第三章 ルール無用の伝言ゲーム
「すみません、本来ならもっと色々な食事を提供できるのですが……」
「そんな。とっても美味しく頂いてます。毎日食べたいくらい!」
申し訳なさそうに、真奈さんが昼食を運んで来てくれる。そんな顔をしないで。僕は出来る限りの笑顔を返して、本心からの言葉をかける。
調理場からはオーナーと香山さんの声が聞こえる。警部さんも一緒のようだ。
香山さんは午前中の仕事を終えて休憩、調理補助をしていた真奈さんは先に休憩をとり、配膳をしてくれているらしい。村上さんの一件以来ふさぎこんでいるようだったから無理に働かせてしまうのは申し訳ないけれど、こうして顔を見せてくれることに、僕は密かに安心している。
事件が解決する頃には……村上さんの命を奪った犯人が捕まる頃には、初めて見せてくれた笑顔を取り戻してくれるだろうか。心の傷は、そんな簡単なものではないとわかっているけれど、この先に向けて目に見える希望が欲しかった。この山荘内で、僕にとってのそれは真奈さんの笑顔なのだと思った。事件を機に失われ、そしてまだ取り戻すことができるもの。
旦那さんの腕の中でさえ心を休めることができない女性へ、僕が何を出来るわけではないけれど。
僕が真綾を助ける為に取る行動が、一石二鳥以上の結果をもたらせたなら、とも思うんだ。
胸ポケットにしまったカードが、鼓動で揺れたような気がした。じっと真奈さんの働く様子を眺めていた僕は我に返り、スプーンを手にした。
昼食メニューは朝(朝メニューは二日間とも同じ、定番なのだろう)とほとんど変わらず、パンがチキンライスになっているくらいだ。それから、デザートに手作りらしいフルーツゼリーがついている。
殺人事件が相次ぎ、雪で外界から閉ざされたこの環境でこれだけの人数の食事を用意するのは大変だろう。いくら料理が評判の人気宿とは言っても……
山荘、猛吹雪、非常事態。
そういえば、こんな話を思い出した。
雪山で遭難した一行が、登山者の為の小屋を見つける。寒さを凌げれば幸い、運が良ければ火を起こすこともできるだろうし非常食が置かれている場合もある。何しろ、雪山に遭難は付き物であり、それを助けるための小屋なのだから……
そう、こんな電波も届かない山荘で、雪に閉じ込められることがアクシデントであるわけがないだろう。
僕自身、この山荘へ辿りつく際に目にしている。冬仕様車のタイヤ跡。雪とともに暮らす人間は雪との共生の仕方を良く知っている。ここの山荘だって、オープンして三年。三度目の冬だ。
「しかし……まさかなぁ」
呟いたのは、本村さんだ。
食堂の席は、すっかりそれぞれ定位置になっている。本村さんが、スプーンを指先で摘まんだまま項垂れた。
その言葉は、空いている彼の向かい・僕の左隣へ向けられている。
そう。事件発生から二日目の昼食。
この場に、山田孝樹は居ない。
一月十七日。午後十二時四十五分。
「まったく本当にどういうことなのか……」
沈痛な面持ちで警部さんが息を吐く。
それから、山田さんの死が既に知れていることを承知の上で詳細を話し始めた。
発見したのは警部さんで、正午前の事(その時点で気付いた数名が吹き抜けから覗きこみ、僕も知ることとなった)。
自由行動の時間に山田さんがいつも座っていた席の下で、仰向けに倒れていた。
針金のようなもので絞殺されていた(山崎さんと同じ手口だそうだ)。
「ただ一つ山崎氏と違う点は、彼の胸の上にはトランプのカード、スペードのJが置かれていたことです」
その一言で、場が騒然となる。
スペードのジャック。
まさか。そんな、馬鹿なことが。
僕の全身が粟だった。
義賊で通る、怪盗スペードジャック。
犯行現場と分配先に残されるメッセージは「トランプカード・スペードJ」
『彼……彼女か分からないけど、人を殺しているんでしたっけ?』
結論はうやむやになってしまったが、松村さんがそんなことを話していた。
そんなもの都市伝説であれば良い。僕は不謹慎だと一蹴したけれど、それから間もなく僕の部屋から「鞄」が盗まれ例のカードが残された。
なんてお誂え向きなシチュエーション。そう思いながら、動揺をひた隠してこの場に居るというのに。
殺人のオマケつきだって? 違う、この場合だと盗みの方がオマケだ、いや彼の噂を聞く限りでは、この事件の連続は不自然だ。
「そんなの……まさか……。スペードジャックは殺人なんて。今まで一度だって人を傷つけたことないのに……」
怪盗に憧れていると話していた香山さんは声を震わせている。そこまで肩入れするなんて、よっぽどの思い入れだな。
「ええ、今までは確かにそうでした。しかし悪党は悪党です。殺人をしないと断言はできません」
盗まれる身になって解ったけど、出所が何処であれ盗むものが何であれ、そこには何がしかの被害は生まれるんだ。悪党への制裁は正しい事なのかもしれないけど、それによって人の命が消されてしまうことは、なんだか違う気がする。
真っ先に、完全に巻き込まれた妹の姿が浮かぶ。そしてきっと同じように、なし崩し的な形で「悪党」の「奪われた金」の代償として巻きこまれ――奪われた命もあるはずなんだ。
そこまで考えて、頭が痛む。善悪のラインが見えなくなる。
殺人事件は本当に無差別か。誰かが偽善の下に動いているのか。
スペードジャックは「何」なのか。
「むろん可能性として話しただけです。私もスペードジャックなる盗賊がこの場にいるとは思っていません。オーナーにも確認して頂きましたが、娯楽室からトランプカードがケースごと紛失しています。今朝の話を聞いた犯人が捜査の撹乱に出たとも考えられます」
村上さんの時は「絞殺魔」を模して、そして今回は「怪盗」を模して? ……繋がらないな。
「私が朝に掃除した時には、トランプケースは確かにありました。持ち出されたのならその後ということになります。DVDケースの上にあったから、取り出すふりをしてポケットに入れるのは簡単でしょう。……理沙ちゃん、僕もスペードジャックは殺人なんてしないと思うよ」
オーナーが、証言と共に香山さんへさりげなくフォローする。
「ただ……」
「なんです? お気づきの事があれば隠さずお話しいただきたいですな」
「その怪盗が、異常なまでに正義感が強いとすれば、場合によっては殺人も犯すのではないかと」
オーナーの言葉で、僕の思考は一度ストップした。
正義感の下。村上さんの一件か……。察したらしい警部も表情を曇らせる。
「おっしゃりたいことはわかります。山田氏が不可解な行動をしていたことは私も承知しています。
私が理沙さんの傍にいるようにしているのも、ひとつにそのことがありました」
つまり、
山田さんが村上さんを襲った。挙句、殺害した。
それに対する義憤、あるいは香山さんや真奈さんへと魔手が伸びる前に、山田さんを。
悪い輩は始末したから大丈夫、残されたカードがメッセージとなる。
筋としては通るが、僕の鞄は? 娯楽室から盗まれたトランプは?
