デウス・エクス・マキナ(2)
「被害は?」
「観客に死者はいない。」
劇団員が瓦礫を片付けている最中、アンデルは被害状況の確認をしていた。気丈に振る舞っているが、今にも座り込みたいほどに体はぼろぼろである。貴賓席の警備から聞いた話では、やはり王女は拐われたらしい。自分の劇団に来ている時に起こった不始末に、気が気でない。
「あらかたの治療は終わりました。」
怪我人に治癒魔法をかけていたカチュアがアンデルとエバに合流する。
「ありがとう。手伝わせてすまないねヨットハム嬢。」
「いえ、こんな時ですから・・・でも私の初歩の治癒魔法では大きな怪我は治せませんので、教会や治癒院に連れて行かないと。」
「大きな怪我をしてるのはうちの団員だけだ。元冒険者の彼らにとっては日常茶飯事だよ。」
それを聞きつけた劇団員が痛いもんは痛いぞ、と悪態をつきながら瓦礫を片付けている。
「それにしてもなんだったんでしょう・・・」
改めてカチュアは辺りの惨状を見渡す。緞帳や背景は焼け落ち、舞台は煤に塗れている。天井はぽっかりと穴が空いて、日の光が穴の形そのままに舞台を照らしている。
「あの見た目も、王女様を拐うところも、まるで劇の中の魔王・・・」
「そんなはずない。あれはフィクション。」
エバの剣幕にカチュアはたじろぎ、言葉を飲み込む。自分の脚本がまるで予言にでもなったかのような出来事に、エバ自身認めたくはなかった。その心中を察したアンデルは、間を置こうとエバに声をかける。
「エバも観客の誘導にまわってくれ。」
パニックに陥った観客を安全な劇場の外へだすために、劇団員が落ち着かせて回っている。その甲斐あってなんとか残りの観客は半分ほどまでになっている。
しかし、その時アンデルの後方で声が上がった。
「またでたあ!」
アンデルがその声に反応して振り向くと、天井から差し込んだ円形の光の中に、一人の老人が佇んでいた。
「迂闊に手を出すなよ!」
気色ばむ劇団員を制したアンデルは、いつでも動けるよう構える。治癒を後回しにしたため、よじっただけでも体は悲鳴をあげる。慎重に老人の様子を伺うが、襲ってくる気配はない。それどころか、穏やかな笑顔を浮かべしかし、どこか威厳のある態度でこちらを見ている。刺した日の光が老人を浮かび上がらせて、神々しさすら感じさせる。
「あ、あなたはいったい・・・」
アンデルは不意に自分の頬を濡らす感覚に気がついた。涙を流しているのだ。周りを見ると誰も彼もが涙を流している。
「魔王が復活した。」
老人が口を開いた。その声は鼓膜ではなく、心を震わせているのではないかと錯覚してしまうほどにアンデルの心を打ち震わせた。
「復活したのは肉体のみ。奴が力を取り戻す前に打ち果たせ。」
「あなたは一体・・・」
アンデルは掠れた声を喉から絞り出した。
「我が名はマクスウェル。ただの一柱の神なり。」
皆が一様に床に額をつける。信仰を持たないアンデルですらも、誰に指示されたわけでなく自然とひれ伏した。
「アンデルよ。今はか弱きアンデルよ。仲間と共に死の大陸へ向かえ。」
アンデルは顔を上げる。
「これを授ける。神の声を聞くが良い。」
アンデルの眼前に首飾りが現れた。
「こ、これは・・・?」
アンデルが問うと、既に神の姿はなかった。