風を求めて(1)
アンデルは山中を歩いていた。クーデターから二日、受けた傷もすっかり癒えた。
「ふう、少し休むか。」
アンデルは斜面に垂直に伸びる木を背もたれにし、地面に腰掛けた。なぜアンデルが一人登山をしているかというと、話はクーデターの翌日に遡る。
「聖ガーランドから使者?」
トリス国王の執務室にて、来客の報せを聞いたシリカはペンを置く。力で簒奪した王位であるため、シリカにはまだ政務を任せられる腹心がいない。セレンはシリカの身の回りの世話しかできないし、元兵士長は鎧を脱いで慣れない書類整理に挑んでいるが、既に知恵熱を出す手前である。
「政変を聞きつけたか。もう行動を起こすとはさすがは聖女様ですね。」
飄々としながらも、地獄耳と千里眼を持つテトラの姿を思い出し、シリカは苦笑する。
「アンデルさんをお呼びしてください。おそらく魔王討伐同盟の話でしょうから。」
ーー同席を求められたアンデルが応接間に着くと、聖ガーランドの使者とシリカが顔を付き合わせていた。
「アンデルさん。丁度今トリスの魔王討伐同盟への調印をするところです。」
「そうですか。私の同席は必要でしたでしょうか?」
アンデルは促されるままにシリカの隣へ腰掛ける。
「アンデル殿は魔討同盟の盟主であらせられますので、是非調印に立ち会っていただきたい所存です。」
使者の慇懃無礼な物言いに、アンデルは眉をしかめる。
「実質の盟主はテトラ様なのですから、私は名義だけでよいのでは。」
「そうはいいましても、此度の政変に置きましても、アンデル殿のご活躍があったからこそトリスとの同盟が実現したわけですから。それに、聖女様は何かとお忙しい身でありますので。」
その聖女様にいいように使われているだけである、という言葉を飲み込んで、アンデルは隣のシリカをちらりと見やる。シリカは真剣といった面持ちで調印書の一言一句に目を通している。
「承諾します。これよりトリスは魔王を討伐するため、力を尽くす事を誓います。」
シリカは調印書に署名し、同盟加入を宣言する。
「確かに。お預かりいたします。」
使者は調印書を恭しく受け取ると、懐にしまった。そして代わりに封筒のようなものを取り出す。
「こちらは聖女様よりアンデル殿へと預かったものです。」
アンデルは使者に差し出された封筒を受け取る。
「テトラ様から?」
封筒には、『アンデルちゃんへ』と可愛らしい文字で書いてある。妙齢の女性が若い娘のような筆跡で文字を書いていると思うと、アンデルはえもいわれぬ悪寒を感じた。
「えーと、『助っ人ご苦労様。今若作りするなとか考えなかった?』・・・先読みもできるのか・・・」
書き出しから心の中を読まれ、やはりテトラに苦手意識を覚えるアンデルであった。続きはこう綴られている。
『アンデルちゃんへ朗報です。風の精霊を聖ガーランドより北の山中で見かけたとの情報が入りました。水の精霊と契約できたアンデルちゃんなら、風の精霊とも仲良くなれるんじゃないかしらん?行ってみる価値はあるかも!』
「聖女様はなんと?」
シリカが手紙の内容を尋ねてくる。
「えーと、聖ガーランドの北の山中で風の精霊を見かけたという情報が入ったそうです。それを私に知らせたかったと。」
「なるほど・・・」
内容を聞いたシリカは思案する。
「セレンに加護を授けた後、風の精霊様は東の空へと飛び立って行かれました。確かに辻褄はあいますね。」
「ここをでて、その山へ向かったと。」
シリカの言を聞き、アンデルは風の精霊の存在を確信する。
「私達の隠れ家にしていた岩山より東に二日ほど行けば、聖ガーランドとの国境となっている山に着きます。おそらくはその辺りではないかと。」
「よし。会いに行ってみるか。」
ーーそうして、アンデルは一人風の精霊に会いに来たのである。ついていくと言うウェイクやイムカを、精霊が怯えるといけないからと残し、単身旅立った。
「はあ、素直にウェイク達についてきてもらうか、神器を借りてくればよかった。」
政変が起きたばかりで動けないシリカが、代わりにと神器のレイピアの貸与を申し出たが、さすがにおいそれと国宝を持ち出すわけにはいかないとアンデルの方から断りを入れた。しかし、道中で遭遇する魔獣に対し、ヒカゲだけでは対処しきれず、こそこそと逃げ回っていたのであった。
「のう主よ、そろそろ妾はベリータルトを所望するぞ。」
ソユが宝石の中から話しかけてくる。
「ベリータルトは昨日食べ終わっただろ。」
トリスを出発する日、見送りに来た仲間の輪からおずおずとパムが差し出して来たのはソユの好物の手作りベリータルトであった。
「なんじゃと!?聞いておらんぞ!」
「最後の一切れだと言ったぞ。」
宝石の中からわめくソユを無視し、アンデルは立ち上がる。天を見上げれば、どこまでも青い空が広がっている。
「主よ、精霊の魔力を感じるぞ。」
ベリータルトの件で騒いでいたソユが、突如宝石から姿を現した。
「風の精霊か?」
「おそらくの。この魔力は・・・やはりあやつじゃな。」
ソユは訳知り顔で呟く。
「顔見知りか?」
「セレンとか申す小娘に注がれた魔力の残滓から、ひょっとしてとは思っていたのじゃがな。五百年前、魔王を倒すために勇者と共に戦った奴の可能性が高い。」
「本当か!?それなら力を貸してくれるかも知れないな!」
「うむ。あやつは精霊にしては珍しく、人間という種に興味を持っておるからな。積極的に関わりを持とうとしよる。」
現実味を帯びてきた風の精霊の助力に、アンデルの足取りも自然と軽くなる。
「よし、行こうか。」
それからソユの案内の元、道無き道を進んだアンデルは、日が暮れる頃にとある集落へと辿り着いた。
「こんなところに人が住んでいるのか。」
深い森に囲まれた盆地に、家が建ち並ぶ。どの家からも生活の煙があがっている。ひとまず今晩はここで夜を明かさせてもらおうと集落の入り口へ近付いたところで、アンデルは不可視の壁に弾かれた。
「なんだ?壁か?見えない壁がある。」
ぺたぺたと宙空の感触を確かめるアンデルの背後から、声がかけられる。
「この村に近付くな魔獣め!」




