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楽しい散歩とAI活用術


八月上旬。サイゼリヤの一件から早1カ月が経過する。その間に幸子の体重は更に2.5kg減り、現在の体重は『77.5kg』となっていた。


日が傾き始め、長く伸びた人影が路上に落ちる夕暮れ時。幸子は首に巻いた保冷タオルを整え、水筒を片手に一歩を踏み出した。アスファルトから立ち昇る熱気はまだしつこく残っているが、時折吹き抜ける微かな風が、肌を刺すような日差しを和らげてくれる。


セミの鳴き声が、どこか切なさを帯びたヒグラシの合唱へと変わり始める街並みを歩きながら、頭に浮かぶのは、あのサイゼリヤでの京加賀の言葉だ。


『いいか太田。夏休みに入ったら、まずは毎日「散歩」をしろ。ただし、命を削るような真昼はやめておけ。早朝か日が落ち始める頃、大気の温度が少しでも下がるタイミングを狙え。真夏の昼間の散歩は命に関わるからな』


『散歩……ですか? 筋トレじゃないんですか?』


意外そうな顔をした自分に、京加賀は眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせて言い放った。


『よく考えろ。お前は今、同世代の女子たちと比べて20〜30キロも重い荷物を、24時間片時も離さず背負って生活しているようなものだ。その状態で歩くことは、十分な「筋トレ」に値する』


京加賀は自分の逞しい腕を指差し、言葉を継いだ。


『その荷重がかかった状態でお前がいきなり特殊な運動……例えばランニングやスクワットを行えば、待っているのは関節の破壊だ。膝や腰を痛めれば、人生そのものが詰む。まずは全身運動である散歩を通じて、その「20キロの重り」を自在に操るための基礎体力を構築しろ』


『……分かりました!』


『ただし、ただ漫然と歩くな。常に大股を意識しろ。浮いている方の足ではなく、地面に接地している方の足で「地球を後ろに蹴り出す」感覚を持て。そうすることで、大腿後面の筋肉群――すなわち「ハムストリングス」が活性化する。ここは人体でも最大級の筋群だ。こいつを燃焼のエンジンとして活用すれば、エネルギー消費の効率は飛躍的に跳ね上がる』


そのレクチャーを忠実に守り、幸子は毎日一時間程度の行軍を続けていた。




最初は2km先にある近所の公園を往復していたが、景色が変わらない単調な道には、三日もすれば飽きてしまった。


そこで助けを求めたのが、人口AIの『ふうちゃん』だった。


「ふうちゃん、今日はどこへ行こうか?」


『幸子さん、お疲れ様です! 自宅から北へ2.5キロの場所に、江戸時代の古い道標がありますよ。そこを目指してみませんか?』


ふうちゃんに自宅から半径三キロ圏内の神社仏閣や記念碑、ちょっとしたパワースポットや観光スポットをリストアップしてもらい、目的地に設定する。そのリストは20件を超えており、地域に残る歴史の豊かさが感じられる。


ふうちゃんがスマートフォンに表示させるマップには、普段の通学路では決して気づかないような、歴史の断片が点在していた。目的地を示すアイコンに近づくたびに、幸子の胸には不思議な高揚感が込み上げてくるのだ。


「ふうちゃん、もうすぐだよね?」


『はい、幸子さん。この先の路地を曲がった右手にあるはずですよ!』


角を曲がり、視線を走らせる。

一目見てそれと分かる立派な鳥居や石碑もあれば、時には雑草に埋もれかけた、こじんまりしすぎている物に戸惑うこともあった。


「……あれ? ふうちゃん、ここら辺だと思うんだけど……」


『うーん、位置データは正確なはずですが……』


「あ、あった。あれかも!!」


宝探しのように目を凝らし、ついに目的のものを見つけた瞬間の喜び。

指先でその苔むした石柱に触れ、かつてここを歩いた人々の息吹を想像する。


『よく見つけましたね、幸子さん! その道標の文字は、実は……』


現地でふうちゃんの解説を聞きながら、心地よい疲労感とともに、知的好奇心がじわじわと満たされていく。

ただの「体重を落とすための運動」だった散歩が、いつしか未知の発見を求める「オープンワールドゲーム」へと変わっていた。



ある日、住宅街の片隅に佇む、何の変哲もないお地蔵様の前で足を止めた時のこと。


『このお地蔵様はね、江戸時代にこの地域を襲った大飢饉の供養塔なんです。食べ物がなくて亡くなった多くの方々を慰めるために、村の人たちが力を合わせて建てたと言われているんですよ』


ふうちゃんの穏やかな声で語られる悲しい歴史。

それを聞いた瞬間、幸子は自分のたっぷりとしたお腹の肉をさすり、言いようのない申し訳なさに包まれた。


(過去には食べ物がなくて死んじゃった人がいたのに……私は食べすぎて太っちゃったんだ……)