朝の話題を利用した模倣犯、という判断の方が正しいのではないか。しかし、それでは山田さんが殺される理由が解らない。
山田さんの不可解な行動……といっても、あまり人の集まるところには行かず、ひたすら携帯をいじっていた、くらいか。いやそれ、人見知りだけど部屋は怖い状況なら心理的に仕方ないんじゃ。
食事以外で僕は山田さんと接する機会は無かったが、隣合わせで食事しながら他愛もない会話を交わしていた。思った通りの趣味で、古いゲームの話などで盛り上がっていたのだ。彼の場合は僕よりも造詣が深い……深すぎたので、当たらず障らずという程度だったけれど。
香山さんをひっそり目で追う姿は微笑ましかったし、目で追うしかできない彼が、女性の部屋へ押し入るだなんて想像できなかった。山田さんが村上さんを襲う理由も、山田さんが誰かに殺される理由も、現段階では見当たらない。
山田さんを悪く思いたくはない……それは、単純に僕の私情だった。
「故人をあれこれ言いたくありませんが、スペードジャックは梓さん殺害犯が山田氏であることを知り、理沙さんを守るため殺害したのではないかと、オーナーはそうお考えなのでしょう」
黒井警部にはっきりと言葉にされ、思いつきのまま口にしたというオーナーは小さくなってしまった。憶測で亡くなった人を悪く言ってしまい、申し訳ないと小声で付け足す。
「いや、あなたが梓さんを殺害した犯人を憎み、また理沙さんの身を案ずるのも当然の事です。しかし例えどうあれ私刑は許されません。この中には殺人者がいる。その事実だけは動かせないのですから」
黒井警部は、ゴツゴツした手でオーナーの薄い肩を叩いてやりながら、補足事項を伝える。
「ああ、それともう一つ。山田氏の部屋を捜索したところドアの下にメモが差し込まれていました。
匿名で『火遊びはその辺にしておくことだ。忠告はしたぞ』とだけしか書かれおり、これがスペードジャックの殺害予告だとすれば、先ほどの話も納得がゆきますなあ……」
……なんだって?
「それから山田氏の衣服を調べてわかったのですが、彼は携帯で理沙さんを盗撮しておったようです。ただ彼に罪の意識があったかどうかはわかりません。遠くから二十枚ほど撮っただけで」
立て続けの警部さんからの報告で、僕の私情はグラリと揺れた。
や、やまださん!
皆さんも色々と聞かされて頭が混乱していると思いますが、そう断りを入れて、警部さんは話を切り替えた。
いつもの事情聴取は、もう少し先らしい。
娯楽室のラジオで、地元局のニュースを一部分だけ聞き取れたということだ。
そこでは、連続絞殺魔について語られていた。
都心のゲーム会社勤務、西原和幸三十二歳。
一月十五日朝に絞殺死体で発見された同社ディレクターの下で働くシナリオライター。
制作中ゲーム内での「絞殺シーン」描写に関してディレクターよりダメ出しの嵐でノイローゼ気味だった。
発見時と同じ頃に別の社員が、スキー場直行バスに乗り込む西原を目撃。
手口から見て、重沢高原スキー場での連続絞殺魔と同一人物であると判断。
「なんでもかなり頭の切れる男で、偏執的ではありましたが女性の受けはよかったそうです」
変質的なことがバレている時点で頭の切れがどの程度か把握できるような気もする。ん? 偏執? 音だけだと解らなかったが、風変わりな部分があったということだろう。むしろ特筆することが無い人間の方が珍しいと思 いや、僕のことではなくて。僕だってだな…… いやいや。
「さて……残ったものは私を除き八名。午前中のアリバイをお聞かせ願えますかな」
一通りの説明を終え、黒井警部が咳ばらいをした。
「スペードジャック、もしこの場にいるのなら聞いて下さい。あなたは山田さんを殺害したのですか?梓さんのため? それとも私を守るために……? でもそんなの絶対間違ってます。お願いです、本当のことを言って! 私はあなたを信じていたいの! お願いです!」
間を取って、山荘内の誰もに聞こえるよう、香山さんが叫んだ。
もしこの場に――そうだ。僕自身がそうであるように、堀口さんがそうであるように、まだ特定できていない麻薬捜査官がそうであるように、誰かが己の正体を偽っているんだ。事件のオンパレードでこれ以上は勘弁願いたいが、怪盗が……本当に居るかもしれない、のか。誰もがポーカーフェイスを決め込んでいる、この中に。
「私はお掃除を……。十時まではロビーで、そのあとは娯楽室のお掃除をしていました。黒井さん……警部がずっと見守ってくださっていて心強かったです。娯楽室では一緒に格闘ゲームしたんですよ。
黒井さん意外に強くてびっくりしちゃった。ねえ、黒井さん」
香山さんは、続けて自分の行動内容を話した。事件当初、彼女は尋問から外すとの事だったが、事ここに及んでは「彼女のアリバイ」ではなく、「彼女による他者のアリバイ証言」として、重要なこととなってきた。
けれど、香山さんはそんな重責を感じるそぶりも見せず、屈託のない笑顔を黒井警部に見せる。……警部さん、僕の教えた格ゲーを利用して、うら若き乙女との交流を図るだなんて、あざとい!
「私たちは十時まで事務室にいて、そのあとは昼食の準備で厨房にいました。理沙ちゃんは警部が見て下さっているようですから、私は妻から離れないようにしています」
「警部、理沙ちゃんから目を離さないでください。お願いします!」
普段は大人しくオーナーに守られている真奈さんが、真剣な表情で黒井警部へ訴えかけた。
無論、と警部は深く頷きを返し、真奈さんの肩を支える。
その様子に、僕は少なからず驚いた。なんだろう……この、小さな違和感。
と、ここで詰まっていても仕方がない。あとは僕から順に話すべきだろう。
「二次元の美少女に興味を持つ=変質者というレッテルを貼られることは、個人的にとても悔しく思います。……でも山田さん、二十枚は……撮りすぎです……」
悲しいかな山田さん、携帯にとどまらずiPadまで覗かれたらしい。インストールしているアレコレも見られたらしい。それらは山田さんが犯罪者であるという裏付けになんかならない。
この感覚、否・事実は、周知徹底して頂きたい。二次元があるからこそ、三次元で自重できることがたくさんあることを。二次元があるからこそ、三次元で勇気を出せる――……、熱くなりました。失礼。
まずは山田さんへ哀悼の意を捧げ(捧げているんです、コレでも)、僕は自分の話を切り出した。
娯楽室で洋画を観賞していたこと。自室に戻ると手荷物が失くなっており、スペードのJが置かれていたこと。
「……どうしてスペードのJが二枚もあるんだ。同じトランプセットなのか? 高嶋さん、裏を見せてくれ」
真っ先に手を伸ばしてきたのは本村さんだった。僕の部屋に挟まれていたメモ紙については、食事時に確認するようなことはしていない。
ビンゴ、か?
