耳の肥えた俺には判る。頬を朱に染め夢中になって演奏する彼は輝いていた。それこそ、この会場にいる誰よりも、俺にとっては魅力的だった。

 俺はがたんと席を立ち、つかつかと彼に寄る。グランドピアノ越しに彼を眺める。他のものなど目に入らないと言うかのように集中した彼の、シャンデリアの光をも跳ね返すような碧の瞳の輝きを、嬉し気に綻んだ薄い唇を、透けるように白い肌を見る。

「見事な演奏だね、きみはどこの国のピアニスト?」

 彼が演奏を終え、拍手が沸き起こる瞬間を逃さず、俺は彼に声をかける。

 ぱちりと初めて俺を見た君は頬を朱に染め息を喘がせたまま、夢の続きを見るような目をしていた。

「…ひみつ。ぼくは神出鬼没なのさ」

「謎めいてるね。そいつがきみの手管?」

「そうかもね。…ここのピアノはいいねえ、音がいい。どーんと鳴って、会場によく響く…」

「もしよかったら、僕の専属のピアニストになる気はない? 君ほどの腕なら引く手数多だろうけど…給金は弾むよ。暮らしも保障する。ここに住んで、僕のためだけに、弾き続けてくれないか…」

 渾身の口説き文句を言ったつもりだったが、彼はぽかんとした後、大口開けて笑った。綺麗な白い歯並びに尖った犬歯がとりわけ目立っている。噛みつかれたら痛そうだ。

「きみ、この城の王子様でしょう。今夜は花嫁選びの席じゃなかった? なんでピアニストにプロポーズしてるのさ」

「君が魅力的だからだよ。この会場で、一番輝いているから…」

「そういう話は女の子にしてあげなよ。みんな見てるよ」

「僕には君しか見えないね。僕はマルセル。君の名は?」

「…ルーだよ。よろしく」

 君はそう言ってもぞもぞ居心地悪そうに身じろいで、会場じゅうの視線を跳ね返すように俺に尋ねる。

「何かリクエストはない? 褒めてくれたお礼に、君の好きな曲弾いてあげる。なんでもいいよ…」

「そうだなア、じゃあ君の好きな曲を」

 君は少し考えて、手を鍵盤に載せ、そして息を整えてから、弾き始める。どこかで聴いたことのある曲だ、曲名はわからない。繊細な指遣いがメランコリックな旋律を紡ぐ。俺はうっとりと君の顔ばかり眺めてた。芸術家である君の、夢中で真剣な表情を。

 時間はあっと言う間に過ぎて、広間の時計が12時の時報を打ち始める。

 踊り疲れた貴族の娘たちは部屋の隅に固まり、元気な村娘たちはまだ俺の周囲をうろうろしてる。声をかける勇気はないが、俺の目に留まろうと必死なのだ。普段なら可愛らしく感じるはずのそういった好意を鬱陶しく感じつつ君に目を遣ると、ばっと顔を上げた彼は慌てたように立ち上がる。

「どうしたの、まだまだ宴はつづいているよ」

「あ、うん、でもその、もう帰らなきゃ。門限が…」

「君は幾つさ? 親が勝手に決めた縛りなんか破ってもいい年頃だろう…」

「そういうわけには…じゃあ、帰るね。今日は楽しかった。ありがとう!」

 ぱっと君は扉に向かって駆け出す。あまりの急展開に唖然としていた俺は慌てて君を追った。ここで取り逃がしてしまってはこの小鳥は二度と俺のところには戻ってこない。そんな予感があった。

「待ってくれよ、ルー、せめてきみがどこの子なのか教えて…」

「教えられないんだ、ごめん! 追ってこないでいいよ、みんな会場で待ってるぜ!? …うわっ」

 追いすがる俺に振り向きつつ階段を駆け下りていた君が躓き、ぽろりと銀の靴が一足だけ脱げる。

 小さな靴だ。男の子にしては…

「落としたよ、君の靴…」

 俺が拾い上げているうちに片足だけで君はぴょんぴょん階段を降り切り、あとは猛ダッシュで開いたままの扉を通り抜けて石畳の敷き詰められた表に出、駆けこんできた馬車に飛び乗る。

