煙突 - 4/4
ある日曜日。天気がすごく良くて、空は馬鹿みたいに青くて、雲はぽつりぽつりとだけ。こういう日は煙突の先端がどこまで伸びているのかが一番よく見える。青い空の中で、ときおり煙突の先端をマシュマロみたいな白い雲が撫でていく。
僕は2冊のノートと、お母さんに作ってもらったおにぎりを持って外に出た。行き先は町を見下ろせる丘だ。家からはだいたい1キロぐらいの場所。高速道路に向かって続く、山に向かう道の途中にある自然公園の一角。とっくに地図を作ってあるから迷うこともない。
丘の上にはベンチが一つと、展望台とも呼べないような低い手すりがあるだけだ。他に誰もいない。見下ろすと町の全体が見える。学校の屋根。商店街のアーケード。妙にカラフルな病院。霧のかかった川と橋。そして巨大煙突。
ここから見ると、たぶん直線距離で5キロくらいだ。近い。町のど真ん中にあるのは間違いないのに、どの道を通ってもたどり着けない。
じっと見ていた。煙突は動かない。煙も出していない。いつだって空に向かって立ってるだけだ。真っ黒で、太くて、つるりとしていて、なんの模様も文字もない。窓も配管もハシゴもない。目で見る限りは「ただの塔」で、誰がいつ何のために建てたのかもわからない。そんなものが、当たり前みたいな顔をしてそこにいる。
ノートを開いた。2冊目の煙突専用ノート。最初のページから最後のページまで、ぱらぱらとめくっていく。書いたことの全部を、もう一度読み直してみる。
.....だめだ。わからない。何度読み返しても何も繋がらない。
穏やかな風が吹いていた。南風で、少し温かい。髪がくしゃくしゃになる。おにぎりを一つ食べて、途中で買ってきたジュースを飲んで、もう一度ノートを見た。
ぐちゃぐちゃの文字。矢印。疑問符。クラスメイトの証言。おじいさんの沈黙。走り書きの推理。上書きで潰した不安。結局なにもわからない。
クラスメイトも、先生も、町の人たちも、みんな「そういうもの」で済ませている。お父さんだって、お母さんだってそうだ。別に気にしなくても問題ないからと言っている。みんなちゃんと生きていて、煙突のことなんかわからなくても困ってない。困ってるのは僕だけだ。考えているのも僕だけだ。みんなそうなのに、なんで僕だけが。
───もう、考えるのをやめてもいいんじゃないか。
町を眺めながら、おにぎりの二個目に手を伸ばしてかぶりつく。ツナコーンだ。マヨネーズが少なすぎてあんまり美味しくないおにぎりを、飲み込むまでの時間で気持ちを整理した。それから口に出して言ってみた。煙突に向かって。
「──降参。もう考えない。」
だって考えてもわからないんだから。さすがにちょっと疲れたし、いい加減にお手上げだ。煙突のことばかり考えていて、友達らしい友達ができないことを先生も心配していた。
認めるのは悔しかったけど、言ってしまったら少し楽になった。煙突がそこにあって、僕はここにいて。お互いに道が繋がってないけど、そういうのって世間じゃよくあることだって言うし。同じ学校に通っていても知らない生徒だっているんだから、そう──あの煙突も、ちょっと目立つ町の住人ぐらいに思っておけば良いんだろう。
煙突からの返事はあるわけもない。風だけが通り過ぎて、ノートのページを勝手にめくっていく。
「トーマじゃん?」
突然名前を呼ばれて振り返ると、そこにクラスメイトが立っていた。名前は、なんだっけ.....やばい、とりあえず「やぁ。」で切り抜けよう。
「その、天気が良かったからちょっとピクニックを...。」
「ふーん? 丁度いいや、これからみんなとここで遊ぶんだけど、ヒマだったら一緒にどう? まだみんな来てないけど。」
「え──。」
彼は返事も聞かずに隣に座ると、風に捲られたノートに目を落とした。
「これ、いつも何か書いてるノートだよな──これ町の地図かよ。すっげー書き込んでるな。この町のこと覚えようとしてるん?」
「うん、方向音痴だから...。」
もっと見ていいかと尋ねる彼に、少しだけ躊躇ったけど1冊目のノートだけを差し出した。2冊目は内容が滅茶苦茶すぎて、流石に見せられるものじゃない。彼はほんとうに興味深そうに僕の書いた拙い地図を読み取ろうとしてくれている。名前を覚えてなくてゴメン。
「おっ、商店街のウラのこの店! よく見つけたなぁ、地元でも知ってるやつ少ないのに.....こっちのバッテンは何?」
「教会。」
「教会?! この町にそんなのあったの?!」
「なんかの倉庫みたいな感じの見た目だから...でも窓から中の十字架とか見えるよ。」
僕の見つけた町の情報を彼に教え、彼からは僕がまだ見つけていない町の情報を聞いた。二人で少しだけ地図の内容を補完したけど、自分の見落としていたことの方がはるかに多い。一人で作った不完全な地図には、まだまだ書き加えるべきことがたくさんあるらしい。
どれぐらいそうしていたか、いつの間にか遠くに他のクラスメイトたちが集まり始めていた。彼は僕が当然一緒に来るものだと信じているようだ。行こうと誘う彼に少し断りを入れておく。やっておきたいことを思いついたから。
「ここ、片付けていくから先に行ってて。」
向こうへ歩いていく彼を見送りながらノートにペンを走らせた。2冊目のノートの、まだ白紙のままの1ページ。そこに、こう書いた。
─────
いろいろ調べたけど、結局あなたが何なのかわかりません。
でも、おかげでこの町の道に詳しくなれました。
あと友達ができそうです。
今はまだ行けないけど、もしいつか会えたら教えてください。
あなた何なんですか。
4年2組
新海透真
─────
書いたページを丁寧に破り取って、それを半分に折って、さらに半分に折って、角を折り返して紙飛行機にした。
風が止まるのを待って、それから新しい風が吹き始める。その最初の一息を狙ってふわりと投げた。届くわけがないのはわかっている。紙飛行機はどこかの屋根か道路に落ちてただのゴミになるだろう。
だけど紙飛行機は柔らかい追い風に乗って浮き上がり、風に乗って町の上へと滑っていった。やがて小さな白い点になって──いや、思ったよりも飛ぶな。
ノートを閉じてボディバッグに押し込んだ。1冊目のノート──町の地図はまだ使うことになるだろう。こっちは捨てない。僕の町の地図だから。でも2冊目の方はもう必要なさそうだ。
まだ飛び続けている紙飛行機に背を向けて、僕もみんなの方に歩いていく。あの手紙が煙突にまで届くとは思わない。きっとそのうち落ちるだろう。でもどこに落ちるのか、見届ける必要は感じなかった。
これで終わり。煙突を追い回すのはここまでにする。今からようやく転校生としての、新しい町での本当の生活を始めよう。
向こうの広場ではクラスメイトたちが集まって、僕が来るのを待っている。バットを持った奴と、サッカーボールを持った奴と、大きなスコップを持ってる奴に、リードをつけた犬を連れてる奴もいる。
いったい何が始まるんだろう。
* * * ぽりぽり * * *




