表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アストリネの一族  作者: 廻羽真架
第二章. 落陽の果て、蒼穹に嵐吹く【ルド】
64/65

道の続き

黒の煙霧を散らす(グラフィス)が舞い、(イプシロン)が金の翼を羽ばたかせる。


淑やかに微笑むグラフィスは、水で編まれた四つの鰭を纏っていた。

水鰭は水源のようにも透明な純水を溢れさせており、大いなる波を紡ぐ。

故にグラフィスは自由だった。正に優雅に回遊する鯨が如く、縦横無尽に泳ぎ続けてる。

陸や空であろうとも己が在る場所が海域(テリトリー)であると示すように、己を追う(イプシロン)との距離を突き放し続けた。


――但し、これは争いだ。

ただの追いかけっこでは済まさない。


「知ってるかい?水は圧縮すればダイヤモンドさえ破壊する力となるんだよ」

得意げな笑みを合図にグラフィスの純水の鰭からは水泡が溢れ出し、即座に圧縮まで果たされる。

瞬く間に追跡者を穿つ槍の型を取り、放たれた。


隼は羽ばたき、身を回して槍を避ける。

貫通性が極められた槍だ。背後の建物へ当たれば砂のような破壊となる。

崩れた瓦礫が、雨嵐のように降り注いだ。

「…チッ!」

イプシロンは飛翔を続けながら、忌々しげな表情を浮かべ舌を打つ。力強く羽ばたいて、翼に掛かる砂粒を払い除けた。


(現状、こちらが不利)

目を眇めて状況を整理する。的確に縦横無尽に飛び回る形で躱してるが、“かろうじて避けれる”というのが事実にして本音だ。

「余所見、してくれるなよ?」

グラフィスから相次いで追撃の水槍が放たれて、先が身を掠めた。

「……っ、く…!」

細かな傷は癒えることはない。積み重なり深傷へと変化していく。

(元々、俺は他のアストリネより再生力は劣ってる関係上、持久力も高いわけではない――)

鍛え上げなければ追いつけなかった。

心理操作の異能、その代償だと示すように身体強化もまともに得られなかった。


(本当に、勝手が悪い異能だよ。何が強いかわからん)


肝心な心理操作も相手方が所有する情報に依存する。狂人なら共鳴的作用でイプシロンが狂う可能性が高い。

それ故に、目の前の狂人(グラフィス)勝てる要素は皆無。


(……全部分かった上で、起こしてるんだ)

誰に指摘されずとも重々理解してると唇を噛み、水槍が舞う中を踊り続け、数十以上にも昇る水槍を避け切ってみせた。

「流石。疾いな」

称賛するグラフィスを無視し、イプシロンは素早く己の懐から二つの錠剤を取り出す。

何の躊躇いもなくそれらを飲み込み、奥歯で噛み締めて嚥下する。

直ぐに異能発揮の証として、翡翠瞳が炯々と煌めく。


後に響くのは踵が土を踏み鳴らす音。瞬時に宙に走りたるは紅の軌跡だ。


「――!」

グラフィスの認識はただ、それだけだった。

イプシロンの踵からは苛烈な紅蓮が熾り、加速を果たされていた。

生半可な動体視力では到底追いつけまい。瞬間移動めいた速度を披露する。


「……これは、ローレオンの……!?」

紅き火粉を舞い上げながら金糸を靡かせたイプシロンに眼前まで躍り出られたため、動揺の声を上げて仰反る。

しかし、間に合わない。

イプシロンは白銀の脚甲へ炎を纏わせたまま、天に上げた片足を振り下ろす。

その側面に取り付けられていた刀の白刃でグラフィスを切り刻まんとした。


「生意気だな」

グラフィスは口角を下げ、笑みを崩す。

悠々綽々とした雰囲気を霧散させ、純水の鰭から短鞭を編み出し柄を手に掴む。

――やがて交差音が場に鳴り響く。

圧縮された水が炎ごと刀を弾き、一撃を凌いだ音だった。

そして打突した反動を互いに受けてしまうが、そこで歴然とした差が出る。

「……!」

鍛え上げられた肉体を備えるイプシロンは大きく仰け反ることはない。

「っく!」

だが、為政者に勤めていたグラフィスでは衝撃に打ち負けて身を大きく引いてしまう。


「そうだろうな。君自身は一兵卒よりも脆弱だ。覚醒剤(スピリト)を使ってでもこの接近戦に望みたかった」

その様子を視認したイプシロンの翡翠瞳が据わり、鋭さが増す。


「親子揃ってシェルアレンたちに兵器破壊処理を押し付けてきた、堕落と怠慢を呪うといい」


イプシロンは息ごと吐き捨てて、仰け反ったグラフィスとの距離を詰める。

素早く身を回す。地面を強く踵で踏みつけて軸にしてから再び片足を高く上げた。

今度は、刀だけでない。脚全体に紅蓮の焔を纏わせた上で、まるで紅花を咲かすような怒涛の連撃を――刹那に繰り出す。

「……!なん、…っ!」

怒涛の連撃。疾風怒濤とはこのことだ。

初段の五連撃は短鞭でいなせたが、グラフィスが応じれたのはそこまで。

「っ!この!……ローレオン()だけでなく、…ネルカル()まで!」

圧縮された炎の熱を高めるだけでなく、身軽を補助する風。複合異能術を前にグラフィスは耐えかねた。

片目を瞑り、応じていたが降り掛かる衝撃で、身を飛ばされる。

やがて麻痺した腕が真下に流れても、イプシロンの殺意(猛攻)は止まらない。

「――どうした?踊りたいんだろ?」

煽りの言葉を投げて、ワルツのように艶やかに舞わせまいと徹底して叩き潰しにかかる。

「君が言い出したんだ。最後まで踊ってくれよ」

手始めに、イプシロンは短鞭を掴む手を丸ごと切り落とし反撃手段を奪った。

獲物を失わせた後、水鰭を纏う胸部や腹部を削ぐ。水泡を散らさせながら異能の元を断つ。

(――まだだ!)

当然、それだけでは止まれない。

もう一手を下さんと、イプシロンは一度体を回す。

短い息継ぎひとつ済ませて歯噛みする。

再び火と風を熾す際、金糸が大きく浮いていた。

(ここしかない。ここで仕留め切る!)

足を振るい、グラフィスを刻み込んだ。

何度も幾重にも赤筋を走らせた。

彼女の身を焼き切る気概で、流れを崩さずに押す。全てを、永き因縁を、呪いをも断ち切るために。

数十格子状に刻みグラフィスの肉体を断つ。


(手応えなし、再生力も健在!上半身には[核]がなかったのか…!なら!次に狙うべきは胴だ!)