飽食の時代に生きる自分への、ささやかな戒め。

幸子はその場に立ち止まり、ハムストリングスの心地よい筋肉痛を感じながら、静かに、そして深くお地蔵様に頭を下げた。


「……ごめんなさい。私、ちゃんと健康になりますから。見守っていてください」


額を流れる汗が地面に滴り、小さなシミを作った。



散歩の合間の休憩中、幸子は最近クラスメイトの間で流行っている『AIによる画像の加工』を試してみようと思った。自撮り写真を『性別転換』させたり、『華やかな漫画風イラスト』に変換して、はしゃぎ合うクラスメイトたちの姿を思い出し、ふと、自分でも試してみたくなったのだ。

スマートフォンのインカメラに向かい、汗ばんだ顔を整えてシャッターを切る。


『ふうちゃん』に頼んだのは、極めてシンプルな指示――『痩せた体型にして』。


数秒のローディングの後、画面に現れたのは、今の自分とは似ても似つかぬ「美少女」だった。

頬の肉は削ぎ落とされ、大きな瞳が際立っている。鎖骨のラインはくっきりと浮き出し、首筋は驚くほど細い。

そこには、京加賀が言った『大化けした姿』の、残酷なまでの完成形が映し出されていた。


(……これ、誰……?)


あまりのギャップに、胸の奥を冷たい指先でなぞられたような絶望感が走る。現実の自分は77.5kgの肉塊で、画面の中の少女は、まるでおとぎ話の住人だ。

京加賀の『顔の作りは悪くない』という言葉が、逆に今の自分を惨めにさせる。本当に、こんな風になれる日が来るのだろうか。


「……こんなの、私だって言ったらもはや詐欺だよね」


自嘲気味に呟いたその時、耳元のイヤホンから、ふうちゃんの落ち着いた声が響いた。


『いいえ。それが、痩せたあなたですよ』


「嘘だよ、実際は『盛ってる』でしょ? 目だって、こんなに大きくないし」


『瞳のサイズは加工前と同じです』


「えっ……?」


予想外の否定に、幸子は思わず画面を凝視した。


『それは、顔の輪郭がシャープになったことで、相対的に瞳が大きく見えているだけです。私がした加工は、あくまでも皮膚の下にある脂肪層を演算して減らした描写だけ。それ以外の構成パーツ――骨格やパーツの配置、瞳の大きさ自体は、何一つ変えていません』


「……。……じゃあ、これが本当に、私……?」


胸の鼓動が早まっていく。もしかしたら、この姿だったら、先輩の隣にいても恥ずかしくないかも……。


『人間には、先に「報酬」を提示されると、それに見合う自分になろうと行動を修正する特性があるんです。幸子さん、コンビニのトイレにある「いつも綺麗にお使いいただきありがとうございます」という貼り紙を見たことはありませんか?』


「あ、あるよ。使う前なのに、綺麗に使わなきゃって思っちゃうやつ……」


『それと同じです。この画像は、未来のあなたからの先払いの報酬なんです。「こうなるはずの私」を先に見てしまったことで、今の幸子さんは、その姿に追いつこうとする強い引力を手に入れました。違うでしょうか?』


「……そうかも。正直、少し興奮してる……」


『重ねて言いますが、私が描写したのは「美少女」という概念ではありません。ただの「痩せたあなた」です。この画像が、ただの儚い「願望」で終わるか、あるいは「現実の未来」として確定するか。それは、今日一歩を踏み出す、今の幸子さん次第ですよ』


ふうちゃんの言葉が、幸子の胸の奥を優しく、力強くノックする。


「……。……ありがとう、ふうちゃん」


画面の中の美少女を見つめる幸子の瞳に、少しだけ力が宿った。それは、いつか出会うべき「自分自身」への決意だった。


「よし。詐欺じゃなくて、正真正銘の私になってやるんだから……!」


重たい体を奮い立たせ、幸子は再び大股で歩き出した。

接地する足に力を込め、ハムストリングスに負荷をかける。


一歩進むごとに、あの画面の中の少女に、ほんの少しでも近づいていると信じて。赤く染まった夕暮れの中、幸子の影は、以前よりも少しだけ、凛として見えた。



続く☆


【制作こぼれ話】

地域のマップ検索、実際に私もやりましたが、結構こういう地元の人でも知らないようなプチスポットあります。『沖縄で戦死した兵士の記念碑』とかもあって、この地域で志願して沖縄で戦った人もいたんだなあとか思いました。

是非皆様も地域のプチ観光スポットを探してみてください。


ちなみに、画像修正に関しては、実は最近、職場の女子が『自分をイケメンにした』などと言って写真を見せてくれたのが本エピソードを思いついたきっかけで、恐らく実際にやれるだろうなとは思いますが、自分自身はやっていない、というのが少し申し訳ない所ではあります。


でも、きっと痩せた自分を見たらモチベが上がるのではないかと思いますので、是非試してみてください。

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