幕間 親愛なる最上女史へ
拝啓。ご無沙汰しています、島崎徹です。
最後に顔を合わせたのは三年ほど前になるでしょうか。
後輩の紹介で入った恵比寿のビアバーで偶然にも、空のジョッキを並べる君の姿を見たのも良い思い出です。経費で落ちるからといって、依頼主の首を絞めるような真似はよせと僕は窘めたけれど、もちろんそれを聞き入れる君ではないと知っています。その後、変わりはないだろうか。
さて、僕は今、重沢に居ます。長野の重沢高原です。夏は避暑・冬にはスキーの、あの場所です。散々流れる広告がウザイと、シーズンになれば君が事務所のテレビを消す理由の一端である憧れの地に僕は来ている。山奥の山荘でゆったりとした休暇を満喫しています。どうです、うらやましいでしょう。
などと強がってみたところで、聡明なる最上女史にはお見通しですね。仕事です。
仕事で重沢へ来ましたが、当方とは無関係の事件が発生しました。
連続殺人犯が、この小さな山荘に客を装って潜伏しているということです。
近年まれにみる豪雪で、この山荘も一階部分はすっかり雪で埋め尽くされ、逃げることも入ることもできない。
電話線も切れ、携帯の電波も届かない。
一月十六日時点で生存確認できたのが、宿泊客六名、スタッフ四名に一人の警部。
警部の到着と前後してなのか男性宿泊客一人、夕方には女性スタッフの一人が遺体として発見された。
一月十七日現時点で被害者はいない。ただ、昨夜遅くに首を絞められ気絶したと名乗り出ている宿泊客が一人。
生存者は、宿泊客六名、スタッフ三名に一人の警部。
お誂え向きのシチュエーションは、僕より君に合っていることでしょう。
名探偵・最上蓉子。君の不在を嘆く事になろうとは、僕も焼きが回っているのでしょうか。君は事件を解決するより引き起こす方がお得意と見えるのに。
人生とは不思議なものだと、振り返るには些か早いが、そう考えることが増えました。同じ大学に入り、医療の道を志した僕たちが、互いに異なることを生業としている。
学生の頃に目の当たりにした衝撃を、違う形で受け止めた結果なのだと得心はしています。ストレートで卒業したのは、あの年代では僕と君だけだったということも答えの一つなのでしょう。
「島崎君は、硬いのよね」会う度に、君がそう言って笑った事を思い出します。褒め言葉であったろうし、小馬鹿にしていた響きもあった。必ず僕が不機嫌になる事を知りながら、遊びのように繰り返されるやり取りは僕も嫌いではありませんでした。
ただ、三年前。恵比寿のビアバーで。あの時、君は言わなかった。その事が何故だか今になって気になっています。
君の、ただの気まぐれなのだろうか。何か意図していた事があるのだろうか。
「島崎君は、自由だね」それが、最後に聞いた君の言葉です。僕のどこが自由なのかと酔った君に呆れながら離れた席に着きましたが、どうしてその時に違和感を覚えなかったのでしょう。
最上女史、君はまた何か面倒事に首を突っ込んではいませんか。
……などと、雪の山荘に閉じ込められている僕が言える事ではありませんが。
柔軟な君の自由を奪うものが何か、僕に想像できるものは多くありません。君もまた、僕と同じようにあの日の幻影に縛られて生きている。僕だって、自由なんかじゃありませんよ。
僕はいつだって自由なんかじゃありません。常に監視し、監視されるのが仕事です。硬いんじゃない、強張っているんです。
そしてきっと、君も自由なんかじゃないのでしょう。硬くもなければ、柔軟というわけでもないのだろうと、ようやく気付いたところです。
この手紙を君に手渡すことは無いでしょう。
内容を覚えておいて、君に会った時、得意げに話して見せるのです。
君は、笑うでしょうか。怒るでしょうか。やはり、笑うような気がします。
僕は探偵でも警察でもないから、連続殺人犯などどうでもいい。自分の仕事を終えて、美味いビールが飲みたい。
ああ、君は怒るでしょうね。楽しい事へ、何故、招待しなかったのかと。
次回の仕事では、君を誘う事にしよう。食事代は経費で落ちないが、オーケー?
島崎徹
最上蓉子様
そこまで書き終えて、島崎徹はフッと笑った。どうしようもない感傷じみた文面だ。伝えてどうとなる事でもない。
それにしても、あの女と三年も会っていない事に驚いた。いつでも会えるような気がしていたし、事実、約束を交わすでもなくどこかしらで顔を合わせる事が多かったのだ。
大学の同期、口の達者な美女。酒豪。トラブルメーカー。浮気調査が得意な名探偵。
「探偵ねぇ」
自分以上に、この場にふさわしい旧友の肩書に笑いながら、島崎は書き上げた手紙にライターの火を翳した。
チリチリと、端から炎を上げ燃え広がる様を、じっと見つめていた。揺らめく炎に、女の後姿が見えた気が、した。