解に辿り着いたイプシロンが、足を大きく振り上げる。


「   ――やはり」

しかし、刀が胴を立つ寸前。

イプシロンは突如湧き出した紅き剛腕により、足ごと掴まれる形で止められてしまう。


「痛みを受ける側に立つのも中々悪くはないな。……誇り高く完璧だったお父様との甘き思い出に浸れる」


その正体は鉄臭を立たせる血だ。今し方グラフィス自身から滴り流れた血潮である。

「イプシロン、お前も与える側に目覚めたのかい?」

唇から溢れる一筋の血を舌舐めずりで拭うグラフィスは異能を発揮する。

赤褐色の槍が生まれ出て、イプシロンの喉から頭部を貫かんと差し迫った。


「――まだふざけたことを吐く余裕があるか」

だが、それはイプシロンに触れることすら叶わない。

翡翠瞳が鮮烈に、煌めく。

「!?」

血の槍は届かず床に叩きつけられた。形状が保てず楕円状に広がってしまう。

槍、だけではない。グラフィス自身にもまた、上から圧せられるような強制的な負荷が掛かり、体勢が崩れて地に這い蹲った。


「…っ、よもや、重力(ディーケ)、……まで……っ!」


星そのものに身を囚われてしまい、地中へ引き摺り込まれるような、抗い難き荷重。身じろぎも許されることはない。

「ッ、…ぁ゛…!」

硬直したも同然であるグラフィスの背を、イプシロンは乱暴に踏みつける。

「……もういい。面倒だ」

[核]を破壊してからグラフィスから権限を引き抜き阻止へ進めた方がいい。もう、そんな理想的決着をイプシロンは捨てたのだ。

――以降は、十三年前の報復も兼ねる。

「ガッ、ァ゛!」

背骨部分に深々と刀を突き立てられたグラフィスから鈍い悲鳴が上がった。

それをイプシロンは侮蔑を込めた瞳で冷淡に見下ろす。


「俺は君という存在そのものが忌々しい。さっさと消えてくれ」

嫌悪感を吐き捨てて、取り込んだ覚醒剤(異能)を惜しみなく発揮する。


「自ら生む水で、溺れろ」


風を操作した。

グラフィスの水を元素レベルに分解し酸素へと変換する。

後に炎を熾した。

発生した酸素を呑んで勢いが増した業火は轟き、爆ぜる。

「――――――」

対象があげる悲鳴ごと焼き尽くす。灰燼へ帰す焔は、柱が立つように天へと昇る。

有機物が炭となる匂いを周囲に放散させていた。紅き焔の中心に映る影は、次第に掻き消え始めてしまう。

(これで[核]ごと焼き切った)

見える灰も消失の始まりにして兆しだろう。最早、ミカエラ=グラフィスと呼べる個は、跡形もなく世界から失われ―――。


「悪くない」

しかし、たかが山火事程度では、深き大海が枯れ果てる理由とはならない。


紅の二槍が炎柱を突き破る。イプシロンの眼前へと迫る。

咄嗟に反応したイプシロンは槍を両翼で弾き、後方へ跳ね除けた。

「っく!」

猛撃は止まることない。

直撃を避けようとイプシロンは俊敏に動く。片足を後ろへ回すように退き、追撃で放たれた三槍の撃を白銀の脚甲で振り払い弾き切る。


五撃を的確に躱しはした。――が、状況が一変したも同然だ。焦りと漠然とした不安にイプシロンの顔は引き攣っていた。

やがて、炎から間欠泉が如く。猛烈な水蒸気を上げながら、業火が赤い水に打ち消していく。

「……っこいつ、まだ……生きて!?」

信じられない光景だった。

何せイプシロンは未だ風の操作をやめてない。直ぐに分解されてしまう以上、グラフィスは純水を操れない筈。――だというのに。

ありえない筈の光景を前に驚愕するが、イプシロンは睨み据えて臨戦状態へと移る。

身構えた瞬間、呆気なく炎が霧散し切った。

代わりに現れたるは紅き水柱。限界まで圧縮された血液の噴流が一瞬にして宙を裂く。

「!!」

着弾先とされたイプシロンは白銀の脚甲でその撃を受けたが、水泡が周囲に弾けた。


イプシロンは、水圧――衝撃に耐えられない。

「ッ、!?」

場に踏みとどまることはできず、容易かつ無情に。数十メートル以上先まで吹き飛ばされた。


「っぐ、ぅ゛!」

衝撃を流せない。受け身も、まともに取れなかった。

イプシロンは後頭部を中心に壁へと叩きつけられ、全身に響く激痛を受ける。

「……く、っそ…ッ!…!」

脳震盪が生じた。直ぐには身を起こせない。

だが、それでも。辛うじて意識にしがみついたイプシロンは片目を眇めつつも呻き、肘を立てて立ちあがろうと意地を張り、足掻く。


「――同じことなんだよ。お前が私を心から恨むように、私も弱きお前を愛し、恨んでいた」


焦りもが滲み、荒く乱れた呼吸を繰り返す中で。

純水を交えた夜海のドレスから深紅のドレスへ仕立て直したグラフィスが、悠々と床を踏み鳴らす。

「だから考えたのさ。振り切ったお前を出し抜く方法を。思考を突き詰めて回しきって――到達した」

拍子の振動を受けて裾の一部が解け行き、数滴の()()が飛沫痕を刻んでいた。


「[核]というわかりやすい弱点を乖離させて、安全な場所に隔離してしまえばいい」


イプシロンの翡翠瞳が大きく見開き、顔が歪む。

瞼や目元を引き攣るように震わせて忌々しげにも歯軋りを立たせて憤怒する。

それに覚えた高揚を隠さずグラフィスが両腕を広げて高らかに謳う。


「わかるか、イプシロン。私は異能者(アストリネの一族)を超越した存在なのだ。お父様が願ったこの大海は止まらない。例えシェルアレン様(エファム)であろうとも、この波を止められないだろう」


