第7話『真夜中の霹靂』
時間にして午前零時過ぎ。
星空煌めく夏夜の下で、二つの影が歩いていた。
眼鏡をしたためた少女の影と、紅白色をした長身の影。
杏子と桃太郎である。
「ん、ん~~~~~~~~……」
星空へと腕を放り出し、杏子は高々と伸びをする。
そんな杏子の姿を見て、桃が口を開く。
「どうした、杏。もしかしてとは思うが、疲れでもしているのか?」
「なーんか引っかかる言い方だけど、まぁいいわ。別に、そういうわけでもないわ。むしろ逆っていうか。疲れてはいるけれど、何かこう、悪くないっていう感じかしら?」
「……ふむ。よくはわからんが、あまり無理はするなよ」
「はーいはい。わかってるわよ。でも、心配はご無用よ。今日は一日何もできなかったからね。少しくらい頑張らないとバチが当たるってもんでしょ」
杏子はそう言うが、ユウタとその祖父母宅を出た後も学校へと戻り、今日中に仕上げなければならない案件をを一人で片付けていたことを、桃は知っている。
その上、夜はあの姫様からの指令だ。
「……程々にな」
「だからわかってるって、もう。アンタはあたしのお母さんかっ」
「君の家事全般を預かっているのは私だと自認しているが?」
「うっ……ぐぬぬぬ……」
痛いところを突かれ、杏子は何も言い返せずに歯噛みする。が、フンッとすぐにそっぽを向き、話題を変える。
「それより桃。アンタ、何で途中でいなくなってんのよ」
「? 何のことかな?」
「昼間のこと。アンタ、あの子の家に着くなり何も言わずにいなくなったでしょ」
「ああ、そのことか。確かにすぐにいなくなったが、私が命じられたのはあの子の家ないし保護者に送り届けるところまでだったはずだ。ご老人を発見した時点でその責務は全うされたと判断したまでだが?」
「それでもよ。主人であるあたしの断りもなくいなくなるなんて、そんなこと許されると思ってんの?」
「主人である君には、私の居場所など把握していたはずだ」
「そういう問題じゃないのよ。一応一時でも関わったんだから、最後まで付き合うのが筋ってもんでしょ」
杏子の意見に、桃は顎に手を当て思案するように数秒黙ると、
「了解した」
と短く了承の意を示す。
「アンタねぇ……」
その機械的なまでの短慮な返答に、さすがの杏子も頭を抱える。
この侍はいつもそうだ。出会ってからそれなりの月日を過ごしたつもりだが、それでも未だこの紅白の侍が何を思い何を考えているのかがわからない。人間を気遣う素振りを見せたかと思えば、機械のように淡々とスルーする。冷徹なのか、それとも単に淡白なのか。それすらも、短くない時を過ごしているはずの杏子にもわからない。
「だが杏」
そんな風に、いつものことと諦めていると、桃の方から声をかけてくる。
「私からも、一つ忠告しておきたい」
「忠告〜〜?」
この呆れた自分を差し置いて何事かとも思ったが、やはりその無駄に整った鉄面皮の奥は測れない。
「杏じゃなくて杏子よ。で、何?」
「フム……。私はあまり、普通の人間との関わりを持つべきではない」
「……どして?」
予想外の意見に、杏子は怪訝な顔で問い返す。
「私——というよりも【妖精】が、だ。我々【妖精】は元来この地には存在し得ない存在だ。そのようなモノたちが普通の人間と深く関わりを持つのは、彼らにとって決して良い影響を与えない。たとえ【妖精】の側にその気がなくとも、我々の存在は時に人を惑わす。【妖精】とは本来、そういった存在に使われる名なのだから」
「……ふーん」
街灯の明かりに照らされる鉄面皮は、相変わらず変化などなく、その下の感情などは読めない。
「ま、確かにそうよね。少しでも【妖精】に関わってしまった人間は、もう元には戻れない」
——そう。あの少年がそうだったように。
——そして、自分自身がそうであるように。
「だからこそ、君もあの少年も、早々にあの子供との関わりを断つべきだ。まだ私たちの存在を知らぬうちに」
「……ええ、そうね。その方がいいわ」
——何にとってしても、その方が、きっと。
「だって言うんなら、さっさとあのおバカな後輩に伝えないとね。あの子あまちゃんだから、きっとまたすぐにあの子に会いに行くわよ」
「フム。それは同感だが、それは君にも言えることだぞ」
「あら、そうかしら? あたしはあの子ほど甘くはないつもりだけど——、
ね。アナタもそうは思わないかしら?」
「…………」
グルル……、と杏子の問いかけた先——一本の街灯の下に立つ影が唸りを漏らす。
足元に倒れているのは中年のサラリーマンだろうか。でっぷりと膨らんだ腹を股がられながら、ピクピクと情けなく呻いている。
「状況から鑑みるにほぼほぼ確定でしょうけど、一応問うておくわ。もしかしたら、化け物なりの言い訳ってものがあるかもしれないしね」
ニマ、と優等生な笑顔で杏子はその影に問いかける。