「待ってくれ、ルー!」

「じゃあね、マルセル、Adieu(さよなら)!」

 ガラガラと猛スピードの馬車は12時の時報の鳴り終わる前に、城の門扉を抜けて駆けだして行った。



「ふうー! ギリギリセーフ!」

「アウトだ。門限を守らなかったな、ルー」

 白馬がネズミに戻り、馬車がどんどんカボチャに戻り、馬車から転げだしたぼくは這う這うの体で屋敷に帰り着いた。屋敷のお庭には出て行った時のまま、セデュが腕組みしてぼくを待っていた。

 なんか、眉間に皺が寄った仏頂面をしてる。怒られるのかな。ぼくが約束を破ったから…魔法使いに怒られると、どんなことになるんだろう。今度はぼくがネズミに変えられちゃうとか?

「…そう怯えなくてもいい。舞踏会は、楽しかったか」

 ふうとため息吐いたセデュは仕方ないなーって感じでぼくを見て、そう言う。ほっとしたぼくはマシンガンみたいに話しだす。誰かに聞いてほしくってたまらなかったんだ。だって久しぶりにぼくは、ピアノが弾けたんだもの!

「楽しかった! すごかったよ、大広間に、たっくさんの人がいて…グランドピアノがね、すっごくきれいな音で、よーく響いて、手に馴染んで…最高だった! お城の王子様がね、すっごくいいひとで、ぼくにたくさん演奏させてくれたんだ! バッハでしょ、ベートヴェンでしょ、モーツァルトでしょ…」

「…そうか。よかったな」

「うん! ぜんぶ君のおかげだ。君がぼくを変身させてくれたから…いい夢が見られたよ。一晩だけでも…これでしばらく頑張れる。明日から一生懸命家事するぞう! 義母さんたちに尽くして、不平不満なんか言わないんだ。ぼくは十分恵まれてるんだから…」

「…ルー、」

「朝起きたら、みんなのごはんを作って、屋敷のお掃除して…窓を全部磨いて、暖炉の灰を片付けて…階段も床も、ぴかぴかになるまで磨き上げるんだ。義母さんたちの靴も磨かなくちゃ。あとそれとお庭の草むしりに、畑の収穫に、買出しにも行かなきゃ。あと、あと…」

「ここを出て行かないか」

 セデュの腕が伸びて、ぼくの肩をがしりと掴む。言い聞かせるみたいに、少し腰をかがめて、飴色のどこか潤んだような目が、ぼくをじっと見つめる。

「え、出ていくって、何…」

「ここにいたのではお前は搾取されるばかりだ。お前の手は、お前の指は、煩雑な家事などに酷使されるべきではない」

「はんざつ…?」

 何かわからないことを言っている。出ていくってどこに? ぼくがどこに行けるって言うんだろう。こんなボロ服で。足指の出たボロ靴で。見下ろした足は片方だけ、きらきらした銀色の靴を履いている。魔法が解けてもこれだけは残ったみたいだ。なんでかわかんないけど。でももう一方はいつもの、親指がちょこんと覗いてる破れたボロ靴だ。

 そういえば魔法が解けたから、ぼくの身体からは異臭がしてる。頭もぼさぼさだし顔も手も汚れてる。セデュにもくさいって思われちゃう。慌てて彼の手を捥ぎ離して離れる。ちょっと距離を置かないと。十分距離をとって、においに気付かれないくらいに…。

 ああいやだな、恥ずかしいな。ぴかぴかした靴と清潔なお洋服のセデュとは、ぼくはあまりに違いすぎる…。

「夢、見させるようなこと、言わないでよ…むりだよ、ぼくは無一文だし…ここを出たら、物乞いになるしかない…」

「私がお前を引き取るよ。安心していい。私についておいで、お前が嫌がることは何もしないから…」

「なんで、そんな、ぼくに優しくしてくれるの? ぼくは君になんにも、返せないよ? …あ、もしかして、きみのお屋敷の使用人として、雇ってくれるってこと?」

 すこし希望が見えてきて、ぼくはぱっと顔を上げる。セデュならたぶん、義母さんや義姉さんや義妹より優しそうだし、ぼくにイジワルしたり、いやなことを無理強いしたり、わざと家を汚したり、しないはずだ。だったら今よりもうちょっと、マシな生活ができるかもだ。それって願ってもないチャンスじゃないか?