「どうぞ、本村さんも確認してください」
ドキドキしながら、カードを手渡す。
「傷やメッセージ等ここには、書かれていませんよ。信じていいんでしょうか」
“ここには”。そう、メッセージは別の場所にあった。本村さん、僕はあなたを信じていいのですか? 言葉に隠して反応を伺うが――
「ああ、わかったよ。しかし一体この山荘はどうなってるんだ……。山田さんまで殺されて……」
判別不可。どっちだ。
食事の間に、もっとストレートに聞いておけばよかっただろうか。
しかしあの状況で何を言えたものだろう。堀口さんの耳もある。取引相手が自分以外の人間と密談、だなんて訝るに決まっている。
「高嶋さんが出て行ったあと、俺も部屋に戻った。こっちの部屋には何の変化もないが」
本村さんの証言は、以上でスパッと終わってしまった。こちらへ視線を向けることもない。
言葉の選択を間違えた……。あとでもう一度、聞いてみようか。
手に戻されたカードを、今度は警部さんがスッと引いた。
「ふーむ」
山田さんの傍に置かれていたカードと見比べている。
僕のカードは裏が黒。山田さんのカードは赤。
本村さんが不審な点を見つけられなかったように、どちらのカードも可愛げのない一般的なトランプ柄で、裏の色くらいしか違いは見当たらない。紙質が特製だったり、子供向けだったりといった特徴がない、という意味だ。
そこへオーナーが口を挟んだ。トランプに関してだ。
客の置き忘れをそのまま利用することが多いので、七~八セットは普段からあるということ。
朝の掃除の際に、DVDの上にあったことは記憶していること。
その一セットが盗まれたことだけは確かだが、他のものは確信がないこと。
――怪盗の用いるカードの裏は何色か。日によって変わるのか。そこまでは……誰も知らない。少なくとも、この場に居る人間は。
だから、「鞄盗難」「山田さん殺害」どちらかが「本物の怪盗の仕業」だったとしても、どちらであるかは解らないのだ。
まぁ……僕の方だと、思う。
が、はっきりしない以上、申し訳ないけれどこの場は山田さんに泥を被ってもらう。ごめん!
「この午前中の間に、山田さんは殺害され、僕の部屋には施錠していたにもかかわらず何者かが入り、盗みを働いた。どちらにも、同じカードを残して……。同一犯と考えるのが自然でしょうか」
「しかし、山田さんは気の毒だが、話をした直後のスペードジャックの登場とは……。怪盗は今まで殺しはしてなかったとすると 偽装の可能性は十分ですね」
せっかく上手く纏めようとしていたところへ、松村さん登場。あなたは本当に何がしたいんですか!
「盗まれたトランプは一セット、出てきたスペードのジャックは二種類となると、どうなんでしょう?」
本物の怪盗と、怪盗を模した殺人犯。二人いるのでは。松村さんが、暗に補足する。
では、村上さんの時はどうなるのだろう。絞殺魔を模した殺人犯。
模倣犯祭りか!
「うーん、山田さんはいつも単独行動気味だった気がしますしねぇ。正直疑ってはいましたが、まさか殺される側に回るとは……」
疑惑を重ねるだけの松村さんの言葉を切って、堀口さんが入る。
「しかし殺人鬼に加えて怪盗までとなると、ちょっとできすぎてますね。殺人鬼の偽装工作なんじゃないですか? なにしろ警部の話があった矢先の犯行ですからね」
ありがとうございます、堀口さん。
「怪盗」がニセとなると、僕の盗難も誤魔化しやすい。とはいっても、僕がヘマすれば堀口さんにも飛び火する可能性はあるので、当然の助け船なのかもしれなかった。
「ああ、そういえば橘さん。あなたの名前で私宛にメモが挟まれていましたが、あなたが出したもので間違いありませんか?」
「僕が堀口さんへ? 僕は女の子から手紙をもらう事はあっても、男性へ送る趣味はありませんよォ」
メモ……堀口さんはズバッと来たなぁ。
「なるほど。では……あるいは死んだ山田さんでしょうか……?」
「山田さんに妙な伝言を送ったのが誰なのかも気になりますね」
松村さんが、さらりと髪をかき上げながら首を捻る。
伝言メモ。そうだ、山田さんへの、メモ……。あれは、誰が何の目的で送ったのだろう。殺人犯からの最終警告で間違いないのだろうか。
僕の、本村さんからのメモも、本物なのか、どんどん怪しくなってくる。
というか、謎の伝言メモが飛び交い過ぎである。中学校の授業中じゃあるまいし。
「ところで高嶋さん。手荷物を盗まれたという事ですが、中には何が入っていたのですか」
ここで説明できるでしょう、やましいものを持ち込んでいないのなら。
キラリ、警部さんが目を光らせ、ゴクリ、周囲が固唾を呑む。
一呼吸置いて、僕は用意していた答えを口にした。
「僕が盗まれたのはギターです」
食事後に定期的となった尋問を終え、僕は自室に入ると腹の底から重苦しい息を吐き出した。
盗まれた品に関して、僕は鞄の外観が若造には不釣り合いであることから、偽装工作・捜査撹乱目的で部屋に忍び込まれ盗まれたのではたまったものではないと息巻いた。
盗難は怪盗登場を知らせる偽装工作。殺人が本命。どれだけの人が信用したかは解らないけれど、表向きはそうなった。
事件が起こりすぎて、警部さんも思考整理が追いつかないといった様子だった。
僕とて同様だ。
命は懸るし容疑もかかるし、しかし時間を掛けていられない。
しかも本村さんのメモの真意が解らないままの解散となってしまった。これはマズイ。
「行くしかないよな……」
他の誰かが本村さんを騙る理由は読めない。僕と本村さんは、特に親しくしていたわけではない。
あえて言えば、人と置く距離感が似ている程度か。極端に拒みもしなければ、極端に近寄りもしない。本村さんであれば僕が警戒しないと踏んだ、か。
堀口さんは、僕への伝言で他者を騙る必要はない。
橘さん名義であれば、昼食の段階で「アレなんですか」と聞くことができた。そういえば堀口さんは、橘さん名義で謎のメモを受け取ったといっていたか。うぅむ。
松村さん名義なら……どうかな。前回、松村さんから伝言メモを受け取った時に僕はワザと違う方向へ話を振った。松村さんからはその後、接触は無い。自分が警戒されていると気付いたのだろうか。
で、あれば、だ。
このメモは、松村さんか本村さん本人からである可能性が高い。互いに部屋は両隣だ。
話だけならそれぞれの部屋へ呼べば済む。それを、わざわざ倉庫へ。鍵を開けて ん、普段は鍵がかかっているのか。
鞄のこと、かな。
怪盗本人か、偽装かはどうでもいい。例の鞄を持ち出し、どこかへ隠している人間が居ることは確かなのだから。
自室に隠した僕が間抜けなんだと思う。鍵付きの倉庫であれば隠し場所にはもってこいだろう。僕の部屋を開けた人間なんだ、倉庫の鍵の準備だってしていても不思議はない。
松村さんか、本村さんか。
殺しか……盗みか……逆手にとっての強迫、あるいは麻薬捜査官による逮捕か。
「行くしかない」
鞄の手がかりが皆無である以上、僕は行動するしかない。
最悪の事も想定して、僕は部屋から出た。
廊下は静まり返っていて、ひんやりとした空気が僕の心を引き締めた。
どうやら、誰も娯楽室を使用していないようだった。
殺人事件の直後であり、前夜は未遂事件が起きている。誰もが慎重になるはずだ。
吹き抜けから階下を覗くが、ロビーにも人はいない。この静けさの中、食堂からも話声は聞こえない。
……なんだか、いやな気配だな。
漠然とした予感を抱え、ゆっくりとした足取りで倉庫へと向かった。
「ん」
「あぁ、どうも。僕はこれから風呂です」
聞いてもいないのに答えるのは橘さんだ。僕が並ぶと、彼はスイと出てゆく。
なんとはなしに立ち寄ったトイレで居あわせた。ここは各施設の分岐路で、風呂もジムも倉庫も、そしてオーナー達の私室へも必ず通る場所である。
「ご一緒します?」
「いえ、ご遠慮します」
橘さんの誘いを苦笑で返しながら、僕も手短に用を済ませてトイレを出る。
「……ん」
去り際、奥の個室が気になった。なんだろうか。ドアは空室の青となっているが……やめておこう。
まさかトイレで待ち伏せする絞殺魔も居るまい。
そして、この期に及んで怪談話も勘弁だ。
「待ち伏せしていたけど、人が来たから慌てて隠れた――なーんて」
そう発音した途端に現実味を帯びてきて、言葉の力は怖いと思った。はは、まさか!
