第86話 期待
「ッッ! 撤退するぞ! 援護し――」
「あら、どこへ行こうというのかしら?」
血煙に紛れながら部隊長の男の懐へと潜り込む。
一瞬の動揺は見せたものの、すぐさま味方に指示を出したあたりは流石の精鋭といったところだろうか。成程確かに、私を倒す為に作られた部隊だということはある。
けれど、それでもまだ遅い。彼らは桂華の精鋭で、一般的に見ても相当なレベルの感応する者だろう。残った二人の男はS級、拘束要員の女はA級といったところか。全員がS級なら嬉しかったのだけれど、それは流石に欲張りだ。拘束系の感応力は意外と珍しく、S級は数えるほどしか確認されていなかった筈。だから、他と比べて実力が一段落ちるのは仕方がない。そこに散らかっている彼の実力を知る術はもうない。死霊術の勉強でもしていればよかったかしら?
もし今、私と相対しているのがエリカやソフィアであったなら。きっと一瞬の硬直も、動揺もなかった筈だ。内心はどうあれ、無理矢理にでも意識の外に追い出すくらいはするだろう。S級境界鬼と戦う時、仲間がやられたからといって余所見をすればどうなるか。答えは簡単、敗北だ。私の前に立つということは、つまりそういうこと。まぁ、他の『七色』と比べるのは少し酷かもしれないけれど。
「ちいッ!」
「あははははっ! ほら、捕まえ――」
男の胸ぐらへと腕を伸ばそうとして、しかし再び右手に抵抗を感じた。見れば後方から、先程の女が私に向かって感応力を行使していた。
「隊長ッ! 私が抑えている間に――」
「駄目よ、付き合ってあげるのは一度だけ」
私の感応力が、『纏』によって全身へと行き渡る。すると右腕の辺りから、再びガラスが割れるような音がした。先の一幕と同じだ。私の『破壊』は、それが非物理的なもの――感応力であっても瞬時に壊してしまう。
「っ!? 何で!? ちゃんと効いてる筈なのにッ!」
「いや、助かった!」
ほんの刹那の事とはいえ、私の腕が固まったのは確かだ。部隊長は大きく後方へと飛び退り、私との間に距離を稼いでいた。何か嫌な予感でもしたのだろうか。徒に蹴りを放つ等、反撃をしなかったのは正解だ。もし『纏』状態の私へ蹴りを行っていたら、男の膝から下はまるっと無くなっていたことだろう。対象を失った私の右手だけが、虚空を彷徨っていた。
「ハァ、ハァ……なんて動きだ、クソっ」
「これのどこが『増幅』だ! 監視課の間抜け共、帰ったらぶっ殺してやる!」
部隊長の男は右手で汗を拭い、部下の男はなにやら悪態を吐いている。拘束要員の女はといえば、フードの上からでも分かるほどに顔を青ざめさせていた。
こういった対人での命のやり取りは随分と久しぶりだ。先日の対抗戦でもお遊びのようなことはしたけれど、やはり実戦は空気が違う。相手の息遣いが聞こえてきそうなほどの、突き刺すような緊張感。
とはいえ、気に入らないこともある。
部下の男は『帰ったらぶっ殺してやる』などと宣っていたけれど――――
上半身の力を抜いて、だらりと前傾へ。そのまま脚に力を込め、軽く曲げた膝へと力を伝える。そうして集めた力をつま先で、感応力と共に爆発させる。そうするとあら不思議。あっという間に敵の眼の前だ。これは天枷に伝わる歩法のひとつで、名を『幽』というものだ。武術で言うところの、所謂『縮地』に近い。
『幽』は、対象との距離を即座に詰めることを第一としている。雑な説明をすれば『とにかく一瞬で間合いを詰めるための歩法』ということだ。私はそれに感応力を組み合わせ、より速度を上げることに成功した。背後が派手に爆発するため、隠密性が皆無なのが難点だろうか。
「な、なん――」
突然目の前に現れた私を、隊員の男が呆けたまま見つめていた。そう、私が気に入らないのはこれだ。この期に及んでまだ、この場から逃げられると思っている。私を殺すつもりで来た癖に、私に壊される覚悟はしていない。仮にもS級感応する者でありながら、もう私に向かってくるつもりがない。いつぞや私に背を向けた、あのS級境界鬼と同じ。ただただ、どうこの場をやり過ごそうかと考えている目だ。
「残念だけど、逃げられないわよ」
「待っ――」
呆ける男の腹部へと手のひらを添える。これで二人目――――そう思った次の瞬間、左側方から邪魔が入った。見れば部隊長の男が、必死な顔で刀を振り下ろしていた。
「させると思うかッ!」
刀はちょうど、男の腹へと添えられた私の右腕へと迫っていた。成程、狙いは悪くない。伸ばしきった右腕を戻すのは、タイミング的にもう間に合わないだろう。まして私は忌火を置いたままで、完全に素手の状態だ。普通ならどうしようもない状況だろう。普通なら。
迫り来る上段斬りを、空いた左手でそのまま受け止める。それと同時、金属が甲高い悲鳴を上げた。恐らくは業物であろう刀が、僅かな接触だけでその刀身を失っていた。受け止めた私の左手は当然のように無傷。けれど、通用しない事は織り込み済みだったのだろう。部隊長は握っていた刀の柄を早々に放棄し、部下の男を抱きかかえて跳躍していた。
「何ボケっと突っ立ってんだ馬鹿野郎ッ! 死にたいのか!?」
しかし、部下からの返事は返ってこない。
「おい、聞いて―――」
「そんな、いつの間に……だって、ちょっと触れただけだったのにっ!?」
それもその筈。脇腹に大穴が空いた状態で、まともな返事が出来る筈もないのだから。まだ完全には壊れていないけれど、それも時間の問題といったところ。すぐに治癒系の感応力を受ければ助かる可能性はある。A級の女隊員は、ほとんどパニック状態に陥っていた。もしかすると彼女は実践経験が浅いのかもしれない。
「はぁ……ロクに戦いもせず、もう二人だけになってしまったわね? 率直に言って期待外れだわ……それで? どうするの? 頑張って逃げてみる? 一応言っておくけれど、あまりお勧めはしないわよ?」
「……」
耳を澄ませば、遠く微かに戦闘の音が聞こえる。先の閃光による一撃を皮切りに、お母様達天枷の本隊が攻撃を開始したのだろう。つまりこの六家同士の『戦争』が、いよいよ佳境に入ったということだ。私としても、こんな戦場の端でいつまでも遊んでいるわけにはいかない。逃げるにせよ、向かってくるにせよ、とにかく早く決めて欲しかった。まぁ出来れば、向かってきてくれた方が嬉しいのだけれど。
そうして沈黙の中、返事を待つこと十数秒。
部隊長の男は静かに立ち上がり、部下の女隊員から予備の刀を受け取った。ただの一言も語ることなく、じっと私の方を睨みつける。その双眸には溢れんばかりの闘志と、決死の覚悟を思わせる光を宿していた。
「そ。重畳ね」
境界鬼然り、対抗戦でのモニカ然り。そして今、眼の前で覚悟を決めた彼もまた然り。内に秘めたモノが何であれ、私は、私に向かってくる相手が嫌いではない。ほんの少しだけれど、口角が上がってゆくのを感じる。随分とつまらない時間ではあったけれど――――最後くらいは楽しめそうだった。
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