「使用人なら、なるよ、なるなる! いっぱい君のために働くね! お料理は下手だけど、もっと勉強する…君のためなら、がんばれそうだから…」

「家事はしなくて良いと言っただろう。…使用人ではない、ルー。お前には私の伴侶として、共に来てほしい」

「…はん?」

「懸命で、愛おしい私の灰被り姫。私の妻になっておくれ」

「…えええええ?」

 セデュが跪いて僕の手を取る。その綺麗な目にうっとりと見つめられて、なんだかぼくは動けない。メデューサに石にされちゃったみたいだ。セデュはメデューサだったのかな?

「返答を、聞かせてくれ、ルー」

「あっ、えと、あのう…」

 石になっちゃったぼくは口もあんまり回らない。どういう反応したらいいのかわからない。だってセデュとは会ったばかりだし、口をきいたのも今日が初めてだし。ぼくの何が良くてセデュに選んでもらえたのかも、さっぱりわかんないし。じわじわ気持ちが浮ついてくるのも意味がわからない。顔が暑い。なんでこんな、叫び出したいみたいな気持ちになるんだろう。大声で泣きだしたい気持ちになるんだろう…。

「わ、わかんないよ。だって…そんな、いきなり…」

「…うん。驚かせてしまったな。すまない」

「あ、やまらなくて、いいけど…ぼく、なんで君がそんなふうに言ってくれるのか、ぜんぜんわかんなくて…」

「ずっとお前を見ていたんだよ。お前が子供の頃から…お前の母親の葬儀の際に、初めてお前を見つけた。いつまでもお前は墓の前から動かなくて、みんな…お前の父親も帰ってしまって、ひとりぼっちになって…泣いていたお前を、私は見つめていたんだ。お前を守ってやりたいと、私は思ったんだよ。…遅くなって、すまなかった。お前を一人にして、すまなかった」

「…セデュ、ぼく…」

「ん?」

「…いいの、かな。きみと生きても…」

 跪いたままのセデュに言う。彼は潤んだ目のままでこくりと頷いて、ぼくに問う。

「お前の望みはなんだ? なんでもいい、言ってご覧」

「…ピアノが弾きたい。まいにち、おもいっきり…」

「うん」

「きみにも、聞かせたい。聴いてほしい。ぼくのピアノ…」

「…ルー、」

「ぼくも、きみと、いっしょに…」

「ちょーっと待ったア!」

 絶叫がお庭に鳴り響き、すざざざ、と人影がスライディングしてくる。

 ぽかんと見つめるぼくらの前で、はあはあと息を切らしながら止まったのは、…お城で会った、マルセルだ。

「王子様がなんでここに!?」

「君を…追っかけてきた…ぜえ、はあ…」

「どれだけ距離があると思っているのだ。無理があるだろう」

「役者の体力舐めるなよ!? 第一、脚本無視するお前の方が無理があるわ!!」

「お前などにルーを任せられる訳がないだろう」

「灰被り姫は王子様と結ばれてメデタシメデタシなんだよ! なっんだ魔法使いがプロポーズって! 意味が分からねえ! てめえ大概にしろよ!?」

 途端に冷然とした表情になったセデュと、ハアハア息を荒げながら怒りを燃やすマルセルとが対峙する。なんか、王子様の口調も怒りのあまり荒くなっている。これはまずい、波乱の予感だ。どうしよう…。

「――ハイではこれより、チキチキ☆花嫁争奪選手権を執り行いまーす」

 パンパカパーン、と突拍子もないファンファーレがどこからともなく鳴り出したと思ったら、井戸からズズズときらびやかな美女がせり上がってきた。豊満な胸元がざっくり開いた白いロングドレスを着た、ブルネットの美女だ。可愛い。ふつーにぼくのタイプだ。