まさか、ねぇ……?
橘さんも一緒だったら、怪談めかして挑戦できたろうが、一人では確認できないしたくない。
触らぬモノになんとやら。僕は改めて倉庫へと向かった。
「……本村さん?」
倉庫の入り口から声をかけるが誰もおらず、室内灯を点けても備蓄品以外は見当たらない。
奥に進むのは、ちょっと怖かったので先に周囲を見渡す。
浴室方面からは、橘さんの呑気な鼻歌が聞こえる(どれだけの音量だ!)。
ジムは防音施設となっているが「使用中」の札がさがっていた。
旅行に来てまで体づくり。僕には理解できない世界だが、身体を動かすことで嫌なことを忘れるという方法もあるのだろう。そういえば、昨日は松村さんがジム→入浴と、健康的なスケジュールだったっけ。
もう一度ロビー辺りまで足を運び誰も居ないと確認してから、倉庫のドアを開けたまま、そっと奥へ入りこんだ。
やはり誰も居ない。もしかしたら鞄だけ置いてあるかもしれない。
入口を気にしながら、僕は倉庫内を探った。
「もとむらさん」
「あぁ?」
「……いえ」
緊張と疲労で汗だくになり、とるものもとりあえず浴室に入った僕を迎えたのは、肩まで湯船に浸かった本村さんだった。
思わず呼びかけた僕に、本村さんはキョトンとしている。……そうか、あのメモは
「あはは、二日連続で同じメンバーですね」
…………まつむらさん。
堀口さんは、相変わらずのポーカーフェイスだった。
奇しくも、昨日の入浴メンバー+本村さんという、みっしりした浴室内となった。松村さんと本村さんは、そろって良い体つきなので実に威圧感がある。た、橘さんの誘いに乗っておけば良かった……。
それにしても。メモの送り主として疑っていた松村さんにも、含みは感じられない。
じゃあ、あれは誰からだったんだろう……?
トイレで感じた嫌な気配、あれは関係あったのだろうか……。
風呂からあがり自室へ戻る前に、自販機でスポーツドリンクを買った。
水分を補給して、それから濡れた髪をかきながら歩き始める。
結局なに一つ収穫は無く、増えるのは疑惑ばかり、募るのは不安ばかり。
取引は……どういう事態になっているのだろうか。
当初、指定された刻限は過ぎてしまった。
しかし取引相手自身が、指定時間以降の取引を望んできたわけだから……、いや、こちらの事情など、向こうは知らない可能性が高いか。暗号と、代理人が行くということだけしか伝わっていないのかもしれない。
「真綾、僕はどうすれば……」
いずれにせよ、手ぶらで高原ホテルに行くわけにはいかない。例の鞄を取り返してからじゃないと。
アレさえ手に戻れば、遭難しようがなんだろうが僕は山荘を出る。あとで逮捕されても構わない。
『人質は生きているから人質なんだ』
えーと、これは何の引用かな。漫画だと思うけど、なんだったかな。
けど、その通りだと思う。人質は生きているから――……
例えば、このように僕の戻りが遅い。しかし遅いながらも戻ってきた。ところが妹は既に冷たくなっている。さて、僕はどうする。
「ハハハハハ、なんてことだ! 僕のせいで、真綾……。あぁっ もう、僕は死ぬことだって怖くない。見ろ! 警察には連絡済みだッ! 鞄? これか? 空っぽのこれか? アハハハハ、中身は雪原に埋めてきた! さぁ、僕を殺せよ、殺してしまえ! そして春が来るのを獄中で待てば良(バーン!)」
……これかな。
ドアの前でブツブツつぶやきシミュレーションしてみる。
うん、これはイイ線だ。人質の為に死線をくぐり抜けてきた一般人が、心の支えを取り戻せないと思った瞬間に見せる衝動的行動は実に恐ろしい。
僕がそんな行動を取らないよう、事件が落着することを強く願う。
最悪なのは、僕が戻った時点で真綾が冷たくなっていること。次は、僕が戻った瞬間に真綾が冷たくなること。叶うなら、戻ったら真綾が笑顔で僕を迎えてくれること――「兄さんたら、悪事に手を貸して!(ベチーン)」平手打ちも、この際だから甘んじて受ける。
今の僕は、とにかく良い方向に考えて、鞄を取り戻すことが重要だということだ。
絞殺魔。怪盗スペードジャック。麻薬捜査官に……そしてあのメモは、結局なんだったというのか。
早く考えを纏めよう。
僕は一人芝居を終えてドアに鍵を差し込んだ。
――もう、七号室にだけ郵便受けを付けてもらおうかな。
お決まりとなりつつある「メモ」が、部屋に差し込まれていた。
後ろ手に閉めてからヒラリと落ちたそれを拾い上げ……ギクリとなる。
このメモ、内側から差してある。
本村さんのメモは外側から隙間に差し込んだだけだったので、ドアを開ける前に気付いたのだ。
しかしこれはドアを開けてから、室内の方向へ落ちた。でも、部屋の鍵はかかっていた。
紙質も違う。今までは部屋に備え付けのメモ紙ばかりだったが、これはハガキのような厚手の用紙だ。
早鐘のように心臓が鳴る。
震える手でメモを支え、文面に目を走らせる。
『取引用のブツを失って焦っていると思うが、心配しなくていい。君の妹、真綾ちゃんについて話したいことがある。夕食後、一人で倉庫に来て欲しい。――スペードのJより』
真綾!
妹のことは、誰にも話していない。妹が居るとも話していない。
取引の件を知っているのは堀口さんしかいない。
どういうことだ、……どういうことだ!
肩に力が入り、メモを引き裂きそうになるのを必死にとどめながら、僕の視線はもう一つのものを探す。
これが「怪盗」からのメッセージであるならば、
……あった!
トランプカード・スペードのジャック。裏を確認する……黒。
鞄を失った時に置かれていたものと同じだ。
再び倉庫、というのが気にかかる。
どういうことだろう。今日の倉庫呼び出しは、僕の反応を伺うための仕掛けだった?
