空っぽの瞳
「本当に良かったのか?」
不安そうな表情を浮かべながら、まるで絵描きのようにするするとアストレアの顔に化粧を施していく。アストレアは繊細かつ大胆に動くミネルヴァの指を見つめながら言った。
「はい」
隣にはキルケの姿はない。彼にバレないように、こっそりとミネルヴァの元へやって来たのだ。
「1人で乗り込むなんて……心配だな」
アストレアの作戦にミネルヴァは最後まで難色を示す。
それもそのはず、今回はアストレアの独断で動いているのだ。
アイグレが負傷してから気になることがあったアストレアは、前回出来なかった風紀委員の部屋を調べる為に単独で潜入することにした。潜入、というよりは物色するので侵入の方が良いかもしれない。
「わたし、犯人が分かったかもしれないんです。これ以上犠牲を出さない為には、一刻も早く証拠を見つけて犯人を捕まえないといけない。これくらい、余裕ですよ」
もちろん、本音ではない。アストレアとて、あの不気味な委員会に潜入するのは勇気がいるし、怖い。だがそれを外に出さないように、とぎこちない笑みを浮かべてミネルヴァを見上げると悲しそうに見つめられるだけだった。
「すまないな……本当はあたしが行ってやれば良かったのに」
「そうすれば文化委員が目を付けられるでしょう? 文化委員が動けば、風紀委員と繋がっている生徒会が圧力を掛けに来ますよ。もともと目を付けられている図書委員と違って、今はじっとしていた方が良いです」
落ち込むミネルヴァにそう告げると、彼女は頭を振ってそうだな、と返す。
「風紀委員が人を使って魔法実験している事は前から知っていたんだ。でも、今回のように噂になることが無くて、尻尾を掴みにくい状況の中ようやく見せた機会だ……それに図書委員を巻き込んでしまってすまない」
胸がはちきれそうになるくらい切なげな瞳。アストレアは心配ないと言いたげに口を開こうとしたが、それを彼女に言うのは少し違う気がしてそっと言いよどむ。
「先代の委員長の仇なんだ……」
「どういうことですか」
ぽつりと呟かれた言葉に即座に切りかえす。ミネルヴァは何を言うか、少し考えた後、言葉を慎重に選ぶようにして語り始めた。
「あたしの前の委員長は平民出身の特待生でね。大臣や商人の子が多い文化委員で歴代唯一の特待生だったんだ。明るくて皆から慕われる肝の据わった良い姐さん、って感じでね。とても強い人に見えていたんだ」
言い方からしてそうではないのだろう。アストレアは嫌な予感を抱きながら静かに話を聞く。
「やっぱり、特待生っていうのは何かと色眼鏡で見られるらしくてね。その平民がお金持ちの多い委員の長をやっているんだ、他の委員会や教師からも嫌がらせを受ける事があったらしい」
「そんな、先生まで……」
「そこをあの悪魔はついたんだ。委員長に近づいて、影虫を寄生させて闇魔法の実験道具にして……挙句の果てには精神崩壊させた」
ミネルヴァはそっと息を吐く。
「許されないよ。でも何が一番許せないか、って委員長の変化に気付けなかったあたしが一番許せないし、一番憎い」
当時の事を思い出し、歯がゆそうに眉をひそめるミネルヴァ。今でこそ『女傑』の名で知られている彼女だが、その背景には重い過去があった。
「きっと先輩は“赦し”が欲しいのではないでしょうか。その為に、風紀委員を消そうとしている」
思わず口から出てしまった言葉にアストレアは無礼を申し訳ありません、と謝ったが、ミネルヴァは目を丸くしてそっと微笑んだ。
「そうだな、あたしはきっと赦して欲しいんだろうな」
「では、わたしもご助力しますね。“図書委員”としてもただの“アストレア”としても」
アストレアがそう言うと、ミネルヴァは今度こそ心から笑ってくれた。
*
ミネルヴァから聞いた情報によると、風紀委員は毎日活動をしているわけではないらしい。主に委員長の気まぐれが多いらしいが、いない時間帯は大体決まっている。
職員室からそっと拝借してきた風紀委員の部屋の鍵を使ってそっと忍び込む。
中は埃っぽく、人気はなかった。
借りてきた小さめのランタンで床を照らし、静かに執務机の方へ歩いて行く。
アストレアの読みが正しければここに求める物が入っているはずだ。
机上にはペンとインクくらいしか置かれておらず、ほとんど書類仕事をしていないことが見てとれた。
執務机の引き出しの全てを開けては中を確認し、何も無ければ閉める。この動作を繰り返し、不安になってきた所で、引きだしの一番下を確認する。
「あった……!」
