第101話:貴族というより奇族です
話は次に、商人登録の件へと移った。
バルバがリシャッタで済ませてきた手続きを、ひと通り説明する。
遥斗をヴェルナ領、ヴェルナ村の交易商人として登録する旨の申請は、商会ギルドにすでに提出済みだ。ヴェルナ村はリシャッタとは別の領だが、ギルドはエリドリア国の規定のもとで全領土に一定の効力を持ち、両領の友好的な関係もあって手続き上の問題はない。
ただ、一点だけ残っていることがある。
「申請書のサインは、代理権限者のテルミナ嬢にしていただいたので、トーミネ商会の成立自体は受理されている。ただ、それはあくまで仮のものなので、この後に正式な印を作り、押す必要がある」
「印、ですか」
バルバは頷き、説明を続けた。
交易商人の書類において、サインの唯一性を担保する手段は様々だ。簡易的にはサインだけでも通るが、店舗を構えたり継続的な大口取引をするなら、中堅以上の多くの商人は印石を作る。自分だけの文様に魔術刻印を組み合わせたもので、文様と製作者の魔力の波長の双方が絡み合うため独自性が高く、完全に防げるとは言えないが偽造は極めて難しい。
リシャッタの商会ギルドでも、印石による捺印が正式な手続きとされている。背負子一つで旅をする小規模な商人であれば、封蝋に独自の判子を押す形も多いが、それなりの規模の商談を続けていくつもりなら、印石が確実だ。
「印石は一応、持ってきた。魔術師のルシもいることだし、この村に魔力持ちの村人もいたはずだ。今からサインか文様を決めてもらえれば、その場で作ることもできる」
バルバがそう言いながら懐から小さな石を取り出したとき、遥斗は「あー」と小さく声を上げた。
「それ、前に聞いてから少し考えてたんですよね」
遥斗はそう言いながら、荷の中から小さな紙束を取り出した。
「なんだろうか、それは――!?」
一見すると、不思議な色合いの紙束だ。だが、表面に角度を変えながら光を当てると、七色の光が複雑な模様を描いてきらめく。
バルバには知る由もないが、それは地球のホログラム加工のセキュリティラベル、いわゆるシールである。
「これ、貼ったあとに剥がそうとすると、こうなるんですけど」
遥斗がその銀色に輝くシールを書類にそっと貼り、ゆっくりと剥がす。するとシール自体はきれいに取れたが、剥がした後の紙面には、複雑な虹色の光彩を放つホログラムの跡が薄膜のように転写されて残った。タンパーエビデント、いわゆる改ざん防止ラベルである。
遥斗は、最初はこのシールを貼るだけで十分かとも思った。
だがこの世界の紙は、最高品質でもわら半紙に近い。自分の持ってきた紙ならいいが、今後この世界の紙に使った場合、紙を水で溶かして残ったシールを別の紙に移せば、タンパーエビデントの効果が残り偽造の可能性がゼロとは言えない。もっとも、そのやり方で同じ接着効果を再現できる技術がこの世界にあるとは思えないが、念には念を入れた方がいい。
そこで考えたのがこれである。剥がした跡に残るホログラム加工ならば、同じものを作ることはこの世界では絶対に不可能なはずだ。
なお、ガルノヴァの技術を使えば、この世界はおろか地球ですら偽造不可能な刻印は作れる。だが、ヴェクシス粒子の絡んだアルミホイルが魔術触媒になったあの件を考えると、この世界の魔素と思わぬ反応を起こす可能性がある。シアやスカッターのように手元や村の中だけならともかく、手が離れた書類でそれが起きたら目も当てられない。そちらはやめておいた。
「これを印代わりに使えないかと思って、三百シートほど用意してきました」
日本の専門会社に発注した製作費は、約二十万円。今回遥斗が持ち込んだものの中で、実のところ一番コストがかかっている品である。
「もう、この真っ白い紙だけで偽造など不可能なのだが……さらにこれか……」
バルバが震えながら呟く。ティアリスも、ルシも、ザヴァクもカイゼも、そしてイリスまでもが、虹色に輝く紙面を見て驚愕に息を飲んだ。
「なんと……とんでもない魔道具だ……」
ただ、ルシだけは少し様子が違った。杖を持つ手を強張らせながら、沈黙している。
(違う——これは、魔道具なんかじゃない)
スカッターやシアといった存在は確かに魔道具だろう、とルシは思っている。何がなんだかまるでわからなくても、魔力に似た『何か』は僅かに感じ取れた。しかしこのシールには、そういったものが何一つない。なのに、目の前でとんでもない現象が起きている。
では、これは何なのか。魔術でも魔法でもない、精霊力というものだろうか。そうだとすれば——本当に彼は、精霊の使徒なのかもしれない。
