誓い(1)
「ここにくるのも久しぶりだな・・・。」
アンデルが王立魔術学院を卒業してから三年。今再び懐かしき学び舎に足を踏み入れている。
「さあ行くか。」
隣のエバに語りかけると、目礼で返事が返ってくる。『学院長室』と札がかけられた荘厳な扉をノックしようと手を伸ばす。すると扉はアンデルが触れる前にひとりでに開いた。
「なんでもお見通しか・・・」
ひらけた視界の前には、見事な彫刻で彩られた黒檀の机。そして白いひげをたくわえたこの部屋の主人が鎮座していた。
「ご無沙汰しております、学院長。」
「息災のようじゃな。」
学院長はひげを撫でつけながら二人にソファーを勧める。
「行くのか?死の大陸へ。」
アンデルが腰掛けるやいなや、世間話や前置きもなく核心をついてくる。いつもそうであった。柔和な笑顔の奥に氷の様な鋭さを持ち、全てを見通されているかのような心持ちになるのだ。
「相変わらず耳が早いことで。」
「死ぬぞ。」
ぴしゃり、と水を打ったように部屋が静まり返る。アンデルは、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「魔王は恐ろしい。儂ですら足元に及ばぬ。ましてや欠陥品のお主では殊更じゃ。」
アンデルは生唾を飲み込む。学院長はかつて宮廷魔術師の筆頭に推挙されたほどの使い手だという。しかし後進の育成に注力したいと自ら辞したという経歴は誰もが知るところである。その学院長を持ってしても、魔王には勝てないと言い切ったのだ。
喉が猛烈に乾きを訴えてくる。理解はしていた。魔王に立ち向かうなど無謀であるということを。激動の展開に巻き込まれた衝撃に、考えることをやめていた。しかし、自分の力を自分以上に知る人物から突きつけられた事実に、恐怖が湧き上がってくる。
それでもアンデルは声を絞り出した。
「それでも・・・行かなくては。それが私の天命です。」
「ならばエバは連れて行くな。」
バン、と激しい音が上がる。隣に座っていたエバが、机を叩いて立ち上がったようだ。珍しく怒気を纏っている。
「なぜ。」
言葉は少ないが、怒りに打ち震えているのがわかる。
「貴様もわかっているだろう。エバは稀代の天才だ。軽々しく捨て駒になどできぬ。」
学院長はエバに目もくれず言い切る。暗にお前は捨て駒だと言われたアンデルは口ごもる。学院長の言う通りかもしれない。なにもエバが巻き添えを食う必要などないのだ。エバだけではない。イムカやウェイクも自分の自殺にも等しい旅に付き合う必要などないのだ。自分はなんの因果か神から使命を与えられた。しかし本物の勇者が現れるかもしれない。ならば犠牲は少ない方がいい。
「わかりまし・・・」
アンデルが言い切る前に、頰に衝撃を受ける。意識外からの突然の出来事に、前後不覚に陥りそうになる。驚いてエバを見ると、右手を振り上げたまま目に涙を浮かべていた。そこで初めてエバに打たれたのだとわかった。
「神は言った。仲間と共にと。私は仲間じゃない?」
涙声にエバが言う。その言葉に、アンデルは頰を打たれた以上の衝撃を受けた。
そうだった、何を弱気になっているんだと心の中で自嘲する。
そして真っ直ぐに学院長に向き直る。
「俺は弱い。仲間を守ることはおろか、仲間に守られることになるでしょう。だからこそここに誓います。仲間と共に必ず使命を果たし、再びこの地を踏んで見せると。」
力強く高らかに宣言したアンデルに、学院長の目が細くなる。
「その誓い、確かだな?」
「はい。」
頷くアンデルを見て、剣呑とした雰囲気を引き下げた学院長は、机の引き出しを開ける。
「持って行くといい。」
取り出された袋は弧を描いてアンデルに投げられる。
「これは?」
「餞別だ。」
小袋の中身を確かめることもせず、アンデルは深く頭を下げる。
「学院長への恩は返しきれないほどです。必ずや生きて戻り、孝行させてください。」
「ふん、先に死ぬ事ほど親不孝はないぞ。」
頭を上げたアンデルは、その瞳の奥に激しく猛る炎を確かに燃やし頷いた。
そして、部屋を辞去しようとして振り向き思い出したように、
「ヨットハム嬢の職場見学の件ですが、このような形で切り上げとなってしまったので特別なご配慮をお願いします。」
そう告げ退室していった。
静かになった部屋でひとり、学院長は考え込む。
「配慮、か。果たして必要かの。」
それにしても、と学院長はひげを撫でつけほくそ笑む。
「あの今にも消え入りそうであった孤児が、大きくなったものだ。」
その呟きは、静寂に吸い込まれていった。




