↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/42

第1話 転生

佐伯直人は、顧客に「絶対に上がります」と言ったことがない。


三十八歳。証券会社に勤めて十六年。相場が荒れた日ほど、電話の向こうの声は確信を求めてくる。


「佐伯さんなら、この株、買います?」


その日の夕方、長年付き合いのある顧客に聞かれた。


「まず、来年必要になるお金は分けて考えます。娘さんの進学資金でしたよね」


「よく覚えてますね」


「株価は忘れることがありますが、お客様に怒られたことは忘れません」


顧客が笑った。直人も少し笑い、それから下落した場合の話をした。


会社を出たのは夜十時過ぎだった。昼に買った弁当は鞄の中で、夕食としての価値を失いつつある。駅前の交差点で信号を待ちながら、直人はコンビニの温かい麺を思い浮かべた。


向かい側で子どもが転んだ。


ボールが車道へ転がり、子どもがその後を追う。右からトラックが曲がってきた。


直人は鞄を落として走った。


子どもを歩道へ押し戻す。間に合った、と分かったところで、自分がまだ車道にいることに気づいた。


ライトが視界を埋める。


あの子は助かった。俺の弁当は……まあ、いいか。


それが、佐伯直人の最後の考えだった。


◇


次に目を開けたとき、頭上には木の梁があった。


乾いた草の束が吊られ、窓の外から水の流れる音が聞こえる。病院にしては設備が素朴すぎる。


起き上がろうとすると、額に痛みが走った。


「……痛っ」


自分の声が高い。


寝台の脇で、水差しを持った女性が立ち止まった。


「レオン?」


茶色い髪を後ろで結んだ女性は、水差しを置いて駆け寄る。


「私が分かる?」


知らない人だ。


そう思った瞬間、別の記憶が浮かんだ。冬の朝、一緒に薪を割ったこと。熱を出した夜、額に冷たい布を当ててもらったこと。


「……母さん?」


女性の目に涙がたまる。


「心配したわよ。三日も目を覚まさなかったの」


彼女はマーヤ。自分はレオン。十五歳。アルネ村で母と二人で暮らしている。


直人は彼女が治療師を呼びに行った隙に、水を張った桶をのぞいた。映っていたのは、額に包帯を巻いた黒髪の少年だった。


「転生、か……」


声に出しても、水面の顔は変わらない。


治療師の説明によれば、レオンは薬草を採りに行った森で崖から落ち、頭を強く打った。濡れた服のまま半日近く倒れ、運び込まれた夜には高熱を出した。それで三日間、ほとんど意識が戻らなかったという。


直人が事故に遭った日と、少年レオンが崖から落ちた日。二つの記憶は、そこで途切れている。


元のレオンの意識がどうなったのか、直人には分からない。ただ、マーヤに抱きしめられたとき、身体に残る少年の記憶が温かく応えた。


「心配かけて、ごめん」


「生きていてくれたなら、それでいい」


◇


夕方、レオンは窓から村を眺めた。


麦畑、石の井戸、低い家々。井戸のそばでは少女が手を振り、水を宙に浮かべて桶へ注いでいる。


魔法だ。


レオンも思わず掌を上に向けた。何も起こらない。


少年の記憶によれば、彼は簡単な火の術さえ成功させたことがなかった。


「転生特典ってもらえなかったのかな」


「何か言った?」


夕食を運んできたマーヤに聞かれ、レオンは慌てて首を振った。


窓の下では、村人が南の牧場について話していた。羊がいなくなり、柵が壊されていたらしい。


「おじいちゃんたちが調べているわ」とマーヤは言った。「あなたは傷を治して」


村長のダレンは、レオンの祖父だ。


レオンは頷き、スープを口に運んだ。温かい液体が喉を満たす。なんだかとても久しぶりな気がした。


羊。壊れた柵。村人たちの早足。


何が起きたのか考えるには、情報が足りない。まずは身体を治し、この村を知ろう。


窓の向こうで、森が夕闇に沈んでいった。



昔から小説を書いてみたくて思い切って投稿しました。思いついたままに書いています。一日一話目標です。感想いただけたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。