自身で未知の実験を行いアストリネとしても外れた存在に成り果てたと意気揚々と明かすグラフィスに、イプシロンは鉄錆の香りが混じる短い息を吐き捨てる。


「……流石は、父親狂い(ファザコン)。父親の愚かな願望を全肯定とは恐れ入る」


――語るに落ちた者へ送る言葉は、この一言(侮蔑)だけで十分だった。


僅かな間が、空いた。

瞳を平らに据えていたイプシロンへ飛ぶのは、複数の紅。自身の血を用いた血槍だ。

それらに対しイプシロンは、床を強く蹴り上げた。高々と宙へ跳び立つ。

両翼を羽ばたかせながら空中で身を回し、軽やかな回避と着地を披露した。


「………今すぐその言葉を撤回しろイプシロン。お父様は何も間違えてない」


睨み凄んで要求するグラフィスに、イプシロンは何も答えない。黙って、追加の覚醒剤を飲み下し、空の容器を乱雑に投げ捨てる。


「お父様は何も間違えてなどいない。この私を完璧に愛し、望みを託されたのだ」


かける威圧を体現するように、刹那にてグラフィスが編み飛ばすは孤月型の紅き刃。

それらがイプシロンの下腹部に深く突き刺さる前、風の防壁に阻まれた。

槍は水泡と拡散し、周囲を汚す。


「……撤回するわけが、ないだろう」


煌めく瞳を眇めたイプシロンは重い咳を繰り返した後、地を這うような低い声で唸る。


「君の考えが終わってるんだよ。とんだ独善だ、虫唾が走る。誰も望んでない机上の空論を正義と信じ決行したのも愚の骨頂だ」


ゲホッと赤黒い血ごと、煮凝りのような嫌悪を唇から吐き捨てた。


「道半ばで起きた事故にて滅んだ君の父上も、地獄でお嘆きになられてるだろうよ」


十三年間、見せられることなかったイプシロンのむき出しの反抗心。

その嫌忌は、沈黙を与えるほどに鋭いものだ。グラフィスは息を飲み、薄い唇を固く結ばせる。


数秒間、重き静寂が場に満ちた。

静まり返る前に、グラフィスの唇が再び開かれる。


「……直ぐに息の根を止めてやるべきだと考えていたが……気が変わった」


彼女が纏う鮮血のドレスからは、再び幾つもの血槍が編み出されて始めていた。


「掃除の前に、まずはお前の僻んだ精神を屈服(教育)してやるとしよう」


暴虐の幕開けが如く、血槍がイプシロンに飛ぶ。


「……歪んだ自覚がないと来たか。やはり終わってるよ、君は」


眼前に迫る中でイプシロンは目を伏せて呟き、未だ痙攣が残る脚を気付けるようにも踵で地面を踏み締めた。

合わせて白銀の脚甲を染める焔を熾し、振り上げることで血槍を焔で包み焼き切っていく。


「全く救いようもない」

短い咳と軽蔑を吐き、かかる灰を払うようにも顕現させた金色の翼を横に振るうのだ。



――一方、【ルド】第十七区『ビーヘン』にて。

アルデに使命に殉じるよう命令を下された透羽吏史だが、応じることはなかった。

聞き分けよく快諾せずに、黙って佇むのみ。

不動なる姿勢が続くことに焦れたように、眉根を寄せてから顔を顰めたアルデが吏史に鴇色の触手を伸ばし、その肩へ置いた。


「……お願い。気持ちを抑えて、聞き入れて」

懇願にも等しい囁き声だ。

「彼女が【ルド】に赴き、ネルカル様やディーケ様がお時間を稼いでる時が絶好のチャンスなのです。被害を出さずに計画を挫くならば、今しかない」

正論かつ最善択の提案と言えるだろう。

だが、しかし、それでも。

「全然納得できない」

吏史は縋る思いごと振り払うよう鴇色の触手を掴み下ろし、自身から離れさせた。


「大変な状況だって頭ではわかってるよ。誰かが何とかしないといけないんだって」


アルデがここまでいうのだ。さぞかし危険な状況だろう。世界の危機にも等しい筈だ。

そんな漠然とした予感は確かに感じ取れる。けれど吏史の喉奥には疑問が残り、しこりのように張り付かれて飲み込めそうにない。


「なぁ。それをオレだけでこなすことに意味があるのか?古烬の兵器が解決した所でさ。不満が相次ぐだけだろ?」

吏史は扉前で佇むベガオスへと横目を向ける。

「………っ、」

不意に流れた冷淡な瞳を向けられたベガオスは、身を揺らし強張らせていたが、彼にかける言葉はなく吏史はアルデへと向き直した。


「だったら、皆が納得する形にしたらいいだろ。人や兵士も動かせばいい。グラフィスが起動させた兵器が本当に危険なら尚更、もう隠蔽なんか回りくどい事せずに明かすべきだろ。……なんでそうしたらダメなんだ?」

そうして問われたアルデは、何も答えない。

下ろされた手を動かすことなく、唇を固く閉ざす。

「なんで、オレじゃなきゃいけないんだよ」

頑なに沈黙を選びとるアルデに、吏史は一歩ずつ前に踏み出して訴える。


「『アストリネの管理社会が完璧だ』って示すことがヴァイオラにとって、そんなに大事なものか?オルドのことを切り捨ててでも……成し得たいものなのか?」


それは、突き詰めるように激しい非難を示す刺々しい質問だ。まるで非情だと吐き捨てるかのように。

「…………待て。そこまでにしろ透羽吏史、貴様は…!」

あまりに無礼な態度だと反感を抱いたベガオスが眉間に皺を寄せ、立ち尽くすことをやめて踏み出そうとする。

「いいえ」

そうしてベガオスが間に割って入るよりも先に、アルデの唇が開かれた。


「私には()()に、こだわりなぞありません。アストリネ管理社会自体……十六年前から既に形骸化してるようなものでしょうから」


どうしようもない事実だと明かす。盲信する人類には俄か信じ難い本音が、淡々とした調子で紡がれたのだ。

「―――――」

手を伸ばした姿勢で硬直するベガオスの動揺を置いて、発言は続いていく。


「使命だの責任だの、全てはあなたを遠ざける抗弁に他ならない。通用しないのならば、この現状の説明を執り行います」

そうでなければ吏史が納得しないとアルデは重々理解してる。両腕を組んでから、結論を述べた。


「……グラフィスの目的には【ルド】の民を始めに兵士の殲滅をも含んでおります」

それは俄か信じ難い爆弾的情報だった。

ベガオスは言葉を失い、フリッドが肩を揺らし、扉越しで身を屈み息を潜めていたイアンまでもが引き攣る口元を手で覆い隠すまでに。


「――な、…なんで……何故…?!殲滅!?いいや、そんな!グラフィス様は慈愛に満ちた方だ!その方が何故、我々を…?!」

「あなたのご認識のように大多数に上手く隠せ通せてますが、彼女は根っからの|愛護的支配者《フラジリスト/Fragilist》ですよ。牙を持たぬ弱者を愛し……武器を持つ強者を疎ましく思う」


真顔でアルデはグラフィスの偏愛を打ち明けた上で語る。

「だから、【ルド】の民を殲滅にかかったのです」

【ルド】の民はネルカルを主軸に動くが、個々人の能力と自立心は非常に高い。

『遺児』の補強があれど元より病気にも強い抗体を待つ逞しき人種である以上、他国に比べて優れた人類に該当するだろう。

――だからこそ、グラフィスの嫌厭対象に該当したのだ。

「グラフィスはあなたたちを不要とみなしたのです。支配下に敷けぬならば、いっそ一掃してしまおうと判断を下した」

弱者を第一に置くのならば、不穏材料そのものを廃する。伸びた雑草を刈り取るような手入れ的思考で、グラフィスが計画したのだと明かされた。


「……ッ、そのような鬼畜の所業!全人類が許容するわけがない!」

わなわなと身を戦慄かせて、ベガオスは怒り心頭に発する。

過去の暦で暴君の威光が栄えることなく途絶えたように、それが真実ならば滅びる筈だ。他ならぬ多数に押し潰されるが道理だろうと訴えた。

「許されるわけが……それが、わからぬ方ではないだろう……!」

だから、ここまで全てがきっとアルデの冗談だ。そうあってはならない。グラフィス――平和の守り手でもあるアストリネが、人類殲滅を目論んだ事実があって然るべきではないと、必死に訴える。