「司会はわたくし女神・ダイアナが務めます。おふたりは対決していただき、勝者はルーシュミネ・リーヴェを獲得する権利を得ます…まったくなんで私がこんな役なのよ…」

 女神さまはなんか小声でブツブツ言ってる。手に銀色の弓と、なぜかマイクを持って、頭にはオリーブでできた冠がある。神々しい。ジッと見てると目が潰れそうだ。

「エントリーナンバー一番。魔法使い・セデュイール。意気込みをどうぞ」

「ルーは渡さない。絶対に負けない」

 女神にマイクを向けられたセデュが淡々と言う。

「エントリーナンバー二番。王子・マルセル。意気込みを」

「世界観無視して暴走するような輩が姫を手にできると思うなよ!? 勝つのは俺だ!!」

 マルセルが女神のマイクを奪って投げ捨てる。キーンと耳障りな金属音が響いてぼくは耳を塞ぐ。

 二人のマイクパフォーマンス(?)が終わるとカーン、とどこかでゴングが鳴って、地中からズズズと回答席がせりあがった。もうなんでもありだ。

「では第一問。ルーのプロフィールに関する問題です。ルーの尊敬する作曲家は誰でしょう。2人、」

 ピンポーン、と女神の言葉の途中でセデュが回答ボタンを押してぱっと手元のランプが灯る。回答権をしめす目印らしい。

「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ、1750年没。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、1791年没」

 ピンポンピンポン♪

「正解です。セデュイール選手1点追加」

 無言でガッツポーズするセデュをじろりとマルセルが睨む。

 ぼくはぼんやりベンチに腰かけてふたりの対決を観覧してる。まだ理解が追い付かないのだ。屋敷のお庭で魔法使いさんと王子様が対決してる、なんかテレビのバラエティーみたいに…。なんで…?

「つづいて第二問。ルーの身長・体重・薬指のサイズを、」

 ピンポーン♪

「179.8cm58kg4号」

 ピンポンピンポン♪

「正解。セデュイール選手もう1点追加。合計2点です」

「いや知らんし! もっと素人にもわかりやすい問題をくれよ!?」

 マルセルがグイと身を乗り出して女神さまに直談判する。女神さまはふうとため息を吐いて肩を竦める。

「では第三問。ルーが初めてコンクールで入賞した際の曲名・作曲家の名前を、」

 ピンポーン♪

「クロード・ドビュッシー作『ベルガマスク組曲』第三曲、『月の光』」

 ピンポンピンポン♪

「初心者向け!? これ初心者向けか!?」

「簡単すぎる。基礎中の基礎だろう」

「気味が悪い! ここまで来るともうストーカーの域じゃないか!? リーヴェ、やめとけよこんな男!」

「自分が不利だからといってルーに泣きつくつもりか。無様だな」

「お前は自分が気持ち悪いの自覚しろよ!?」

 ふたりの丁々発止のやりとりはなんだかコントみたいだ。息が合ってるなア、さすが…。

「こういう男はなア、リーヴェ。お前に捨てられたら刃物持って追い縋るに決まってるんだよ、そーゆー重い男だ。『お前を殺して私も死ぬ…』とか言いやがるんだよ絶対!」

「そんな愚かな真似をする訳がないだろう。死ぬなら一人で始末をつける。ルーを傷つけることなど断じてしない」

「色恋沙汰で生きるの死ぬのって話が出るのがもうオカシイって話なんだけど!?」

「はいでは第四問~」

 彼らのやりとりなど眼中にないっぽい無情な女神の言葉に慌てたようにマルセルは正面を向き、――でもやっぱりぼくの情報に精通してるらしいセデュには適わなくて、第一回戦はセデュの圧勝だった。5対0だ。わーすごい。ぱちぱち。

「つづいて第二回戦…」

「ちょっと待った」

 マルセルが手を挙げる。女神ダイアナに発言を許可されたマルセルは深刻な顔で指を組んで話し始める。

「さっきから、リーヴェの個人情報ばかり出題されたが、こいつはリーヴェの幼馴染なんだろう? 不公平じゃないか? 問題に偏りがありすぎるだろう?」

「いや初対面だが」

「ついさっき前から知ってるようなこと言ってなかったか!?」

「魔法使いは願いを叶えるためにしか人の前に姿を顕すことはできない。だからルーは私を知らなかったのだ」

「いや、だから、お前は知ってたんだろうが!!」

 マルセルに突っ込まれてもセデュはちっとも応えてないみたいな澄まし顔ですーんとしてる。ぼくは伸びをして欠伸を一つ。もう12時を過ぎて大分経ってる。ぼくちょっと寝てきていいかな…。対決はまだまだ終わりそうにないし…。

