プロローグ:御手洗正
「……なんだ、この無様な点数は」
ベチィン!!!と、鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃が、16歳の御手洗正の頬を弾いた。
冷たいフローリングの床に視界が激しく揺れ、正は自分が印刷したばかりの定期考査の結果シートの上に倒れ込む。
シートに印字された点数は『98点』。学年順位は『1位』。
「よくこんな恥ずかしい点数で我が家の敷居を跨げたな。お前がそんな無能だから、私の顔に泥が塗られるんだ。次の模試で100点以外を持ち帰ったら、お前の籍をこの家から抜く。目障りだ、消えろ」
父親は、正の顔を一瞥もすることなく、冷酷な声だけでそう吐き捨てて書斎の奥へと消えていった。母親は、その様子をリビングのソファーから無関心そうに眺めながら、スマートフォンの画面をいじり続けている。誰も、正の言葉を、正の努力を、正の存在を、見てはいない。
腫れ上がった頬を押さえながら、正は床に散らばったシートを血が滲むほど強く握りしめた。
(僕が悪かったんじゃない……。世界が、周りが全部間違ってるんだ。僕を認めない奴が、僕より上の点数を取る可能性のある奴が、全部悪いんだ……!)
翌朝、正はいつもの「品行方正な優等生」の仮面を貼り付け、学校の門をくぐった。
秋の冷たい風が吹き抜ける校庭。その中で、正の目はある一人の男子生徒を正確に捉えた。
クラスメイトの飯田だ。
飯田は手元の参考書に目を落として熱心に勉強している。父親の冷酷な言葉が、正の脳裏に激しい警報のように鳴り響く。
(飯田……お前だ。お前が次の試験で僕の前にいられたら、僕は本当に終わる。……消さなきゃ)
正はポケットから、あらかじめ用意していた一枚の小さな紙切れを取り出した。
自分の筆跡から絶対に足がつかないよう、自室の個人用ノートPCで無機質な明朝体フォントだけを印字し、自宅でひっそり切り出してきたメモ。そこには短く、こう書かれている。
『放課後、旧校舎裏へ来い。来なければ、あの動画を全校生徒に共有する』
飯田の真横を通り過ぎるその一瞬、正は誰にも見られない死角で、そのメモを飯田の参考書の間にスッと滑り込ませた。
「え……?」
驚いて顔を上げた飯田と、一瞬だけ視線が交差する。
正はいつもの品行方正な笑みを浮かべたまま、声は出さず、口元の動きだけで「見ろ」とだけ告げた。
飯田が震える手でメモを開き、みるみるうちに顔面を蒼白にしていく。その絶望に染まった顔を見て、正の胸は歪んだ全能感で満たされていくのだった。
(そうだ、怯えろ。僕を脅かす奴は、全員僕の足元で這いつくばっていればいいんだ……)
何食わぬ顔で教室へと向かう正。
だが、その背後から、自分たちを見つめる「2つの鋭い視線」があることなど、この時の彼は知る由もなかった。