「……ええ、そうですね。間違えてはおりません」

だが、アルデは微かなため息を漏らして首を横に振り、その縋るような小さな希望を払う。


「グラフィス様は全て承知の上です。露呈するリスクを理解した上で、恐らく封殺するつもりなのです」

「全てを、……封殺…!?そ、のようなことは、いくらグラフィス様でも」

「ですが、グラフィスはそれを可能にする手段を取られになられる。人類は意義を立てれることすら叶わないないでしょう」

遮るように答えた後、アルデは重々しくも呟く。


「……彼女の本懐たる大海の願いは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その肉体変化も刺胞動物か小型の魚類に転換させることです」

曰く。

言語を紡ぐ知性を失い海洋を漂う雑魚に成り果ててしまうのならば、人類は等しく沈黙に臥せるしかない。

「――――」

大海の願いが叶うのならば、確かな封殺的手段だ。

否応にも理解したベガオスが口を固く結び絶句する。

その横で、吏史は目を細めた。

「……そんなことが、可能なのか?」

想像がつかないと疑問を挙げれば、イアンが横槍するようにも挙手を交えて答えていく。


「まあ規模は置いといて、それ自体は可能域だな。対象者の記憶容量…魂を保持したままの肉体変化は成功例があるしね。ほら、俺の作品が最たる例だよね。少年も見ただろう?」

「………あの自動的に物を作っていた、あんたの家族のことか?」

思い返しつつ呟けば、どこか誇らしげにもイアンが頷いた。

「そうゆうこと」

片目を瞑って微笑んだ途端、巡り回る情報に混乱が乗じていたフリッドが息を呑む。

即座に険しい表情を浮かべてイアンを睨む。


「ねぇ。それ、悪趣味だから眠らせておやりとあたしはちゃんと命令したわよね?」


かつて確かに命じたことを守れてなかったのかと。

凄むような低い声で憤怒を表すフリッドに咎められたイアンは、「あ。」と、間抜けた声をあげた。

気まずそうに視線を泳がせ、わざとらしく舌を出す。


「てへぺろ〜」

媚に塗れた猫撫で声で、誤魔化した。


けれどもそんな舐め切った態度を晒して看過されるわけもなく。

フリッドは無言で胸元から扇子を取り出し、命令違反者に対しての折檻を粛々と行おうと掛かる。

「わー!?!?」

イアンが両手をあげて降参を示すが彼女は止まらない。風を切って素振りまでされていた。

なんとか自身に振り下ろされないよう、慌てたイアンが話題を変えようと早口で紡ぐ。


「ど!ドドド、どんな兵器かは俺にはよくわからないけども!それがびっくり箱みたいな性能してるんなら余裕だし、全人類同時並行とかも考えられるぞ!だいたい、HMTは所持義務にされてるから意思接続自体されてるみたいなもんだって!……あ、カサンドラ待っ……ちょっと!顔はやめて許して!」

しかしそれは無駄な足掻き。そもそもその体罰を阻止に動き咎めるものは誰もいないわけで。


「痛っ…!!!」

パシン!と扇子がイアンの頬を鋭く叩き、乾いた音が場に渡り行く。

「よ、容赦ねぇ〜……もうちょい甘さをくれよぉ…昔馴染みなんだし、ティースプーンいっぱいの蜂蜜くらいはさぁ…」

徐々に赤らみ腫れ始めた頬を摩るイアンが不満を漏らす。

それにフリッドはフンと鼻を鳴らし、扇子を仕舞い込む傍らで、アルデが鴇色の瞳を眇めていた。


「……いえ、今は探る場合ではありませんね」

妙に記憶に障るものの、今はそれが本題ではないと瞬き一つで即座に切り替えてく。


「兎も角、今し方彼から出された推測が概ね正しい。現時点で不可能ではなく可能域、その実行前に大掃除を決行しようとしている」

改めて告げられたが、吏史はあまり納得を得れてなかった。

「…それならなんで、尚更オルドを見捨てることに繋がるんだよ。今だって、まだ……起きれてないのに」

それが間違ってると思うのならば、アルデの言動が意味不明なのだ。


ここまでの話を整理すれば、グラフィスの最悪な計画は実行手前。阻止するべきだと判断したアルデが動き、協力を仰いでる。

きっと、健在だった時にその計画を知ったであろうイプシロン自身に『こうすべき』だと促されて、アルデがここに来たのだとしても。


「どうしてオルドを見捨てたんだ。オレたちの味方なんだから、最優先で助けるべきだろ。やっぱり納得できない。今の話だけじゃ……グラフィスがやばいってことしかわからなかった」


そう、訴えれば、間が開いてしまう。

僅かにアルデが発言を躊躇うようにも桜色の唇が何かを紡ごうとして、固く噤む。

そうやって逡巡し揺れる心を息ごと飲み込んで、桜色の双眸を据えていた。


「ですが私はこの選択を変える気はありません。彼は…イプシロンはグラフィスに従う裏切り者だからです」


異色の双眸が瞠目するのを視認した上で、アルデは今一度、事実を紡ぐ。


「二代目イプシロンから語られてはない。私が掴んだ情報です。十三年間、グラフィスの駒として協力していた裏切り者であると。――だから、私は見捨てると決めたのです」


まさかの事実を受けた吏史は、ぱくぱくと口を開閉させる。

「………それ、は………」

直ぐに、言葉を発せられない。蹌踉めき数歩後方に下がり行く。

だが、吏史は退く行為はそこで止まる。


「それは事実無根だ!」

歪ませた唇を大きく開き、噛み付くようにも訴えた。


「なんでも直ぐに決めつけるのは……良くないだろ!?その情報だって!オレたちを掻き乱す誤情報かもしれない…!」

裏切り者なんて簡単に決めつけるのはおかしい。それは、敵の情報操作で実際はアルデの誤解ではないかと。


「………………」

しかし、アルデの表情は変わらない。機微をすらもない冷徹な無表情だ。

激情に揺れる吏史を覚ますように冷淡に見据えている。


「嘘ではない証拠ならば私のHMTに。元よりこれの本質は、記録媒体です。過去にグラフィスが立てた指示に従う会話も手元に保有しておりますが………その中身を、此処で、開示しましょうか?」

「……………ぁ…………」

一層空気が冷え行く中で、吏史は口を開けたまま呆然と立ち尽くす。

数拍の間を、掛けて。震える声帯を動かしつつ萎れた声を漏らす。

「でも、…………でも!オルドはオレを助けてくれただろ!命懸けで!」

「ただそれだけで彼を裏切り者ではないと信じろと?……吏史。あなたは、心理操作の異能の危険性を何もわかっていない。このように信頼たり得る認識そのものが、彼に植え込まれた嘘である可能性もあるのです」