「ではどんな対決なら不公平にならないと?」

 女神さまはちょっと煩わしそうにマルセルに問いただす。ダイアナも眠いのかな。寝不足はお肌の大敵だもんね。特に女優さんにとっては…。

「そりゃ、あれだろ…実戦で…どれだけリーヴェを悦ばせるか、みたいな…」

「プレゼント対決ということか?」

「バカだな、ガキじゃねえんだから…ベッドの中でのテクの話だよ…俺もこれなら自信あるぜ、少なくともお前よりは巧いと思う…」

「却下だ。お前は何をするつもりなのだ。観客の前で」

「お前だけには言われたくねえんですけど!? 芝居ぶち壊した張本人がよ!?」

「ねーダイアナ、ちょっと席外していい? ぼく朝からお仕事してたからもう眠くって…ふああ」

「あんたのための対決なのよ。あんたがいなくてどうすんのよバカ! 目玉かっ開いて、セデュイールの雄姿を目に焼き付けなさい!」

 わやわやしてるうちにダイアナに黒子姿のマチウが何か渡す。カンペだ。それをちらりと見やったダイアナはうんざりしたように一瞬だけ天を仰ぎ、新しいマイクを持ちあげた。

「時間も時間なので、最終対決です。勝利した選手には100点が与えられます。種目は、マルセル選手の意を汲んで、キス対決と致しましょう。どちらがルーを悦ばせられるか、制限時間はひとり3分です。判定はルー本人からしてもらいます。では負けているマルセル選手からどうぞ」

「は? え? ちょっと何?」

 黒子姿のマチウとバロットにがしりと抑え込まれてぼくは身動きが取れなくなる。

「すんませんルーシュミネさん、これも仕事なんで」

「堪忍してください、一瞬で終わりますから、ね?」

 申し訳なさそうなバロットと、びくびくしたカンジのマチウに捕らえられてぼくは藻掻く。マルセルがとことこ近づいてくる。い、いやだ、ぼくはマルセルとのキスにはいい思い出がないんだぞう!?

「優しくするから、な? リーヴェ、目を閉じて…」

「や、やだ、ちょ、離して、やめ…」

 あわあわしてるぼくの顎を捕らえたマルセルが上を向かせる。その唇がどんどん近づいて、ぼくは涙目になって震える。どうしよ、これってもう避けられない感じ? …

「順番を変更しろ」

 いつの間にか傍に来ていたセデュの声が割り言って、ぐいとマルセルを押しのける。

「は? お前、なに…」

 ぼくを守るようにマルセルとの間に壁になったセデュは、救いを求めるように見上げるぼくを愛おし気に見つめて、そのまま口を塞ぐ。

「ん、んむ、ふあ、うう…」

 ぺろぺろ、ぺちゃぺちゃ、ぐちゃぐちゃ、ぬるぬる。

 舌を絡み合わせられ煽情的な水音が頭蓋に鳴り響き、身体がどんどん痺れていく。

「ふにゃ、んむ、んんう、ふぇ…」

 ベロが重なり合って縺れ合って、互いを求めるみたいに暴れ回って、もっともっと欲しくなっちゃって、ぼくはセデュに縋りついてその舌を味わう。

 いいにおい、おいしぃ、きもちいい、ぼーっとする。

 かくりと腰が抜けて立っていられないぼくをセデュの腕が抱え上げる。黒子たちはいつの間にか離れていて、ぼくは完全に脱力し、セデュに抱き上げられされるがままになっていた。

