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われわれは空を選んだ  作者: みょん
第一章 記憶にないもの
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第一話 落下物

ノクターン島では、上から物が落ちてくる。


壊れた家具。空になった酒瓶。型落ちの魔導機械。ときには、まだ十分に使える服や食器まで。


六つある浮遊島の中で、ノクターンは最も低い位置に浮かんでいる。


だから上の島々から捨てられた物の一部は、雲の下にある地上まで落ちず、途中でノクターンの建物や回収網に引っかかる。


それを拾って売るのが、ミレイの仕事だった。


「今日は外れだな」


隣を歩くトーマが、拾った片靴を振った。


焦げ茶色の革靴だった。


片方しかない。


「それ、売れる?」


「売れない」


「じゃあ捨てれば」


「もう片方が落ちてくるかもしれないだろ」


「待つの?」


「運命を信じる」


「靴に?」


「靴にも人生はある」


「片足だけの人生?」


「そういう悲しいこと言うなよ」


ミレイは笑った。


二人は細い鉄橋を渡っていた。


橋の下には街が幾層にも重なっている。


錆びた屋根。


絡み合った配管。


洗濯物。


工場の煙。


ところどころから青白い魔力灯が漏れている。


ノクターンは昔、六島の中でも重要な工業地区だったらしい。


今では工場の半分が閉鎖され、残った建物に人が勝手に住み着いている。


上層の人間は、ここを「廃棄区」と呼ぶ。


ミレイたちは普通に「街」と呼んでいた。


「おい」


トーマが立ち止まった。


「何か落ちたぞ」


少し離れた屋根から、金属がぶつかるような音がした。


二人は顔を見合わせた。


次の瞬間には走っていた。


落下物は早い者勝ちだ。


別の回収屋に取られたら終わりである。


「私が先に見た!」


「俺が先に聞いた!」


「じゃあ耳だけ持っていけば?」


「何その理屈!」


梯子を降り、細い路地を抜け、二人は古い倉庫の屋根へ出た。


そこに落ちていたのは、黒い鞄だった。


ミレイは足を止めた。


「……これ、結構いいやつじゃない?」


トーマも黙った。


いつもの落下物とは明らかに違う。


黒革の鞄。


傷はほとんどない。


留め具には銀色の紋章が刻まれている。


三本の塔を円が囲むような印。


ミレイでも知っていた。


「中央政府の紋章じゃん」


トーマが小声で言った。


「うん」


「触らない方がよくね?」


「さっきまで走って取りに来てた人が何言ってるの」


「政府の物だとは思わなかったから」


「政府だって鞄くらい落とすでしょ」


「政府が?」


「政府に勤めてる人」


「もっと怖い」


ミレイはしゃがんだ。


鞄には鍵が掛かっていなかった。


「開けんの?」


「拾った物は中身を確認する決まり」


「その決まり、絶対こういう鞄のためじゃないだろ」


「じゃあ帰る?」


トーマは黙った。


二秒ほど考え、


「見るだけ」


と言った。


「そう言うと思った」


 ミレイは留め具を外した。


中には、思ったほど多くの物は入っていなかった。


白いハンカチ。


万年筆。


小さな財布。


薄い手帳。


そして身分証。


「名前ある」


ミレイは身分証を読み上げた。


「ヴィクトル・ハイン」


「知らね」


「私も」


その下に所属が記されている。


中央人口管理局。


役職。


長官。


二人は同時に顔を上げた。


「長官って」


トーマが言う。


「偉い?」


「たぶん」


「どのくらい?」


「私たちが怒らせたら面倒なくらい」


「返そう」


「急に善人」


「俺は生まれつき善人」


「さっき財布からお金抜こうとしてなかった?」


「見ただけ」


ミレイは財布を閉じた。


確かに返した方がいい。


これが普通の上層民の鞄なら、財布だけ抜いて鞄を売る回収屋もいるだろう。


だが政府高官となれば話が違う。


盗品として追われれば、金より面倒の方が大きい。


「謝礼くれるかな」


ミレイが言った。


「それ」


トーマが指を鳴らす。


「偉い人って金持ってるだろ」


「たぶん」


「命の次に大切な鞄だったりしない?」


「そんな鞄落とす?」


「そこは言うなよ」


ミレイは身分証を戻した。


最後に手帳を手に取る。


表紙には何も書かれていない。


黒い革張り。


相当使い込まれているらしく、端だけが少し擦れていた。


「それは見るなよ」


「なんで」


「日記だったら気まずい」


「さっきまで中身全部見てたじゃん」


「他人の恋愛事情だけは守る」


「変な倫理観」


ミレイは手帳を開いた。


一ページ目には、整った細い字で、短い記録が残されていた。

ミレイは手帳を開いた。


一ページ目には、整った細い字で、短い記録が残されていた。


――六島。公式記録はすべて一致。


「……六島?」


トーマが横から覗き込む。


「何それ」


「分かんない」


次の行。