アルデは平静かつ冷徹に。動揺する吏史を導くように説いていく。

異能のことを鑑みれば、イプシロンの真意や真偽は一切不明。これまで全てが印章操作された可能性が高いのだと。

警戒心を高めて然るべき。

心理操作の力は、意思ある者に於いては最も恐るべき異能だ。


「第一あなたが彼を大事に想っていようが、彼自身はそうと限らない。私は彼がただひとりのためだけに、兵器を破壊し続けたのを知っている」


そもそもオルドヌングとヴァイオラは昔馴染みだった。

最も大事なものと――定めた生き方を。互いに、知っている。


「その方のためならば、きっと私たちを欺くことも躊躇わないでしょう。唯一無二たる存在が、彼の心に刻まれているのですよ」

だからこそ、アルデは裏切りの事実を渡された時、あっさりと事実だと飲み込めてしまったと冷静に伝えた。

「彼はあなたのことを道具としか思ってないはず。今すぐ信じるのをやめなさい」

吏史を気遣う姿を見ていたとしても、ヴァイオラ=アルデはオルドヌングに変化が訪れたとは思わない。


――白銀の星へと追いつこうと躍起になって、血を吐こうともグラフィスの計画に加担する筈。


「私からすれば彼の裏切りは自然と行き着く事象同然です。寧ろ、そうであったことに、安心すら覚えたほどですから」

緩やかに瞼が下され、桜色の瞳は翳りが差し込む。


「だからいっそ、このまま目覚めずに眠ってくれた方がいい。危険な不穏分子は……少なくあるべきです」

「そんな……いや、でも。大体、ただ、ひとりだけのために、そこまでするわけが…」

「いいえ、少なからず私ならばできる」


躊躇いもなく返された涼やかなる回答に吏史は息を呑む。

ヴァイオラが据えた桜色の双眸、金色の瞳孔に映るのは、ただ己一人のみだった。


「そう、できると確信してるのです。何度でも言います。彼を助けるべきではない。私は感情論を推己及人で判断する」

「っだ……としても…これまでの……オルドヌングは!」

「吏史。………初代イプシロンの記録すらないのです。私の叔父様が語った事実通り、彼は継承したアストリネですらなかった。エファムが行うはずの姓付けの記録すら、ない」

溜め息を吐き、肩をすくめて視線を真っ直ぐに訴える。


「わかりますか?彼は自らの出生ですら偽りだらけなのです。記録が嘘を明瞭にした以上、もう信用に値しない。してはならないのだと」

――裏切って当然だ。二代目イプシロンは、あらゆる要素において信じるべきではない。


「いい加減、理想通りではないと理解なさい。優しくされた思い出ばかりに縋り駄々を捏ねる事態ではないのですよ」


明確な否定を突きつけられ想いを跳ね返された吏史は、身を戦慄かせて拳を握りしめる。

自然と顕現した黒骨の手甲から、ギチっと軋む音を鳴らしていた。


「……………ち、がう。オルドは、嘘は、ついてない。演技でも無かった。すごく優しかった……」

太陽が昇る翡翠瞳という印象深きあの色が、嘘だったとは思えない。

言葉や行動も、オルドヌングらしい。少なからず吏史にとってはそれが真実だと首を横に振る。

「オレが、アストリネとして、初めてちゃんと会えた。………………仲間で、家族なんだよ」

しかし、どれだけ想いを連ね明かそうがアルデは眉ひとつ動かなさない。

「何を仰るのですか。たかが六年程度の関係でしょう。あなたはオルドヌングを何も知らぬのです」

冷徹に否定を紡ぎ、道理を解く。

お前は推し量れるほどの時間を過ごしてないだろうと。

「私は彼の努力と過去を見てきた上でグラフィスに加担してると納得している。言葉がわからないのですか?洗脳された可能性が高いと受け入れ、幼稚な想いを今すぐに捨てなさい」


透羽吏史は息を吐き、二度ほどの呼吸を繰り返す。

幾重の逡巡を済ませた上で溢れんばかりに目を瞠る。


「――嫌だ」

聞き入れない頑固一徹な様子にほとほと呆れるよう、アルデは己の頬に触手を添えて溜め息を吐いた。

「吏史。………あまり、困らせないで頂戴」

聞き分け悪い子供を扱うぞんざいな態度に、吏史が眦を決する。

「ッ嫌だ!それでもオレは、オルドのことを信じる!たとえ本当に裏切っていたとしても構わない………っ言葉よりもこれまでの行動を、命懸けでオレを助けたオルドヌングのことを信じる!」


カッと燃ゆるように熱くなった心を頭を振って明かすが、アルデの無機質な目は変わらない。

寧ろ憐憫すら送るような峻烈な眼光が故に、吏史は唇を戦慄かせてばかりだ。


「……意味、わからないだろ。自分の力で生きれるように。戦えるようにオルドが、オレに色々……与えてくれたのに……ヴァイオラだって仲間なはずだろ!?どうしてそう簡単に裏切り者だって切り捨てて、冷たくできるんだよ……!」

「仲間だから殲滅を許容しろとでも?」

「そうじゃない!どうして『そう選んでしまったのか』くらい、考えてやらないのが冷たいって言ってるんだ!」


何故、オルドヌングがその選択を取ったのか。その道を選んだのか。

推察も立てずに手にした情報だけで『裏切り者』『敵』と定義付けて、あっさり見捨ててしまうのが冷酷だと吏史は顔を真っ赤にする憤慨で叫ぶ。


「………そう思うことすら、操作されてるかもしれないのに?」

「違う!!その疑念を持つこと自体が、異能を使ってなかった証拠だ!!もし本当に操作してたら……『疑う』ことすら封殺する!オルドは……っそういうやつだっただろ……!」