そこにあったのは、公欠申請書だった。名は『項羽』。自分の読みが正しかったことに一息ついて、そっと制服の内側にある大きなポシェットに忍ばせる。
侵入したことがバレないように急いで出ようと顔を上げた瞬間だった。
「何をやっているの?」
無邪気に問う声。
「あっ……」
暗がりで顔が確認できないが、澄んだ水のように透き通っていて形容しがたい不気味さを持つこの声はもう1人しかいなかった。
「アリス……おいたはダメだよ?」
ゆっくりと近付いてこられ、手に持っていたランタンを取り上げられる。恐怖で足がすくみ、腕を掴まれても振りきれなかった。
「確か……本当の名前はアストレア、だったっけ? ラジエルが言っていたよ。ダメだなぁ、悪いことしちゃ。風紀委員が罰しなきゃ」
「悪い事はあなたもでしょう」
「ううん、どんなことかな? 先生を罠にハメる為に公欠申請書を盗んだこと? でも、それはラジエルがやれ、って言うんだもん。ぼくは悪くないよ、悪いのはラジエルだよ」
「違う! もっと酷い事をしているじゃないですか!」
アストレアの鋭い声に、ニュクスはわずかに目を細める。
「もしかして影虫を入れていたこと? それのどこが悪いの? 何で?」
「何で、って……人に実験だなんて」
「実験じゃないよ、儀式だよ」
澄み渡った茶色の瞳には悪意など微塵も感じられない。それが同時に彼は本心で言っているのだと実感する。いつの間にか両手を縄で縛られ、壁にくくりつけられるようにして拘束されていることに気がついた。
「儀式……?」
「ぼくはね、南のガルードにいるウェシル族なんだ。ニュクスの一族は、小さい頃に子どもに影虫を寄生させるんだよ。言う事を聞かせるためにね、ぼくもお父さんに影虫を入れられているよ」
そう言ってペロリと舌を出して見せる。赤くまるで蛇のように獲物を嗅ぎつけるかのような、妖しげな舌には黒い紋様が浮かび上がっていた。
それは一族の儀式でそうなったのかもしれない。ただ、アストレアには彼が無性に可哀相だと感じられた。純粋で倫理観がなく、自分のやっていることを分かっていない。でもそれは、彼が悪いのではなく環境がそうしたのではないか。
でも、ニュクスがやっていることは糾弾されるべき事だ。擁護は出来ない。
それでも、彼が虚しく心が空洞なのだと思えて仕方なかった。
「風紀委員の部屋はね、わざとこうした地下にあるんだよ。なんでだとおもう?」
答えないでいると、ニュクスは微笑んだ。
「昔から人を使った魔法実験が行われていたからだよ。ぼくだけじゃない、みんなやっているんだ。今はここを影虫の効かない人をとじこめて、心を弱らせる用に使っているけどね。きみもどのくらいもつだろう?」
そう言い、ニュクスは縛られているアストレアに馬乗りになる。
「ぼくは早くきみを壊したい。あ、そういえば相手が女性の場合、心を壊すには純潔を奪えってラジエルが言っていたなぁ。ぼくには分からないけど貴族のおんなのひとって、純潔なんでしょう? きみのを奪えば壊れてくれるのかなぁ?」
ニュクスはそう言うと、アストレアの制服のシャツのボタンを1つずつ、ゆっくりと外していく。
「やめて!!」
叫んでもニュクスは止めようとはしない。制服を少しはだけさせ現れた雪のように白いアストレアの肌に、ニュクスはちらりと見せた黒い紋様が刻まれた舌を這わせる。
「やめてってば! ユリウス!」
「ああ、やっぱりアストレアだったんだ……水のアマデウスの」
『小僧! 離れろ!』
ユリウスは水でアストレアの手を拘束していた縄を水で断ち切ると、水の塊をニュクスにぶつける。大きな衝撃でアストレアからよろめいた隙を見て、出口を目指して走る。
しかし、肩を掴まれ壁に打ち付けられた。そして、大きくて強張ったニュクスの指が、彼女の細い首を締め上げる。
「ラジエルもきみが好きだけど、ぼくもきみが好き。だからここに居てよ」
『何を馬鹿な事を言っているんだ、闇の小僧! 可愛いアストレアには指一本触れさせないぞ!』
「もう触れているよ……」
ユリウスの言葉に気だるげにつぶやくニュクス。意識がどんどんと遠くなっていく。
「ぼくを置いて行かないで……1人にしないで、アストレア」
遠くなっていく意識の中で、肩に走った鋭い痛みと濡れた吐息がかかったのをアストレアは、確かに感じた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
感想・アドバイス等、全裸待機です!!!