――建国初期の記録、一部に不自然な欠落あり。


――「第七」の語、行政記録から消去。


――修正時期、不明。


ミレイの指が止まった。


「第七?」


「七ってこと?」


「たぶん」


「何が七なんだよ」


「だから知らないって」

さらにページをめくる。


日付と、意味の分からない記号。


人の名前らしいもの。


建物の番号。


ところどころ黒く塗り潰されている。


その中に、同じ文字が何度も現れた。


 VII


 VII


 VII


ただし、その横に書かれている言葉は毎回違った。


――旧人口台帳。


――移住者名簿。


――建設区域図。


――中央保管庫、原本を確認する。


「これさ」


トーマが言った。


「この人、何か調べてたんじゃね?」


「だと思う」


「何を?」


「七」


「だから七って何」


「私に聞かないでよ」


「お前が読んでるから」


「文字読めても考えてることまでは読めない」


「使えねえな」


「帰る?」


「ごめんなさい」


ミレイは鼻で笑い、もう一枚めくった。


何も書かれていない。


その次も。


どうやら記録はそこで終わっているらしい。


手帳を閉じようとしたとき、後ろの方から一枚の紙が滑り落ちた。


床にひらりと落ちる。


「何?」


トーマが拾い上げた。


ひどく古い新聞だった。


かなり昔のものらしく、紙は黄色く変色し、角が脆くなっている。


中央には大きな写真が載っていた。


正装した人々が何十人も並び、その後ろには天を衝くような巨大な塔がそびえている。


見出しには、


《六島完成。人類、新たな時代へ》


とある。


「六島」


トーマが文字をなぞるように言った。


「やっぱ六つじゃん」


「そうみたい」


「じゃあ、あの七って何なんだろ」


ミレイは答えず、写真の細部をじっと眺めた。


建国当時の写真を見る機会など、この下層区ではほとんどない。


人々の服装も今とは違うし、何より建物が真新しく、空が妙に明るく見える。


写真の奥には、いくつもの浮遊島が浮かんでいる。


小さいものまで含めて、ミレイは無意識に数を数えていた。


一つ。


二つ。


三つ。


四つ。


五つ。


六つ。


「六個」


トーマが言った。


「うん」


やはりおかしなところなどない。


ミレイは微かな落胆とともに、新聞を手帳へ戻そうとした。


そのとき、写真の下端に写る白い柵が目に入った。


ミレイの手がピタリと止まる。


「……待って」


「何?」


ミレイは写真を顔に近づけた。


白い柵。


その向こうには分厚い雲海が広がっている。


すぐ脇には、当時の型らしい魔導塔が写り込んでいる。


ノクターンにもまだ数本だけ残っている、浮遊島の外縁部にしか設置されない特殊な設備だ。


「これ、どこから撮ってるんだろ」


「どこって?」


「この写真」


トーマが怪訝な顔でもう一度覗き込む。


ミレイは、その白い柵を指差した。


「これ、島の外側にあるやつじゃない?」


「……あ」


写真の背景には、六つの浮遊島が写っている。


だとしたら、この撮影者たちは一体「どこ」に立ってこの写真を撮っているのか。


二人の間に、冷や水のような沈黙が落ちた。


トーマがもう一度、写真の中の島を数える。


「一、二、三、四、五、六……」


その指が止まる。


そして、ゆっくりと足元の地面を指差した。


「ここも入れたら」


「七」


頭上を吹き抜ける風の音だけが、錆びたトタン屋根を撫でるように通り過ぎていく。


少し前まで笑っていたのが、まるで遠い昔のように思えた。


「……昔は七つあったってこと?」


トーマが呟く。


「分からない」


「でも写真に――」


「だから、分からないって!」


ミレイは、自分でも驚くほど鋭い声を出してしまった。


トーマがびくりとして口を閉じる。


「……ごめん」


ミレイは新聞を手帳へ押し込んだ。


七つ。


そんな話は聞いたことがない。


学校の歴史でも、教会の教えでも、街の老人の昔話でも。


アスハラは六つの島からできている。


それが世界の絶対的な真理だ。


少なくともミレイが知る限りは。


「返そう」


ミレイは黒い鞄の留め具を乱暴に閉じた。


「うん」


「これ、持ってる方が面倒なやつだ」


「珍しく意見合ったな」


「謝礼だけしっかりもらって帰ろ」


「そこは諦めないんだ」


「当たり前でしょ」


トーマは少しだけ笑った。


けれど、その笑いはさっきよりもひどくぎこちなく、引きつっていた。


その日の午後、二人は中央人口管理局ノクターン支部へ向かった。

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― 新着の感想 ―
X の企画から来ました。 会話のテンポだけで世界観と人物を通してしまう手つきに感心しました。書く側だと、設定説明をどこに埋めるかで毎回悩みます。 片靴の掛け合いで二人の距離感を見せ、地の文の短い断…
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