「落ち着け」
声に出して、暗示を強くする。落ち着け。考えろ。
目を閉じる。視界が真っ暗になる。これでいい。
昨日から今日に掛けて目まぐるしく事件は続き、息する暇すら与えてくれない。
自分を見失わないようにすることが肝要。
目を開き、簡素な部屋を見渡して、他に変わりがない事を確かめる。もちろん、鞄がポンと戻されているということもなかった。
僕はベッドに腰掛けて、昼から手を付ける余裕の無かった推理メモの続きに取り掛かった。
さぁ、考えを整理しようか。
前述に加えて、特記すること
■連続絞殺事件 ※犯人が同一とは限らない
一月十七日 山田孝樹(針金状のもの):朝霧山荘・食堂(正午前発見)
(追記:傍には裏が赤いスペードのJ
■絞殺魔疑惑
西原和幸 三十二歳 東京のゲーム制作者勤務。シナリオ担当。ノイローゼ気味。
■伝言メモ
本村さんより:昼食後に倉庫にて待ち合わせの誘い。どうやら他者が騙ったようだ
怪盗スペードJより:夕食後に倉庫に手待ち合わせの誘い。
怪盗かどうかは別として、鞄を盗んだ人間と同一らしい。
裏が黒いスペードのJ
重要な、今朝の行動。
■松村さん→娯楽室、自室
■堀口さん→娯楽室、自室
■本村さん→娯楽室、自室
■橘 さん→自室、自室
■山田さん→食堂(殺害時間不明)
この中に、殺人犯と怪盗(同一人物の可能性もアリ)が居るわけか。
――おかしい。
リストアップして気づいた。時間どうこうの問題じゃない。
山田さんは、食堂で殺害された。
慌てて記憶を呼び起こす。
『私たちは十時まで事務室にいて、そのあとは昼食の準備で厨房にいました』
オーナーが、そう証言していた。
たしかに調理室直結の出入り口はある、けど食事の準備に……食堂に入らないわけがない。テーブルくらいは拭くだろう。朝食後に片づけたから問題ないとか? でも、フリードリンクの補充だってあるだろうに……
聞き流してしまったことを悔やむ。
けど、まさかオーナー夫妻が犯人ということはあるまい……。警部さんだってアリバイがしっかり
あることから、容疑から真っ先に外していた。
でも女は魔性というし、真奈さんの憂いた表情が演技であるとか。殺人を止められない旦那、愛ゆえに庇う妻。
……無いな。テレビの見過ぎだ。演技に入りこみすぎて殺人を繰り返す俳優を恋人が~というストーリーは漫画で読んだなー。
一瞬でも、そんな想像に真奈さんを当てはめてしまった事に罪悪感を抱きながら、僕は思考を切り替えた。
このまま、まずは山田さん殺害から考えようか。
不意をつかれて首を絞められれば、悲鳴を上げられないのは体験済み。
山田さんに至っては道具を使われている。手で絞めるより一瞬だろう。絞められた瞬間、一時的に意識が吹っ飛ぶのも体験済み。
山田さんは、いつも俯き加減で携帯ゲームに没頭していたから、気配を消して背後に回ることは難しくないだろう。
うう、こうして人をどうこうって考えるのは気持ちのいいものじゃないな。
それでも、進まないと。突き詰めなくちゃいけない。
固く目をつぶり、一瞬だけ、真綾と真奈さんの笑顔を思い浮かべる。よし、がんばれる。
えーと、だからだ。食堂で山田さんが殺害されたことに、昼食支度をしていたオーナー夫妻が気付かなかったことはあり得ないわけではない。怪しいけど。
テーブルの下だったし、身落とす可能性も強まる。警部さんほどの観察眼だからこそ気付いたのかもしれない。
一号室の山田さんは、ただでさえ遺体安置所となっている二号室の隣で、他とは離れた部屋の位置だったんだ。本人もそれを気にして、部屋に籠るのを嫌っていた。前日も、昼間はずっと食堂に居たし……絞殺魔に行動を読まれたのかな。気の毒で仕方がない。
死亡時刻がはっきりしない以上、アリバイの無い全員が容疑者となるわけだ。
■松村さん、堀口さん、本村さん、橘さん
過去の犯行と容疑が重なる人は、
■村上梓さん絞殺 →本村さん、橘さん、(山田さん)
■高嶋篤哉絞殺未遂 →松村さん
となる。
それから。
僕の鞄を盗んだ、「怪盗スペードジャック」だ。
「……お手上げだ」
放り出しそうになるボールペンを、僕は何とか握りしめた。
事務室に合い鍵はあるが、午前中はオーナー夫妻が居たと話していたぞ。
夫妻が調理室へ移動した時間と、僕が娯楽室から戻った時間はほぼ一致する。
誰かが夫妻へ頼んで合い鍵を受け取る? 本人に無断で? ありえない。
アリバイがないのは橘さんだけになるが――あぁ、殺害が昼前だとしたら山田さんにも機会はあるのか――、
うううううん。
そういえば、警部さんが村上さんの事件の際に話していたか。裏市場で出回っている器具を使えば、こういった鍵は直ぐに開けられる、と。
合い鍵、不要……?
仮にそうだとしたら、
「橘さん?」
盗み出すことは山田さんにも出来たかもしれない。しかし同様の手口で部屋へ入り、同じカードを残していくことは、今も生きている橘さんにしかできない。僕の入浴中に忍び込むことは容易だろう。
――橘さんが、怪盗スペードジャック?
橘さん=怪盗スペードジャック。
僕の部屋から麻薬鞄を持ち去り、尚且つ僕の妹・真綾のことで話があるという。
まさか、と打ち消そうとして、初日の違和感を思い起こした。
僕の本名・橘姓を名乗っていること。妹が居ると明言していること。
『妹のいる、橘』それは僕、橘祐樹だ。他の誰も知らない。
朝霧山荘が雪に閉じ込められる前日夕方、あてなく雪原を散歩していた僕ら兄妹は麻薬取引代理人として利用されることになった。僕のことも、妹のことも、外部に漏れるはずがない。
漏れたとしても、その頃には通信手段が断たれた山荘に閉じ込められ、人の出入りは一切ない。
義賊スペードジャックは悪党から金を巻き上げ、困っている人々に分け与えるという。
麻薬なんて盗んでどうする(堀口さんへ渡した現金鞄を盗めばいいのに!)。
もう少し、情報を整理してみることとする。
追加情報として、オーナーが各宿泊者の予約日を教えてくれていたんだった。
■一月十四日:山田(一号室)
■一月十五日:堀口(五号室)、本村(六号室)、松村(八号室)
■予約無 :山崎(二号室)、橘 (四号室)、高嶋(七号室) 黒井警部は三号室に宿泊中。
それから、チェックイン時間も再確認。
■山田→午後七時三十分
■松村→午後七時四十分ころ
■高嶋→午後八時過ぎ
■堀口→午後八時過ぎ
■本村→午後八時時三十分ころ
■橘 →午後八時三十分ころ
■山崎→午後十時ころ
・同じ時間帯に到着したのが
松村さんと山田さん、僕と堀口さん、本村さんと橘さん
時間の経過と共に吹雪は強まっていたから、自己申告にバラつきがあったり同じ時間帯でも顔を合わせていなくても不思議ではないか。僕は食事も摂らずに部屋へ直行したし。
僕のように、一本道でも迷いかけながら辿りついた例があるので、高原から山荘までの移動時間には目をつぶろう……。なんとでもごまかせるから、参考にしない方が良いのではないだろうか。
飛び込み客は三名(+現在は警部さん)だが、予約客の部屋番号と照らし合わせても、順序は関係ないみたい。
この山荘の通信手段は、インターネット回線も含めて電話線だけ。
この日のうちは、まだ連絡が取れたのだろうか。
例えば、僕を代理人に仕立て上げた『奴ら』を確認した人物がいて(麻薬捜査官・あるいは怪盗)、僕と真綾の存在を知る。そして時間を見計らい、山荘の宿泊客に連絡をする――。
兄妹に関しては名前だけ判れば良い。それだけで誘いを仕掛けるネタになる。
本業としている堀口さんより、脅されている僕の方が何かと扱いやすいのは確かだ。
「なるほど」
僕の方が扱いやすい。これは確かだ。情けないけど。
鞄を持ち歩く姿を目撃された可能性があるのは、先にチェックインしている松村さんと山田さん。
ただし、取引の際にも廊下を歩いているので、誰かがコッソリ覗いている線は否めない。コレ言っちゃうとキリがないけど無視はできない事実だ。
僕と堀口さんは、どちらが先か解らないが同じ時間帯のチェックインで、続けて似たような鞄を持ち歩いていればあからさまに怪しい。事情を知っている人間が目にすれば、気付かれてしまう可能性が高い。
チェックインといえば宿泊の際に対応してくれた村上さんも入る、か。僕たち兄妹の情報を事務室の電話で受け取り、「怪盗」へ流す。用済みとなった村上さんは――
コワイ。自分で想像して、なんて恐ろしい奴だと竦み上がった。ありえそうなのがコワイ。テレビの見過ぎ?