「アナタね、ここ数日連続して現れてるっていう通り魔ってのは」
杏子の問いに、影が答える様子はない。
「ま、当然だけど返答はなし。面白い一発ギャグでも期待してたんだけどね」
「フン。こんな畜生モドキに一体何を期待していたのか」
杏子のその物言いに、桃もやれやれと言わんばかりため息をつく。
この少女のことだ。冗談で言いつつも、その実八割型本気だったりするから質が悪い。
「【獣種】……よね?」
「ああ。おそらくだが」
互いに観察した結果を述べるが、どうも自信の持てぬ答えだ。
というのも、そこに立っているはずの影。二人はその影をイマイチ認識しきれていないでいた。
体格はそれほど大きくはなく、むしろ小さい。杏子よりも一回りほど小さい、子供程度の大きさだ。ダラリと背を丸めてはいるが辛うじて二足歩行をしており、その頭の上には唯一の特徴と言ってもいい大きな耳が見え隠れしていた。
だがわかるのはその程度のことだけで、あとは靄がかかったかのように実態が掴めない。そう。文字通り、黒い靄でもかかっているかのように、その姿を曖昧なものへと変えている。
だからこそ二人はそこに立つモノの分類すら出来ないでいた。
確実に言えるのは、そこに立つのが【妖精】ということくらいか。
「【魔法】っていうよりも、能力の一種かしら?」
「ああ。おそらく、自身の正体をぼかす類のものだろう。確かに目の前に立っているはずだが、表情はおろか性別すらも視えないとは」
目を細め凝視するが、そこには依然変わらぬ影が揺れるばかり。
「対策は?」
「ないな。だが、ああいった手合いは大抵一定のダメージで解除されるものだ」
「だったら話が早いわね。要は、叩きのめせばいいんでしょ」
その物言いに、またも桃は呆れの声をあげる。
「……確かにそうだが、君はもう少し乙女らしくは出来ないのか?」
「はぁ? 何を言うかと思えば今更。あたし以上に乙女な女子高生が何処にいるってのよ」
「……。ああ、そうだな」
「ちょっと待ちなさいよ。今の間は何よ今の間は」
「なに、特に他意はないさ」
「そんなわけないでしょ。言いたいことがあるなら正直に言いなさいな。アンタ侍なんでしょ?」
「侍は今関係ないと思うのだが……」
ああだこうだと、敵を前にして言い合う二人。
「う、うわぁぁああああああああ——」
そんな二人を他所に、こちらへと気を取られていた影の隙をつき、中年サラリーマンが情けない声を上げてその場を飛び出す。
「grrr————!!」
だが、当然影はそれをよしとはしない。
日頃の運動不足を呪うように脇腹を抑えて走るサラリーマンに、影は一瞬で追いつき、その鋭い手を一閃——
「させるわけないでしょ!」
影の手が男の首筋に触れるよりも前に、二つの銀閃がその手を薙ぎ払う。
追撃を阻まれた影は杏子と桃を睨み、唸る。
そうしている間にも、中年の男はそのまま逃げ去っていく。
「はい。これで一般人の安全は確保、かしらね?」
「いいのか? あの男、おそらく人を呼ぶぞ」
「構わないわよ。酔ってたみたいだし、どうせ酔っ払いの戯言なんて誰も信じないわよ」
クルクルと手のひらで小刀を弄ばせながら。
「もちろん、あたしたちがさっさと片付ければの話だけどね」
対して杏子は、ニヤリと影を睨む。
「gaぅ——」
まさに獣の如く。一瞬で杏子の目の前まで距離を詰めた影は、その長さすらも曖昧な腕を振り下ろす。
「……速いわね」
言いつつ、携えた二本の小刀を交差させ、影の腕を受け止め。
「ああ。だが——」
「gッ——」
「捉えられぬほどではない」
杏子によって動きを殺された影に、桃による一撃が見舞われる。
影の体は大きく吹き飛び、路肩へと投げ飛ばされる。
が——、影もすぐさま反撃に移る。今度は杏子の頭上へと高速移動し、重力というか名の重石を乗せた一撃を杏子へと食らわせる。
「同じよ——」
だがやはり、その腕は杏子の小刀へと捉えられ、振りかぶった勢いのまま地面へと叩きつけられてしまう。
「柔術の一種よ。本来は鉄扇とか十手なんかで扱うものらしいけど、そこはウチ流にアレンジさせてもらってるわ」
フフンと、誰に自慢するでもなく杏子は言う。
だがそんな余裕を見せる杏子の言葉など聞いていないかのように、影の獣は再度攻撃を仕掛けてくる。
杏子と桃。幾度かの攻撃も、その二人の剣線を超えることはなく。
「なんかアレね。手応えがなさ過ぎて、ちょっと弱い者イジメしてるみたい」
「確かにそうだな。だが、だからと言って手を抜いていい道理もない。このまま一気に決めるぞ、【詠み手】!」
「ええ、——行くわ!」
その時だ。
「——させない」
二人が影の獣にトドメを刺そうとしたその刹那。
夏の夜を裂いて一陣の白き風が舞い起こる。
「っ!? アンタは——」
その小さな白き風は二人と影とを引き裂いて、青夜の霹靂を轟かせる。
次回、スイカは丸かぶりです




