第84話 天津祓
禊が車内から飛び出した、その少し後。
祓と久奈妓、そして社の三人は天枷の本営に到着していた。本営などといっても、所詮は敵地の中に急遽作られた橋頭堡だ。いくつかの簡易的な天幕と、通信用の機材が並んでいるだけの粗雑な陣であった。そんな陣を敵本陣の目と鼻の先に作りながらも、しかし未だ健在であるその理由。それは偏に、ここに天枷神楽が居るからであった。
「お母様!」
「あら祓さん、随分といい顔になったわね」
通常の侵攻戦であれば、このような簡易の陣など早々に襲撃され、あっという間に取り壊されることだろう。だがそれが出来ない。やってやれないことはないが、反撃によって相当の被害を受けることになるからだ。故に、邪魔だと思いつつも桂華は手が出せないでいる。策が成るまでの時間を稼ぐことが主目的であるが故、損耗を恐れ打って出ることが出来ない。
片や自然の要害、片や人的脅威。
それが現在の膠着状態、その理由だった。
しかし先刻、ついに戦況が動いた。
これまで山中での時間稼ぎに終止していた桂華が、攻勢に出たのだ。いつかはそうなるだろうと、神楽も予想していた。だが想定していたよりもずっと早い。
桂華側でも予想外の事態が起きたか、あるいは待ちきれなくなったのか。恐らくは禊の到着が原因なのだろうが────。
いずれにせよ、天枷陣営からすれば願ってもない好機だった。殻に閉じこもり、気が向いたときだけ暗闇から現れる。モグラのように面倒極まりなかった相手が、自ら動きだしたのだ。『詰めろ』をかけるなら今しかない。恐らくだが、ここからは時間との勝負になる。神楽はそう予感していた。
「あの、お母様! 私も戦えます!」
「あらあら。禊さんに発破でもかけられたのかしら? 分かってるわ、祓さんも天枷の娘ですものね」
「は、はいっ!」
初めての戦場でこの意気込みを見せられるのは、なかなかに大したものだ。まして、相手は境界鬼ではなく人間だ。たとえ見掛け倒しの意気込みだとしても、見事だと褒めて良いだろう。
「祓さん、『三種祓』は持ってきたかしら?」
「はい、車内に!」
「では『天津祓』の準備を。以降、久奈妓は祓さんの補佐をしてあげて頂戴。『天津祓』の発動と同時に、こちらも攻勢に出るわよ」
「あ……分かりましたっ! お任せ下さいっ!」
元気のいい返事と共に、従者を引き連れて車内へと戻る祓。その後姿を眺めつつ、神楽は嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、本当に見違えたわね。禊さんも、あれで結構世話焼きなんだから」
長年離れて暮らしていた二人の娘が、蟠りなく再び邂逅を果たした。自責の念を常に抱えていた神楽にとって、それは何よりも嬉しい知らせであった。今まで何も出来なかった情けなさと、知らずの内に成長していた二人の娘。二人がまだ母と慕ってくれるのならば、家を挙げてのパーティーでも開きたいほどである。
とはいえ、それはまた後で行えばいい。今はそれよりも優先するべきことがある。長きに亘り君臨してきた、天枷の膿。そして六家の最たる歪み。それを正す時が、まさしく今なのだ。
国に仇成す敵を討つ。
それこそが天枷の使命であり、六家の一たる責務なのだから。
そうして神楽が考えを巡らせている間にも、『三種祓』の準備は進んでいた。神楽が背後をゆっくりと振り返れば、そこにはやたらと大きな鉄塊が。そのあまりの自重故か、山の柔らかい土中にめり込んでいた。
細長い板の集合体、それが鉄塊の外見であった。
祓本人の身長よりも少し長い、白銀に輝く金属製の板が八枚。それぞれには異なる紋様が描かれており、どこか神聖な気配すら漂わせている。それらが筒状に組み合わさって、地面の上に鎮座している。
祓一人では持ち上げることすら叶わぬそれを、久奈妓がひょいと持ち上げる。そのまま専用の台座へと設置し、筒の先端を山中へと向けることで、いよいよ全ての準備が完了した。
「お母様! いつでもいけます!」
「ええ、そうね────だから一応、最後の忠告よ。祓さん、ここから先は引き返せないわ。貴女の感応力で人が死ぬ。だからやめるならここが最後。どうするの?」
そう問いかける神楽の顔には、不安と憐憫、誇りと期待。それらが混ざりあった複雑な表情であった。紛れもなく、母としての顔だ。しかし祓は、僅かな逡巡すらも見せずにこう言った。
「やれます! お姉様は全部任せろと言いましたが───でも私は私の意志で、お姉様の隣を歩くと決めました! ここで怖気づくわけには参りません!」
「結構」
神楽は一言そう呟き、前方へと視線を戻した。
「では貴女が、私達の道を拓きなさい」
そうしてゆっくりと、僅かに見える山頂の桂華本邸へと指を差し向ける。それに応えるかのように、祓が大声で宣言する。
「吐普加身依身多女《遠祖神よ恵みを下さい》────『天津祓』、起動します!!」
瞬間、金属板で作られた八角形の筒が激しい輝きを放つ。
それはまるで、暗闇を照らす一条の光のようであった。
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