しかも、
……橘さんには、村上さんの件でのアリバイが無い。
ちょっと方向を変えてみる。
電話連絡で怪盗(あるいは麻薬捜査官)が情報を得るのではなく、僕達の現場を見た・聞いたで追いかけてくるパターン。
僕自身、午後五時過ぎにスキー場を離れ、一本道の山荘へ辿りつくのに二時間以上費やしたというヘタレであるが、道こそ一本だが周囲の木々に紛れて移動すれば気付かず進むことができる。その分、時間もかかるだろうけれど。
何が言いたいかといえば、僕より後にチェックインした人を疑うこと。
本村さんと、橘さん。
本村さんは昼の反応で伝言関係から外していいと考えていい。
やっぱり、橘さんか。
怪盗スペードジャックの真意は読めない。
しかし、この誘いには乗るしかないようだ。
一月十七日、午後六時四十五分。
食堂には、昼食と同じ顔触れがそろっていた。
良かった、午後からは何の事件もなかったようだ。僕以外には。
「熱いですから、気をつけてくださいね」
「あ、はい」
具だくさんのトマトスープだ。食欲をそそる香り。添えられているのはフカフカの揚げパン。
思わず目を細めると、真奈さんがクスッと笑った。
「え」
「高嶋さんったら、食べる前から、美味しそうって顔をするんですもの」
「そりゃあ……美味しいですもん、ここの食事」
「ありがとうございます」
はじめて、名前を呼んでもらった。久しぶりに笑ってくれた。
不安と悲しみに押しつぶされた時間を過ごしているのだろう、目元は赤いし顔には疲労の色が濃い。それでも……。
熱々のスープを食べる前から、ジンワリと腹のあたりが温まる。
事件が無事に、幕を閉じたら。
来年の冬、また朝霧山荘へ来よう……。真綾と一緒に。
オーナーと真奈さん、僕と真綾で、昨年は大変だったと笑いながら、トマトスープを食べれたらいいな。
とりたてて事件もなかったため、食事後は雑談交じりにそれぞれの行動報告となった。
僕は昼過ぎに浴室へ向かう橘さんとすれ違っているし、夕方は嬉しくもない男だらけの入浴☆筋肉
自慢大会(それは冗談だが、ついつい見比べてしまうのが悲しいプライド)だったので、未確認事項は少なかった。
「午後は特に事件も無く、みなさん無事でなによりでした」
黒井警部も、どことなく上機嫌だ。
「私は理沙くんを見守るようにしてますが、入浴したいというので午後四時頃までは食堂におりました。まさか風呂まで付いて行けないですしね、フッ……」
付いていきたかったんですね。わかります。
「その後は彼女がジムの清掃をするのを見守っていました。そういえば橘さんも腹筋運動とかされましたな。素晴らしい肉体で驚きました」
橘さんは、お風呂の後に汗を流したのか……普通、逆じゃないか?
けれど、おちゃらけた雰囲気の彼が黒井警部もびっくりの肉体とは僕も驚きだ。心の中の二十歳を守るためなのだろうか。
僕は揚げパンを頬張りながら、黒井警部の話に聞き入る。
「ところでオーナー、今夜の食事はフランス料理ですか?」
「お気に召していただけたのなら幸いです。そちらはプロヴァンス地方の郷土料理を日本風にアレンジしたもので、ボルチシの一種ですね」
それを言うならボルシチ――、あれ? ボルシチはフランス料理ではなかったと思う。
料理に詳しくはないけど、フランス料理に揚げパンってついたっけ。
外国料理の揚げパンというと、ロシアのピロシキとかアジア系の……
でも、そういえばオーナーの料理はフランス仕込みって、パンフレットにもあったなぁ。同僚だった奥さんと山荘をオープンした。ということは、真奈さんにもフランス料理の知識があるということだ。
いつも、そっとトレイを置くだけで料理の説明はしていかない。でも、見ればわかる、馴染み深いメニューばかりだったので疑問に思わなかった。
昼にも話していたけれど、少ない材料でやりくりしているのだろうし深く追求した話は失礼かと思っていた。
でも、今日の夕飯は、これまでと明らかに違っていた。
「こんな時ですからせめてお料理くらいは楽しんでいただけたらと……」
「いや、本当にありがたい。仕事に追われて普段はまともなものを口にしたことがありません。牛丼とかラーメンとかファーストフードとか、この十年はまともなレストランさえ行ったことがない、いやはや、情けない話です」
『本来ならもっと』
申し訳なさそうな、真奈さんの表情を思い出した。
『ありがとうございます』
嬉しそうだった真奈さん。
違いは、どこだろう?
「……黒井さん」
「どうしたんだい理沙ちゃん。そんなに不思議そうな顔をして?」
「あ、その……黒井さんはどうして、外食ばかりしているの? ……奥様の手料理は?」
「妻は子供を連れて家を出た。もう十三年も前の話だけどね」
「えっ? あ……ごめんなさい! 私、変な事を聞いちゃって……」
「いいさ、家にはめったに帰れず妻子をほったらかしにした私のせいだから。刑事にはよくある話だよ」
香山さんと黒井警部のやりとりから、僕は妹との会話を思い出した。
『おかえり、おにいちゃん。今日は私の手料理だからね。わかってる?』
『はいはい。真綾の御飯は美味しいからお兄ちゃん嬉しいな~』
『もう! こっちを見て言いなさい。就職しちゃってから、ほとんど帰ってこないから寂しいんだよ』
『だったら、真綾が東京へ来ればいい』
『え! いいの?』
『お前だって十六なんだ、新幹線くらい一人で乗れるだろ?』
『もう、馬鹿にして! バイトだってしてるんですからね。お兄ちゃんなんて高校生の頃、なんにも
してなかったじゃない』
『ちぇ』
手料理か。焦げたオムレツから始まり、徐々に腕を上げる真綾の料理は帰省した時の楽しみの一つだったな。
今も、月に一~二度は僕の部屋へあがりこみ、夕飯の支度をしてくれていることがある。
喜んでくれるから、作りがいがあるの。そう話していた。
自分が作ったものを、目の前で美味しそうに食べてもらえることが嬉しい。
作り手冥利に尽きる、か……。
そういえば、オーナーさんは調理担当だが食堂へ顔を出すことは少ない。
調理室に居ても声は聞こえるだろうし、シェフがホールに常在しているレストランなんて聞かない。
レストランで修業を積んだオーナーであれば不自然じゃないし、旦那さんの料理を喜ぶ客の様子を、我がことのように喜ぶ真奈さんも不自然ではない、か。
「あはは。理沙ちゃんは可愛いな。でもそんなことが不思議だったのか。……もっと他に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
警部さん、一歩間違えるとセクハラになりますよ。
「いえ、ちょっと気になったことがあっただけで……大したことじゃないですから」
「ふーむ……」
得心のいかない風で、黒井警部が髭を撫でる。
「あの、松村さん、何年か前……私が高校生の時に、一度お会いしたことありませんか? テレビかな……。気のせいかも知れないけど、どこかでお見かけした気がするんです。遠くから見ていた気がするんです」
それから香山さんは、話の矛先を松村さんへ変えた。
「道ですれ違ったとか、そんな感じ? 松村君は二枚目だからね」
黒井警部が口を挟むが、香山さんは笑って一蹴した。
「ウフフ、いくらなんでもそれは無いと思います」
私なら、理沙ちゃんみたいな可愛い子とすれ違ったらずっと覚えているだろうなぁ。黒井警部が拗ねるように呟いている。
警部さん、だんだん香山さんへの呼び方が変わってきています。一方的に親密度が上がってます。
「東京で僕を? なんだろう……。テレビに出たというと、高校で演劇部に所属していて、大会で金賞とった事があるんですよ。主演だったので確かにテレビにも映ったよ。でも、理沙さんが見た時期とは合わないかな。もう随分と昔の事だしね」
演劇部! 主演! テレビ! ……華々しい人だったんだな、松村さん。納得のイケメンだ。
あの時の僕はさぞ輝いていただろうなぁ。そんな独り言を漏らしているが、今でも充分だと思います。
僕はちょっと郷愁に駆られ、警部さんとゲームをした時のことを絡め、父親像について話してみると意外なことに香山さんが喰いついてきた。
父が多忙で、父親抜きの食事や観劇ばかりで、いつも母と弟との三人だけで寂しかったと。警部さんは父のようで、一緒に居ると安心できると。
「パパと一緒に出かけられたことなんて数えるほどしかありません。ママの実家……スウェーデンに行く時くらい」
スウェーデン!