……ただ、自分に対してらんらんとした目で詰め寄り、奇声を上げながら頭をぶんぶん振り回してきた人物をそう認めるのは、何か負けた気がした。
あと、自分を母ちゃん呼びしたことは絶対に許さない。絶対にだ。
そう思い直して、ルシはとりあえず彼について考えるのをやめた。
「これで印の代わりになりますかね」
そんなルシの葛藤など露ほども知らず、遥斗がのほほんと聞くと、バルバはしばらくの沈黙の後、深く頷いた。
「……十分だ。これ以上の証はこの大陸のどこを探しても存在しないだろう」
それから、少し間を置いてから口を開く。
「……ときにハル殿。この模様は、なんだろうか。三角の記号が三つ重なり、他にもいろいろ模様があるが」
ホログラムの中に、細かな図案が刻まれている。バルバには何を表しているのか、見当もつかない。
「ああ、これですか。ウチの家紋なんですよ」
遥斗はあっさりと答えた。
「か、家紋!?」
「はい。山三つに松の木と、そこにかかる蛇を模した霞で。遠峰松蛇霞っていいます」
家紋。
その言葉が室内に落ちた瞬間、バルバの背筋がすっと伸びた。ティアリスも、静かに表情と姿勢を改める。
エリドリア国において、家紋を持つのは貴族だ。平民が持ってはならないという決まりがあるわけではない。しかし、持つ者はまずいない。おそれ多いし、貴族に難癖を付けられたら厄介だからだ。
商会特有のトレードマークのようなものが存在しないわけではないが、大半は商会名を略したような簡素なもので、家紋とは別物だ。
だからこそ、遥斗がさらりと「家紋」と口にした意味は重い。それは彼がどこかの貴族に連なる者である、ということだ。
そしてもう一つ、バルバの脳裏をよぎるものがあった。精霊たちは自分を表す記号、しるしのようなものを好むという古い伝承だ。ヴェルナ村にある星枝の壁飾りや波花の箱にも、そういった意味合いが込められた文様がある。貴族の家紋の慣習も、もとはそういう逸話に倣って生まれたものだと言われている。
(ハル殿は……どこかの異国の貴族に連なる方か、あるいは、本当に……)
精霊の使徒か、異国の貴族か。
どちらにせよ、遥斗が持つ謎と、その存在の大きさに、改めて触れた気がした。
バルバは、ティアリスと一瞬だけ目を合わせた。そして、静かに頷き合う。
ふと見ると、傍らにいたイリスは自然体のままだ。そうだ、彼女はとっくに、わかっているのだ。自分たちも、それに倣わなくてはいけない。
(ハル殿が貴族であろうと、本当に精霊の使徒であろうと——我々は彼を、一人の人間として接する。それだけでいい)
そう、覚悟を新たにして。
そんな決意を固めるバルバ達の気持など知りもせず、遥斗は「最初はオリジナルマークにしようと思ったけど、この蛇の部分がシアルヴェンの船体みたいでなんかいよな!」と一人ご満悦だ。まあそれで正解だろう。彼の造形センスはとにかく死んでるのだから、彼が自作したら混沌が這い出して来るに決まっている。まあすでに彼の肩の上にはいつも「ケリテテス!」と叫ぶ混沌そのものがいるのだが。
ちなみに、遥斗の家は名家でも何でもない。
曾祖父がすぐに調子に乗る上に道楽者で、「うちもなんか家紋とかあったらかーっくいいよな!」とノリノリで作った、歴史など全くないものである。
遥斗は間違いなくこのジジイの血を引いている。
こうして、一通りの商談が終わる。
バルバは、計算や帳簿記述法の教授については、ここでは問わなかった。
あれは商談などでは行えない。
いくら金を積もうと対価にはならない以上、平にお願いして施しを授けてもらうしかないからだ。だから、商談としてではなく、あくまで個人的なお願いとして頼む必要がある。
その機会をどう設ければよいかを考えると、胃がまた痛くなり始めたバルバ。
だが、今は一息ついたのだから、テルミナ嬢の淹れてくれた薬草茶でも飲んで、心を落ち着けよう――そう彼が思ったそのとき、遥斗が思い出したように口を開く。
「あ、そうだ!バルバさんとの商談も終わったことだし、折れぬ大剣の皆さんに頼まれたモノ、渡しますね!あと、お土産もいろいろ持ってきたんですよ。じゃあ、持ってきますね!」
「おみ……やげ?」
バルバさん達の胃痛タイムは、まだ終わらない。
書籍をお買い上げ下さった方、本当にありがとうございます。
書籍には遥斗にイリスにヴェラたちが、素敵な挿絵で載っているので応援していただければ幸いです。
みなさんのおかげで書籍化にたどり着けたと思っていますので、近いうちに感謝として何かお返しになるようなSSなどを考えてみます。