彼ならばあらゆる手段を用いて、徹底してたはずだ。疑えること自体が操られていない証拠だろうと感情的に説いていく。

だが、アルデは眉間に深い皺を寄せるばかりだ。


「――堂々巡り。私の誤算は、あなたの洗脳が深すぎたことです」

「…………ヴァイオラちゃん?」

フリッドが惚けた様子で名を呼ぶ。アルデは触手を蠢かせては、懐から小箱と注射器を取り出す。

まるで藤を搾ったような紫紺の薬液で満たされたソレを持ち、吏史へと歩み始めた。


「ヴァイオラちゃん!?何を……」

「特効薬を投与します。私の境地は異能の影響をも中和可能にする。精神安定剤としても期待できるのです」

「そんな、いや、いくら自分の言うこと聞かないからって……流石に強引すぎるんじゃ……」


フリッドの真っ当な意見には耳を傾けない。戸惑う彼女と違い、アルデには躊躇いがない。

萎縮して身構える吏史を冷淡に見据えた。何処かで痛みを堪えるように唇を噤む動作も、僅かな間で済ませた上で。


「なんで、そこまで頑なに……信じてくれないんだよ」

揺るがぬ不信を貫くアルデに、吏史が尋ねれば、桜色の瞳に瞼が降りて影がかかっていた。


「信じてるからこそ、信じないのです」


その矛盾した返答を受けた吏史は、異色瞳を睨み据えていく。

後は口を閉ざしたまま問答を続けることはせず行動で否定した。

――アルデが手に持つ注射器を、強引に奪い取る形で。


「っ!?あなた、何を…!」

薬剤を手にしては即座に地面へ叩きつけた。

衝撃に耐えかねた注射器は破砕され、薬が飛散する。

仰天するイアンや度肝を抜かれベガオスもが凝視する中で、吏史は憤怒を込めて睥睨し、ギリッと歯軋りを立てる。

「吏史!なんてことを…!」

「煩い!最終兵器も『遺児』も、どうだっていい!勝手にしてろよ!!」

アルデに咎めるよう名を呼ばれようが、真っ向で反抗を現す。

もはや意は決したも同然だ。

ヴァイオラ=アルデが何もせずにオルドヌングを見捨てるならば、自分が動く。

「どうでもいい……そんなこと、何でもいい……」

グラフィスの計画も用いる最終兵器も、『遺児』も、今では瑣末なことだ。


「オレにとって、それは全然大事なことじゃない……!」


グラフィスは敵だ。それに加担してたとされたオルドヌングを――此処で信じて手を貸さねば、一体、誰が彼を救うのか。

彼はこれまで幸せを与えてくれたというのに、その意味すら否定されるならば、今の“透羽吏史”の否定に繋がるのではないか?


「これまで生きてきたオレの全部が、無駄だったって考えたくない。怒りで、目の前が真っ赤になりそうだ。頭もが痛くなる…!」

心身を満たす紅き思考は思いを口にさせる。

「誰もが身内を信じるんだ。この信頼が間違いだとは誰にも言わさせない。否定する奴等は、皆、敵だ」

例えそれが、大事な恩師であるヴァイオラ=アルデであったとしても――見捨てるならば。


「ヴァイオラ……あんたも、敵だ!オルドを………オレのっ世界を、……あんたたちに!壊されてたまるもんか………!」

声は震えてた。激情に駆られた心はずっと熱き血が躍動させて巡らせていた。

感情に呼応すれば自発的に現れる『ゴエディア』も首元まで覆い始めてる。それは強固な心の壁として顕現されている。

最早、簡単に解けやしないだろう。


「吏史……感情で動くのではなく、理屈で動くべきなのですよ。……私も……あなたも、英雄となってしまった以上、他の人とは同じではない。責任があるのです。人々を守る義務がある………!」

「違う!!オレに取っては“英雄”なんて、…ただの文字同然だ!」

「っ!なんてことを……今すぐ撤回なさい!あなたは人々を守るための存在であらねばならぬのです!」


アルデは慌てて噛み付く。触手を横に薙ぎ払いながら、吏史に更なる宣言を促す。

その視界には吏史が着用するHMT、腕時計が映る。

今の発言は確実に拾われ記録されてしまった。後に吏史が非難される要素に足り得るだろう。

故に針の筵にされないための気遣いだったが、もう。

「いいや、撤回しない!」

――今の吏史には何も響かない。


「散々『古烬』の兵器だって貶してきた奴らのためなんかに、命張れるわけがないだろ!…オレは、オレだけのために生きる。肩書きも持てる全てを利用する!何であろうとも、オレの大切なものを壊そうとするやつは、許さない!――オレが破壊する!」


苛烈なる宣言。全てを活用するという英雄失格たる震怒だ。

それに、呼応するよう、爆発的な勢いを以てして壁が粉砕された。


白き石片を散らす暴風と共に現れたるは、白き獣。

蒼き模様が差し込む純白の体毛や尾をなびかせる狐に連なる巨大な獣は、細長き四肢を駆使して吏史の側へ駆けつけた。


「………白雪…!?」


長鼻を擦り寄せてきたその獣の名を呼んで、慄くよう凝視する。

やがて、純白から空が差し込んだ。

「――吏史君!」

胸元に白百合の花束を咲かせる異形の少女――五十代目カミュールが、険しい顔で声を張り上げた。

「直ぐに乗ってください!手を貸します!」

「……ッ、」

有難い申し出だ。白雪の力を借りれるならば、強引に事を進められるかもしれない。

強要の鎖が絡みつく現状を打破するに最高の一手。だが、躊躇いに身を強張らせて動けない。

瞠目した異色瞳を揺らすばかりだ。

「あんたが、なんで、こんな」

理解できなかった。何せ吏史は、三ヶ月以上カミュールと顔を合わせすらしてない。

共に舞台を観る約束、だって。多忙という理由で敢えて放棄した。

だから彼女が味方する理由がわからないのだ。

せめて嫌われることばかりしてきたというのに、何故、見返りを求めず手を伸ばす?


「ええい!僕との約束を無視したことを今更気にしてる場合ですか!?僕は君の絶対的な味方と誓いを立てたのです!大きな間違いをしない限りはですがね!――それを反故するつもりは一切ないんです!……だから……」

躊躇う吏史にカミュールは肩を引っ叩く勢いで噛み付く。これはあくまで自分の意思で選んだ行動でしかないのだと。


「どうせ進むのならば自分の意思で……好きなように駆け抜けなさい!」


目を吊り上げた鋭い睨みと強き言葉に、吏史は後背を押された。

白雪へ乗り込み、カミュールの隣へと飛び移る。

直ぐに白雪が四肢を動かした。風を巻き上げながら疾走していく。

――建物から抜け出す、その間際にて。

「吏史!」

アルデが引き留めるように叫んでも、吏史は一瞥も送らず口を閉ざすだけだ。

白雪は直ぐに建物の外に出る。

近くの建物の屋上へ着地して、『ピーヘン』の荒れた建物を蒼茫とした草原を駆け抜けるように、長き四肢で軽やかに移動を行う。


「カミュール、白雪!直ぐに『イーグル』に向かってくれ…!オルドを助けたい!」

「でしょうね!ちなみに手段は考えております!?」

「ッ…ない、けど…まずは合流から!」

「ノープランは絶望的ですね!ひとまず『門』の使用承認が降りてるうちに飛び込みましょうか!」

「アゥン!」


カミュールや白雪も意に快諾する。

結論、白雪の移動能力も驚異的ではあるが、確実なのは『門』なのだ。

「君は英雄失格。手を貸した僕もアストリネの一族としての使命を放棄してますからね。先ずは『門』の使用許諾から破棄されることでしょう」

後のことはさておき、第一区『イーグル』に急ぎ向かいたいならば叛逆者として移動制限が掛かる前に『門』の転移を用いるしかない。


「幸い、各国の代表管理者は取り込み中のようです。彼らが正式な否認を下すまでは時間が必要になる。今しかない」

言い方を変えれば、時間はある。そう確信的な見解を述べるカミュールの顔は未だ険しいものだった。

視認した吏史は何度か目を瞬かせて呟く。

「何か、他に懸念点があるのか?」

問いを投げられたカミュールは眉間に皺を刻んだまま、返した。

「問題があるのは君自身です。君は自身を省みなさすぎる。いくら交渉とはいえ危険な奴の機械に掛かるなんてあり得ない。……結局無事だったから大丈夫とかふざけた事を抜かしたら……ぶっ飛ばしますよ」