香山さんの容姿が、日本人離れしていると思ったら……なるほど、半分は北欧の血なんだ。
寒い長野へ進学して来たのも納得できる。
「こりゃあ驚いた。本物のお嬢様なんだな。食事の時の作法も身についているはずだ。私はフランス料理なんてめったに食べないから」
「そんなことは無いですけど……」
お食事。観劇。耳慣れない単語が飛び込んできて、宿泊客達も展開に少々ついていけない。
なにしろ、香山さんは世界でもトップクラスの企業の、社長令嬢だというのだ。
そんな事実にも驚いたが、寂しい家庭環境自体は珍しくもない。村上さんへ香山さんが懐いていたのも合点がいった。姉のように慕っていたのだろう。アットホームなこの山荘で、楽しいシーズンを過ごせたらよかったろうに……。
変な同情は嫌だな。僕は言葉を選んで口にする。
「そんな寂しさを知ってる香山さんなら、きっと暖かい家庭を築けるよね。そうだな……たとえば僕とかどう? なんて。えーと、冗談です」
女性好きの橘さんが「ライバルか?」と言いたげな視線。
裏世界の住人である堀口さんが「馬鹿も休み休みにおっしゃい」と告げる視線。そして、
「うーん……高嶋さんは恋人と言うよりもお兄様かなあ……」
と、香山さん本人より見事なトドメを刺された。
『あー! 橘君みたいなおにいさんがほしいなー。今だけ、今だけ“おにいちゃん”って呼んでいい?』
過去、告白のシチュエーションを作り上げた矢先に受けた先制攻撃である。これは実に攻撃力があるので、ご注意願いたい。
「僕も、香山さんみたいな優しい妹は大歓迎だよ」
妹が居るのかと尋ねられ、椅子から飛び上がりそうになるが平静を装い、そう切り返した。声の震えは抑えられなかったが、アプローチ失敗に終わった一般男性の対応として正しいのではないかと思う。なので、ゲラゲラ笑うのは止めて頂きたい、橘さん。
ささやかな不協和音が止まぬまま、夕食は解散となった。
じゃ、と部屋の前で橘さんが片手を挙げる。全員に向けたもので、僕と目を合わせることもない。
それぞれが言葉少なに部屋へと戻ってゆく。
「あれ」
倉庫へ向かう前に推理メモの続きを先に纏めておこうかとベッドに腰掛けたところで、ドア付近に落ちている紙片に気付いた。
本村さんや松村さんからのメモは、そのまま捨てるのも忍びなくて、纏めてポケットに入れている。
ということは夕食の前後に差し込まれたか、スペードジャックからのメモと同時期で、僕が気付かなかったか。
なんでもいいや。とりあえず拾い上げる。
「……うん?」
無記名。内容は意味不明。
「うううううううん?」
どう解釈すればいいのだろう。
このメモは、スペードジャックからの伝言と相反するものだった。
一月十七日 、午後七時。
倉庫の鍵は開けられている。
「……高嶋です」
名乗るが、反応は無い。室内灯をつけても人影は無かった。
一度だけ背後を確認し、僕は倉庫の中へと踏み込んだ。
「やあ、またせたかい?」
倉庫の奥まで辿りついたところで、明るい声がかけられた。続いて、扉の閉まる音。
「……あなたが怪盗スペードジャック?」
ああ、橘さんだ。
怪盗というが、特に衣装を纏うでなく食堂で居あわせた時と変わらぬ普段着だ。
本当に、スペードジャック?
心の準備はしていたつもりだが、目の当たりにするとやはり冷静でなどいられない。
「まあ、世間では勝手にそう言ってるみたいだね」
自分的にはダサくて嫌いなんだけどな。
お喋りなのは、素のようだ。
でも、目的が見えない。緊張を解かない僕に、「話をするよりこれを」と、イヤホンを手渡した。その先にはMPプレイヤー。
『兄が心配です。私も朝霧山荘に行かせてください』
「真綾!」
雑音混じりだが、聞き間違えるわけがない。真綾の声だ!
『いや、奴らの仲間がうろついているかも知れない。バス停まで送るからキミはこのまま東京へ帰れ』
……橘さんの声だ。
『キミの兄さんに事情を伝えて、無事に帰れるよう僕が守ってあげるから』
「…………」
胡乱げな眼差しで、僕は橘さんを見上げる。僕は橘さんに守られていたっけ?
「スキーをしていたら可愛い子がヘンな男たちと歩いているのを見た。明らかに怪しかったからね、男たちをブチのめして事情を聴いたのさ」
『何かお礼をさせてください』
『東京に戻ったらもう一度会いたいな。それだけで十分だよ』
『は、ハイッ!』
「………………」
僕の、眉間のしわが深くなる。
雑音の向こう、バスの発進を告げる音が響いている。
どうやら真綾はこの男に「心を盗まれた」ようだ。
「誰が上手いこと言えと!」
「まあそういう訳だから何も心配しなくていい。真綾ちゃんは今頃、自宅でキミの帰りを待っているよ」
思わずこぼした心の声を無視して、橘さんはゴキゲンに笑った。
命の恩人には違いない。
取引の刻限、失った鞄に脅える必要は消えたのだ。
そして……真綾が、家で待っていてくれる。待っていてくれるのだ。あぁ、でも「あの人ってとっても素敵!」と頬を染める妹を目の当たりにするくらいなら、平手打ちされる方が良かったな……
いつか想像した真綾の花嫁姿。その隣に……怪盗とは、いかがなものか。いや、なにもそこまで決まったわけでなく、恐らくあらゆる女子へ吹聴しているのだろうから真に受けている真綾が可哀想だ!
「なんと感謝していいか……」
「感謝はいいから二つだけ言うことを聞いてほしい」
ぐるぐる巡る僕の思考へ水をかけるように、スッと橘さんの声がトーンダウンした。おお、これは怪盗らしい。
「一つは、このことは絶対に内緒にしておくこと。特に警部に知られないように。もう一つは、君の取引相手を教えてほしいんだ」
「それは、もちろん……!」
妹さんを僕に下さいだったらどうしようかと思った!