「はい3分です、しゅーりょー」

ぱかりと開いたままの唇が離れていく。唾液が口端から垂れてぼくはぽかんと口を開けはくはくと必死に呼吸しながら、ぼんやりとセデュを見上げる。

「対決のルールまで無視しやがったな、コイツ…」

 マルセルの憎々し気な声がどこかでしている。

「大丈夫か? ルー」

「んぇ、ひゃい、らいよーぶ…」

「では採点をどーぞ。100点満点中何点ですか」

「にひゃくてんれすぅ…」

 どこからともなく、くす玉人形(ピニャータ)が釣り下られ、それをダイアナが叩き割ってパーンと小気味いい音が鳴る。花嫁争奪選手権、優勝おめでとうの文字とともに、紙吹雪やお菓子の類がバラバラとなだれ落ちる。

「おめでとうございます。優勝はセデュイール選手ー。はい撤収ー」

 ぞろぞろとダイアナとバロット、マチウは連れ立って下手(?)に下がり、「いや、なんだ、この茶番!」と叫ぶマルセルを一緒に連れて行く。

「優勝、したが…私の花嫁になる気はあるか? ルー」

「……」

 腰が抜けたぼくを抱えたままのセデュが問う。その瞳が少し不安そうに揺れている。

 ぼくの心がどこにあるのか、不安なんだろうか。ぼくが喜んできみのものになるかどうか、心配なの? バカだなア、ぼくはとっくにきみのものなのに…。

「つれてって、セデュ、きみのおうちに…」

「ルー、」

「ぼく、きみの花嫁さんに、なるよ。それで、きみだけのために、ピアノを弾くね…」

 セデュが、ぼくの魔法使いさんが、感極まったようにぼくを抱き寄せる。ぎゅうときつくしがみ付いて、僕に頬擦りする。汚れて、ぼさぼさの、嫌なにおいのするぼくに。そんなこと、何にも、気にしないみたいに。

「私と共にいてくれ、ルー。死が二人を別つまで…」

「うん。うれしぃ…きみと、しぬまで一緒だね…」

 もっかいキスして、とぼくは強請って、きみはそれに応えてくれる。こんどは優しく、触れるだけのキスだ。何度も何度も、顔中にきみはキスの雨を降らせる。不釣り合いな銀色の靴を片っぽ履いたままの、見すぼらしいボロ服のぼくは、そうしてきみの腕の中で、夢を見る。…



 という夢を見ていた。起き上がって恥ずかしさに呻く。なんなんだ。サンドリヨン気取りかよ。いい加減にしろよ。しかもなんだか、ダイアナとか、マルセルとか、いろんな人に失礼な夢だった気がする…。

「うああああ…」

 頭を抱えてゴロンゴロンする僕である。なんだろう、欲求不満かな!? 最近セデュとご無沙汰なせい!? でもそうだとしたら、なんで王子様がセデュじゃないんだよう! 魔法使いって…まあセデュは確かに僕の望みは大概なんでも叶えてくれるし…魔法使いみたいだって、思ったことも、あったけど…。

 …でも、魔法使いの衣装を着たセデュも、カッコよかったなア。ああいう時代がかった衣装もなんなく着こなしちゃうんだもんなア。色男は得だなア…

「ルー、目が醒めたか? …一体どうした」

 ぐんにゃりベッドで悶えてた僕を発見したセデュが焦ったような声を出す。夢の中のセデュを思い出して俯せの、ちょっと前屈みになった僕を。

「なな、なんでもないなんでもない! もー入ってくるならノックしてよお! ここは僕のプライヴェートゾーンだぞう!」

「わ、悪かった…朝食はできているから、起きられるようなら来なさい」

 セデュの屋敷の居候で、お世話してもらってる分際で、堂々と言い張る僕にツッコミを入れるでなく、セデュは少し慌てたように言って去っていく。なんか、娘の着替えを目撃しちゃったお父さんみたいだ。可愛い。

「死が二人を別つまで、かア…えへへ…」

 僕は僕の夢の中でセデュに言わせた台詞を思い出してはにやにや笑う。自家発電というやつだ。もう一回寝たら今の続きが見られるかな、ちょっと気になるな、あんなことやそんなこと、しちゃったりして。お庭で? それもまた刺激的でいいかも。どうせ現実じゃないんだし…。

 僕は夜具の中でごろごろしながら、また夢を反芻するのだった。

 たっぷりセデュに、愛してもらった夢を。



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