唐突な物言いに、思わず目を丸くしてしまう。

カミュールがイアンへ嫌悪をむき出しにしてる様も、これまでの行動を見てきたような発言も、滲む心配心にもだ。

ただ、浮かぶ諸々の疑問を口にして尋ねることはせず、吏史は唾ごと飲み込む。


「なら、なんでカミュールは此処までオレの味方をしてくれるんだ?」

――ただ、一つ。彼女の誓いがあろうとも納得できない大きな疑問だけを口にした。


その合間、白雪が素早く駆けている。

瞬足を存分に発揮して『ピーヘン』の建物等を悠々と飛び越えた。

拍子で突風にも等しい風が起きて両者に振り掛かっており、それぞれの髪は風向きに激しく煽られる。


「『古烬』が心底憎かったんだろう?大事な……お母さんを奪った原因である『古烬』が。なのに、それでも何でオレに味方して気遣ってくれたんだ?」

向かい風を受けてもなお、掻き消えぬ疑問の雫が鼓膜を揺らす。

揺らぎの最中でミュールは、据えた空色瞳を更に険しく細めた。


「僕自身のエゴですよ」

「エゴ?」

「ええ。気分を害する虐待だとわかった上で静観するなんて虐めに加担してるも同然ではないですか。僕は、弱る母を憐れむだけで触れずに背を向けた、大嫌いな方々と同列に堕ちたくはない」


淡き空は遠い蒼穹を仰ぐように。

カミュールの双眸は寥々たる想いを宿し、揺れる焦点は無いものを追い探してるようだった。


「過ちがない限り、僕は君との誓いを破らない。絶対に、最期まで。……君が独りにならないよう助けます。そうして君の想いと努力を報いらせることで、過去の自分を慰めたいのです」


亡くして、認められずに白雪と孤立無援な日々過ごした。努力を重ねて想いを募らせても、孤独だから何も得られず報われない。

そうした昔の記憶が駆られたのだとカミュールは無意識に一房の空色髪を摘んでいた。


「……あとはまあ別に、“透羽吏史”なら憎くもない、嫌いでもなければ好ましくすら思いますからね。だから、僕は君を助けて味方するんです」

其れがカミュールの理由。

過去の寂しさから抱いた確固たる信念だけでなく、『古烬』という要素を引き抜けば、嫌いではない吏史だからこそ動けたと語られた。

「故に身を削ることに腹も立てて、阻害しようと手を使うんですよ。納得いただけましたか?」

「…………」

解を得て、少しの沈黙が流れる。其れを噛み砕いたように吏史は自然と噤んだ口を開く。


「名前を教えてくれ」

「はい?」

唐突な申し出に怪訝そうな表情へ変えて疑問で尋ね返されても、吏史は真っ直ぐに前を据えていた。


「カミュールじゃない。名前で呼びたいんだ。本当の名前が知りたい」

――アストリネにとって、名を教えることは特別な意味がある。

姓を現すだけで十分だからこそ、個人を定義する名を伝える行為そのものが、特別な意を込める相手と認めるも同然だ。

そう受け取る側から要求されること自体、無礼だと跳ね除けるべき案件だろう。

「死ぬまで忘れたくない」

だけど、カミュールは気づいてしまった。

快晴の夏空を想起させる澄み切った異色の双眸に邪な思いはないのだ。

ただ、知りたいという純粋で清純な想いを前にされ、頑なだった怪訝そうな表情が解けて空の双眸が迷い、揺れる。


「まあ状況等が落ち着いてから、一考、しておきますよ」


気まずそうに目線を逸らして項垂れつつ、辛うじて答えるのが、少女の精一杯(見栄)で限界だった。


「ありが………」

「こんなんで一々礼を言ってる場合ですか?さ、そろそろ『門』へ突入しますよ。グラフィスとの交戦等も覚悟しててください」

「っ、は!?争いが起きてるってことなのか……!?」

「ええ。グラフィスは基本即断即決タイプです。必要な条件が揃ってるならばすぐに動きます。最終兵器『開闢』が完成したのなら既に“開始”していると判断すべきです」


カミュールの説明を経て、一つ起こりうる最悪を悟った吏史は息を呑む。

「それじゃあ…ルナリナたちが危ない」

ネルカルを始めにナターシャの顔を脳裏に過らせて苦い顔で呟く吏史に、カミュールは真顔で人差し指を立てる。


「ええ。そう考えるのが正解かつ無難です。行きますよ。六主に刃を向ける覚悟を決めてください」


白雪が『ピーヘン』の壁を越えて『門』前へ到着を果たす。

すかさずカミュールが己のブレスレット型であるHMTに触れて、操作した。

巨体の白雪が潜れるように青光の電磁波は展開範囲を広げ、開門は済まされていく。


「グラフィス視点からすれば、強すぎるディーケなんて対策してなんぼです。恐らく厳重に封印されるか全身支配を受けてしまってるか……自由を奪う“何か”が起きてると前提に、後先の展開を予測するべきでしょう」

「わかった。オルドを回収してからディーケの解放狙いでグラフィスを相手する――これならどうだ?」

「そうですね。其れで行きましょう。“イプシロンをあわよくば起こして、グラフィスを打破する”、此方の勝利条件のついでとはいえディーケに大恩を売るのは悪くありません」


ディーケを味方につけるメリットは大きい。

その後どんなトラブルが起きようが物理的に解決手段が保障されてるようなものだろう。


「ディーケも、イプシロンに助けられたことを気にされてるでしょうしね。後に情を優先した僕らを庇ってくれるのなら百人力です」


使えるものは使おうと計画等を組み立てて、黒骨の手甲『ゴエディア』纏う者とカミュールを冠する少女が白雪と共に目の前の『門』を潜り抜けていく。


――――◆◆


「―――ぇ?」

違和感が生じて、惚けた声を上げたのは吏史だった。


「カミュール、今…()()()()()()?」

「はい?どちらかと言うなれば僕は口を閉ざしておりましたが………」

感じた不一致が共有され、間に困惑が漂う手前。

電磁の青光が陽炎のように揺らめき霧散する。

種子が芽吹くように新緑へと世界が彩られた。

しかし広がりし草原は氷点下に晒され、無情の凍結に至り漂白へと果たす――。


そんな目まぐるしい色彩変化に直面した。


「………『門』の不調?いえ、承認が通らなかったとしてもこれは……」

「まだ許可は降りてるんだろ?」

「え、ええ…その筈です。だから先に僕でも操作が可能でした………」


純白の世界に置かれてしまった吏史たちは戸惑いを覚え、跡も形もない場所を見渡す。

――そうして迎えるのは、燃ゆる恒星に身を飲まれるような極光だった。


「!?ぅ、…!!」

「なん、……っですか、これは!?」

揃って、咄嗟に目を瞑り手で覆い隠す。

それでも瞼を貫通して角膜すら焼かれそうな眩耀に耐えきれず、白き閃光に眩み、苛まれた。

(目の奥が、痛む…!)