ようやく、僕は表情を明るくし、言葉を続けた。約束はきちんと守る。取引相手の名前。それから鞄は見つけられずじまいであることと……
「スペードジャックと同じ頃か、後に……部屋に、このメモが」
恐らく僕の妹が惚れたのであろう怪盗スペードジャックの表情で、橘さんはメモを一瞥する。
「なるほどなぁ……。ああ、それとキミの持っていた鞄には麻薬が入っていた。僕の方でちゃんと始末するから安心してくれ」
鞄を盗んだのはスペードジャック。
自分も、そう推理していた。が、このメモで混乱していたのだ。
メモは匿名で、こうあった。
『ギターを探すならジムの天井裏を調べてみろ。何かがある。
そこで見たものは明日の昼、食堂で全員に話せ』
橘さんと密談を終え、僕は自室に戻った。
謎のメモ。そして最後の橘さんの言葉が、体内をぐるぐる回っている。
『絞殺魔も堀口もキミを狙っているだろう』
……堀口さんも?
だって、そんな、取引……。最初から、僕も真綾も、生きて帰すつもりはなかったということか?
堀口さんは、僕を殺して……麻薬の代金と渡す予定だった麻薬もそのまま持ち帰り、同様の取引を別の相手へ、その繰り返し?
なんだそれ。なんだ、それ!
そんなことをしたって、堀口さん自身が危険になるだけだ。代理とはいえ、僕は組織の手先なんだろう?
僕が鞄を持ち帰らなければ堀口さんが疑われる。少なくとも取引不成立で返金を求められるはずだ。
堀口さんは、一体なにを考えているのだろう……。
取引物を盗難に遭ってしまった僕の口封じ、か……? 「警察へ口を割りそうだったのでね」と言えば逃れられる?
途方に暮れていたからといっても、紛失したことは誰にも話さないでおくべきだったのだろうか?
悔やんだって仕方がない。気を取り直して室内に異変が無いかを確認する。チリひとつ見逃さないつもりで。
もう、ない、な? たまらなくなって、僕はベッドに身を投げた。ぼふり、と上掛けがひるがえり、頬をくすぐる。
「疲れた……」
でも、真綾の声を聞けた。真奈さんも、今夜は笑っていた……。
僕の事件の一つは、怪盗スペードジャックの活躍により解決された。
ただ、鞄の所在に関しては堀口さんに上手い事ごまかす方法を考えておかなくてはいけないだろう。
カーテンを閉めた窓の向こうでは変わらず風の音が響いている。黒井警部の話では天候が回復次第、警察の応援部隊が来るということだが、それはいつになるのだろう。
「昼…… あ、そうか」
メモの意味に気付いた。
明日の昼。皆の前で。
警察の到着に合わせて……という意味だろうか。
『警部一人じゃ、殺人に関して抑止力がない』とは僕自身が事件当初に考えていた事であり、『全員の前で話せ』という指示は、秘密を暴く事に対して直接的な効果があると、そういうことではないか?
それはつまり、黒井警部一人ではない、大勢の警官の前での公開。
だとしたら、ますます麻薬鞄を指していた可能性が高い。
橘さんが隠す様子を誰か見ていて、事情を知らない人物が僕に報せたのかもしれないな。
……うん? それもおかしいか。
天候が、明日になれば回復するという確証もないし……。どうして明日の昼なのだろう。
このメモの意図について的を絞って考えてみようか。
■鞄に関して
A 麻薬代金の入った鞄(高嶋持参、金額は不明。重かった)
→堀口さんがどこかで保管しているはず。
僕が商品の盗難に遭った事には感づいているだろうから、管理に気を配っていると思う
B 麻薬の入った鞄(堀口持参、外観はよく似ている)
→橘さんにより盗難。橘さんが、的確に処理してくれるそうだ。方法は怖いので聞いていない。
■麻薬取引を知っている人物
・高嶋篤哉(買い手代理)
・堀口瑞人(売人)
・橘潤一郎(怪盗スペードジャック、高嶋妹を救出)
・麻薬捜査官
以上を踏まえた上で、メモの送り主について考えられることは
・鞄の内容自体は知らない=麻薬取引を知らない
・警察に話すべき内容である=ギターではないことを知っている
僕の嘘が下手だったので怪しまれている、ということもあるか。
そもそも、ジムの天井裏に物を隠すようなスペースがあったことなんて、このメモで知った。
初めて山荘に来る人間が、気にかけるような場所じゃない。
メモを送った人物自身が何かを隠したか(もしかしたら、麻薬取引以外の事件も紛れ込んでいるのかもしれない。怪盗に殺人犯、こうなったら次に何が登場しても驚かないぞ)、
隠している様子を、目撃したか……。コレかな?
麻薬捜査官であれば、自ら押収することができるだろうし、とぼけたフリして声をかけ、開けさせたところで現行犯逮捕もできるだろう。それをしないということは、捜査官以外の一般人だ。
外堀が埋まり始めてきたので、消去法も楽になってきた。
と、なると、メモの送り主は……松村さんか本村さん。またこの二人に疑いなのか!
今度こそ松村さんが、無視されないための無記名投書?
言葉遣いとしては本村さんらしい気もする。
スペードジャックからのカード差し込みは、タイミングから考えて橘さんにしかできない行動だった。
しかし、今回は時間差で気付いたので、もう少し広げて考えてみるか……。
今日の入浴前後から夕飯までの時間だ。隙間から奥ヘストンと落としてしまうだけなので、時間は
要さない。何かの合間にでもできる……。
うーん、風呂は松村さん、本村さんも一緒で、二人とも僕より先に上がっていたので比べられない。
その前だって、本村さんは自室に居たと言うし、松村さんはロビーだと言っていた。
僕は倉庫で本村さんを待っていた頃で……。倉庫に引きつけておいて、このメモを入れたとも考えられる。だめだな、二段構えにする意味が解らない。すぐにジムへ行くのは良くなかったという理由でもあるのだろうか。
あるいは。
僕が倉庫に居る間、ジムで何か起きていた。それを目撃した人物が、その足で僕の部屋へメモを入れた。
どうだろう。その際は、誰かが嘘をついていることになる。嘘なんて僕も織り交ぜているから、何を今更とも思う。
ジムか……。
今までのメモを読み返すが、ジムを利用したと明言しているのは松村さんと橘さん。ちなみに松村さんは僕をジムに誘ってもいた。
――あの場所に、何があるというんだ?
まもなく日付が変わる。
風が徐々に弱まっているように思えた。
天候次第で、強制的にこの悲劇には幕が閉じられるだろう。
真相が明らかになっても、ならなくても……
明日の今頃、僕は東京の自宅で、妹の真綾の手料理を食べているかもしれない。
泣き言と、お小言と、ノロケ話とをたくさん聞かされて。
僕だってなぁ。言い返そうとして、やっぱりやりこめられるんだ。
日常が恋しくて仕方がない。たった二日間のことなのに、こんなにも遠い。
まもなく、この殺人事件も終わる……
会話をしたこともないけど、山崎さん。
明るくもてなしてくれた、村上さん。
内気だけど恋する姿が微笑ましかった山田さん。
殺されてしまった彼らの共通点が掴めない。
犯人の意図はわからない。
本当に、このままで終わるのだろうか……
真奈さんの笑顔に送られ、山荘を後に出来るのだろうか。
ザワザワと枯れ木の奏でる不協和音が、そのまま僕の胸に広がっていた。




