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『ウンディーネは未明に微睡む』番外編 ラヴィックがルーに寄せる想いの話

 空襲で死んだとき、弟は15歳だった。

 俺とは半分血が繋がっていない。ろくでなしの親父が娼婦に産ませた子だ。やつの母親はやつを産んで死んだ。おふくろは働かず酒ばかり飲んで荒れる親父を受け入れたように唯々諾々とその赤子を受け入れ、家族とした。

 食堂をやっていたおふくろは朝から晩まで休まず働き、ばあさんが病気で死んでからは子供の面倒は俺が見ることになった。

 弟は生まれつき半身が麻痺していて、おまけに頭も弱かった。

 食事や排泄もひとりではできず、常に誰かが付き添っていないといけなかった。

 鬱陶しい、煩わしい、放り出したいと何度思ったことだろう。自由に外を駆け回って遊ぶ同級生が羨ましかった。俺には遊興の時間なんてなかったから。

 頭の弱い弟はそんな俺に邪険に扱われてもへらへら笑って、「ありがとう」と言う。

「お兄ちゃん、ありがとう。ぼくをたすけてくれて」


 半分しか血の繋がらない弟は、綺麗なブロンドとレモンの葉っぱみてえな緑の瞳を持っていた。肌は蝋のように白くて、食が細く、折れそうなくらい身体は華奢だった。歌が好きで、風呂に入れてやるとよく鼻歌を歌っていた。近所の悪ガキに引き倒されて泥まみれになっても、いつでもへらへら笑っていた。世の中の悪意を知らねえみてえに、キラキラした目をしていた。


 空襲が町を襲ったとき、俺は弟を放り出して逃げた。爆発がそこらじゅうで起こって、火のついた家々が燃え盛っていた。道に同級生の死体が転がっていた。身体が半分ちぎれて見当たらなかった。血が石畳を真っ赤に染めていた。爆弾はいつ頭の上に落ちてくるかわからない。俺は死にたくない、弟のために死ぬのは御免だ――

 防空壕に駆け込んで息をひそめて、空気を引っ掻き回すような轟音が遠ざかるのを待つ。しばらくしてようやっと静寂が町を包んで、俺はやっとそこから這い出した。

 町は瓦礫の山だった、学校も、店も、屋根が落ちて崩れていた。おふくろの食堂も、半分崩れて見る影もなかった。

 瓦礫の下から弟の死体が見つかった。綺麗だったブロンドも、キラキラしてた緑の瞳も、何もかも無残に焼け焦げて、真っ黒で、骸骨みてえな輪郭だけをとどめていた。両の手は救いを求めるように前に伸ばされた形で固まっていた。いつも風呂に入れてやるとき、俺に向かって伸ばされていたような形だ。俺はやつを庭に埋めた。空襲で、おふくろは傷を負った。親父は帰ってこなかった。どこかで野垂れ死んだのかもしれねえ。

 

 あいつを初めて見た時、弟が俺のもとに、帰ってきたのかと思った。

 綺麗なブロンドも、レモンの葉っぱみてえな緑の瞳も、白い肌も、華奢で折れそうな体躯も、なにもかもが、弟に瓜二つだった。

 マリア様が、俺のためにこいつを遣わしてくれたのかもしれねえなんて、ガラでもねえことを考えちまうくらいに。

 汚辱に塗れて、ボロボロになって、それでも笑うあいつを、穢れを知らねえみてえなキラキラした目のあいつを、俺は今度こそ守ってやりたいと思った。

「ありがとう、ラヴィック。ぼくをたすけてくれて」

 お前は笑う。青痣だらけの身体で、血に塗れた顔で、まるで俺を許すように。

 マリア様に顔を顰められるようなことばかりしてきた俺を、許すように。

 けれどお前は捕らえられたままで、俺はお前を逃がすこともできない。

 ただの自己満足だ。俺は夢を見ているだけだ。今度こそお前と生きていけるかもしれないなんて、バカげた夢を。


 お前を抱き寄せた男が俺に銃口を向ける。俺はそのとき、確かにほっとしていた。

 俺に見捨てられたお前に、救いがあること。お前のために必死になって、命がけで、救い出そうと足掻くヤツがいること。

 俺にはできない。どうしてもできなかったことを、やり遂げるヤツが、ちゃあんといるってことに。

 ヘリに乗り上げ必死にこっちを見るお前に、俺は、感謝を伝えたかったんだ。夢を見せてくれてありがとうって、言いたかった。

 お前の弾くピアノはまるで天上の音楽みてえだった。地獄に落ちるしかねえ俺に、つかの間、天国を見せてくれた。

 弟を、宝物みてえに思っていたことを、思い出させてくれた。

 お前が愛する男を俺が撃つことはできない。銃弾はわざと外した。撃たれた肩はいてえが、致命傷じゃない。お前の愛する男も、お前みてえに、おひとよしで、甘ちゃんなんだろう。

 ヘリは轟音を立てて遠ざかっていく。あの日俺の町に爆弾を落としていった飛行機みてえに、けれどその中にお前を載せて、お前をこの汚泥から救い上げて。

 夜空に向かって撃たれる銃声や怒号、罵りの声が屋上にこだましている。

 だが俺はひとり、お前の弾いたピアノの音を、何度も何度も思い出してた。

 ――リ―ヴェ、お前は、まるで天使みたいだったよ。



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