神経を削られる感覚で、吏史は悶絶する。

今は、強烈な光線で視神経を焼かれるようだった。生理的な涙も止まらない。

(ま、ずい。これは、まずい…!感覚、まで…)

横ざまに倒れてしまっても、白雪から転落してしまったのかすら曖昧な状態に陥っていた。


「………く!まだ、承認は取り下げられてない、筈……なのに!」

そう声を荒げるカミュールだが、同時に最悪も脳裏に過らせていた。

途中で『門』の使用承認が取り下げられてしまい――転移時に通過する現実世界とは時空間が異なる場所“異次元”に取り残されてしまった、可能性を。


「冗談じゃ、ない……!こんな結末を、飲めるわけが……吏史君!」

抗おうとカミュールが名を呼ぶ。

同時に、己の胸元に咲く白百合『消滅』の結晶へ手を伸ばし、乱暴に引きちぎろうとする。

(クモガタと相対した時に見せたあの姿…僕が想定してるならば!)

あの時に魅せられた正体がなんであれ、賭ける価値はあると判断を下す。

解決が困難ならばこそ、リスクを選ばずパンドラの箱を開くほうがマシだ。


「今すぐ此方を、」

「その必要はない」


決意を遮るよう差し込むは、真新しい弦の摩擦させた若きヴィオラめいた音。


「ぼくが助けてやるよ」


ふたり揃って、声主と思わしき何者かに手を引かれていく。

途端、白亜が沈まりかえる。強烈な苦痛も栓が抜けるように過ぎ去って行く。

――やがて。


明瞭になった視界が新たな色彩として映すのは、太陽と月を昇らせて朝と夜の境を広げた異郷の空だった。


「…………こ、ここは…?」

呻きながら目元の涙を拭い、吏史は身を起こす。

固き地面に仰向けになっていた姿勢を起こし、隣でうつ伏せたカミュールへと触れる。


「カミュール、大丈夫か?」

「……………………すいません。ぼく、しばらくめをあけたくないです」

身体以外は特に問題なさそうな返事に小さな息を吐く。

「いや、いい。だったら休んでていいよ。代わりにオレが白雪とか、先の声の奴を探―――」

そのまま周囲への確認を兼ねて見渡せば、吏史は言葉を失った。


其処は虹色に煌めく幻想卿と呼称できる場所。

瑩徹の結晶は広がり、豊かな木々を形成している。それらが連なり一つの森として在るのだ。

どの木々にも鮮やかな七色に輝く潤輝の実が結ばれて、流れる小川に落下すれば鈴の音めいた現象を鳴らし、水に光の雫と波紋を広げて満たしていく。


「……………………」

呆然とする。

このような場所、吏史は知らない。

だけど、確実に第一区『イーグル』ではないのは、空が証明している。

――しかし吏史は、何故だか幼き頃に真冬の夜に出会った、とある存在()を無性に思い出してしまうのだ。


『色んな世界があるんだよ。例えばね、一部のアストリネしか知らない特別な場所』


それは確か、楽しげに微笑むシェルアレンから語られた話の一つ。

「“異能を交えて作り上げた特別な場所がある”……ここの話、なのか?」

呟いて首を何度も左右に振るよう、頻りに見渡す。

一見、人に開拓された道らしき場所もなければ、獣が通る道すら見当たらない。

視覚情報だけでとらえれば、未踏の地であることのみが判断がついた。

そして吏史は手首についたHMTを何度か押し上げてみた。


しかし何も起きない。


「HMTがつかない……」


此処が通信から隔絶させた場所だと証明するように、何を押しても反応の兆しすら見受けられなかった。


「――なんじゃい。結局、資格のない此奴等を助けたのか。あのまま狭間に見捨ててもよかっただろうに」

途方に暮れてしまう前、嗄れた老人めいた声が渡る。

「そうもいかないだろ。だって、こいつら揃って助ける価値があったんだ。……私的での話だけど」

眩い極光の中で聞こえてきた、若きヴィオラめいた声が続く。

すぐさま吏史は音元へと振り返り、正体を視認する。


其処にあるのは、黒髪の少年と蛇のように蠢く結晶体の根先だ。

「……は?…………は……?」

生命体とは思えぬ根先には驚愕し、それを従えるよう傍に置く少年にはやたら奇妙な感覚を覚える。

身の丈に合わぬ砂色の外套を羽織り、袖が手元まで包む白シャツと木賊色のスラックスに加えて帽子を目深に着用した……全体的に大人びた印象を与える鉄紺髪に透き通った碧眼を抱く少年だ。


「……あんたは………」

初めて、見る顔だ。既視感もない。

――ただ、何故か少年に駆られるような郷愁が胸内に込み上げるという妙な感覚に陥って、胸元を手で握りしめてしまった。


推し量るように向けられた双眸の色。ネルカルと似通うようで、また異なる。

(空というよりも宙を想起させる蒼、か?何で……どこかで見覚えがあるんだろう?…シエル?いや、色も相反してるだろ。夜空というよりも真昼間の瞳なのに………)

瞬きを繰り返して見返す。

自身に沸いた疑問の答えを熟考するようにも黙して佇んでいれば、少年は片目を眇めてフンッと雀斑残る鼻を鳴らす。


「何黙って突っ立ってんだよ、木偶の坊が。ぼくが助けたんだから礼くらい言えばいいのに。間抜けに舌が麻痺でもして碌に物も言えねーのか?」

それは小生意気どころではない。横暴な態度と不遜な物言いだ。

愛嬌の欠片も感じられない。


比べたシエルとは似ても似つかぬ存在だと痛感しつつ目を平らに据えれば、彼に並ぶ根先が誘うようにも波の形で蠢く。


「まあまあ、リオ。此処は『ようこそ』と、寛大に迎えてやるところよ。儂が手本を見せてやる」

するりとしなやかに。

蛇が這うようにも緩急つけて吏史へ詰め寄り、穂先めいたソレを眼前にまで突きつけるのだ。


「ようこそ、ヴァイスハイトの子()よ。儂はビルダ。――そして、此処は種の循環“箱庭”と呼ばれるべき場所じゃよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